第五話 喫茶ほしの灯へようこそ
【喫茶ほしの灯・店内/閉店間際】
ポラがカウンターの上で横になっている。
しっぽの星形は、かすかに点滅している。
こはるがポラの体をそっと両手で包む。
こはる「ポラ、しっかりして」
ポラ「……願いが、消えかけているのです……」
あかり「どうすれば」
ポラ「願いの持ち主に……届けるしかないのです……」
すずが窓の外を見る。
夕暮れの通り。
立ち止まっている人影。
すず「こはる」
こはるが顔を上げる。
すずが視線だけで、窓の外を示す。
こはるは見る。
人影が、ゆっくりと店に背を向ける。
こはる「さなえさん——」
こはるが立ち上がる。
すず「待って」
こはる「でも——」
すず「店を出ないで」
こはるが止まる。
すず「来てくれた客がまだいる。こはるが今出たら、誰が声をかける」
こはるは店内を見る。
残っている客。お茶を飲んでいる老夫婦。写真を見ている女性。
こはる「……でも、さなえさんが」
すず「待つって決めたでしょ」
こはるとすずが向き合う。
長い間。
こはるは視線を落とす。
こはる「……うん」
こはるは店内へ戻る。
ポラをもう一度見る。
こはる「ごめん、ポラ。もう少しだけ待って」
ポラ「……待てるのです……たぶん、なのです……」
【喫茶ほしの灯・店内/閉店間際】
あかりが残っている客の写真を撮っている。
あかり「今日来てくれた記念に、一枚どうですか」
老夫婦が照れながら並ぶ。
パシャ。
あかり「後で焼いてお持ちします。今日来てくれてありがとうございました」
老婦人「またきますね。こんなにいいお店だったんだって、今日来て思い出したわ」
みのりが厨房から最後のパンケーキを運んでくる。
みのり「残った分、よかったら持って帰ってください」
小学生の女の子が目を輝かせる。
女の子「星の形だ!」
みのりが箱に入れながら微笑む。
みのり「また食べに来てね」
すずが席の片付けをしながら、こはるに目配せする。
すずの視線の先——
窓の外。
人影が、まだそこにいる。
背を向けたまま、動いていない。
【喫茶ほしの灯・店内】
最後の客が帰っていく。
祖母が厨房から出てくる。
祖母「今日はよく頑張ったわね」
こはるが窓の外を見ている。
祖母もつられて窓に目をやる。
一瞬。
祖母の手が止まる。
夕暮れの通りに立っている人影。
祖母「……」
こはるが祖母を見る。
こはる「おばあちゃん」
祖母は答えない。
こはる「会いに行かなくていいの」
長い沈黙。
祖母「……こはる、厨房の片付けを手伝って」
こはる「おばあちゃん」
祖母は動かない。
こはる「行ってほしい」
祖母がこはるを見る。
こはる「わたしたちが呼んだわけじゃない。さなえさんが、自分で来てくれた。自分で決めて、ここまで来てくれた」
祖母の目が細くなる。
こはる「あとは、おばあちゃんが決めること」
祖母はしばらく、こはるを見ている。
やがて、エプロンをゆっくりと外す。
【喫茶ほしの灯・店外/夕方】
祖母が扉を開けて、外に出る。
四人は店内から見ている。
通りに、さなえがいる。
二人が向き合う。
夕暮れの光の中で、二人の白髪が同じ色に染まっている。
【喫茶ほしの灯・店外(遠景)】
四人は窓越しに見ている。
祖母が口を開く。声は聞こえない。
さなえが何か答える。
祖母がうつむく。
また何か言う。
言葉が続かないように見える。
さなえも、すぐには答えない。
二人は長い間、そうして立っている。
みのりが小さな声で言う。
みのり「……話してますね」
あかりが隣でカメラを持ち上げかける。
すずが無言でその手を押さえる。
あかり「……撮らない」
すず「うん」
あかり「残したいけど、残しちゃいけない瞬間もあるんだね」
こはるは窓から離れない。ポラを胸に抱いたまま、二人を見ている。
【喫茶ほしの灯・店外】
祖母が言う。
祖母「パンケーキを……食べていかない?」
さなえが少し間を置く。
さなえ「昔の味じゃないんでしょうね」
祖母「ええ。今の子たちの味よ」
さなえはもう一度、店の看板を見上げる。
星形の看板。
手書きの文字。喫茶ほしの灯。
さなえ「……少しだけ」
【喫茶ほしの灯・店内/夕方】
祖母がさなえを案内して入ってくる。
四人が迎える。
こはる「いらっしゃいませ」
さなえがこはるを見る。
さなえ「先日は、失礼な対応をしてごめんなさい」
こはる「いえ——来てくれて、ありがとうございます」
さなえが入口で立ち止まる。
祖母も、その少し後ろで足を止める。
二人の間に、何十年分もの沈黙が落ちる。
客席のざわめきが、そこだけ遠くなる。
こはるは声をかけようとして、言葉を飲み込む。
すずが静かに一つのテーブルを示す。
窓際の、古い写真と同じ席。
すずが椅子を引く。
さなえがゆっくり歩き出す。
祖母も、少し遅れてその後に続く。
さなえと祖母が、同じテーブルに座る。
【喫茶ほしの灯・厨房】
みのりが最後の二枚を焼いている。
手が少し震えている。
あかりが横に立つ。
あかり「大丈夫?」
みのり「……緊張してます」
あかり「みのりが作ったんだから、おいしいよ」
みのり「おいしいだけじゃなくて、ここに来てよかったって思ってもらえるものにしたいんです。そういうお菓子を、いつか作れる人になりたくて。でも、さなえさんが納得するかどうか——」
あかり「納得してもらうために作ったんじゃないでしょ」
みのりが手を止める。
あかり「わたしたちが、一生懸命作ったってことは本当だから。それを持っていけばいい」
みのりはあかりを見る。
みのり「……あかりちゃん、たまにすごいこと言いますよね」
あかり「たまに?」
みのりが笑う。
あかりがカメラを上げる。
パシャ。
みのり「撮ったの?」
あかり「今の顔、撮りたかった」
みのりは少し照れて、パンケーキの仕上げに戻る。
【喫茶ほしの灯・テーブル席】
すずがお茶を出す。
こはるが皿を運ぶ。
星形のパンケーキが、二枚。
さなえが見る。
さなえ「……型は、違うわね」
祖母「こはるたちが作ったもの」
さなえがフォークを持つ。
さなえのフォークを持つ手が、ほんの少し震えている。
切り分けたパンケーキから、柑橘の香りが立つ。
さなえはそれを口に運ぶ前に、一度だけ祖母を見る。
祖母は何も言わない。ただ、目をそらさずに待っている。
ひと口。
四人が見ている。
さなえはしばらく、何も言わない。
また、ひと口。
さなえ「同じじゃない」
こはるが息をのむ。
さなえ「でも……これはこれで、おいしい」
さなえが笑う。かすかに。
祖母も、つられるように笑う。
こはる「……よかった」
小さな声で、こはるが言う。
【喫茶ほしの灯・テーブル席】
さなえと祖母が、パンケーキを食べている。
しばらく、二人は黙っている。
やがて、さなえが口を開く。
さなえ「……レシピ、渡すわ」
祖母が顔を上げる。
さなえ「ずっと持っていても、仕方ないから。あなたたちが使えばいい」
祖母「さなえ……」
さなえ「仲直りとか、昔に戻るとか、そういうことは分からない。でも……また、話すくらいはできるでしょ」
祖母は何か言おうとして、言葉が出ない。
さなえ「何十年も経ってるんだから、謝り方も忘れたわよ、お互い」
祖母が、ゆっくりと笑う。
祖母「そうね」
さなえ「来週、またここに来てもいい?」
祖母「いつでも」
【喫茶ほしの灯・店内】
さなえが帰っていく。
扉が閉まる。
店内に、静けさが戻る。
そのとき。
カウンターの上で、光が広がる。
星のかけらが、白く輝く。
四人が見る。
光が天井へ昇っていく。
天井が、星空になる。
小さな、でも確かな星々が、店の中に広がっている。
テーブルの端に置かれた星のかけらから、亀裂がすっと消えていく。
青白かった光が、パンケーキの焼き色みたいな淡い金色に変わる。
光の中で、若い祖母と若いさなえが笑っている。
けれど今度は、幻の向こうに現在の二人の笑顔も重なる。
みのりが息をのむ。
みのり「きれい……」
あかりがカメラを上げる。
そのまま、しばらく動けない。
すずが上を見たまま、静かに言う。
すず「……本当にあったんだね。星の願い」
こはる「うん」
ポラのしっぽが、星形に強く光る。
ポラが体を起こす。
ポラ「……戻ったのです」
こはるがポラを見る。
こはる「よかった」
ポラ「当然なのです。ポラは星の配達員なのです。これくらいでへこたれないのです」
あかり「さっきまで倒れてたくせに」
ポラ「それは……体調管理の問題なのです」
こはるが笑う。
みのりも笑う。
あかりが笑う。
すずが、小さく笑う。
【喫茶ほしの灯・店内/少し後】
祖母が四人の前に立っている。
祖母「週末限定で、続けることにしようと思う」
こはる「おばあちゃん……!」
祖母「毎日は無理よ。でも、土曜と日曜だけなら」
こはる「手伝う。絶対に手伝う」
祖母「学校との両立が前提よ。成績が落ちたら考え直す」
すず「それは同意する」
こはる「すずまで」
すずがエプロンを手に取る。
こはるがそれを見る。
こはる「……店員にならないんじゃなかった?」
すず「正式な店員じゃない。こはるの監督役」
こはるが笑う。
みのり「わたしは新作のお菓子担当、でいいですか」
祖母「助かるわ。みのりちゃんのパンケーキ、本当においしかった」
みのりが照れる。
あかり「あたしは宣伝と写真担当! SNSで発信したら、今日だけで問い合わせが四件来てる」
すず「四件?」
あかり「ほしの灯、絶対に人来るようになるよ」
【喫茶ほしの灯・店内】
ポラが四人の前に立つ。
しっぽをぴんと立てて、背筋を伸ばしている。
ポラ「ポラから、伝えることがあるのです」
四人が見る。
ポラ「星の願いを届ける仕事は、ポラだけではできないのです。今回、それがよく分かったのです」
こはる「ポラ……」
ポラ「四人に、ポラの仕事を手伝う資格があると、ポラは判断したのです」
あかり「判断って、ポラが決めるの?」
ポラ「ポラが決めるのです。見習いですが、この件に関してはポラの権限なのです」
すず「それは本当に権限があるの?」
ポラ「……たぶんあるのです」
こはる「たぶん?」
ポラ「細かいことはいいのです。四人、一緒にやるのですね?」
四人が顔を見合わせる。
こはる「やる」
みのり「やります」
あかり「やるやる」
すず「……やる」
ポラがしっぽを振る。
ポラ「では、チーム名を決めるのです。それが正式な証明なのです」
あかりが手を上げる。
あかり「星くずレンジャーズ!」
すず「却下」
あかり「ほしの灯スターズ!」
すず「却下」
あかり「願いの配達屋さん・特別部隊!」
すず「長すぎる」
みのり「……みんなで考えましょうよ」
こはるが少し考える。
こはる「ほしの灯係、でいいんじゃない?」
三人がこはるを見る。
すず「……地味すぎない?」
あかり「普通すぎる」
みのり「でも……なんか、いいですね」
ポラが目を輝かせる。
ポラ「それがいいのです! ほしの灯係、完璧なのです!」
あかり「ポラだけが気に入ってる……」
すず「多数決にする?」
こはる「ポラが気に入ったから、いいじゃない」
あかりが天井を見る。
あかり「……まあ、いっか。ほしの灯係」
みのり「ほしの灯係」
すず「……ほしの灯係」
こはる「ほしの灯係!」
ポラ「よろしくなのです!」
【喫茶ほしの灯・店前/夜】
閉店後の店の前。
夜空に星が出ている。
あかりがカメラを構える。
あかり「じゃあ記念写真。みんなで」
祖母「私も入るの?」
あかり「もちろん」
五人が並ぶ。
祖母・こはる・すず・みのり。
そしてこはるの肩の上のポラ。
あかりがタイマーをセットして、駆け込む。
カシャ。
【喫茶ほしの灯・店内】
あかりが写真を確認する。
あかり「……あ」
四人が覗き込む。
写真の中のポラが、ちゃんと写っている。
星形のしっぽまで、くっきりと。
こはる「写ってる!」
ポラ「願いが届いたから、ポラも写れるようになったのです。たぶん、なのです」
すず「たぶんが多いわね」
ポラ「細かいことは星に帰ったら確認するのです」
みのりが写真を見つめる。
みのり「……あれ」
みのりが画面の端を指さす。
写真の隅。
店の壁際に、五人の他に、もう一人写っている。
学校の制服姿の少女。
顔は少し影になっていて、はっきりとは見えない。
四人が顔を見合わせる。
あかり「……だれ? さっきここにいたっけ」
すず「いなかった」
みのり「でも、写ってる」
その時。
店内のカウンターに、光が落ちる。
新しい星のかけら。
今度は少し大きい。
四人とポラが、かけらを見る。
かけらから、声が聞こえる。
少女の声。「明日、わたしのことを、みんなが忘れてしまいます」
店内に静けさが広がる。
ポラのしっぽが、強く光る。
ポラ「次の配達なのです」
こはるが星のかけらを見る。
すずが隣に立つ。
みのりとあかりが並ぶ。
こはる「行こう、ほしの灯係」
(第一巻 終)




