乙女の盾~1
深夜、アンナローゼのペンダントが砕けると、彼女は目を覚ましそっとベッドを抜け出した。
『聖女の証』と言われる胸の印が強く光っている。
眠っているラビオの頬を撫で、唇をかみしめ、なんとか微笑もうとした。
幸せだった日々が押し寄せてくる。
声が漏れないように口を押えた。
扉を開けると夜の冷気にさらされた。しかし、薄物を一枚、羽織っただけなのに彼女はその寒さを感じることはなかった。
「いますか?」
空に向かって声を掛けると
「お呼びですか?」
闇の中にひとりの魔導士が現れた。
「祈りの丘へ連れて行ってください」
「なりません。間もなく結界が張られます、我々に任せてください。そのために我らがいるのです」
「私はもう、人の子ではありません」
「まだ、戻れます。女神の契約に『縛り』はありません」
アンナローゼは暗い空を見上げた。常人にはわからない僅かな空気の震えが彼女にははっきりとわかる。
「来るわ、迎え撃たねばどれほどの人が犠牲になるか」
「解析は済んでおります、五百年前とは違いますから」
「では、その力を見せておくれ。どうせここに居ても同じでしょう」
魔導士は少し躊躇したが、黒い馬に変身するとアンナローゼを背に乗せた。
「待てっ、アンナ! どこへ」
走り出す黒馬の背後からラビオの声がしたが、馬は遠ざかっていく。アンナローゼは振り返らず馬の鬣に顔をうずめた。
祈りの丘には数十人の魔導士が集まっていた。
(こんなにいたなんて知らなかったわ)
すでに、ただ立っているだけでも空気の震えがはっきりと伝わってくる。空を見上げると赤く光る点が数カ所に見えた。
もう、その時は近い。
「結界術展開!」
命令と共に魔導士が一斉にシールド魔法を発動した。
「乙女の盾、イージス!」
名前は美しいがそれは対物結界としては最強の盾魔法だ。
「第一波、到着! 備えよっ」
夜空が見る見る明るくなっていき、赤い点は火球となって降り注いだ。
「着弾!」
轟音と地響きと共に空には激しく火花が散り、大気も海面も大きく揺れた。しかし、地上に到達した物はない。
「素晴らしいわ、お父様の研究の賜物ね」
「ご存じでしたか」
「お父様が魔導士を直属で抱えて、ずっと何かを試していたのは知っていたわ」
「現侯爵様だけではありません。歴代のエルンハイム侯爵は防御魔法の研究に多大な資金と労力を投じてきました。すべては国民と聖女を守るために」
「聖女を?」
「侯爵様はおっしゃっていました。国を治める者としては道を外れているかもしれぬが、やはり聖女に全てを背負わせたくないと」
(侯爵ともあろう方がそんなダブスタでいいのかしら)
「よく、そんなお金があったわね。税金?」
「それだけではとても足りません。だからローエンダイムとの繋がりは不可欠だったのです」
「そういうことでしたか」
公爵家との縁談は権力の維持かと思っていたが、現実的な繋がりがしっかりあった。この国境の丘はローエンダイム領でもある。魔導士たちは両国を守っているのだ。
「今までは聖女を犠牲にして『女神の力』を頼ってきました。その時代はもう終わりました。本来、聖女は人を癒す存在、このような荒事は我々にお任せください」
「第二波、到着! 備えよ」
今度は魔導士が何人か弾き飛ばされた。だが、すぐ立ち上がり結界を張り直している。陰の存在であった彼らもまた、国を守るために命を賭ける頼もしい軍団の一翼なのだ。
(人間もぼーっとしてたわけじゃないのね)
五百年前の知識では『魔王の魔法』と言われたが、この火球は気象現象、天変地異の類だ。彗星がまき散らした隕石が、地上に到達することで起きることは天文学者の研究で知られている。
珍しい現象ではないが、それが数百年に一度、大規模に起きるとこのような災害となるのだ。
そしてこの年は…当たり年だった。




