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子爵令嬢の朝

 チチチッ!チーッ!チュル!チィー!チュルッ!


「ん……」


 元気な小鳥の囀(さえず)りと、カーテンの隙間から射し込む穏やかな朝日の光で自然と目が覚める。




「……私は……?」


(確か……熱が出ていて……咳も……。


 ……でも今は喉の調子は良いし熱も無い……?


 治った……のかな……?)


 少女は寝惚け眼のまま、ゆっくりと起き上がろうと布団に手をついて、初めてその違和感に気付く。


(……あれ?布団がふかふかして……)


「――ってベッドっ!?


 こ、此処は何処!?」


 カーテンを未だ開けておらず、部屋が薄暗かった事と寝惚けていた所為(せい)で、目を開けて最初に見た天井が、最期に見たあの薄汚い天井とは全くの別物だという事にすら気付けていなかった。


「それに……パジャマ……?


 こんなに肌触りがスベスベな服を着た事なんて無――



 ――え?」


 自身の服を見て、明らかな変化に目を見開き、理解が追い付かなかった。




「……わ……わ、私の……私のお、おっぱいが、無い――っ!?」




 思わず『ガッ!!』と勢い良く自身の胸に触れるが……視認した通り膨らみはやっぱり無くなっていた……。


(やっと……人並みの大きさになってきていたのに……っ)


 少女はショックで深い溜め息を吐く。


「……それに……なんか手も小さいような……?」


 胸元に置いたままの手はとても小さくて……薄暗い室内でも爪が光り輝いていた。爪のお手入れをするような余裕は精神的にも金銭的にも無く、栄養不足で縦線が入っている程だったのに……。






『……あれ?』




 少女は不意に思考が乱れた。




 胸があった……とか、爪に縦線が……とか、こんな素敵なパジャマを着たことはない……だとか、布団だった……とか……






『私は一体何の事を言っているの……?』






 少女は暫し考え込むも、それ以上何も思い出す事は無かった。




 そして――


「……そもそも、私は……




 ――誰なの?」






 ――コンコンッ。


 不意に部屋の扉をノックする音。少女は声は出さなかったものの身体はビクッと反応した。


 自分が何者なのかすら分からないのに、未知の訪問者……。


 ノックの音はとても優しいものだったが、今の彼女にはそれが伝わってはいなかった。少女は上体を起こしたまま掛け布団を握り締めると、胸元に引き寄せ身構える。




 ――ガチャ。


「……失礼致します、お嬢様」


 開かれた扉からは、愛らしいメイド服を着た女の子が入ってきた。10歳にも満たない程の齢(よわい)だろうか……。栗色の髪を三つ編みにしていて動く度に揺れていた。


 その若さ故に警戒心は解いたものの、自分の名前も相手の名前も分からず、少女は閉口したままメイドをじっと見つめていた。


「おはよう御座います、お嬢様。お目覚めだったのですね。


 ……?お嬢様?何だか本日は少し雰囲気が……。


 如何(いかが)なされましたか?」


 メイドは年齢には似つかわしくない丁寧な所作と言葉遣いをしていた。心配そうに眉を下げ、首を傾げて尋ねてくる。仕草の一つ一つが可愛らしいが、その表情から本当に心配しているのが犇々(ひしひし)と伝わって来た。




 言うべきか如何(どう)か、悩みに悩んで、告げる決心をした。




「……その、ね?私……ねっ?


 じ、自分が誰なのか……何も分からなくて……その……。


 申し訳ないのだけれど、貴女の事も……その、分からないの……っ」


 俯きながら小声で告げる。チラッと上目遣いでメイドの顔を見ると、目を見開いて驚いていた。


「――っ!


 お、お嬢様……っ!


 ……この事は、わたくし以外には絶対に言ってはいけません……っ!


 良いですね……?」


 メイドは少女に近付くと声を潜め、内緒話をするかのように手を口にあてながら密々(ひそひそ)と続ける。


 記憶喪失の類……。普通なら冗談だと思うようなぶっ飛んだ内容だったが、この少女がそんな事をするような人では無い事を理解していたからこそ、メイドは直ぐに信じた。




「……お嬢様のお名前は、『メルローズ』様です」




「メル……ローズ……。




 ――っ」




 自身の名を聞き、ゆっくりと口に出して紡いだ瞬間、頭が少し痛む。すると、ぽっかりと空いていた記憶が一気に埋まっていくのを感じた。メイドからはメルローズが一瞬、気を失い倒れそうになったようにも見えていた。


「っ!?


 お嬢様っ!?」


「ん……大丈夫……。


 ……っ!


 そ、そう……。そう。そう!えぇ、そうよっ!


 私はメルローズ!『メルローズ・ドルチェ』!


 そして貴女は『ターナ』!ターナよ!


 私の専属メイドで、2歳年上のターナ!


 如何して忘れていたのかしら……?」




 メルローズの様子が何時もと同じになり、ターナは安堵の表情を浮かべると年相応の笑顔を向けた。


「ふふっ、寝惚けていたのかもしれませんね?♡」


 ターナは窓辺へ歩くと手際良くカーテンを開き、

窓を開けた。


 爽やかな花の香りと共に朝の心地の良い風が入り込む。二人の美しい髪が優雅に揺れる。外では黄緑色の小鳥達が群れて綺麗な声で囀(さえず)っていた。






(そう、私はメルローズ・ドルチェ。


 ドルチェ家の一人娘で今は6歳……。


 子爵令嬢としてしっかりしないと……。


 悪い夢でも見ていたのよね……?)




 ターナは丁寧にメルローズの髪を三つ編みに結っていく。手慣れたもので、彼女達の日課だった。


 メルローズの髪の毛は艷やかな黒に薔薇色のインナーカラーが映えていた為、編み込むと色が混じり華やかで美しかった。


「お嬢様の髪の毛、本日もお美しいですよ♡」


「あ、ありがとうターナ……。


 私とっても嬉しい……」


 毎日のように褒められている筈なのに、何故か今日は何時もより照れ臭くて、擽(くすぐ)ったさを感じた。


 ハーフアップにすると後ろをバレッタで止める。このバレッタはドルチェ家では無く、母方の家で代々母から娘か嫁へと受け継がれてきた大切な物だった。


「はい、終わりましたよ?」


「ふふ、今日も完璧ね?


 ターナが私のメイドで本当に良かったわ。


 何時もありがとう、感謝しているわ」


「お、お嬢様……っ!勿体無いお言葉……♡


 そ、それでは、私は次のお仕事がありますので……っ!」


 ターナは耳まで真っ赤に染めて、動きがぎこちなくなる。暫しあたふたしていたものの、耳を染めたまま急に真剣な表情でメルローズへ告げる。




「……旦那様と奥様。……メルローズ様のお父様とお母様がご心配なさるので、今朝の記憶の事は誰にも言ってはいけませんからね……?


 勿論、お家の外の方々にも、ご友人にも……です。


 良いですね……?」


「?


 えぇ、分かったわ。心配してくれてありがとう、ターナ」


「はいっ♡では、失礼致しますっ」


 深々と丁寧なお辞儀をすると、ターナは部屋を後にした。






「……確かに、いきなり記憶喪失だなんて、無駄にお父様とお母様にご心配をかけてしまうだけですものね……」


 ターナの真剣な表情が妙に引っ掛かってはいたが、深くは考えずにベッドから降りる。


 ノックと共に二人のメイドが入ってきて、着替えの手伝いをしてくれる。




 今までと変わらない日常が今日も始まろうとしている。






 ――この時は未だ、そう思っていた。

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 メルローズ・ドルチェ

 ドルチェ家の一人娘の子爵令嬢。美しい黒髪でインナーカラーは薔薇色。三つ編みハーフアップがデフォ。代々母方で受け継がれて来たバレッタを着けている。長い睫毛(まつげ)と瞳も薔薇色。寝間着もドレスもピンク系統が多い。場に応じて黒ベースの服も着るが何処かにピンク系統は入っている。

 現在は6歳。小学校のような勉学の場は存在しない為未だ学生では無い。年齢に似合わず落ち着いている。

 記憶が混濁していたが今まで通りに戻った。


 ターナ

 メルローズの専属メイド。齢(よわい)8だがメイドとして働きお金を貯めている。年齢が年齢なのでお手伝いみたいなもの。

 髪と瞳共に栗色をしており、三つ編みを垂らしている。

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