019 襲撃
翌朝、有力者の屋形を発ってから半日ほどすると、道は昨日よりさらに険しくなった。
山腹に沿って細く延びる道は、ところどころ岩を削っただけのようになり、山側には灌木の茂る急斜面が迫っている。谷側を覗けば足元から地面が落ち込み、その底は木々に隠れて見えない。荷を背負ったロバが一頭通れば、人が並んで歩く余地さえない場所もあった。
一行は自然と長く伸びていた。
先頭に護衛、その後ろをエウリュメドンが進み、荷駄が続く。さらに護衛を挟んでフィクスとアリタ、その後ろにも荷駄があり、最後尾を別の護衛が守っている。
二人の王子を離している理由は、フィクスにも分かっていた。
一か所に固めないことで危険を分散する。
もっとも――。
『それは分かるんだけどさ』
左手首からジェミニの声がした。
『分けたあとで、第二王子のほうに腕の立ちそうなのを多めにつけるのはどうなの?』
フィクスは前を見た。
曲がり角の向こうへ消えかけた兄の周囲には、王宮から来た護衛の中でも手慣れた者が多い。
「仕方ないだろ」
『何が?』
「兄上は第二王子だぞ。俺は第八王子」
『どっちも王子でしょうが』
「王子にも順番があるんだよ」
『マスター、自分が軽く扱われることに慣れすぎじゃない?』
フィクスは笑いそうになった。
隣を歩いていたアリタがちらりとこちらを見る。ジェミニと話していることには気づいたらしいが、何も言わなかった。
やがて道が大きく折れた。
前を行く荷駄の姿が岩陰へ消え、後ろを振り返れば最後尾も見えない。ロバの歩みが場所によって違うため、列の間隔まで広がり始めている。
フィクスは足元に転がる小石を避けた。
昨夜の話が頭に残っていた。
この山には、昔から略奪を生業にしている者もいる。食うものを失って道に立った地元の者もいる。傭兵として戦い、戻ってきた男たちもいる。
だから護衛を連れている。
そう思って山側を見上げたとき、何かが岩に当たった。
乾いた音だった。
フィクスが顔を向けるより早く、前方の護衛が叫んだ。
「上だ!」
石が飛んできた。
盾に当たり、鈍い音を立てて跳ねる。
次には矢だった。
ロバが悲鳴のような声を上げ、列が乱れた。護衛たちが山側へ盾を向ける。誰かが伏せろと怒鳴り、別の誰かが荷駄を止めようとしている。
フィクスには、何が起きているのか分からなかった。
上。
まず、それしか分からない。
斜面の灌木の間から石が飛び、矢が落ちてくる。
フィクスに近い護衛達が盾を上げてフィクスの元に駆け寄ってくる。
しかし、それより早く。
「殿下、こちらへ」
アリタがフィクスの腕を取り、岩壁へ引き寄せた。
ほとんど同時に、何かがフィクスの視界を横切った。
アリタの手が動いたように見えた。
次の瞬間には、飛んできたはずの石が消えている。
『山側に複数』
ジェミニの声が響いた。
護衛たちの盾の影で、フィクスは身を低くした。
矢が岩へ当たる。石が盾に当たる。
護衛たちは山側を見上げている。
「盾を上げろ!」
「殿下から離れるな!」
ドリュオンの声がした。護衛たちの声も錯綜する。
レオンも山側を睨んでいる。
フィクスは前を見た。
兄の姿は見えない。
前方から誰かが戻ろうとしていたが、荷駄が道を塞いでいる。荷を背負ったロバを押し退けなければこちらへ来られない。
ジェミニがさっき不平を言っていたことを思い出した。
護衛が分かれている。
しかも、今はその間に荷駄がある。
また矢が飛んだ。フィクスとアリタを守る護衛の盾で跳ねる。
アリタがフィクスを庇うそぶりをすると矢はなぜか力なく落ちる。
偶然ではない。
フィクスには分かった。
だが周囲の護衛は誰もアリタを見ていなかった。
皆、上を見ている。
――上?
そこで引っかかった。
矢も石も飛んでくる。
だが、妙だった。
当てようとしていないわけではない。実際に盾へ当たり、危ういところへ飛んでくるものもある。
それでも――。
「何だ?」
フィクスは思わず呟いた。
『マスター?』
何かが足りない。
これだけ有利な高所を取っているのに、襲撃者は下りてこない。
護衛たちは山側へ盾を向けている。
視線も山側。
身体まで山側へ向いている。
そのとき、後ろでロバが激しく鳴いた。
フィクスが振り返る。
谷側だった。
道の下から人が這い上がってきていた。
一人ではない。
「下だ!」
誰かが叫ぶ。
だが遅かった。
男たちは護衛ではなく、荷駄へ向かった。
一人がロバの轡を掴む。別の男が荷を結んでいた縄へ手を伸ばした。
護衛がそちらへ向こうとする。
その瞬間、山側からまた石が飛んだ。
盾が上がる。
足が止まる。
フィクスはようやく分かった。
「上は囮だ」
『そうみたい』
「俺たちを上に向かせてる」
矢で倒すためではない。
石で殺すためでもない。
全員の目と盾を山側へ向ける。
その間に谷側から近づく。
狙いは――。
「荷だ」
ロバが一頭、谷側へ引かれた。
護衛が追おうとしたが、別の荷駄が道を塞ぐ。山側から飛んできた矢がその前へ突き立ち、兵が足を止めた。
よくできている。
襲撃者はこの一行の素性をたぶん知らない。
山道を通る、大きな荷を持った一行。
だから狙った。
フィクスは上を見る。
射撃の間隔が変わっていた。
減っている。
その直後、谷側でも動きがあった。
荷を奪った者から消え始めている。
『逃げ始めてる』
ジェミニが言った。
「早いな」
欲張らない。
奪えるだけ奪い、護衛が立て直す前に逃げる。
前方から兵が戻ってくる気配がした。だが、細い道と荷駄に阻まれて進みは遅い。
それを見計らったように、山側からの射撃も途切れていく。
最後まで残っている者がいた。
仲間が谷へ消えていく間も、石を投げ、矢を放っている。
『殿だね、仲間が逃げられるように追っ手を阻んでいる』
ジェミニの声。
あのままなら逃げる。
護衛は追えない。
兄は前方にいる。自分はここにいる。王子二人を残して山へ踏み込むはずがない。
傍らのアリタに頼む。
「殿の二人を、生かして止めて」
頷いたアリタはフィクスの傍らで上を見上げる。
その手には石がある。
いつ拾ったのかと思い、すぐに気づいた。
襲撃者の投石だ。
アリタの腕が、ほんのわずかに動いた。
それだけだった。
遠くで一人が、横から殴られたように崩れた。
もう一人が振り返る。
アリタの手がもう一度動く。
男も倒れた。
「当たった!」
護衛の一人が声を上げた。
「誰が投げた?」
「知らん!」
「こっちから返した石か?」
誰にも分かっていない。
アリタはすでにフィクスの前に立ち、山側を見上げていた。
『二人とも生きてる。気絶しただけ』
ジェミニだけが静かに告げた。
もう矢は来なかった。石も飛んでこない。
谷側にいた者たちも姿を消している。
あれほど騒がしかった山道に、怯えたロバの鳴き声だけが残った。
フィクスは倒れた山側の二人を見た。
襲う場所を選び、隊列が伸びるのを待ち、上へ注意を引きつけ、その間に谷側から荷を奪った。混乱が収まる前に欲張らずに退く。手慣れた襲撃だった。
この隊列の素性をたぶん知らなかった。ただ、この道を通る荷駄を狙った。
そして、ほとんど成功した。
アリタが居なければ― 誰も捕まらなかったはずだった。




