聖女伝説~2
(何が起こった?)
アンナはラビオに手を差し出しペンダントを受け取った。それを首からかけると胸から発せられていた光は消えてしまった。
「あれはクラーケンなんかじゃないわ、ただの大き目の烏賊」
「どこが違うんだ?」
「文献によるとクラーケンは魔物よ、人間への憎しみがあるし理解はできないけど知性があるはず。烏賊はいくら大きくてもただの烏賊、野生の生き物なの。怪我をしていたから気が立っていたようね」
「詳しいんだな」
「生物学は好きだったから。ちなみにクラーケンがもしまだ生きてたら、さっきの烏賊の五倍くらいあるはずよ。こんな浅い海には棲めないわ」
「でも、なんで静かになったんだ、さっきの歌のせいなのか?」
「あれは癒しの歌よ。私はまだ洗礼を受けていないから人間は治せないけど、動物は治せるの」
「ということは、やはりおまえは」
「黙っててごめん、聖女の証を持ってるわ。このペンダントはお母さまの形見で聖女の力を抑えることができる物。お母さまは聖女の運命があまりいいものでないことを、ご存じだったようね」
「聖女様だ!」
「聖女様がクラーケンを手名付けたぞ!」
「なんと有難い」
船員も客も甲板に集まって、アンナローゼを取り囲んだ。
口々に礼を言われ、アンナローゼはまんざらでもない顔で笑っている。彼女はあの闇市の親方の言葉を思い出していた。
「聖女さんもどっかで役に立つものなら重宝されるだろうさ」
(烏賊を手名付ける技かぁ…漁師さんに雇ってもらえるかしら)
何にせよ、銀貨五枚よりは価値がありそうだ。
水浸しになった甲板の掃除が始まり、船の航路が戻された。船が再び進み始める頃、アンナローゼとラビオは嘘のように静まった夕暮れの海を見つめていた。
「聖女って全然、知られていないかと思ったけど。こんなにお礼を言ってもらえるのね」
「勝手なもんさ、助けてもらえば崇めるけど普段は思い出しもしねぇ」
「それは私も同じだわ」
「だから、変なこと考えんなよ」
「変なこと?」
「国のためにおまえが命を賭けることなんかないんだ、国を守るのは侯爵の仕事だ」
「そうよね、お父様がしっかりしてくれなきゃ」
ラビオはアンナローゼの肩を引き寄せ、耳元に顔を近づけた。
「あんなことはやめてくれ。俺が情けねぇじゃねえか」
「心配してくれたの? もうしないわ。あんな大きな烏賊は滅多にいないし」
「ギャァ! ギャァ!」
笑い合う二人の頭上から海鳥が叫ぶ声が聞こえた。ケインが警戒して発した声だ。振り向くといつの間に現れたのか黒い影が立っている。
「誰だ!」
ラビオがナイフを抜こうとしたが、アンナローゼはそれを止めた。
「これは影です、実体はここにはありません」
「知っているのか?」
「お父様直属の魔導士です」
「アンナローゼ様、お迎えに参りました」
影はぎこちない動きであったが、臣下の礼をした。
「見つかってしまいましたか」
「いえ、お屋敷を出てからずっと見守っておりました」
「ずっとって」
(やだ、さっきのも見られてたの?)
『さっきの』とは烏賊退治ではなく、ラビオとのキスだ。
「次の港で船を下りていただきます」
赤くなっているアンナローゼに構わず、影は事務的に伝えた。おそらく港には迎えの騎士団でも待っているのだろう。逃げられそうにない。
「ラビオ」
アンナローゼが振り返ると、オオカミのように牙を剥いて唸りを上げ、ラビオが影を睨みつけていた。




