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第13章(1819年):デフレ不況と信用取引再び

■誤字の指摘をして下さる方々へ

いつも誤字のご報告、誠にありがとうございます。


■1818年12月中旬。

ブルームズベリーに建つタウンハウスの書斎、パーシバルは静かな余暇の時間を著述に充てていた。

ペン先が滑らかに紙の上を走り、わずかな摩擦音を立てている。

彼が現在取り組んでいるのは、大陸での戦争、とりわけワーテルローの戦いにおいて彼自身が構築した前線への補給体系と軍の物資輸送の最適化とその論理に関する著作であった。

大英帝国陸軍が今後も世界各地で展開していく上で後進の将校たちにとって貴重な指針となるはずだ。


一区切りがついたところでペンを置き、凝り固まった肩を軽く回したとき、控えめなノックの音とともに家令のウィリアムが書斎に入ってきた。

その手には銀の盆が掲げられ、一通の封書が載せられている。


「旦那様。ウォーキングの農場におります、管理人のジョージ・エバンスから手紙が届いております」


「ありがとう、ウィリアム。冬の農場から便りとは、何か問題でも起きたか」


パーシバルは盆から手紙を手に取った。

封蝋にはエバンスの簡素な印が押されている。

机の上に置いてある銀製ペーパーナイフを取り、手慣れた動作で滑らかに封を切り折りたたまれた便箋を開くと、ほのかにインクと土の匂いが漂ってくるように感じた。


悪い知らせではと不安になりながら、几帳面で力強い筆致で書かれた文面を追い始めたパーシバルの顔にすぐに意外そうな色が浮かんだ。

手紙の冒頭は、主人である自分に対する、エバンスの実直な性格を如実に表すような深い謝罪から始まっていたからである。


『敬愛なるサー・パーシバル。

ご多祥のことと存じます。

本日は、本来であれば事前にご裁可を仰ぐべき事案につきまして、私の独断専行により取引を進めてしまいましたこと、深くお詫び申し上げます。

しかしながら、機を逃せば得られるはずの利益を失うと判断し、僭越ながら事を進めさせていただきました』


いったい何を勝手に売り払ったのかとパーシバルは目を細めて先を読んだ。

もし大切な農耕馬や、春の種籾にまで手を出したというなら話は別だが、エバンスに限ってそのような愚行を犯すはずはない。


文面をさらに読み進めたパーシバルの口元にやがて隠しきれない驚きと、それに続く深い感嘆の笑みが広がっていった。

そこに記されていたのは、損失の報告ではなく、秋に収穫を終えた大麦のわらの売却成功という、全く予想だにしていなかった事態の顛末であった。


ハンプシャーのウィンチェスター郊外にある、父ヘンリーが治めるシャルトン家の本家農場では、収穫後の麦藁というものは、家畜の小屋に敷き詰める寝床とするか、あるいはそのまま腐らせて畑にすき込む堆肥として消費されるのが常識であった。

麦藁という物体は、重量の割に体積が極めて大きく、嵩張るばかりである。

それを馬車に積んで遠方の市場へ売りに行こうにも陸路での輸送では、馬車の手配に馬の飼葉代ばかりが掛かり、得られる代金よりも輸送費の方が高くついてしまうのだ。

そのため、実家の農場において「藁を売って現金に換える」という発想自体が、そもそも存在しなかったのである。


しかし、ここウォーキングの農場は条件が全く異なっていた。

農場のすぐ脇にはベイジングストーク運河が流れており、運河は大英帝国の心臓部であり、世界最大の消費地でもあるロンドンへと直接繋がっている。


手紙によれば、秋の大麦売却の際に世話になった穀物仲買人のハリス氏から、エバンスに有益な助言がもたらされたのだという。

ロンドンという街には、何万頭という馬が日々荷車や馬車を牽いており、彼らの厩舎に敷くための藁の需要が常に逼迫しており。

さらに、陶磁器やガラス製品といった壊れやすい品物を木箱に詰める際の緩衝材としても、大量の藁が消費されていた。

もし良質な藁が余っているのなら、運河を使ってロンドンへ送り売却すべきであるとのことであった。


この教示を受けたエバンスの行動は迅速であった。

手紙には詳細な数字が記載されていた。

今年の秋、ウォーキングの農場で収穫された大麦の藁は、総重量にして約440トンに及んだ。

エバンスはその中から、農場で飼育している農耕馬や、冬越しをする羊たちの敷き藁として十分な量である75トンを手元に確保した。

そして、残りの365トンを束ね、およそ630ロードをロンドン市場へ向けて売却に踏み切ったのである。


藁の取引は、ロードという単位で行われていた。

1ロードは、重量に換算すれば約0.58トンに相当する。

エバンスが用意した365トンの藁は、およそ630ロードという膨大な分量になったということだ。


エバンスはこれを平底船に満載し、運河を下らせてロンドンへ送った。

そしてハリス氏の仲介により、市場で売り払った結果、売却総額はなんと945ポンドに達したのである。


そこから、平底船を引くための水運費や港での荷役の手間賃、そしてハリス氏に対する正当な仲買手数料として、合計157ポンドの経費を差し引いた。

結果として、この藁の取引がウォーキングの農場にもたらす利益は、788ポンドになる見込みであると記されていた。


パーシバルは手紙を机に置き、深く息を吐き出した。

大麦の副産物に過ぎず、実家では文字通り土に還るだけの藁から、これほどの現金の流れが生まれるとは、完全に予想の範疇を超えていた。

788ポンドといえば、地方の小さな地主が一年間に得られる地代収入にも匹敵する額である。


「やはり輸送インフラか……」

パーシバルは誰もいない書斎で独りごちた。

運河という輸送インフラの強大さが、これほど劇的な形で現金の創出に直結するとは。

馬車による陸路の輸送であれば利益をすべて食いつぶしていたであろう嵩張る荷物も、水に浮かべて牽引する平底船であれば、わずかな経費で大量に運ぶことができる。

立地の優位性が、藁を黄金に変えたのだ。


そして何より今回は、主人の許可を待たずに商機を逃さず行動したエバンスの判断力は、高く評価すべきものであった。

現場を預かる者が決められた作業をこなすだけでなく、いかにして農場の収益を最大化するかを自らの頭で考え、実行に移す。

これこそが、パーシバルが求めていた管理人の姿そのものであった。


パーシバルは即座に新しい便箋を机の引き出しから取り出し、インク壺にペンを浸した。

独断専行を責める言葉など、ただの一文字も書くつもりはなかった。

むしろ、その機転と卓越した手腕に対し主人としての賛辞と感謝の言葉を書き連ねた。


そして、パーシバルは今回得られた788ポンドの利益の配分について、明確な指示を記し始めた。

『エバンス。

君が見事な取引で得た788ポンドのうち、388ポンドについては、私の銀行口座へ為替手形で送金するように。

そして、手元に残る400ポンドについては、以下の通りに処理を命じる』


パーシバルが考えたのは、現場への適切な権限委譲であった。

400ポンドのうち、まずは今年の冬に教区へ納めなければならない救貧税プア・レートの15ポンドを支払うこと。

さらに、来年分の予測救貧税として30ポンドを確保しておくこと。

これら合計45ポンドを差し引いた355ポンドという現金を、ウォーキング農場の管理人の自由裁量予算としてエバンスの手元に留め置くことを許可したのである。


3,000エーカーという広大な農場を運営し、開拓を進めていく上で、現場では予期せぬ支出が常に発生する。

嵐で納屋の屋根が飛んだ際の急な木材の購入、壊れた鋤や馬具の修繕費、あるいは羊が病気にかかった際の薬代など、一々ロンドンの主人に決済を仰いでいては対応が遅れてしまう場面が多々あるはずだ。


『この355ポンドは、君が農場の発展に必要だと判断した設備投資や、細かな修繕のために、君自身の裁量で自由に使って構わない。

また、この秋の過酷な収穫作業を乗り越え、文句も言わずに働いてくれた優秀な労働者たちに対し、冬の寒さを凌ぐための石炭代やクリスマスのための特別な報奨金として分配することも許可する。

彼らの健康と我々に対する忠誠心は、農場の何よりの財産だからな』


現場に裁量と予算を持たせ、迅速な対応を可能にすることは、長期的な農場経営において必ず良い結果をもたらす。

エバンスの能力と実直さを信じているからこそ出せる指示であった。

だが、パーシバルはただ甘いだけの雇用主ではなかった。

権限を与える一方で、不正や放漫な支出を防ぐための手綱はしっかりと握っておかなければならない。


『ただし、主人としての厳格な管理権を維持するため、条件を課す。

この自由裁量予算から支出を行った場合は、必ず帳簿に正確に記録し、領収書を保管しておくこと。

そして、四半期ごとに支出明細を私、および家令のウィリアム宛てに送付することを絶対の義務とする。

ウィリアムの目は数字に対して極めて厳しいから、計算違いのないよう気をつけてくれ』


ペンを置き、パーシバルは書き上げた手紙に目を通した。

現場への信頼と資金に対する管理体制。

二つの均衡が取れた指示書が完成していた。


インクを乾かし、手紙を丁寧に折りたたんで封蝋を垂らす。

自らの印章を押し当てながら、パーシバルは再びあの広大な麦畑の光景を思い浮かべていた。

収穫された穀物本体だけでなく、残された藁からすら利益を生み出す巨大な生産拠点。

ウォーキングの農場は、彼の期待を遥かに超える速度で現金の供給源へと成長しつつあった。


「さて、ウィリアムを呼んで、この手紙の内容を話さなくては」

パーシバルは椅子から立ち上がり、呼び鈴を鳴らしたあと暖炉の火にあたって少し冷えた手を温めながら、どのように説明するか考え始めた。




■1818年12月下旬。

クリスマスを間近に控えたロンドンは、例年通りの厳しい寒波に見舞われていたが、ブルームズベリーに建つパーシバル・シャルトンのタウンハウスの食堂は、華やいだ熱気に包まれていた。


テーブルの中央には磨き上げられた銀の燭台が置かれ、そこから放たれる柔らかな光が純白のリネンのテーブルクロスや並べられた豪奢な食器を照らし出している。

本日の主賓は、パーシバルの資産形成を支える三人の専門家たちであった。

バークレイズ銀行の共同経営者パートナーであるジェームズ・ベリエフ、ロンドン証券取引所のブローカーであるダニエル・バーンズ、そしてチェンサリー・レーンに事務所を構える事務弁護士のラルフ・ハンストン。

いずれも、それぞれの分野で確固たる地位を築いている人物たちである。


給仕を取り仕切るのは家令のウィリアムであり、その指示のもとでメイドのジェーンが次々と大皿を運んできた。

ハンプシャーの実家から届けられた極上の鹿肉ベニソンは、見事な焼き加減で濃厚なソースとともに供された。

ボルドー産のクラレットがグラスに注がれ、芳醇な香りが室内に広がる。

食事中の会話は、仕事で出会った人物の話題や摂政皇太子の宮廷での派手な催し、あるいは最近のオペラの評判といった、ジェントルマンの食卓にふさわしい穏やかなものであった。


やがて、メインの皿が片付けられ、食後のデザートも済むと、パーシバルは客人たちを促して書斎へと場を移した。


書斎の暖炉には石炭が赤々と燃え盛り、部屋の隅々まで心地よい暖かさを行き渡らせている。

ウィリアムが手際よくポートワインをグラスに注いで回り、一礼して退出すると部屋には四人の男たちだけが残された。


グラスを手にしたパーシバルは、くつろいだ様子で革張りの椅子に腰を下ろしながら、世間話を装って一つの話題を切り出した。

「最近、金融街シティから少しばかり不穏な風が吹いてきているように感じるのだが。

どうもイングランド銀行があからさまな貸し渋りや、これまでに貸し付けた資金の回収を行い始めているという話を耳にする。

社交界の噂では、議会が秘密裏に動いており、近く正貨兌換の再開、すなわち金本位制の再導入に向けて舵を切ろうとしているようだが……実際のところはどうなのだろうか」


その問いかけに、銀行家のベリエフはグラスの赤い液体をゆっくりと揺らし、表情を引き締めた。

「実は噂だけではありません。

確かに市中では、イングランド銀行券が回収されつつある動きが確認できます。

当行におきましても、今後の資金繰りについて警戒を強めているところです。

イングランド銀行が発行する紙幣の流通量が減りつつある現状を見るに、金復帰への前兆である可能性は高いと考えております」


ベリエフの言葉を継ぐように、ブローカーのバーンズも深く頷いた。

「証券街でもここ最近、銀行が金を貸さないと噂になっています。

おっしゃる通りイングランドが紙幣を回収しようとしているのかもしれません」


パーシバルは暖炉の炎を見つめながら、手元のグラスを口に運んだ。

「やはりそうか。

国が金本位制に復帰し、銀行に対して紙幣と金貨の兌換を義務付ければ、この国に何が起こるか。

それは明白だ」


パーシバルは三人を見据え、自らの見解を語り始めた。

「フランスとの長い戦争の間、イングランド銀行は金貨との交換義務を免除され、戦費を賄うために際限なく紙幣を刷り続けてきた。

しかし、正貨兌換が再開されれば状況は一変する。

銀行は、自らが保有する金貨の量に合わせて、紙幣の流通量を厳格に絞り込まなければならなくなるのだ。

つまり、かつて市場にばら撒いた紙幣を強制的に回収し、新たな貸し出しを拒むようになる。

その結果、市場から銀行券が消え失せ、猛烈な現金不足と不況が訪れることになる」


パーシバルの声が書斎に低く響く。

「銀行が金を貸さず、現金が手に入らなくなれば、商人や投資家は日々の支払いを決済するために手持ちのあらゆる資産を売り払って現金に換えようと焦り出す。

土地も、商品も、そして公債もだ。

買い手がいない中で皆が先を争って売りに出せば、価格は当然下落する。

コンソル公債とて例外ではない。遠からず、大幅な値下がりが起こるはずだ」


そこまで語ると、パーシバルは姿勢を正し、真正面からベリエフへと向き直った。

「そこでだ、ベリエフ氏。

現在、貴行の金庫には、私が所有しているフランス国債100万フラン分の証書が眠っているはずだ。

ブルボン王政の安定により、あの国債の評価額は購入時から暴騰している。

これを担保として差し入れた場合、今、私にいくら現金を融資できるだろうか」


その瞬間、ベリエフの背筋に冷たいものが走った。

目の前にいる若き紳士が、またしても国家規模の事変を利用して、大規模な投機を企んでいることを察知したからである。

ベリエフは素早く頭の中で帳簿を思い出し、フランス国債の現在の市場価値、預かっているコンソル公債の額、すでに貸し出している22,000ポンド。

さらに、サリー州ウォーキングで目覚ましい豊作を上げ、確実な収益源として機能し始めている3,000エーカーの土地の価値を素早く計算する。

すべてを総合的に判断した結果、ベリエフは一つ息を吐き出して答えた。


「……サー・パーシバルの現在の資産状況と、当行での確固たる信用をもってすれば、他の共同経営者パートナーを説得することは可能です。

今の状況でしたら35,000ポンドまでなら、余裕を持って融資枠を広げられるとお約束いたします」


「素晴らしい」

パーシバルは不敵な笑みを浮かべた。そして、隣の席で期待に目を輝かせているバーンズに向き直った。


「バーンズ氏。

その35,000ポンドの借入金と私の当座預金口座にある現金から3,000ポンド。合計38,000ポンド。

これをすべて、証拠金として差し入れる」


パーシバルの言葉に、書斎の空気がピンと張り詰めた。


「現在のコンソル公債の相場は、およそ78ポンド近辺で推移しているな。

この38,000ポンドの証拠金を使って10倍のレバレッジをかければ、額面にして38万ポンド、単位にして3,800枚のコンソル公債の空売りが可能になるはずだ」


38万ポンド。

現代の信用取引と違い19世紀ロンドンの商習慣では、取引枠(器のサイズ)は、額面ベースの数字で管理している。

そのため、コンソル公債の取引価格が78ポンドであっても、取引枠は3,800枚(額面38万ポンド)までとなる。


暖炉の炎が赤々と燃える中、提示されたその巨大な数字に弁護士のハンストンは思わず息を呑んだ。


パーシバルは驚愕して固まっているハンストンへ視線を移した。

「ハンストン氏。

あなたにも頼みたいことがある。

バーンズ氏はプロであり信頼できる証券ブローカーではあるが、

これほどの規模の空売りを仕掛けるとなると、もしかしたら市場の者たちも嗅ぎ付けるかもしれない。

もし、ジェントルマンである私の名が表に出れば、名誉に傷が付いてしまう」


パーシバルは手元のポートワインの深い赤色を見つめながら続けた。

「したがって、この取引の名義上は、あなたの法律事務所を代理人として表に立たせたい。

私の名前を完全に隠蔽し、決して外部に漏らさないでいただきたい」


ハンストンは額に滲んだ汗をハンカチで拭い、ゆっくりと頷いた。

「……承知いたしました。

契約上、真の依頼人の名が公の記録に残ることは防いでみせましょう」


バーンズもまた、武者震いするかのように手を強く握り締めた。

「いやはや。

これほどの注文を捌くのは骨が折れますが、ブローカー冥利に尽きるというものです。

ジョバーたちを相手に悟られぬよう慎重に、しかし確実に売りを成立させてご覧に入れます」


夜が更けていく中、四人の男たちの影が壁に長く伸びていた。

これから訪れるであろう国家規模の現金不足と不況。

それを逆手にとり、市場から莫大な富を吸い上げようとする38万ポンドの布陣。

ベリエフ、バーンズ、ハンストンの三人は、一歩間違えれば破滅しかねない大取引に対する一抹の不安を抱えながら、彼らはグラスを空け、この恐るべき夜会は幕を閉じたのである。




■1819年2月。

新しい年を迎えた大英帝国の首都ロンドンには、冬の寒気とは別の目に見えない重苦しい空気が覆い始めていた。


ブルームズベリーに建つパーシバル・シャルトンのタウンハウス。

書斎でパーシバルは、アイロンがけされたばかりの朝のタイムズ紙を始めとした主要な新聞を広げ、真剣な眼差しで紙面の文字を追っていた。

彼が注目しているのは、華やかな社交界の噂話でも、大陸の政治情勢でもない。

ロンドン市内の経済欄と商人たちからの投書欄である。

そこには、市井の人々の生の声が掲載されていた。


『シティ短信:金の取引価格が続落』

『イングランド銀行、商業手形の割引をさらに制限』

『イングランド銀行の現金支払再開に関する秘密委員会が設置』

『ロバート・ピールが秘密委員会の委員長に任命』

『投書:もしイングランド銀行に今すぐ紙幣と金を兌換させるような法を強制すれば、国内の通貨は急激に収縮し、すべての商業は麻痺するだろう。

破産者が街に溢れ、国難が訪れる。政府は思いとどまるべきだ』


記事が伝える内容は、どれも金本位制への復帰を示唆するものばかりであった。

市中からイングランド銀行券がじわじわと姿を消しつつあり、日々の商取引に必要な紙幣を手に入れることが日に日に困難になっているのだ。

政府と中央銀行が貸し出しの基準を引き上げ、市場に出回る資金を強制的に絞り込んでいることは誰の目にも明らかであった。


(間違いない。不況の足音が、そこまで近づいてきている)


パーシバルは新聞を丁寧に畳み、机の隅に置いた。

資金が回らなくなった企業が次々と倒産し、職を失った労働者が街に溢れる。

その暗い影が、大英帝国の心臓部であるこのロンドンに漂い始めていた。


そこへ、書斎の扉をノックする音が響いた。

「旦那様、ダニエル・バーンズ氏がお見えです」


家令のウィリアムが扉を開けると、分厚い外套に身を包んだ証券ブローカーが姿を現した。

外の寒さとは裏腹にバーンズの顔には隠しきれないニコニコとした笑顔が浮かんでおり、その足取りは弾むように軽快であった。


「よく来てくれた、バーンズ氏。

その様子からすると、頼んでいた仕事は無事に片付いたようだな」


パーシバルが椅子から立ち上がって声をかけるとバーンズは帽子を脱ぎながら、弾んだ声で応じた。

「ご機嫌麗しゅう、サー・パーシバル。

ええ、もちろんでございますとも。

あなた様からお預かりした極秘の任務、完璧に完遂いたしました」


バーンズは机に歩み寄ると、革鞄の留め金を外し、中から紙の束を取り出して広げた。

それはすべて、証券取引所周辺で交わされた取引の証明書であった。

「ご覧ください。

ご指定いただいた相場の78ポンドで、額面にして38万ポンド分、単位にして3,800枚のコンソル公債の売りをすべて成立させてまいりました」


パーシバルは差し出された証明書の束を手に取り、一枚ずつインクの文字と日付、そして価格を確認していった。

確かに、どれも78ポンドという少し先の未来からすると高値圏で契約が結ばれている。


「これほどの額の売り注文です。あのナポレオンが戻ってくる前と同じ様に対応いたしましたよ」

バーンズは得意げに言葉を続けた。


「私は時間をかけ、注文を極力細かく分割いたしました。

スウィーティング・アレイやジョナサンズ・コーヒーハウスをはじめとする複数の取引所周辺の店を渡り歩き、専門仲買人である顔なじみの同業者たちにも少しずつ注文を分散させて処理したのです。

市場の連中からすれば、年末年始の資金繰りに困った複数の投資家が、小口の売りを出しているようにしか見えなかったはずです。

あなたの名前はおろか、私がすべての元締めであることすら、おそらく誰一人として勘付いておりません」


「見事な手際だ、バーンズ氏。君に依頼して本当に正解だった」

パーシバルは最後の一枚の証明書を確認し終えると、深く息を吐き出した。

肩の奥底から、重い荷物を下ろしたような安堵感が広がっていくのを感じる。

総額38万ポンドという、巨額な空売り。

もし買い手が現れず、注文を処理している間に相場が下がってしまえば、目論見は大きく狂うところであった。

しかし、バーンズの卓越した手腕により、一番美味しい高値の場所で仕掛けることに成功したのだ。


「これで、私がやるべき仕事は完了しました。後は市場があなたの予測通りに動くのを待つだけです」


「ああ。約束通り正当な手数料は、色をつけて支払おう」


「ありがたき幸せに存じます。

それでは、私はまた市場の動向を見張る作業に戻ります。良い知らせをお待ちください」

バーンズは深くお辞儀をし、入ってきた時と同じようにニコニコとした笑顔を浮かべたまま書斎を後にした。


一人残された書斎で、パーシバルは再び椅子に深く腰を下ろした。

誰の目もない空間で、彼は机の一番下の引き出しを開け、鍵のかかった小箱から一冊の手帳を取り出した。

使い込まれた革表紙のその手帳には、彼が前世の記憶を取り戻した直後から思いつく限りに書き留めた、これから先の19世紀の歴史の流れと、重要な出来事がびっしりと日本語で綴られている。

誰にも見せられない、彼だけの未来の設計図であった。


ページをめくり、1819年の項目に視線を落とす。


(イングランド銀行による紙幣の回収と引き締め。そして、7月、正貨兌換再開法……議会が金本位制への復帰を宣言する)


政府が正式に金本位制への復帰を宣言すれば、市場の現金不足は決定的なものとなる。

投資家たちは手元の現金を確保するために、パニックに陥りながらあらゆる資産を投げ売るだろう。

大英帝国が誇るコンソル公債とて、その暴落からは決して逃れられない。

手帳に記された歴史の記録と今は遠くなった朧気な記憶によれば、この不況下におけるコンソル公債の底値圏は、おおよそ65ポンドあたりまで落ち込むはずであった。


パーシバルは机の上に常備しているメモ紙を引き寄せ、羽ペンで数字を書き出し始めた。

底値の65ポンドまで欲張る必要はない。

確実な安全を確保し、余裕を持って68ポンドの時点で買い戻しを行い、精算を完了させると仮定する。

売値が78ポンドで、買戻しが68ポンド。その差額は、公債1枚につき10ポンドの利益となる。


「総額面38万ポンド、すなわち3,800枚の取引だ。これに10ポンドを掛ければ……」

ペン先が止まり、パーシバルの喉の奥から低い笑い声が漏れた。


単純計算で、38,000ポンド。

そこから、フランス国債を担保に借り入れているベリエフ氏への莫大な借入金の利息を支払い、バーンズ氏への手数料、さらに決済日を繰り越すための利息を多めに見積もって差し引いたとしても、手元には軽く3万ポンド近い純利益が残る計算になる。

3万ポンド。それは、豊かな領地を持つ大貴族であっても、何年もかけてようやく集めることができるほどの途方もない金額であった。

それが、紙の上の契約だけで、わずか数ヶ月後には彼の手元に転がり込んでくるのだ。


パーシバルは暖炉の炎を見つめながら、その手に入る予定の莫大な現金の使い道について、未来知識をフル回転させて思案を巡らせ始めた。

デフレ不況が訪れれば、市中から現金が消え、あらゆるモノの価値が下がる。

逆に言えば、現金を握っている者にとっては、世の中のすべての資産が破格の安値で買える最大の好機となるのだ。


(まず、一つ目の選択肢だ)

パーシバルの脳裏に、黒い煙を吐き出す巨大な機械と、鉄のレールの上を走る列車の姿が浮かんだ。

これから先、大英帝国には間違いなく鉄道時代が幕を開ける。

人や物を乗せた蒸気機関車が国土を走り回り、それに伴って鉄とそれを燃やすための石炭の需要が爆発的に跳ね上がる時代がやってくる。

しかし、地方の炭鉱や製鉄所の経営者たちは、資金繰りに苦しんでいるはずだ。

このデフレ不況でナポレオン戦争時の特需を当てにした設備投資の借金が返せなくなり、破産に追い込まれる者も多数出るだろう。

そして、破産者の資産は競売に掛けられるが、現金不足で不況な中では当然ながら叩き売り状態となる。

競売に掛けられた炭鉱や製鉄所を丸ごと格安で買い叩き、手に入れる。

そして数年後の鉄道ブームが来た瞬間にその生産力をフル稼働させれば、投じた資金は何十倍にもなって返ってくるはずだ。


(いや、もう一つ、魅力的な選択肢がある)

パーシバルは視線を窓の外、ロンドンの西の空へと向けた。

ロンドンのウェストエンドのさらに西に位置する、ケンジントン周辺の土地だ。

現在のケンジントンは、ハイドパークの西側に広がる、キャベツ畑や果樹園、そしていくつかの古い邸宅が点在するだけの、都市郊外の農村地帯に過ぎない。

しかし、彼は知っている。

19世紀の後半に向けて、ロンドンの街が爆発的に拡張していくこと。

富裕層たちは煤煙で汚れた中心部を嫌い、新鮮な空気を求めて西へ西へと移り住むようになる。

ケンジントンの農地は次々と区画整理され、大邸宅が立ち並ぶロンドン有数の最高級住宅地、すなわち超一等地へと変貌を遂げる運命にあるのだ。


21世紀の日本の感覚で言えば、現在のケンジントンは、東京の新宿駅前の土地を群馬県の高崎駅前の価格で買えるようなものである。

この不況のどん底で、現金に困っている地主からキャベツ畑を買い集めておけば、将来的に地価は何十倍、いや何百倍にも跳ね上がるだろう。


「炭鉱と製鉄所で産業の心臓を握るか、あるいはケンジントンの土地で未来の超一等地の地主となるか……」

パーシバルはソファの背もたれに体を預け、心地よい疲労感とともに目を閉じた。

まだ公債の暴落は起きておらず、手元に3万ポンドの現金があるわけではない。

完全に捕らぬ狸の皮算用であることは重々承知していた。

だが、自分の仕掛けが機能し、未来の富が約束されているという確信が彼にこれ以上ない幸福感を与えていた。


来るべきデフレ不況は、世間の人間にとっては地獄の始まりかもしれない。

しかし、時代の先を読み、万全の準備を整えた彼にとっては、すべての資産が安売りされる最高の大売り出しに過ぎないのだ。

パーシバルは、次々に浮かぶ贅沢な使い道の想像に胸を躍らせながら、静かに自分の世界に入っていった。




■1819年2月。

書斎で書類に目を通していたパーシバルのもとへ、若い紳士が案内されてきた。

サリー州ウォーキングの建設予定地の調査へ赴いていた若き建築家、チャールズ・ロバート・コッカレルである。

その瞳には疲労よりもむしろ、熱病に冒されたような強烈な興奮が宿っていた。


「戻られたか、コッカレル氏。まずは暖炉のそばへ。

ウィリアム、彼に温かい紅茶を」

パーシバルが席を勧めるとコッカレルは挨拶もそこそこに、抱えていた大きな革のトランクから何枚もの大きな紙を取り出し、机の上に勢いよく広げた。


「ごきげんよう、サー・パーシバル。

寒さなど感じている暇はありませんでしたよ。

あなたの土地が私に語りかけてくる声を聞き取るのに夢中でしてね」

コッカレルが広げたのは、ウォーキングの高台周辺の地形、風向き、そして地質を克明に記録した図面の数々であった。

繊細な鉛筆の線と陰影で描かれた起伏のスケッチは、彼がどれほど入念に自らの足で土地を歩き回ったかを物語っていた。


「それで、あの土地の素質はどうだったかな」

パーシバルが紅茶のカップを手に取りながら尋ねるとコッカレルは図面の一部を指さした。


「率直に申し上げます。

イングランドの伝統的な名家の邸宅が備えているべき、豊かな老樹の森林というものは、あの土地には存在しません。

見渡す限りヒースが広がる荒れ地です。これは景観を形作る上で、一つの欠点と言えるでしょう」


当時の上流階級において、邸宅の周囲に広大な風景式庭園パークを造営することは必須の条件であった。

そして、その庭園の威厳を示す最も重要な要素が、祖先の代から受け継がれてきた巨大な樫や楡の木立であった。


「しかし」と、コッカレルは声のトーンを一段上げた。

「何もないということは、我々が新しい歴史を一から描き出せるということです。

160エーカーという広さは、壮大なパークを造営する上で全く申し分のない広さです。

木がなければ、我々が最も美しい配置で植樹を行えばよい。

長い馬車道のアプローチも視線を遮るものがない分、邸宅の姿を劇的に演出することができます」


さらにコッカレルは別の図面を引き寄せた。

「地盤について、表層は農場と同じく水捌けの良すぎる砂地であり、そのまま重い石造りの館を建てることはできません。

しかし、これも問題ありません。

基礎工事の段階で軟弱な泥と砂を完全に排出し、硬い地層まで深く杭を打ち込む工法を用いれば、建築技術として完全に対応可能です。

手間は掛かりますが、大英帝国の建築技術をもってすれば盤石の基礎を築けます」


パーシバルは満足げに頷いた。

欠点を把握した上で、それを補う明確な解決策を提示する。

ただ美しい絵を描くだけの芸術家ではなく、構造を理解している証拠であった。


「素晴らしい調査報告だ。

君の熱意と技術には全幅の信頼を置こう。

そこでだ、コッカレル氏。君に一つ、重大な追加の依頼がある」


パーシバルは身を乗り出し、机の上に広げられた図面の中心付近を指で囲った。

「マナーハウスの設計と並行して、もう一つの巨大な図面を引いてほしい。

私の所有する3,000エーカーの農場の中心部に近代的な農村を丸ごと設計・建設してもらいたいのだ」


「農村を、丸ごとですか?」

コッカレルは目を瞬かせた。


「そうだ。

現在、農場には小屋や倉庫が場当たり的に建てられているだけで、お世辞にも美しいとは言えない。

今後、農場の規模が拡大すれば、働く労働者の数もさらに増える。

彼らが住み、生活するための機能的な村が必要になるのだ」


パーシバルは村に必要な施設を次々と挙げ始めた。

「まず、村の中心には200人を収容できる美しい教会を建てたい。

教区の牧師も驚くような、立派な尖塔を持ったものをだ。

その隣には、将来の副牧師を迎えるための館。

さらに、運河を利用する旅人や労働者たちが集う酒場兼宿屋。

日々の品物を揃える商店。農機具や馬の蹄鉄を打つ鍛冶屋。

そして、労働者たちが清潔に暮らせるよう、頑丈なレンガ造りの家屋を整然と配置してほしい」


それを聞いたコッカレルの顔に、歓喜の色が爆発したように広がった。

単なる一つの邸宅ではなく、人々の生活の営みすべてを包括する共同体を一から設計する。

それは建築家にとって、自らの哲学を大地に刻み込む究極の仕事であった。

「なんという壮大な計画でしょう……!

教会の鐘の音が響く広場、人々の動きを計算し尽くした美しい街並み。

私にその村の設計図を引かせていただけるのですね。

必ずや、イングランドで最も美しい理想の村を形にしてみせます」


「頼んだぞ。

さて、村の話はここまでだ。

次は、私が住むマナーハウスの設備について、いくつか譲れない要求がある」

パーシバルは居住まいを正し、自身の生活の快適性を極限まで高めるための条件を提示し始めた。


「まず、邸宅内には古代ローマ風の温水浴場を設けること。

さらに、屋敷の隅々に至る完璧な上下水道と水洗式のトイレを配置することを必須とする」


当時の上流階級において、古代ギリシャやローマの文化への憧憬は絶頂期にあった。

グランドツアーで地中海を巡り、古代の彫刻や建築様式を屋敷に取り入れることは、最高の教養の証とされていた。

そのため、ローマ風の浴場を屋敷の中に造ること自体は、富豪の道楽として決して不自然なものではない。

「おお! ローマの浴場施設ですか!」

ローマからギリシャ、オスマン帝国の奥深くまで古代遺跡を巡ってきたコッカレルは、この要求に芸術家として激しく共感した。

「現代のボイラー技術を使い最新式のローマの浴場、素晴らしい。

大理石の浴槽と完璧な水回り。水洗式のトイレの配置も最新の技術を用いれば十分に可能です」


「その通りだ。しかし、私の要求はそれだけではない」

パーシバルは声を潜め、最も重要な条件を口にした。

「イングランドの骨まで凍る冬の寒さを完全に遮断するため、建物の壁の構造を特殊なものにしてもらいたい。

外側から順に、漆喰、レンガ、木炭の粉、レンガ、そして内側の漆喰。

この厚みのある五層の二重壁構造で屋敷を包み込むのだ」


この前代未聞の要求を聞いた瞬間、図面を覗き込んでいたコッカレルの動きがピタリと止まった。

彼は数秒間、頭の中でその構造を思い描き、やがて目を見開いてパーシバルを凝視した。


「漆喰とレンガの間に、木炭の粉を挟み込む二重壁構造……?

確かに、木炭が湿気を吸い、二重のレンガの間に層を作ることで、外の寒さを完全に遮断する効果を生みそうな気がいたします。

ですが……」


コッカレルの声が微かに震えた。

「サー・パーシバル。

そのような分厚い壁を屋敷全体に張り巡らせれば、通常の建築に比べて倍近くのレンガが必要になります。

さらに、二重に壁を積み上げる熟練職人の人件費も跳ね上がります。

全体の建設費が恐ろしいほど高騰してしまいますよ。

あなたは本当に正気でおっしゃっているのですか?」


若き建築家の懸念は、常識に照らし合わせれば極めて真っ当なものであった。

しかし、パーシバルは微塵も揺らぐことなく、不敵な笑みを浮かべた。

「その点は心配ない。コッカレル氏、今年の夏以降、この国には深刻な経済の停滞が訪れると予想されている」


パーシバルは紅茶を一口飲みカップをソーサーに置き、確信に満ちた声で断言した。

「市場から現金が枯渇し、多くの商人が支払いに苦しむようになる。

そうした状況下では、冬以降にレンガや木材といった建築資材は買い手がつかず価格は暴落する。

職人たちも働き口を求めて安い賃金で仕事を受けるようになるだろう。

少なくとも現在の相場から3割以上は値下がりするはずだ。

君は、その安値になった時期を狙って、品質の良い資材を大量に購入してくれればよい」


コッカレルは、自信たっぷりに語られるその経済予測の真偽には半信半疑であった。

建築家である彼にとって、金融市場の動きなどは専門外の世界である。

しかし、彼の脳内ではすでに、パーシバルの異常な要求を実現するための構造計算が猛烈な勢いで始まっていた。

浴場へとお湯を運ぶための配管の経路、二重壁の重さに耐えうる強固な基礎の設計。


技術者として、誰も挑んだことのない最先端の快適性を持つ館と一つの村を丸ごと造り上げるという前代未聞の仕事。

そのワクワクとした興奮が、彼の全身の血を沸騰させていた。


「今年の作業の予定を伝えておく」

パーシバルは計画の道筋を示した。

「今年は図面の完成と、予定地の地均し、そして表土の砂と泥の排出、基礎の杭打ち工事のみにとどめる。

本格的なレンガ積みや上物の建設は、人件費と資材が安くなる来年に入ってから一気に進める。

この手順で進めてくれ」


「承知いたしました……!」


コッカレルは図面を乱暴に丸めて抱え込み、ソファから勢いよく立ち上がった。

「すぐに事務所へ戻り、村の設計と二重壁の構造計算、そして予算の見積もりに取り掛かります。

ああ、配管の仕組みと配置から図面を引き直さなければ。時間が惜しい!」


彼は帽子を鷲掴みにすると、パーシバルへの挨拶もそこそこに、入ってきた時以上の凄まじい嵐のような勢いで応接間を飛び出していった。

バタン、と重い玄関の扉が閉まる音が屋敷に響き渡る。


部屋には、出された紅茶に口をつけることすら忘れて駆け出していった若者の、熱狂の余韻だけが残されていた。


パーシバルはやれやれと肩をすくめ、傍らに控えていた家令に向き直った。

「ウィリアム。彼に支払う設計の報酬や経費についての細かな交渉はすべて君に任せる。

あの頭の中にはもう、村の計画と建物の設計のことしかないようだからな」


「畏まりました、旦那様。

彼が予算の数字から目を逸らさないよう、しっかりと手綱を握っておきましょう」

ウィリアムが完璧な一礼を返すのを見届けながら、パーシバルは窓の外の雪景色に視線を移した。


あの情熱の塊のような若者が、自身の知識と資金力を背景にして、ウォーキングの丘にどのような姿の館と村を描き出すのか。来るべき経済の停滞を逆手に取った巨大な建設事業が、静かに、しかし確実な熱を帯びて幕を開けたのである。



■1819年2月。

冷たい雨が窓ガラスを打ち据える音が、ブルームズベリーに建つタウンハウスの書斎に響いていた。

パーシバルは机に広げられた大きな地図を見下ろし、向かいに座る大柄な男へと視線を向けた。

サリー州ウォーキングの農場を預かる管理人、ジョージ・エバンスである。

彼は主人の呼び出しに応じ、馬車を乗り継いでロンドンまでやって来ていた。


「さて、エバンス。

建築家のコッカレル氏が測量と調査を終え、村の設計に取り掛かっていることは前回の手紙で伝えた通りだ」


パーシバルは地図の一部をペン先で囲んで見せた。

「買い上げた3,000エーカーの土地のうち、荷揚場近くにある倉庫、農場として必要な納屋など建物、柵や生け垣、道路としておよそ100エーカーは使うだろう。

そして残りの約400エーカーをこの農場村の敷地として使用する。

ここには200人が入る教会、副牧師館、酒場に商店、鍛冶屋、労働者用の頑丈なレンガ造りの家屋、道路そして周囲を囲む林が配置されることになる」


エバンスは図面に書き込まれた区割りを見つめ、深く頷いた。

「労働者たちが住まう村が整備されれば、彼らの働きぶりも格段に良くなるはずです。

それで、残りの2,500エーカーについてですが、どのような作付け計画をお考えでしょうか」


「そこが本題だ」

パーシバルは新たな紙を引き寄せ、大きな長方形を描き、それを五つの区画に等分した。

「残る2,500エーカーの農地を500エーカーずつの5つの区画に分割して運用する。

これが最終的な農場の姿だ」


エバンスは少し首を傾げた。

「5分割、ですか。

現在進めているノーフォーク農法では、カブ、大麦あるいは燕麦、クローバー、そして小麦と四年周期で畑を回していく4分割の輪作が基本のはずですが」


「その通りだ。

4つの区画では、ノーフォークの輪作を回していく。そこに私の考えを加えて欲しい」


パーシバルは5番目の区画を指先で叩いた。

「この残る5番目の区画を乳牛を飼育するための専用の牧草地として運用する。

そして、数年ごとにこの牧草地の位置自体を他の区画とローテーションさせていくのだ。

クローバーを育てて羊を放牧するだけでなく、長期間牧草地として休ませることで、土地の回復力はさらに高まるはずだ」


主人の計画を聞き、エバンスは顔をしかめて腕を組んだ。

農場の現場を預かる者として安請け合いはできない。

「計画は理解いたしました。

ですが、サー・パーシバル。

農場管理人として、ある程度の裁量を残していただきたいのです。

羊を放牧するのとはわけが違います。

乳牛の飼育には、想像以上の手間がかかるのです」


エバンスは身振り手振りで大変さを表しながら説明を続ける。

「乳牛は毎朝毎晩、決まった時間に乳を搾らなければ病気になってしまいます。

牛舎の清掃、牧草の管理、そして何より、牛の扱いに慣れた熟練の乳搾り女たちを多数雇い入れなければなりません。

いきなり100頭規模の牧草地を作って始めろと仰られても、今の農場の人手と体制では確実に破綻してしまいます」


パーシバルはその言葉に腹を立てるどころか、満足げに微笑んだ。

「うむ、素晴らしい。ただ頷くだけではなく、現場の限界を正確に把握して意見を述べる。

さすがは優秀な農場管理人だ」

エバンスが安堵のため息を漏らすのを見て、パーシバルは自身の本当の狙いを明かし始めた。


「安心したまえ、エバンス。

私は最初から、利益を追求する商業的な大規模酪農をやるつもりなど毛頭ない」


「商売ではないのですか? では、何のために牧草地を」


「私が欲しいのは、ただ一つ」


パーシバルは語気を強めた。

「毎朝の食卓で、安全で清潔な本物のバターをたっぷりと塗ったパンを食べることだ。

そして、ウィリアムが淹れてくれる極上の紅茶に汚染されておらず水で薄められていない新鮮で濃厚な本物の牛乳を使い、完璧なミルクティーにして楽しむこと。

私はロンドンに来てから大好きなミルクティーが飲めていないのだ。

実家で飲んでいたように安全な牛乳を求めている、ただそれだけだよ」


当時のロンドンで流通している牛乳の品質は、お世辞にも良いとは言えなかった。

不衛生な環境で飼育され結核に罹患した牛から搾られ、かさ増しのために平気で水や小麦粉などが混ぜられチョークを使用し色付けされていることも珍しくない。

そして、バケツに入れられ腐敗が進んだ状態で道端で計り売りがされている。

パーシバルはそれが我慢ならなかったのだ。


「市場で売られている出所の知れない白い液体ではなく、自分の領地で育った牛の乳を飲みたいのだ。

まずは私と君たち農場幹部の自家消費用として、今年は15頭程度の子牛と乳牛を購入して始めようではないか」


「15頭……それならば現在の労働者の妻たちの中から、手先の器用な者を選んで乳搾りを任せることができます。

十分に管理可能な数字です」

エバンスは肩の力を抜き、笑顔で了承した。


「計画に同意してくれて何よりだ。

だが、ここからが君にとって最も面倒な仕事になるかもしれない」

パーシバルは机の引き出しから、数枚にわたって文字がびっしりと書き込まれた書類を取り出し、エバンスへと手渡した。


「搾った生乳の扱いについて、私の細かな要望をまとめた手順書だ。これを乳搾り女たちに徹底させてほしい」


エバンスは書類を受け取り、そこに書かれた内容に目を落とした。

読み進めるうちに、彼の目はどんどん見開かれていく。


「サー・パーシバル……これは、一体どういうことでしょうか。

乳を搾る前に労働者の手を石鹸で入念に洗い、牛の乳房を温湯とアルコールで綺麗に拭き取る?

生乳を入れる器具は、毎回必ず熱湯で洗浄して乾かしておく?」


「その通りだ。目に見えない汚れが牛乳を台無しにするからな」


「それだけではありません。この後半の手順は……」

エバンスは困惑したように書類を指差した。


「搾りたての牛乳をわざわざ湯煎鍋に入れると?

そして、温度計を使って65℃※付近を保ちながら、30分間も加熱し続けると書かれています。

せっかくの新鮮な牛乳を煮てしまうのですか?」

 ※作者注:当時は華氏(°F)を使用していましたが、分かりやすいように摂氏(℃)で表記しています。


パーシバルは静かに頷いた。

前世の知識である低温殺菌法の概念など、この時代の人間に理解できるはずもない。

しかし、風味を損なわずに安全な牛乳を飲むためには、どうしてもこの工程が必要であった。

「煮立たせてはいけない。

あくまで指定した温度の65℃を30分間保つのが肝心だ。

そうすることで、牛乳の中にある腐敗の原因を減らすことができるのだ」


パーシバルは言葉を重ねた。

「そして加熱が終わったら、今度は農場の井戸から汲み上げたばかりの冷たい地下水が入った水槽に鍋ごと浸し、急速に温度を下げるのだ。

冷たい物と温かい物ではどちらが腐敗しやすいかは知っているだろう?

だから常温に放置しては駄目だ、腐りやすくなってしまう」


エバンスは完全に言葉を失っていた。

牛乳を温めたかと思えば、今度は氷のように冷たい地下水で一気に冷ます。

まるで薬剤師の実験のようである。


パーシバルはどんどんヒートアップし熱弁をし始めた。

「そして最後にあらかじめ熱湯で洗浄し、割れないようにゆっくりと冷ました専用のガラス瓶にその牛乳を注ぎ入れ、コルクでしっかりと栓をする。

そのまま荷馬車に積んで、ロンドンのこの屋敷まで届けるのだ。

これが私の求める『完璧な牛乳』を作るための手順だ。

美味しいミルクティーを飲むためには、一切の妥協は許さない!」


エバンスは内心で主人のミルクティー好きがここまでだったのかと少し呆れたが、顔には出さずに答える。

「過剰なまでの清潔さへのこだわり……確かに、これまで誰もやったことのないような細かな手順です。

乳搾り女たちは文句を言うかもしれませんが、ご主人の強いご意志とあれば、必ず守らせてみせます」


「頼んだぞ。私が美味しいミルクティーを飲めるかどうかは、君の監督にかかっている」


エバンスは少し考え込み、やがて顔を上げた。

「15頭の牛を雨風から守るための立派な牛舎と牛乳の生産工場に加えて深井戸と揚水風車を新たに建設しなければなりません。

さらに、手順書にあるような温度計と30分の砂時計、特注の大きな湯煎鍋、そして何十本ものガラス瓶とコルク栓を揃えるとなると、それなりの初期費用が掛かりますが」


「費用のことは一切心配しなくてよい。

必要な額を計算し、ウィリアムに請求を出してくれたまえ。出し惜しみはしないよ」


パーシバルが気前よく答えると、エバンスもようやく声を出して笑った。

「承知いたしました。

そこまで仰るのなら、大英帝国で最も安全で美味しいバターと牛乳を作ってご覧に入れます」


「期待しているよ、エバンス。

さあ、難しい話はここまでにして、食堂へ移動しよう。

今夜は極上の分厚いステーキを用意させてある。

農場での苦労話など、肉とワインを楽しみながら聞かせてもらおう」

パーシバルは立ち上がり、エバンスの大きな肩を軽く叩いた。


シャルトン邸の食堂からは、新しい牧草地の柵の作り方や、乳牛の品種選びについての和やかな話し声と、ワイングラスが触れ合う軽やかな音がいつまでも響いていた。

自らの生活の質を向上させるための新たな計画が、確かな信頼のもとで動き始めていたのである。




■1819年6月。

初夏の陽気とは裏腹に、大英帝国の経済の中心であるロンドンの金融街シティは、これまで経験したことのないような深刻な恐慌状態に陥っていた。


スウィーティング・アレイやロンバード・ストリートを行き交う商人や投資家たちの顔には、一様に色濃い疲労と絶望の影が落ちている。

彼らをこれほどの恐怖のどん底に突き落とした原因は、ウェストミンスターの議会から発せられた一つの法案であった。


ロバート・ピールが委員長を務める秘密委員会が提出した「正貨兌換再開法」、世に言う「ピールの条例」が成立寸前まで漕ぎ着けたのである。

これは、長きにわたるフランスとの戦争の間に停止されていたイングランド銀行券と金貨の交換義務を、再び中央銀行に課すという決定を意味していた。


金本位制への完全なる復帰。国家の財政が健全な姿を取り戻すという大義名分の裏で、市場では恐るべき事態が進行していた。兌換の義務を負ったイングランド銀行は、殺到するであろう交換の要求に備えて手元に金塊を確保するため、市中に出回る銀行券を猛烈な勢いで回収し始めたのである。新規の貸し出しは極端に制限され、過去の融資の返済が容赦なく迫られた。


結果として、ロンドンの街から急速に現金が姿を消した。手元の資金が完全に枯渇した商人や投資家たちは、日々の支払いを済ませて手形の不渡りを防ぐため、あるいは目前に迫る破産を免れるために、所有するあらゆる資産の投げ売りに走った。


買い手が不在のまま、国債や株式の価格は底なしの暴落を続けている。

利払いが停止されるのではないかという根拠のない流言まで飛び交い、市場は阿鼻叫喚の様相を呈していた。


だが、この大混乱の中で真に血を流しているのは、情報の遅れた中産階級の投資家や、日々の資金繰りに追われる一般の商人たちだけであった。

大英帝国を支配する真の上流階級、すなわち議会に議席を持つ大貴族や大地主たちは、決してこの恐慌で致命傷を負ってはいない。


そもそも、政府内で金本位制復帰に関する秘密委員会が設置された時点で、その議論の推移はセント・ジェームズ地区に立ち並ぶ高級クラブを通じて、彼らの耳に筒抜けとなっていたのである。

事前の情報利用を取り締まる法規制など存在しないこの時代において、情報をいち早く手に入れた特権階級の者たちは、相場が高値を保っている間にとっくに手持ちの公債や資産を売り抜けていた。

彼らは安全な高みから、現金不足に喘ぐ下界の騒ぎを見下ろしているのだ。


パーシバル・シャルトンもまた、前世の記憶という誰にも持ち得ない確実な情報源を武器に彼らと同じ、いやそれ以上に容赦のない手法でこの暴落を先取りしていた。


ブルームズベリーに建つパーシバル邸の書斎。

窓の外には、パニックに陥り活気を失ったロンドンの重苦しい暗雲が垂れ込めている。

しかし、室内は、真鍮のランプが放つ黄金色の光によって明るく照らし出されていた。


パーシバルは、証券ブローカーのダニエル・バーンズから届けられたばかりの最新の手紙を広げ、その文面を食い入るように見つめていた。


昨年の末、彼がバーンズに命じて仕掛けた、コンソル公債78ポンドでの巨大な売り建て。

その価格は今、坂道を転がり落ちるように下落を続け、ついに65ポンドから66ポンドという底値圏へと突入していた。


バーンズからの手紙には、恐怖に駆られて我先にと公債を手放す市場の裏側を完璧に泳ぎ回り、パーシバルの指示通りに買い戻しを進めている様が克明に記されていた。


『サー・パーシバル。

市場は完全なパニック状態です。

売りが売りを呼ぶ状況の中、私はご指定の68ポンドを大きく下回る圧倒的な安値で、額面38万ポンド分の売り契約の買い戻しを順調に処理しております。

精算はほぼ完了の段階に入りました』


ランプの光に照らされたパーシバルの口元には、隠しきれない邪悪なまでの笑みがくっきりと浮かび上がっていた。


「見事だ、バーンズ氏。これほどまで上手くいくとはな」


パーシバルは手紙を置き、手元にある上質な革表紙の手帳を引き寄せた。

羽ペンをインク壺に浸し、間もなく手に入るであろう莫大な資金の額を書き出していく。

38万ポンドもの取引から生み出される差益。

諸経費や利息を差し引いたとしても、驚くほどの大金が彼の手元に転がり込んでくるのだ。


パーシバルは手帳にペンを走らせながら、その資金を何に使うか、心地よい妄想に耽り始めた。


まず確保すべきは、建築家コッカレルが設計を進めているウォーキングの計画農場村と邸宅の建設費用である。

あの分厚い五層構造の壁を持つ豪奢なマナーハウスを建て、さらに労働者たちが暮らす近代的な農場村のインフラを整える。

現在の不況により、建築資材や職人の手間賃はすでに暴落を始めている。

潤沢な資金を一気につぎ込めば、当初の予算を遥かに下回る経費で大英帝国有数の美しい領地が完成するはずだ。


だが、彼の投資シナリオはそれだけにとどまらない。


パーシバルの脳裏には、ブリテン島北部やウェールズ地方で黒い煙を吐き出している巨大な製鉄所や、地中深くから石炭を掘り出す炭鉱の姿が浮かんでいた。

今回の深刻な現金不足により、それらの施設を所有する地方のオーナーたちは、遅かれ早かれ資金繰りに行き詰まり、誰かが金を貸さないと破産を宣告されるだろう。


彼らが泣く泣く手放した資産が、競売の場に掛けられた時こそが最大の好機である。

誰も現金を持っていない市場において、圧倒的な資金力を誇示すれば、本来の価値の一割にも満たないような捨て値で、来るべき鉄道時代の産業の心臓部を丸ごと買い叩くことができる。

蒸気機関と鉄の需要が爆発する数年後を見据えれば、これほど旨みのある投資はない。

底値で資産を買取り、成長させる、まさに経営シミュレーションゲームのようなやり方に対してパーシバルは胸の奥が熱くなるのを感じた。


さらに、パーシバルのペンは別の土地の名前を書き留めた。


「ケンジントン」


ロンドンの西側に位置する、現在はまだ美しい緑と農地が広がるだけののどかな郊外。

しかし、ロンドンの街が西へ西へと拡張を続ければ、あの場所は将来、間違いなく大英帝国で最も地価の高い最高級住宅地へと変貌を遂げる。


借金まみれになり、今すぐにでも現金を必要としている地主たちのもとへ赴き、彼らの足元を見て格安の価格で広大な土地をもぎ取る。

数十年先を見据えれば、確実に莫大な利益をもたらす土地だ。

この不況下で手元の資金を手放すことを恐れる者が大半の中、現金を持っているからこそできる強気の策である。


パーシバルは手帳を閉じ、ソファの背もたれに深く体を預けた。


資本が新たな資本を生み出し、己の富が無限に膨張していく循環。

時代の転換点を余すところなく利用し尽くし、市場の富を掠め取ることに、彼は深いカタルシスを覚えていた。

真鍮のランプに照らされたパーシバルの横顔だけが、来るべき更なる飛躍への愉悦に満ちて輝いていたのである。



■1819年7月。

「ピールの条例」が議会を通過し、正式に成立したことで、ロンドンの街は決定的な現金の枯渇に見舞われていた。

正貨兌換の再開に向けたイングランド銀行の引き締めは最高潮に達し、シティの金融街では連日のように手形の不渡りや商店の破産が囁かれている。

誰もが手元の資金を手放すことを恐れ、担保となるはずの国債や株式は買い手がつかないまま暴落の一途を辿っていた。

大英帝国の経済は、深い霧に包まれたかのような不況の第一波に完全に飲み込まれていたのである。


しかし、ブルームズベリーに建つパーシバル・シャルトンの邸宅の食堂には、外の惨状とは全く無縁の、ロンドンで最も甘美で華やかな空気が満ちていた。

銀の燭台が柔らかな光を落とすテーブルには、シャンパンのグラスが並んでいる。

招かれた客人は、バークレイズ銀行の共同経営者パートナージェームズ・ベリエフ、証券ブローカーのダニエル・バーンズ、そして事務弁護士のラルフ・ハンストンの三人。

半年前の冬、あの緊迫した夜会で共に巨大な取引の陣形を組んだ面々である。


「皆様、私たちの完全なる勝利と、大英帝国の揺るぎない未来と国王陛下に乾杯を」

パーシバルがグラスを掲げると、三人の紳士たちも満面の笑みでそれに応え、澄んだグラスの音が食堂に響き渡った。


ディナーの献立は、この祝祭にふさわしい贅を尽くしたものであった。

コンソメの透き通ったスープに始まり、ドーバー海峡で獲れたばかりの舌平目のクリーム煮、そして主菜には、ウォーキングの農場から送られてきた仔羊を使った柔らかなローストが振る舞われた。

質の高いシャンパンが杯を満たし、会話は自然と市場の動向へと向かう。


「それにしても、シティの狼狽ぶりには目を覆うばかりです」とベリエフが苦笑交じりに語った。

「当行にも、毎日数え切れないほどの融資の延長を求める手紙が届きます。誰もが手元の紙幣を掻き集めるのに必死ですからな」


「証券取引所の周辺も同じですよ」とバーンズが肩をすくめる。

「少しでも現金を確保しようと、誰もが国債を投げ売っている。

あの光景を見ていると、半年前に相場の頂点で売りの注文を出したサー・パーシバルの先見の明に改めて恐ろしさすら覚えますよ」


「我々はただ、政府の決定がもたらす当然の帰結を見越して行動したに過ぎません」

パーシバルは穏やかに微笑み、仔羊の肉を口に運んだ。


華やかな食事が終わり、テーブルが片付けられると、ウィリアムの給仕によって香り高い紅茶とデザートのプディングが運ばれてきた。

このティータイムの席こそが、本日の夜会の真の目的であった。


バーンズが姿勢を正し、持参した革鞄から一枚の書類と小切手をうやうやしく取り出した。

「サー・パーシバル。

長らくお待たせいたしました。

こちらが今回の取引に関する、最終的な精算報告書と預けて頂いておりました証拠金の38,000ポンドの小切手でございます。

報告書に記載された売買差益は、バークレイズ銀行の口座に別途送金いたします」


バーンズが差し出した書類を、パーシバルの背後に控えていたウィリアムが銀の盆で受け取った。

ウィリアムは訓練された動作で主人の手元に書類を置き、自らも視線を落としてインクの数字を素早く、かつ正確に確認していく。


「素晴らしい成果です、バーンズ氏」

書類に目を通したパーシバルの声が、深い満足感を帯びて響いた。


額面38万ポンド分、すなわち3,800枚のコンソル公債は、市場のパニックの極致において、なんと平均価格66ポンドという奇跡的な安値ですべて買い戻しが完了していたのである。

売値が78ポンド、買い戻しが66ポンド。

その差額は1枚につき12ポンドとなる。

総額面38万ポンドの取引から生み出された売買差益は、45,600ポンドという目を疑うような巨額に達していた。


「市場が総崩れになる中、ジョバーたちが手放す公債を静かに拾い集めるのは骨が折れました。

しかし、ご指定の価格をさらに下回る好条件で、すべての契約を精算することができました」

バーンズの顔には、大仕事を成し遂げた誇りが満ち溢れていた。


「見事な手腕だ。

では、約束通り、ただちに資金の決済を行おう」


パーシバルは小切手帳を引き寄せ、羽ペンをインクに浸した。

迷いのない手つきで数字を書き込み、署名をしていく。

「まずはベリエフ氏。

フランス国債を担保に貴行から借り入れていた35,000ポンドの元本に約半年分の利息である1,000ポンドを上乗せした、36,000ポンドの小切手だ。これで貴行からの借り入れた35,000ポンドは清算される」


「確かに頂戴いたしました。

これほどの短期間で、これほど確実に大口の融資が返済されるとは、銀行家としてこれ以上の喜びはありません」

ベリエフは小切手を受け取り、深い敬意を込めて頭を下げた。


「次に、バーンズ氏。

市場の荒波の中を泳ぎ回り、私の指示を完璧に実行してくれたあなたへの報酬だ。

契約の手数料と、決済日を繰り延べるために要した利息をすべて含めて、8,400ポンドを支払おう」


バーンズは渡された小切手の額面に目を丸くした。

それは熟練のブローカーであっても、数年がかりでようやく稼ぎ出せるほどの破格の報酬であった。

「ありがとうございます、サー・パーシバル!

これほどの大仕事を自慢できないのが辛いですが、この小切手がその辛さを忘れさせてくれますね」


「そして、ハンストン氏。

取引の名義人として表に立ち、誰にも真相を悟らせず、契約の合意書を法的に完璧に守り抜いてくれたあなたには、案件の成功報酬として200ポンドをお渡しする」


「恐縮でございます。書類に不備がないよう目を光らせた甲斐がございました」

弁護士は上品に微笑み、小切手を内ポケットに収めた。


パーシバルはペンを置き、紅茶のカップを手にした。

総差益の45,600ポンドから、これらの諸経費と金利を合わせた9,600ポンドを差し引く。

結果としてパーシバルの手元に残った純粋な利益は、きっちり36,000ポンドとなった。


テーブルを囲む三人の専門家たちは、ティーカップの紅茶を飲み干しながら、この驚異的な錬金術の結末にただ感嘆の息を漏らしていた。

青年のジェントルマンが、自らの資産を担保に巨大な取引を仕掛け、わずか半年でこれほどの現金を市場から吸い上げたのだ。


「それにしても、サー・パーシバル」

ハンストンが畏敬の念を込めた声で尋ねた。

「この取引であなたが得た36,000ポンドという現金は、大貴族の公爵クラスの年間収入にも匹敵する途方もない額です。

この現金不足の世の中で、これほどの資金を一体どのように使われるおつもりですか」


パーシバルはティーカップを掲げ、静かに微笑んだ。

「すでに、多少の使い道は決まっているのだよ。

まず1万ポンドを、サリー州ウォーキングで進めているマナーハウスと農場村の建設資金として投入する。

現在、建築家のコッカレル氏が熱心に図面を引いているが、これで建設費が途中で底をつく心配は完全に消える」


「残る資金はどうされるのですか?」とベリエフが身を乗り出した。


「もう1万ポンドを使って、ロンドン西部のケンジントン周辺の土地を買い集めるつもりだ」

パーシバルの口から出た地名に、三人は顔を見合わせた。


「ケンジントン、ですか」とバーンズが不思議そうに首を傾げる。

「あそこは確かに王室のケンジントン宮殿こそありますが、幹線道路を外れるとまだまだ見渡す限りの果樹園や苗木園が広がる、長閑な田舎の農村ではありませんか。

なぜ、ウェストエンドの整った区画ではなく、さらに西の田園地帯の土地を欲しがるのです」


「だからこそ価値があるのだよ、バーンズ氏」

パーシバルは三人の顔を見渡し、自らの展望を語り始めた。

「ロンドンの人口は増え続けている。富裕層たちは、石炭の煤煙で汚れた中心部を離れ、新鮮な空気と広い庭を求めて、確実に西へ西へと居を移すようになる。

今はただの果樹園かもしれないが、いずれあの周辺は新しい邸宅が立ち並ぶ住宅地となるはずだ。

何より、あそこにはケンジントン・ハイ・ストリートという素晴らしい幹線道路が通っている。

ロンドン中心部と西部の豊かな地方を結び、宮殿へ向かう貴族の馬車が必ず通る一等地だ。あそこを押さえておけば、将来の価値は計り知れない」


パーシバルの言葉には、不確かな未来を見通す確かな説得力があった。

彼はベリエフの方へ向き直り、極めて紳士的な、しかし底知れぬ深みを感じさせる笑みを浮かべた。

「ベリエフ氏。そこで貴方に一つお願いがある。

顧客の地主たちの中で、この不況による現金不足に苦しみ、ケンジントンの土地を手放そうと思い悩んでいる哀れな方がいたら、ぜひ私をご紹介していただきたいのだ」


ベリエフは瞬きをして、パーシバルの言葉の真意を測りかねているようだった。

「私はジェントルマンとして、彼らの手助けをしてあげたいと考えている。

日々の支払いに追われる彼らに現金を握らせ、土地という維持費の掛かる重荷を、私が優雅に引き取ってさしあげたいのだよ」


パーシバルはティーカップをソーサーに置き、楽しげに目を細めた。

現金が枯渇した市場において、手元に1万ポンドの現金を自由に動かせる者がどれほど強大な力を持つか。

借金で首が回らなくなった地主からすれば、パーシバルの提示する現金はまさに干天の慈雨に見えるだろう。

たとえそれが、本来の価値を大きく下回る買い取りであったとしてもだ。


ベリエフはその意図を完全に理解し、深く頷いた。

「お見事な慈悲の精神でございます。

当行への借入金の返済に苦慮し、資産の売却を検討される方がおられましたら、真っ先に、喜んでサー・パーシバルをご紹介いたしましょう」


「それは頼もしい。

ハンストン氏、土地の権利関係の確認と契約書の作成には、またあなたのお力をお借りすることになる。

また、貴方の方でもケンジントンの土地を売りたいとの噂を聞いたら是非とも教えて欲しい」


「承知いたしました、サー・パーシバル。

法律事務所の総力を挙げて、完璧な権利の移転をお約束いたします。

また、現金の不足にお困りの方を見かけましたらお声がけさせていただきます」


窓の外では、まだロンドンの街が不況の重苦しい闇に包まれている。

しかし、シャルトン邸の食堂では、次なる飛躍に向けた壮大な計画が和気あいあいと語り合われていた。

時代の大波を乗りこなし、巨万の富を手中に収めた若き資本家の歩みは、とどまることを知らずに加速していくのであった。




■1819年8月。

正貨兌換の再開によるイングランド銀行の引き締めにより、市場からは急速に銀行券が姿を消している。

現金不足による不況の波は、あらゆる商品の価格を押し下げていた。


パーシバルが春先に予測した通り、建築資材や労働者の賃金も例外ではなかった。

レンガ、木材、石灰岩といった材料は買い手を失って倉庫で山積みとなり、昨年に比べて3割近くも価格を落としている。

職人たちもまた、日々の糧を得るために安い賃金での仕事を求め、街角に溢れかえっていた。


ブルームズベリーに建つシャルトン邸の書斎。

パーシバルの机は、大量の図面や将来図によって完全に覆い尽くされていた。

紙の上に描かれているのは、サリー州ウォーキングの「農場村」と丘に建設される予定の「マナーハウス」の精緻な区割り図である。


その向こう側に座る若き建築家、チャールズ・ロバート・コッカレルの瞳には、疲労の色など微塵もなかった。

むしろ、数ヶ月にわたる構想と測量を経て、ついに自らの思想を具現化する時が来たという、抑えきれない高揚感が全身から立ち上っている。


パーシバルは、丁寧に描き込まれた図面を一つ一つ確かめながら、ゆっくりと口を開いた。

「コッカレル氏。君が情熱を注いで描いてくれたこの図面、隅々まで拝見させてもらったよ」


パーシバルは顔を上げ、期待に胸を膨らませる若き建築家を真っ直ぐに見据えた。

「軍資金は完全に確保された。

資材の価格も、職人の手配も、今が最高の好機だ。

今年の秋から、農場村の全施設の同時建設、およびマナーハウスの地均しと基礎工事を、予定通り開始してくれたまえ」


その言葉を聞いた瞬間、コッカレルは弾かれたように椅子から立ち上がり、図面の上に身を乗り出した。

「ありがとうございます、サー・パーシバル!

これでついに、この紙の上の線が本物のレンガと石に変わるのですね」


若き建築家は声を震わせ、己の描いた村の全体図を誇らしげに指し示した。

「これが、私がこの数ヶ月、寝食を忘れて組み上げた農場村の完全な姿です」


コッカレルが提示した計画は、当時のイングランドにおける地方の農村の基準を遥かに超えた、極めて大規模かつ美しさを追求したものであった。


「村の中心には、広場を囲むようにして、この教区の信仰の要となる新教会を配置しました。

あの古びた牧師館に住むブレッドソー牧師が、思わず羨望の声を上げるような、200人を収容できる壮麗なゴシック様式の建築です。

尖塔は遠く離れた運河の船からも見えるように高くそびえ立ち、村の象徴となるでしょう。

そしてその隣には、いずれ赴任してくるであろう副牧師のための、上品なレンガ造りの館を用意してあります」


地方の村において、教会は単なる祈りの場ではなく、共同体の中心であり、情報が交わされる最も重要な場所である。

地主が立派な教会を建立することは、その土地の領主としての権威と慈悲を示す最高の手段であった。


「さらに、運河に近い通りには、旅の商人や荷運びの船頭、そして農場の労働者たちが一日の疲れを癒すための酒場兼宿屋を建てます。

一階は広々とした酒場、二階は清潔な客室とし、馬車を繋いでおくための広い中庭も確保しました。

その向かい側には、日々の生活に必要な小麦粉から針一本までを網羅する共同商店です。

これで労働者の妻たちが、わざわざ遠くの町まで買い物に出向く手間が省けます」


コッカレルの指は、図面の様々な施設を滑るように移動していく。

「そして、農業に欠かせない施設として、鋤や鍬、馬の蹄鉄を修繕するための鍛冶屋を配置しました。

そして、最も重要なのは、この農場で働く者たちの住居です。

狭く不衛生な小屋ではなく、頑丈なレンガで造られた1棟6戸のテラスハウスを複数棟、規則正しく並べました。

それぞれの戸には、野菜を育てたり豚を1頭飼育したり洗濯物を干したりできる小さな裏庭を設けてあります。

彼らはこの清潔な長屋から、毎日農場へと通うのです」


それはまさに、職と住が隣接し、生活に必要な機能がすべて歩いていける距離に揃った、完全なる自立したユートピアの設計図であった。


「サー・パーシバル。

自分の理想とする古代の美と、近代の生活に必要な機能性を制約もなく一から大地に表現できる。

これは建築家として千載一遇の好機です。

私は必ずや、このウォーキングの農場村を、イングランドで最も美しく、最も奇跡的な村にしてみせます!」

コッカレルは燃えるような熱意を隠すことなく、熱弁を振るった。


パーシバルは、若き天才の言葉に静かに耳を傾けながら、机の上の区割り図をじっと見つめていた。

美しいゴシックの尖塔、規則正しく並ぶテラスハウス、中心の広場。図面上に描かれたその洗練された配置の奥に、パーシバルは自身の前世の記憶にある、機能性と衛生を極めた「二十一世紀の計画都市」の残影を重ね合わせていた。


単に美しいだけでは足りない。人が密集して暮らす空間には、美観以上に重要なものがある。


「見事な図面だ、コッカレル氏。君の芸術的な才能には疑いの余地がない。

しかし、私が所有し、私の労働者が働く村として、いくつか実用的な観点から注文をつけさせてもらいたい」


パーシバルは図面の一角をペン先で軽く叩いた。

「まず、この村の主要な道路についてだ。

君の図面では、道路幅が少々狭く取られているように見える。

だが、農場村には収穫の時期になれば、麦を満載した巨大な荷馬車が何台も行き交うことになる。

脇に荷馬車が止まっていたとしても2台の大型馬車が余裕を持ってすれ違うことができるよう、主要な通りの幅は現在の倍に広げてほしい」


コッカレルは目を瞬かせた。建物の配置のバランスが変わってしまうからだ。

しかし、パーシバルの言葉は止まらない。

「そして、道路の両脇には必ず深い排水溝を掘り、石で固めること。

雨が降った際に馬の糞尿や泥水が通りに溢れれば、村の衛生状態は一気に悪化し、疫病の原因となる。

水はけの良さは、建物の装飾よりも優先されるべき絶対条件だ」


衛生という概念がまだ発展途上にある時代において、その指摘は極めて先見性に富んだものであった。


「さらに、この鍛冶屋の位置だ」

パーシバルは図面の商店の隣にある建物を指差した。


「確かに商店の隣にあれば便利かもしれない。

だが、鍛冶屋からは一日中、鉄を叩く甲高い音と、石炭を燃やす黒い煙が出続ける。

それを住宅や商店のすぐそばに置くのは好ましくない。

鍛冶屋は村の風下にあたる、離れた場所に単独で移してくれ」


パーシバルはペンを動かし、図面の余白に新たな線を書き加えた。

「それから、教会の周囲についてだ。君は広場に美しく収まるように教会を配置してくれたが、この村はこれから数十年をかけて人口が増えていくはずだ。

将来、教会の建物を拡張したり、あるいは村人たちが憩うための緑豊かな公園を新設したりできるよう、教会の周囲には建物を建てず、十分な空白のスペースを残しておいていただきたい」


現代の都市工学の知見に基づく、動線、衛生、騒音の分離、そして将来の拡張性を持たせた区画整理。

パーシバルの口から次々と語られる、時代を完全に先取りした空間の合理性にコッカレルは最初こそ驚きの表情を浮かべていたものの、やがてその瞳に強烈なインスピレーションの火花を散らし始めた。


「……なるほど。単なる視覚的な美しさではなく、人が生活し、働き、そして街が成長していく時間軸までをも計算に入れた設計というわけですね。

道路幅を広げることで、景観に新たな奥行きが生まれる……。

鍛冶屋を隔離すれば、煙に悩まされない清潔な居住区が確立できる……」

コッカレルはパーシバルの言葉を反芻しながら、無意識のうちに手元のスケッチブックに猛烈な勢いで新しい線を弾き始めた。


「素晴らしい!

サー・パーシバル、あなたの洞察は私の想像力をさらに高い次元へ引き上げてくれます。

すぐにおっしゃる通りの変更を加えます。

広げた道路の突き当たりに教会の尖塔が見えるように配置を微調整すれば、視覚的な効果はさらに際立つはずだ。

それに排水溝も、ただの溝ではなく、ローマの水道橋のように美しい石組みで……」


二人の間には、地主と雇われの建築家という垣根はすでに存在しなかった。

より完璧な空間を創り上げるため、二人は時間を忘れ、図面を挟んで知的な意見を戦わせた。

パーシバルが実用的な要件を提示し、コッカレルがそれを芸術的な形へと昇華していく。

書斎には時折、彼らの楽しげで熱に浮かれたような笑い声が響き渡った。


パーシバルは、目の前で猛烈な勢いで図面を修正していく若き天才の姿を見つめながら、自身の胸の奥底から湧き上がってくる、これまで味わったことのないほど深く、圧倒的な満足感を噛み締めていた。


歴史の知識を活用し、市場のパニックを逆手にとることで手に入れた莫大な経済力。

その力が今、単なる銀行口座の数字ではなく、現実の大地の上に、確かな形を持った建造物として立ち上がろうとしている。

彼が手に入れた富と権威の象徴となる「自分の村」と「自分の城」の礎石が、今まさに据えられようとしているのだ。


窓の外はまだ、不況に喘ぐ灰色のロンドンの街並みが広がっている。

しかし、この書斎の空気だけは、来るべき新しい時代の創造に向けた熱気に満ち溢れていた。


部屋の片隅で、家令のウィリアムが一歩引いた位置から静かに控えていた。彼は、図面に顔を近づけて夢中で語り合う主人と建築家の姿を、温かい目で見守っている。

主人が数々の危険な賭けに打ち勝ち、ついに己の王国を築き上げるその瞬間に立ち会える喜びが、彼の口元に微かな微笑みを浮かばせていた。


過酷な冬の到来と経済の収縮を前にして、パーシバル・シャルトンの物語は、自らの理想を現実の世界に刻み込む、大いなる建設の時代へと力強く足を踏み入れたのである。



■1819年12月末。

ピールの条例に端を発する深刻な現金不足は街の活気を奪い去り、厳しい年越しを迎えようとする市民たちの顔には、不況のどん底にあえぐ疲労の色が濃く滲んでいる。


ブルームズベリーに建つ邸宅の書斎でパーシバルは革張りの椅子に深く腰を下ろし、静かに耳を傾けていた。

机を挟んだ向かい側には、家令のウィリアムが分厚い革表紙の帳簿を手に直立している。

本年度、すなわち1819年の年次収支決算の最終報告が行われているところであった。


「……、各所から上がってきた数字のまとめでございます」


ウィリアムは淡々とした、しかし主人に仕える者としての確かな誇りを感じさせる声で読み上げ始めた。

「まず、サリー州ウォーキングの農場の収益についてご報告いたします。

旦那様の予測通り、極端な現金不足による物価の下落が、農産物市場を直撃いたしました。

今年の大麦の収穫量は昨年と同水準を保ち順調でありましたが、市場での取引価格が大きく下落したため、売却益はおよそ2,400ポンドに留まりました。

また、藁の売却益も約450ポンドと、昨年に比べて明らかな減収となっております」


パーシバルは頷き、手元のインク壺を見つめた。

昨年の大麦の売却益が3,500ポンドを超えていたことを思えば、痛手ではある。

しかし、貨幣の価値が上がり、物の価値が下がるというデフレの嵐が吹き荒れる中において、確実に買い手がつく穀物を生産していることは大きな強みであった。


「ですが、農場部門の報告はこれだけではございません」と、ウィリアムが帳簿のページをめくった。「昨年、旦那様のご指示により1,500ポンドを投じて追加購入した、1,500頭の羊たちが大きな成果を上げております。

春に生まれた子羊と合わせ、2,500頭以上にまで膨れ上がった羊の群れが、春の毛刈りによる羊毛、および秋にロンドンの市場へ出荷された食肉……マトンの売却益として、約1,500ポンドの現金を農場にもたらしました」


ウィリアムの声に微かな熱がこもる。

「羊たちによる収益は、見事に大麦の価格下落を補って余りあるものでした。

不況による単価の下落はあったものの、圧倒的な頭数による物量が市場の衝撃を吸収し、農場部門全体としての黒字を盤石なものとしております」


「素晴らしい結果だ」


パーシバルは満足げに背もたれに寄りかかった。

「羊という生き物は、荒れ地に撒いたカブを食べて土を踏み固め、糞尿で土壌を肥やす生きた農機具としての役割を果たすだけではない。

自らの血肉と毛で現金をも生み出してくれる。

一石二鳥の働きを見事に証明してくれたな」


「仰る通りでございます。では、次に金融部門の収入に移ります」

ウィリアムはさらに数字を並べ立てた。

借入金の利息を支払いつつ、コンソル公債とフランス国債から受け取れる手堅い年間利息が約1,900ポンド。

ガス燈・コークス会社の株式配当が200ポンド。

そして何より、夏の公債取引で手に入れた純利益36,000ポンドという巨額の現金が、銀行の金庫の奥底で重しとなっている。


「続いて、支出面でございます。

ロンドンでの生活費や農場の労働者への賃金、肥料工場の運営費といった基本的な維持費に加え、今年は建築事業への先行投資がございました。

建築家コッカレル氏への設計報酬、マナーハウスと農場村の基礎工事費、そして不況で大きく値下がりしたレンガや木材を大量に買い付けた費用として、全てを合計し約5,500ポンドを支出しております。

さらに……」


ウィリアムは少しだけ言い淀み、帳簿の端に書かれた項目を読み上げた。

「ウォーキング農場からの安全な牛乳の製造と輸送のための設備投資として、およそ1,000ポンドの支出がございました」


パーシバルは微かに笑みを浮かべた。自らの個人的な食の欲求のために投じた金額としては破格であるが、それだけの価値がある投資だと確信している。


「最終的に、これら本年度のすべての支出を差し引いた結果……

旦那様の手元には、現在約36,500ポンドという現金資産が確保されております」


一介のジェントルマンが手にする額としては、まさに常軌を逸した現金の山であった。

パーシバルは、減収となった大麦の数字に対しても一切の動揺を見せることはなかった。

「不況の只中においてこれだけの黒字を叩き出し、多数の羊の管理までこなしたエバンスの手腕は、高く評価すべきだ。

そしてウィリアム、これほど複雑で多岐にわたる金銭の出入りを見事にまとめてくれた君の労に感謝するよ」

「身に余るお言葉でございます」


ウィリアムは一礼して書斎を退室した。

そして数分後、銀のトレイに乗せたティーセットを運んで戻ってきた。

カップからは、淹れたての紅茶の芳醇な香りと共に、柔らかな湯気が立ち上っている。

それは、ウォーキングの農場から届いたばかりの特別な牛乳をたっぷりと使ったミルクティーであった。


パーシバルは温かいカップを両手で包み込むように受け取りながら、数日前にエバンスから届いた報告書の内容を思い返していた。

そこに記されていた「牛乳輸送の苦難」は、パーシバルの想像以上ものであった。


まず、農場での加熱処理である。

一度に数十リットルの生乳を直接火にかけずに温めるため、特注の巨大な湯煎鍋を鍛冶屋に作らせた。

そして温度計を差し込み、65℃をきっちり30分間保つという作業を命じたのだが、大雑把で曖昧な農村の乳搾り女たちにその厳密な手順を教え込むのは、至難の業であったという。

砂時計を用意し、火の加減を一定に保つようつきっきりで指導するエバンスの姿が目に浮かぶようだった。


さらに、ロンドンへの陸路の輸送が困難を極めた。

街道は深く抉れた轍や凍結した泥で多くの段差が存在し、激しい振動が荷馬車を襲う。

当初は用意したガラス瓶が互いにぶつかり合って割れ、馬車の荷台が牛乳まみれになる事故が発生した。

割れずに届いたとしても、別の問題が発生した。

長時間の激しい振動によって牛乳の乳脂肪分が分離してしまい、屋敷に到着する頃には瓶の中に黄色いバターの塊がいくつも浮いているという事態を招いたのだ。

おまけにコルクの密閉が不完全で空気が入り込み、傷んで酸っぱくなってしまうことすらあった。


しかし、エバンスは決して諦めなかった。

彼はガラス瓶の間に自農場で収穫した藁を大量に敷き詰めて完璧な緩衝材とした。

さらに、高価な出費を惜しまず、車軸にバネを取り付けた特製の荷馬車を導入して振動を極限まで抑え込んだ。

そして、瓶の口をコルクで塞いだ後、上から熱した蝋を垂らして完全に密封するという地道な試行錯誤を繰り返した。

その結果、ついにロンドンまで風味を損なわずに安全な牛乳を運ぶ、完璧な物流網を確立してのけたのである。


パーシバルは、その苦労の結晶であるミルクティーを静かに一口飲んだ。

……見事だ。雑味が一切なく、濃厚で自然な甘みを持つ本物の牛乳が、紅茶の香りを引き立て、まろやかに包み込んでいる。

口の中に広がる極上の味わいに、彼は深い感動を覚えていた。


当時のロンドンの市中で売られている牛乳といえば、チョークの粉で白く濁らせ、不衛生な水で薄められた粗悪品が当たり前であった。

それらに比べれば、この一杯はまさに天上の飲み物である。


カップの底を見つめながら、パーシバルの胸の奥で、資本家としての新たな野心が静かに頭をもたげ始めた。

加熱処理と完全な密封により、この牛乳は少なくとも3日は日持ちがする。

水で薄められず、不衛生ですぐに傷む牛乳が当然とされるこのロンドンにおいて、安全でこれほど美味い牛乳の存在は、まさに革命的ではないか。


「……これを自家消費だけで終わらせるのは、いささか勿体ないな」

パーシバルは独り言のように呟いた。

裕福な貴族やジェントルマンたちは、常に質の高い食を求めている。

彼らの邸宅や、高級クラブの食卓に向けてこの牛乳を販売すればどうなるか。

健康と味を金で買うことを惜しまない彼らにとって、多少高価であっても必ず買い手がつくはずだ。


「ウィリアム。来年は、羊と麦に加えて、新しい事業を始めることになるかもしれないぞ」

「と仰いますと?」

「ウォーキングの農場に乳牛の数を増やすようエバンスに指示を出すつもりだ。

この最高級の牛乳は、全く新しい莫大な利益を生む商品になる」


暖かな書斎の中で、パーシバルは極上のミルクティーの香りを楽しみながら、次なる年へ向けた新たな商機にゆっくりと思いを馳せていた。

彼の視線は常に、時代の少し先を見据えていたのである。






(第13章 完)


どうしても事前調査やシミュレーションをしてからのプロット作成に時間がかかるため、

努力はしますが業務多忙もあり、本小説は不定期更新です。

週次更新とは思わないで頂けると助かります。

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― 新着の感想 ―
そろそろ次話を・・・
ケンジントンの土地は将来有望ですが、現在パーシバルが住んでいるブルームズベリーの北にあるカムデン・タウンのあたりもいいみたいですね。ロンドン中心部を東西に結ぶ幹線道路であるユーストン・ロードも近いです…
歴史物は戦国時代か三国志! そんな偏った趣向を打ち破ってくれた作品です そんな素晴らしい作品なのでこれからも頑張ってください
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