第三話 四人目は秘密を撮る
【喫茶ほしの灯・店前/午前】
夏の朝。商店街はまだ静かで、日差しだけが強い。
喫茶ほしの灯の前に、一人の女の子が立っている。
カメラを構えている。
元気そうな短い髪。首からカメラのストラップ。スニーカーのつま先が、少し浮いている。
空山あかりが、ファインダーをのぞいたまま、独り言を言っている。
あかり「いい感じ……看板の星マーク、光の角度がちょうどよくて——」
パシャ。
扉が開いて、こはるが顔を出す。
こはる「いらっしゃいませ。あ、あかりちゃん?」
あかり「こはる! ここって今も営業してるの?」
こはる「してるよ。どうぞ中へ——」
あかり「写真部でさ、町の古い建物を紹介する企画やってて。ここ、すごくいい雰囲気だから撮らせてもらいたいんだけど」
こはる「そんなに古い建物、好きなの?」
あかり「好きっていうか……なくなってから、撮っておけばよかったって思うの、嫌なんだよね」
こはる「そっか。お店の宣伝になるし! ぜひ!」
あかり「じゃあ中も撮っていい?」
こはる「もちろん——」
後ろからすずが現れ、こはるの肩を掴む。
すず「待って」
こはるとあかりが振り返る。
すず「何を写すか、確認してから入れて」
こはる「すず、そんな警戒しなくても……」
すず「ポラが写り込んだら困るでしょ」
あかり「ポラ?」
すずがこはるを見る。
こはる「……あ」
あかりはすでに店内に入っている。
カウンターの上。
クッキーの缶の陰から、ポラがそろそろと顔を出す。
ポラとあかりの目が合う。
ポラ「み、見ていないのです」
ポラは急いでカップの中に飛び込もうとする――が、頭から入りすぎて、はまる。
ポラ「……抜けないのです」
カップを頭に乗せたまま、ポラがその場でくるくると回る。
あかりは三秒間見ていた。
あかり「……かわいい」
カメラを上げる。
すず「撮らないで」
あかり「え、なんで?」
すず「事情がある」
あかり「どんな事情?」
こはる「……ちょっと話すね」
【喫茶ほしの灯・テーブル席】
四人と一匹が、テーブルを囲んでいる。
こはるが順番に説明している。
ポラ。星のかけら。願い。昔の星形パンケーキ。写真の裏の名前。
あかりは話を聞きながら、ずっとポラを見ている。
あかり「で、ポラっちは星から来たと」
ポラ「ポラっちではないのです!」
あかり「かわいいから、ポラっちでいいや」
ポラ「よくないのです! ポラは星の配達員なのです! そういう軽い扱いは――」
あかり「ねえ、一枚だけ撮らせて」
ポラ「……一枚だけなのです」
すず「交渉しないで」
こはる「でも、撮れたとしても、お店の宣伝にはできないよね。さすがに」
あかり「それはわかってる。ただ撮りたいだけ」
あかりがカメラを構える。
ポラがしっぽを星形に光らせて、ちょこんと座る。
パシャ。
あかりが画面を見る。
あかり「……あれ」
すずが覗き込む。
写真の中に、ポラの姿はない。
画面の中では、カウンターだけが妙に暗い。
ポラが座っていたはずの場所には、星屑をこぼしたような光の粒だけが残っている。
その粒は細い線になり、窓際の席をかすめて、店の壁を抜けるように外へ伸びていた。
あかり「……写真って、見えてるものを写すだけだと思ってた」
こはる「え?」
あかり「でもこれ、見えてなかったものが写ってる。だったら、まだ残せるものがあるかもしれない」
あかりは、カメラを両手で持ち直した。
あかり「なくなる前に撮るだけじゃなくて、なくなりそうなものを見つけることも、できるのかも」
細い光の端、窓際の席だけが、ぼんやり白くにじんでいる。
あかり「ここ、変じゃない?」
こはる「光が反射したのかな」
すず「今は、こっちの筋を追う方が先」
あかりは少しだけ気になったが、画面を閉じた。
こはる「ポラが写ってない」
ポラ「星の配達員は、普通の写真には写らないのです。ポラは存在が特別なのです」
すず「でも、この光は」
あかり「星のかけらから出てる。この方向って……」
あかりが窓の外を見る。
あかり「商店街の、もう少し先の路地の方角だ」
みのりが口を開く。
みのり「あっちに、古い洋菓子店がありますよね」
【星見町・路地裏の洋菓子店/午前】
古い木の看板。
ショーケースには焼き菓子が並んでいる。
店の前には、季節の花が植えられている。
四人が立っている。
こはる「ここ……入ったことなかった」
あかり「わたしも。でも写真で見たことある。古い建物の特集で」
すず「光はここで止まってる」
ポラが首をかしげる。
ポラ「間違いないのです。願いの持ち主が、ここにいるのです」
こはるが扉を押す。
【洋菓子店・店内】
小さな店内。
木製のショーケースに、丁寧に並べられた焼き菓子。
その端には、売り物ではなさそうな古い星形のクッキー型が飾られている。
店内には甘い匂いがあるのに、どこか静かすぎる。
壁の時計の音だけが、こつ、こつ、と響いている。
奥から、老いた女性が出てくる。
白髪。小さな体。でも背筋が伸びている。
朝永さなえ。
さなえ「いらっしゃい。何かお探し?」
こはる「あの……喫茶ほしの灯から来ました。星名こはると言います」
さなえの動きが止まる。
さなえ「……ほしの灯」
こはる「祖母の店で、今、夏の間だけ手伝っていて——」
さなえ「お祖母さんの名前は」
こはる「星名照子、です」
さなえはしばらく、こはるの顔を見ている。
さなえ「……そう」
それだけ言って、さなえは視線を落とす。
【洋菓子店・店内】
さなえがカウンターの中に戻っている。
四人は並んで立っている。
さなえ「何の用?」
こはる「昔の星形パンケーキを作り直したくて。レシピを探しているんです」
さなえ「……なぜ私のところへ」
すず「写真の裏に、朝永さなえという名前がありました。照子さんと一緒に写っていた方ですよね」
さなえは棚に手を置く。
長い間。
さなえ「照子と、一緒にあのパンケーキを考えたのは私よ。二人で、何日もかけて試作した。もう何十年も前のこと」
こはる「それなら、レシピを、教えていただけませんか」
さなえ「……持ってはいるわ」
四人が息をのむ。
さなえ「でも渡せない」
こはる「どうして」
さなえ「今さら同じものを作っても、何も戻らないでしょう」
さなえは四人から目をそらす。
さなえ「用が済んだなら、帰って」
【星見町・帰り道/昼】
四人が並んで歩いている。
あかりがカメラを抱えている。
みのりは下を向いている。
すずは前を見ている。
こはる「……仲直りさせれば、きっとレシピも——」
すず「待って」
こはるが止まる。
すず「何十年も会っていない二人を、無理に引き合わせるのは違うと思う」
こはる「でも、願いを叶えるには——」
すず「叶え方を決めるのは私たちじゃない」
こはるは口をつぐむ。
みのりが顔を上げる。
みのり「……さなえさん、レシピを捨てていなかったですよね」
すずが振り返る。
みのり「何十年も持っていた。捨てようと思えば、捨てられたはずなのに」
あかり「それ、わたしも気になった」
すずが続きを促す目をする。
あかり「棚の奥に、喫茶ほしの灯の写真が何枚も置いてあった。さなえさんが撮ったのか、誰かからもらったのか分からないけど、大事にしまってあるみたいだった」
こはる「……捨てられなかった、ってこと?」
あかり「わからない。でも、ぜんぶ諦めてる人の顔じゃなかったと思う」
四人は立ち止まって、それぞれ考える。
【星見町・商店街の外れ/昼】
あかりがみのりの腕を引く。
あかり「ちょっと来て」
みのり「え?」
あかりが路地の外れに連れ出す。
商店街が見渡せる、小さな曲がり角。
あかり「暗い顔してたから」
みのり「……気になって」
あかり「さなえさんのこと?」
みのり「仲直りできなかった人がいて、長い間、ずっとそのままで……それって、すごく苦しいと思って」
あかりはみのりを見る。
カメラを持ち上げる。
みのり「え、わたしを撮るの? 苦手なんだけど」
あかり「なんで?」
みのり「うまく笑えなくて。お菓子を作ってる時は平気なのに、写真を撮られるって思うと、どんな顔をすればいいか分からなくなるんです」
あかり「じゃあ、笑わなくていいよ」
みのり「え?」
あかり「お菓子作ってる時の顔、たぶんそのままでいい」
シャッターを切る。
パシャ。
みのりが画面を覗く。
さっきの、少し困った顔のみのりが写っている。
みのり「……これ、変じゃない?」
あかり「変じゃない。みのりが笑った瞬間、なんか撮りたくなるんだよね。笑ってなくても、なんか撮りたくなる」
みのりは少し黙る。
みのり「……じゃあ、あかりちゃんが撮るときだけ」
あかりがにっと笑う。
あかり「それ言質取ったから」
みのり「え、なんで言質……」
あかりはもう歩き始めている。
みのりは少し遅れて、ついていく。
【喫茶ほしの灯・テーブル席/午後】
四人がテーブルを囲んでいる。
あかりがカメラの画面をスクロールしている。
あかり「今日撮った写真、確認してたんだけど」
あかりが一枚の写真を止める。
洋菓子店の店内。
棚の端、少し暗くなった奥の方。
あかり「これ」
みのりが画面を見る。
みのり「……型、ですね」
すずが覗き込む。
すず「星形のパンケーキの型。洋菓子店の棚に入ってる」
こはる「それって——」
すず「さなえさんが、今も持っている」
こはるはテーブルに手を置く。
こはる「もう一度、行く」
すずが目を上げる。
こはる「レシピをくれとは言わない。ただ……」
こはるは立ち上がる。
【洋菓子店・入口/夕方前】
さなえが店を閉める準備をしている。
扉が開く。
こはる「すみません」
さなえが振り返る。
さなえ「……また来たの」
こはる「お願いがあって」
さなえは答えない。
こはる「レシピをくれとは言いません。ただ……一度だけ、わたしたちのパンケーキを、食べに来てください」
さなえ「……何のために」
こはる「昔の味じゃないかもしれない。でも、わたしたちが精一杯作ったものを、あなたに食べてほしいんです」
さなえは動かない。
こはる「……来てほしいんです」
さなえは長い間、こはるを見ている。
やがて、視線を落とす。
答えはない。
こはる「待ってます」
こはるはお辞儀をして、扉を出る。
【喫茶ほしの灯・店内/夕方】
四人が戻ってくる。
祖母が奥のテーブルで、何かを書いている。
こはるが入ると、祖母は顔を上げる。
目が合う。
祖母「……朝永さんのところへ行ったの」
こはるが止まる。
こはる「知ってたの?」
祖母「あの子が光を追ったのを見ていたから」
祖母はポラを見る。ポラは黙っている。
祖母の手元で、書きかけの紙がくしゃりと曲がった。
こはるは、その音にびくりとした。
祖母の表情が変わる。
普段のやわらかさが、消えている。
祖母「その人を、店に呼ばないで」
こはる「おばあちゃん——」
祖母「お願いよ」
その声は、怒っているというより、震えていた。
こはるは初めて見る祖母の顔に、言葉が出ない。
祖母はそれ以上何も言わず、奥へ入っていく。
四人は玄関に立ったまま、動けない。
【喫茶ほしの灯・店内/深夜】
電気を落とした店内。
星形パンケーキの写真だけが、窓からの月明かりに照らされている。
かけらに、細い亀裂が入っている。
ぴしり。
小さな音が、誰もいない店内に響いた。
亀裂の奥から、さっき見た幻の声が、かすかに漏れる。
「もう一度、あの子と——」
声は途中で途切れた。
ポラ「……願いが、消えかけているのです」
月明かりの中、ポラはしばらくそのかけらを見ていた。
星のかけらの中で、若い祖母とさなえの笑顔が、ひび割れたガラス越しに揺れている。
そして、その笑顔が、少しずつ薄くなっていく。




