第四話 星形パンケーキは完成しない
【喫茶ほしの灯・厨房/朝】
祖母が朝の準備をしている。
グラスを拭く。棚を整える。いつもと変わらない動作。
こはるが厨房の入口に立つ。
こはる「おばあちゃん」
祖母は手を止めない。
こはる「さなえさんのこと、教えてほしい。なんで、店に呼んではいけないの」
祖母「昔のことよ」
こはる「昔のことでも、知りたい」
祖母がグラスを棚に戻す。
祖母「放っておいてちょうだい」
こはる「放っておけない。ポラが言ってた、願いには期限があるって。そのままにしたら……」
祖母「こはる」
祖母がこはるを見る。
祖母「あなたがどれだけ一生懸命でも、他の人の気持ちまで動かすことはできないのよ」
こはるは口を結ぶ。
祖母はそれ以上言わず、奥へ引っ込む。
こはるは一人、厨房の入口に立ったまま、しばらく動けない。
【喫茶ほしの灯・店内/午前】
四人が集まっている。
すずがノートを開く。
すず「おばあさんを説得するより先に、わたしたちでできることをやる。それが今できる最善だと思う」
こはる「……うん」
すず「昔のレシピは手に入っていない。でも、わたしたちで作った星形パンケーキは、写真に近いところまで来ている」
みのり「もう少し、生地の配合を調整したいです。柑橘の刻み方も、細かくした方が均一に混ざると思って」
すず「原価と手順は私が整理する。厨房を一人で回せる手順にしないと、本番で崩れる」
あかり「見た目の仕上げと、宣伝はあたしが。写真撮って、SNSに上げれば人を呼べると思う」
こはる「わたしは……試食と、接客」
三人がこはるを見る。
こはる「……それしかできないんだけど」
あかり「試食、大事じゃない?」
こはる「でも、みんなは作れるし考えられるし、すずは頭いいし、あかりちゃんは写真があるし……わたしだけ、ちゃんとした役割がない気がして」
みのりが首を振る。
みのり「こはるちゃんがいないと、わたしここに来なかったですよ」
こはる「……みのりちゃん」
すず「役に立てないと思うなら、余計なことをしないで任せておけばいい」
こはる「余計なことって……」
すず「また勝手に動こうとしてるでしょ。顔に出てる」
こはるは目をそらす。
【喫茶ほしの灯・厨房】
みのりが生地を混ぜている。
すずが横で手順を書いている。
あかりが仕上がりの角度を確かめながら型を見ている。
こはるはその横で、試食用の皿を並べながら、考えている。
こはる(心の声)祖母とさなえさんを、同じ時間に呼べば――
手が止まる。
こはる(心の声)話し合いの場さえ作れれば、あとは二人でどうにかなるんじゃないかな。
こはるは皿を置く。
【喫茶ほしの灯・店内】
すずが棚の整理をしている。
こはるが近づく。
こはる「ねえ、すず。祖母とさなえさんに、同じ時間に来てもらう計画を考えてるんだけど」
すずが振り返る。
すず「……どういうこと」
こはる「祖母には、試食に付き合ってほしいって呼ぶ。さなえさんには、パンケーキを食べに来てほしいって伝える。時間をそろえれば……」
すず「それはだめ」
こはる「でも……」
すず「二人をだますことになる。それで無理やり顔を合わせても、こはるが望むような結果にはならない」
こはる「何もしなかったら、願いが消えちゃうんだよ」
すず「……こはる」
すずがこはるをまっすぐ見る。
すず「願いを叶えたいんじゃなくて、こはるが正しいって証明したいだけじゃない?」
静寂。
こはる「……そんなこと、ない」
すず「店を残したい。祖母を助けたい。願いを叶えたい。それは全部本当だと思う。でも、それと同じくらい……うまくいった自分を見たいんじゃないの」
こはるの顔が赤くなる。
こはる「すずに、わたしの気持ちの何がわかるの」
すず「わかろうとしてるから言ってる」
こはる「……出ていって」
すずが止まる。
こはる「今は、話したくない。出ていって」
すずはしばらく、こはるを見ている。
やがて、カウンターのエプロンを手に取る。
すずが手に取ったエプロンには、昨日ついた粉がまだ少し残っている。
すずはそれを払おうとして、やめる。
たたまずに置くのではなく、いつもの几帳面さで、角をそろえてカウンターに置いた。
その丁寧さが、こはるには余計につらく見えた。
扉が静かに閉まる。
【喫茶ほしの灯・厨房】
みのりとあかりが、物音を聞いていた。
みのりが厨房から出てくる。
みのり「こはるちゃん……」
こはるは棚の前に立ったまま、振り返らない。
あかりが出てくる。
あかり「……追いかけなくていいの?」
こはる「よくない、かな」
あかり「じゃあ追いかけてきたら」
こはる「……少しだけ待って」
みのりとあかりが顔を見合わせる。
【喫茶ほしの灯・店内/少し後】
こはるが一人、テーブルに座っている。
ポラがカウンターから降りてきて、テーブルの上にのぼる。
ポラ「落ち込んでいるのですか」
こはる「……うん」
ポラ「すずが言ったことが、刺さったのですか」
こはる「正しいことを言われたから、余計に」
ポラはしっぽをゆっくり揺らす。
ポラ「ポラも、最初は間違えたのです」
こはる「え?」
ポラ「星の配達員は、願いを届けるだけなのです。叶えることを押しつけてはいけないのです」
こはる「……どういうこと」
ポラ「願いを叶えようとして、相手の心を無理に動かそうとしたら――それはもう、願いを届けることじゃないのです。自分がやりたいことを、願いの名前でやっているだけなのです」
こはるはテーブルに視線を落とす。
ポラ「こはるが店を残したいと思うのは、本当のことなのです。でも、祖母やさなえの気持ちより、こはるの気持ちを先に動かそうとしていたのでは、なのです」
こはる「……そうだね」
ポラ「ポラも最初、この店に来て、すぐ全部解決しようとしたのです。でもクッキーを食べていたら、少し落ち着いたのです」
こはる「解決方法がクッキーなの?」
ポラ「クッキーは関係ないのです。ただ、急いでいた、ということなのです」
こはるはポラを見る。
こはる「……わたし、すずに酷いこと言った」
ポラ「そうなのです」
こはる「慰めてよ」
ポラ「事実なのです」
こはるは立ち上がる。
【星見町・公園/午後】
古いブランコ。砂場。水飲み場。
すずがベンチに座っている。
膝の上にノートを置いて、何かを書いている。
こはるが走ってくる。
すずが顔を上げる。
こはる「……いた」
すず「なんで分かったの」
こはる「ここしか思いつかなかった。わたしたちが小さいころ、よく遊んでたから」
古いブランコの支柱には、昔貼られた星のシールが一枚だけ残っている。
こはるはそれを見て、小さいころ二人で貼ったことを思い出す。
すずも同じ場所を見ていた。
すずはノートを閉じる。
こはる「……ごめん」
すず「何が」
こはる「すずがいてくれるの、当たり前だと思ってた。一緒にいてくれるのが当然で、意見を聞かなくても動いて、出ていってって言って、ひどかった」
すずは答えない。
こはる「すずが現実的なこと言ってくれるのは、ちゃんと分かってた。でも、自分の気持ちをぶつける方が先になって」
すずがベンチから立つ。
すず「私は、こはるが失敗しないようにしたいんじゃない」
こはる「え」
すず「失敗しても一人にしたくないだけ」
こはるが止まる。
すず「こはるが転んでも、変なことを言っても、うまくいかなくても——そこにいたい。それだけ」
こはる「……すず」
すずは少し目をそらす。
すず「だから出ていってって言われると、困る」
こはるがすずの手を取る。
すずがこはるを見る。
こはる「一緒にいて」
すず「……最初からそのつもりだけど」
こはるが笑う。
すずも、わずかに口元がゆるむ。
【公園・ベンチ】
二人が並んで座っている。
こはる「祖母とさなえさんを、無理に会わせるのはやめる」
すず「うん」
こはる「でも、何かしたい。二人が選べる場所を、作りたい」
すず「……どういうこと」
こはる「来てほしいって言ったのは本当。でも、来るかどうかは二人が決めることだと思う。わたしたちは、来てもいい場所を、作るだけでいい」
すずはこはるを見る。
すず「それなら、できるかもしれない」
こはる「一日だけ、ちゃんとしたイベントをやりたい。昔のパンケーキじゃなくて、わたしたちが作った星形パンケーキを出して、町の人を呼ぶ。名前は――」
こはるが少し考える。
こはる「星くず喫茶祭、とか」
すず「……派手な名前ね」
こはる「あかりちゃんが考えたら、もっと派手になるよ」
すずが小さく笑う。
【喫茶ほしの灯・店内/夕方】
四人が集まっている。
こはるが話す。
祭りの計画。一日限定。昔の完全再現ではなく、四人で作った星形パンケーキ。来るかどうかは、祖母にもさなえにも、本人たちに任せる。
あかりが手を挙げる。
あかり「宣伝、あたしに任せて。写真撮って、今日中に上げる」
みのり「メニューの仕上げ、もう一回やり直します。祭り用に、見た目ももう少し整えたい」
すず「当日の運営と、席の回し方を考える。人が来ても回せるように、手順を作っておく」
三人が、自然に自分の役割を口にした。
こはるはその様子を見て、少しだけ置いていかれたような気がした。
こはる「わたしは……試食と、接客」
すずがこはるを見る。
すず「町の人に、直接声をかけてきて」
こはる「え?」
すず「お客さんを一人ずつ訪ねて、この店の思い出を聞いてくる。それがこはるの役割」
こはるは少し考える。
こはる「……それ、わたしにできること、かな」
みのり「こはるちゃんだからできることだと思います」
あかりがにっと笑う。
あかり「人の気持ちに気づくのが得意って、ポラっちが言ってたよ」
ポラ「ポラっちではないのです。でも、そう言ったのは本当なのです」
こはるが四人を見回す。
こはる「……やる」
【星見町・各所/数日間】
こはるが、町を一軒ずつ歩いている。
八百屋の前で、老夫婦と話している。
老婦人「ほしの灯? 昔、子どもたちを連れてよく行ったわよ。星形のパンケーキが大好きでね」
こはる「何人くらいで来ていたんですか?」
老婦人「三人……いえ、二人だったかしら。ごめんなさいね、昔のことだから」
クリーニング店の前で、中年の男性と話している。
男性「高校の時、試験が終わったら必ずあそこで食べてたんだ。懐かしいな」
郵便局の前で、若い女性と話している。
女性「ちいさいころ、おばあちゃんに連れてってもらった記憶があります。また行けるんですか?」
【喫茶ほしの灯・前日夜/店内】
みのりがパンケーキの最終試作を仕上げている。
すずが明日の手順表を確認している。
あかりが宣伝の写真をスマートフォンで見ている。
店内を撮った一枚で、窓際の席だけが、白くぼやけていた。
あかり「まただ」
すず「何が?」
あかり「ううん。たぶん、逆光。あとで撮り直す」
あかりはそう言って、写真を削除しようとして、指を止めた。
こはるが戻ってくる。
こはる「全部で、二十三軒。来てみますって言ってくれた人がいっぱいいた」
あかり「すご、一人で?」
こはる「足が痛い」
すず「お疲れ様」
すずがお茶を出す。
こはるがひと口飲む。
みのりが皿を持ってくる。
みのり「最終確認、してもらっていいですか」
皿の上に、星形のパンケーキ。
きれいな焼き色。柑橘の香り。
こはるがひと口食べる。
少し間があって。
こはる「……おいしい」
みのり「昔の味とは、違うと思います。でも——」
こはる「わたしたちの味だ」
四人が顔を見合わせる。
ポラがカウンターから顔を出す。
ポラ「明日、なのです」
【喫茶ほしの灯・前日夜/閉店後】
明かりを落とした店内。
こはるが一人、さなえに向けて短い手紙を書いている。
『明日、ほしの灯で一日限定のイベント、星くず喫茶祭を開きます。わたしたちが作った星形パンケーキを出します。来てほしいとは言いません。ただ、もしよかったら。待っています。』
封もせず、テーブルに置く。
明日、開店前に届けに行くつもりで。
【喫茶ほしの灯・祭り当日/昼】
店の前に、手書きの看板が出ている。
『一日限定 星くず喫茶祭』
星形の飾りをあかりが貼った。
みのりが作った小さな花の飾りも、窓に並んでいる。
開店と同時に、人が来始める。
懐かしそうな顔の老夫婦。
スマホで写真を撮っている若い女性グループ。
小学生の子どもを連れた家族。
あかりが笑顔で案内する。
みのりが厨房を回す。
すずが注文を整理する。
こはるが一人ずつ声をかけてまわる。
星形の飾りが、扉の開くたびに揺れる。
テーブルの上には、焼きたてのパンケーキの皿が次々に置かれていく。
子どもが歓声を上げ、年配の客が懐かしそうに壁の写真を見る。
あかりのカメラのシャッター音、すずのペンが注文票を走る音、みのりがフライパンを置く音が重なる。
その中心で、こはるが「いらっしゃいませ」と何度も頭を下げている。
祖母も厨房に入っている。
祖母「みのりちゃん、火加減はこっちの方がいい」
みのり「ありがとうございます、教えてください」
祖母が四人の作ったパンケーキをひと口食べる。
祖母「昔と同じではないけれど……あなたたちらしい味ね」
こはるが厨房から顔を出す。
こはる「おばあちゃん……」
祖母「ちゃんと運んできなさい。テーブルが待ってるわよ」
こはるが笑って、皿を持っていく。
【喫茶ほしの灯・祭り当日/夕方】
店内はまだにぎわっている。
すずが注文票を確認しながら、こはるに小さく話しかける。
すず「想定より客が多い。席の回しを少し変える」
こはる「任せる」
すず「……さなえさんは」
こはる「来てない。まだ、来てない」
すずは何も言わない。
窓の外。夕暮れが近づいている。
【喫茶ほしの灯・祭り当日/閉店間際】
席が少しずつ空いてきている。
四人がカウンターの前に集まる。
あかり「もうすぐ閉店時間」
みのり「来なかった……ですね」
こはるは窓の外を見ている。
答えない。
その時。
ポラが声を上げる。
ポラ「……ポラ」
四人がポラを見る。
ポラがカウンターの上で、ゆっくりと傾く。
しっぽの星形が、ほとんど光っていない。
ポラ「願いが……間に合わないのです」
小さな体が、そのまま横に倒れる。
こはる「ポラ!」
こはるが駆け寄る。
ポラの体は温かいが、しっぽの光は消えかけている。
ポラ「……ごめんなさい、なのです……」
四人が、ポラを囲む。
窓の外。
夕暮れの商店街に、人影が一つ。
立ち止まっている。
店の看板を、見上げている。




