012 対策会議
その夜、フィクスの部屋では、いつもより早く扉が閉められた。
夕食を片づけたアリタは廊下へ出て左右を確かめ、戻ってくると内側から扉を閉める。フィクスは寝台の端に腰を下ろし、その様子を待ってから左手首へ目をやった。
バングルの表面から淡い光が広がり、卓の向こうにジェミニの姿が現れる。
『で、マスター。どうする?』
「どうするって言われてもなあ」
フィクスは頭を掻いた。
今日、プロテウスから聞かされた話は単純だった。父王アガメムノン三世に呼び出され、この一年、自分が何をしていたのかを尋ねられた。それだけなら予想できたことでもある。第八王子が一年も最高財務官の執務室へ通っていれば、いつかは王の耳にも入る。
問題は、その先だった。
「次は俺だよな」
『たぶんね』
「やっぱり?」
『プロテウスに聞いて終わりなら、そもそも王様がそこまで気にする必要ないもの』
フィクスは小さく息を吐いた。
「別に悪いことしてないんだけどな」
『そこじゃないんだよねえ』
ジェミニは卓に肘をつくような格好をした。
『まず、もう隠せないことを整理しようか。マスターが一年間プロテウスのところへ通ってる。古い粘土板を読んでる。数字をかなり覚えてる。それから、マスターが何かに気づいて、プロテウスが書記官に調べさせたこともある』
「そこまで父上に?」
『プロテウスが全部話したかどうかは分からない。でも、知ってる前提で考えた方が安全』
「でしたら、粘土板を読めないふりなどはなさらない方がよろしいかと存じます」
アリタが水差しを卓へ置きながら言った。
「しないよ。プロテウスの話と食い違うだろ」
『そう。だから隠すのはそこじゃない』
ジェミニが指を一本立てた。
『覚えてることは見せてもいい。たまに変なところに気づくのもいい。でも、いろんな記録をつなげて考えてるところは見せない』
フィクスは少し考えた。
「たとえば?」
『王様に、北から来る羊毛が減ったのはなぜだ、って聞かれたとする』
「それだけじゃ分からない」
『うん。それ』
「え?」
『その答えでいいの』
フィクスは眉を寄せた。
『そこでマスターが、三年前から羊の数が減っていて、去年までは何か別の理由で納入量を保っていた可能性がある、とか言い始めると駄目』
「ああ……」
言われてみれば、やりそうだった。
「でも、父上に考えろって言われたら?」
『すぐ答えない。前の記録を見てもいいですか、って聞く。それから考える』
「答えが分かってても?」
『分かってても』
妙な話だった。
この一年、プロテウスには逆のことを求められてきた。気づいたことがあれば言え。なぜそう思ったのか説明しろ。別の記録と比べてみろ。そうやって身についたものを、今度は父の前で隠さなければならない。
「難しいな」
『難しいよ。馬鹿のふりをするんじゃないから』
その言葉にフィクスは顔を上げた。
『王様だって、プロテウスに聞いたあとでマスターを呼ぶんだから、何もできない子だとは思ってないはず。そこで急に何も分かりませんってやったら、今度はプロテウスが何か隠してると思われる』
「では、どの程度までお見せになるのでしょう」
アリタに尋ねられ、フィクスはジェミニを見る。
『そうねえ……』
ジェミニは少し考えた。
『粘土板が好きで、数字をよく覚えてて、たまにおかしなところを見つける十四歳』
「そのままじゃないか」
『そのままでいいの。その先を見せないの』
なるほど、とフィクスは思った。
嘘を作る必要はない。
王宮へ来た穀物がどこから来るのか気になったことも、古い記録を比べるのが面白くなったことも本当だった。プロテウスのところへ通ううちに、分からないことが次々に増えていったのも本当だ。
ただ、その先にあるものを話さなければいい。
王宮の記録と地方の実態にはずれがあるかもしれないこと。その不確かな情報を使って徴収と配分を決めていること。そして、王宮の管理だけに頼らず物が動く仕組みが必要ではないかと考え始めていること。
そこまで父に話す理由はない。
「粘土板なんか読んで何が面白い、って聞かれたら?」
『普通に答えれば?』
「普通に?」
『同じ村でも毎年数字が違う。調べてみると、不作だったり羊が減ってたりして、その理由が分かるのが面白い、くらい』
「それなら本当だな」
『できるだけ本当のことを言った方がいいよ。嘘って、そのあとも覚えてなきゃいけないから』
フィクスは頷いた。
そのとき、それまで黙っていたアリタが口を開いた。
「もう一つ、よろしいでしょうか」
「何?」
「マスターは、お顔にもお気をつけください」
「顔?」
「はい」
意味が分からずジェミニを見ると、こちらも頷いている。
『それは大事』
「そんなに顔に出てる?」
『出てる』
「どんなふうに」
『面白いこと見つけると、急に周りが見えなくなる』
「そこまでじゃないだろ」
「プロテウス様とお話しの際にも、疑問を持たれますと、次の質問、その次の質問と続けておられます」
「質問するくらいいいだろ」
『王様を質問攻めにするつもり?』
フィクスは黙った。
それはまずい気がする。
「……気をつけます」
『特に、王様から問題みたいなのを出されたときね。面白くなって本気で考え始めるの禁止』
「それが一番難しくないか?」
『だから言ってるんでしょうが』
ジェミニが呆れたように言った。
フィクスは杯へ水を注ぎながら、もう一つ気になっていたことを考えた。
「父上から、何がしたいって聞かれたら?」
ジェミニが黙った。
アリタもすぐには答えない。
どうやら、それが一番厄介らしい。
「財務をやりたい、は駄目だよな」
『駄目』
「王国を良くしたい」
『もっと駄目』
「だよなあ」
フィクスは杯を口へ運んだ。
「じゃあ、まだ分からない、かな」
それを聞いたジェミニが頷いた。
『それが一番いいと思う』
「一年前、プロテウスにも同じこと言ったんだよな。まだ分からないって」
『だったらなおさらいいじゃない』
確かに今も、答えそのものは変わっていなかった。
一年前より知っていることは増えた。だが、それ以上に知らないことが増えた気がする。
「知らないことの方が多いから、まだ分からない。それでいいか」
「よろしいかと存じます」
アリタが答えた。
『あと、地方を見てみたいっていうのは隠さなくてもいいかも』
「いいの?」
『粘土板だけじゃ本当のことは分からないから、実際の村を見てみたい。それくらいなら自然でしょう?』
フィクスは以前から何度も考えていたことを思い出した。地方から届く報告と、実際の畑や倉にあるものがどれほど一致しているのか。それは王宮にいて粘土板を読んでいるだけでは分からない。
「それなら、聞かれたら言う」
『聞かれたら、ね』
「分かってるよ」
『本当に?』
「……たぶん」
ジェミニとアリタが同時にフィクスを見た。
「なんだよ」
『最後に三つ』
ジェミニが指を立てた。
『聞かれてないことまで答えない。分かってもすぐ答えない。いろんな記録をつなげて王国全体を考えてるところは見せない』
「分かった」
「マスター」
アリタが静かに付け加えた。
「特に最初の一つをお願いいたします」
「なんで俺を見るんだよ」
『一番できなさそうだから』
「できるよ」
二人の視線は変わらなかった。
「……努力します」
『よろしい』
フィクスは不満を込めてジェミニを睨んだが、反論はしなかった。
父に呼ばれるかどうかは、まだ分からない。
だが、呼ばれたときにすることは決まった。
何も知らないふりはしない。
知っていることを、全部見せもしない。
粘土板を読むのが妙に好きで、少しばかり数字を覚えるのが得意な第八王子。
父には、今しばらくそれでいてもらう。
フィクスは杯に残っていた水を飲み干した。
「七十点くらい取って帰ってくればいいわけだ」
『そういうこと』
「百点取ったら?」
『王様に仕事をもらえるかもね』
「絶対に嫌だ」
『じゃあ頑張って七十点取ってきて』
「手を抜くために頑張るって、変な話だな」
そう言うと、アリタがわずかに笑った。
今夜決められるのは、ここまでだった。
あとは父が何を尋ねてくるか。
そればかりは、粘土板を何枚読んでも分からなかった。




