洗礼の儀式~2
白百合の揺れる清浄なる地、エルンハイム修道院。
この日は朝から新しい『聖女』を迎える洗礼式が行われている。
純白のベールを被せられ、ほとんど顔が見えない装束は、あの闇市で聖女の真似をして着た衣装よりむしろ地味だった。
アンナローゼは礼拝堂へ一人で入って行った。
そこで判定が行われる。
『聖女の証』が本物と認められれば、彼女は聖女としてこの修道院で一生を過ごすこととなる。
庭には修道院に勤める院長、副院長、司教、修道女、聖歌隊などの他に、アンナローゼの父をはじめとするエルンハイム侯爵家の一族が、すべて白い装束で列席していた。
洗礼の終わりを告げる鐘が鳴り、礼拝堂の扉が開かれてアンナローゼが現れた。
鐘の音は三回、短く二回、長く一回。アンナローゼの『聖女の証』は本物と認められたのだ。
「おめでとうございます。エルンハイムの地に聖女様が再誕されました」
院長の声が告げると拍手が起こった。修道女たちが花びらを撒いて祝福する。同時に聖歌隊の歌が始まった。何もかもが厳かにしめやかに。
(終わった、私のすべてが。もう二度とあの扉から外へ出ることはない)
アンナローゼは今は開かれている修道院の扉を見つめた。それはこの行事が終わると固く閉ざされる。
荘厳で美しいけれど、人を拒む冷たい鉄の扉。
夢のような十日間がその扉の向こうにあった。
(マチルダ…あなたも前世ではこんな気持ちだったのね。ここで思い出にすがってただただ余生を暮らすだけの日々。いっそお役に立てるなら、大災害を止めるためなら命を賭けるのも悪くないと…)
遠くで馬がいななく声が聞こえた。
軽やかに響く蹄の音が近づいてくる。
よもや修道院に馬で乗り付ける者はまずいない、よって誰もがここに向かっているとは思わなかった。
しかし
この日、この時だけ開いていた扉から、巨大な馬が駆け込んできた。乗っている男はおよそこの式典にふさわしからぬ、毛皮を着た大男だ。悲鳴を上げる客たちの中を駆け抜け、男はそのまま礼拝堂の前へと猛スピードで走っていった。
「アンナ!」
男はアンナローゼの周囲で馬をぐるりと回し、手を差し伸べた。
「だめよ、こんな」
そう言いながらアンナローゼはベールを投げ捨て、その手を取った。
「来い、アンナ。俺の女になれ!」
「ラビオ、ラビオ、私をあんたの女にして!」
聖女の口から飛び出したトンでもない言葉を聞いて、父侯爵は椅子から転げ落ちてひっくり返った。
それを見て大声で笑ったラビオは、アンナローゼを引っ張り上げて自分の後ろに乗せた。
「行くぞ、掴まれ!」
入ってきた扉はもう閉じかけていて馬は通れない。
ぐるりと修道院を囲んでいる生垣の木に、僅かに背の低い部分があった。そこに向かって馬が突進していくと、巨体に反して軽々と生垣を飛び越えた。
皆が慌てふためく中、馬はどんどん遠ざかっていく。侯爵は慌てて警備兵に命を出した。
「追え! この国から出すな!」
ラビオは馬を駆りながらゲラゲラと笑っていた。
(バカ野郎、何が作戦だ。結局力づくじゃねえか)
同じくアンナローゼは(私、なんかすごいこと言った気がする)と思いながら、ラビオの背で笑いが止まらなかった。




