嫌われ者がもたらす終焉
ニヤニヤと笑いながら、扇谷天征は二人を眺めていた。運転席の傍に立っているが、特に操作をしているというわけではない。完全に自動運転へと切り替えているようだった。そして、
「世奈ちゃん、あんたも結構鬼やな……」
部下が投げ飛ばされた大穴に目をやって、扇谷は笑いながら言った。
「別に、殺したってわけじゃない。この航空機に飛んでくるときに、下で学校のプールが見えた。だからそこに叩き込んでやっただけだよ。まあ、この高さならギリ生きてるだろ」
「まったく、おっかないやっちゃ……」
絢瀬は自分が投げ飛ばした男について心底興味なさげに言う。
今はそれよりも、目の前の男を警戒しなければならない。
「なあ、そんなに……、アンタらみたいな人間は傾国の少女の利用価値ってのが大事なのか?」
ピリピリと張りつめた空気を裂くように、絢瀬は聞いた。
「わざわざあの戦場にこんな馬鹿でかい航空機で現れて、アクション映画みたく連れ去って……。そうまでして、一宮さんを道具みたいに使いたいのかよ!」
これに扇谷は、まるで意外なことを聞かれたかのように驚いて見せ、
「それはそうやろ。逆に、あんな戦場を作れるくらいには傾国の少女は人のことを動かせるんやで? 使いようなんかいくらでもあるやろが。それに万が一、他の組織に使われでもしたら怖いやん」
「そんなの知ったことか、それは全部アンタの都合だろ! そんな勝手な都合だけで、この子のことをどうこうする権利、アンタなんかにはねえんだよ! この子の道は、他でもないこの子自身が決めるものだ‼」
「……んー、そうは言ってもしゃあないやん。今を逃したらいよいよ捕まえられるチャンスなんてもうないんやし、踏み切るとしたら今しかない。……そういや、お礼を言っとらんかったな。世奈ちゃんが案内人くんの気を引いてくれてたおかげで、誘拐の準備はしやすかったで」
「……ッ!」
案内人との戦いすらも、利用されてしまっている。ますます、引くことなんか出来ない。絢瀬は案内人を倒すことで、その全てを背負ってきている。それすらも、悲劇を生み出す材料なんかにさせるわけにはいかない。
「まあ、世奈ちゃん自身が誘拐途中でここまで食い下がってくるのは正直誤算やったわ。けどな、勘違いしとるようやがそもそも俺の今回の狙いは傾国の少女だけやないで」
「……なに?」
扇谷会は一宮玲佳の退学の話を聞きつけて、玲佳に姿を消される前にその身柄を確保しに来たのかと、絢瀬は思っていた。だが、違った。
「───お前や、絢瀬世奈。前回、あれだけの損害をウチから出させた人間を、扇谷会がそのまま放っておくとでも思ったか? お前、扇谷邸でウチの組員を一体何十人倒してくれたんやっけ? それに、この俺にも散々蹴りやらなんやらしてくれたやん。ちゃんと忘れてへんで」
扇谷会、彼らは既に絢瀬世奈を明確な敵として認めた。そしてその上で、
「とりあえず、今にもどっかへ消えてしまいそうな傾国の少女が組織としては最優先。一宮玲佳の身柄の確保が出来次第、世奈ちゃんをぶち殺すのにも使おう、そう思ってたんやけど。まさか、ここまで介入しよるとは……。やっぱ、なにより優先すべきは世奈ちゃんの方やったわ」
自身の判断を呪うようにしながら、扇谷天征は自分のスーツの内側へと手を突っ込み、
「低く見積もりすぎてたわ。一宮玲佳も確かに大事やけど、それ以上に絢瀬世奈は今すぐにでも殺さんとあかん人間やった。───だから、もうここで殺すけど文句はあらへんよなあ?」
そして、扇谷天征は銃口を絢瀬へと向けた。
(コイツは───今殺しておかんと、将来、絶対邪魔な存在になる)
絢瀬世奈は扇谷会の明確な敵であり脅威となり得る存在だと、
扇谷天征の嗅覚が、第六感が、絢瀬世奈を今すぐに排除しろと警告していた。
「……ふざけるなよ! 文句なんて大有りに決まってる! 僕も一宮さんも、無事に二人で帰る‼ そもそもそっちが始めた戦いなんだ! そんな理不尽、聞き入れられるかよ‼」
扇谷天征がトリガーに指を掛けた。絢瀬は即座に構えて、
「一宮さんは伏せてて! 僕が今、ここで! 終わらせる‼」
そう、後方の玲佳に声をかけ、航空機の床を蹴る。
互いが互いを撃破するための行動。
それが開戦の狼煙となった。最後の衝突が、始まる。
航空機の中は意外に広い。コンテナで表すなら二十フィートといったところか。長方形で八畳程度の部屋を思い浮かべると分かりやすい。つまり、二人の間にはまだ距離がある。
いくら絢瀬が速く動けようとも、一から用意ドンの状態で放たれる弾丸全てを躱すのは難しい。だから絢瀬は、最初の数発は身体を横にすいと動かすようにして躱し、自分が蹴り破った航空機の扉、正確には砕けたその一部を足で蹴り上げ盾のように構えた。
「うおおおおおおおおおおおおおッ‼」
構えたまま、絢瀬は獰猛に雄叫びを上げて前へ突っ込む。いくら金属製といってもこの航空機は軍用でもないため、弾丸を完全に防ぐことは出来ない。だが、身体よりも一回りも二回りも大きい金属なら、身体を覆い隠すくらいは出来る。威力だって減衰する。それだけでも十分、数秒稼げれば、絢瀬はこの程度の距離一瞬で縮められる。
「うおあッ‼」
扉をハンマーみたいに振りかざし、扇谷を横なぎに吹っ飛ばす。
壁に激突し、顔をしかめて舌を打つ扇谷は、乱暴に足で絢瀬の心もとない盾を弾いた。
「死ねッ‼」
再び拳銃が絢瀬へと構えられる。だが、
「おっせえんだよ‼」
絢瀬の拳が、扇谷がトリガーを引くよりも少し早く顔を打ち抜いた。衝撃で、扇谷の手から拳銃が滑り落ちる。
「があ───ッ!」
扇谷は顔を両手で抑えるようにうずくまった。
(チャンス!)
腰の位置まで下がった扇谷の頭に、水平に蹴りを入れる。
だが直撃と同時、扇谷のスーツからぽろっと何かが床に落ちた。扇谷は防御もせずに目を腕で覆っている。床に転がったもの、それは、
「……目、閉じといた方がええで!」
(ッ⁉ 閃光弾───)
機内が一瞬、眩い白に包まれる。咄嗟に両腕を構えるが、完璧には防ぎきれない。視界がぼやけ、扇谷の位置を正確に把握出来ない。呻きながらも急いで後方へと飛ぼうとするが、
「るぁッ‼」
拳銃を床に落とした扇谷は、即座に短刀を取り出し絢瀬の腕へと投げつけた。
「───、っ!」
「早く目開けんと、その腕使えんくなるで‼」
絢瀬の腕に刺さった短刀を、扇谷は釘をハンマーで打ち付けるように掌で押し込んだ。
ずぶり、という感触と共に絢瀬の右腕が赤く染まる。
「があッ!」
だが幸いか、痛みで少し絢瀬の視界が戻った。すぐさま、扇谷が拳銃を拾おうと手を伸ばす姿が映る。絢瀬は迷わず腕の短刀を抜いた。この際出血は気にしていられない。拳銃を持たれる方がよっぽど脅威だ。構わず、拳銃に向かって短刀を投げた。短刀は拳銃をビリヤードのように弾き、拾おうとしていた扇谷に一瞬の隙が生まれる。
「チ───ッ‼」
屈んでいた扇谷の顎を足で真上に蹴り上げる。身体を反らせるように、扇谷の身体が舞い上がった。
「がああああああああああッ‼」
その瞬間を、絢瀬は見逃さない。宙を舞う扇谷の腹に、血塗れの右腕を叩きこむ。
ドゴンッッッ‼ と、殴り飛ばされた扇谷が運転席の背もたれにぶつかるまで飛んだ。
(仕留める───っ‼)
トドメの一撃を喰らわそうと絢瀬が走る。
そのとき、
地上から五百メートルはある上空で、その機体が不規則に揺れた。
「な───」
直後、玲佳のいる後方で小規模の爆発が起きた。ドガン、と音が鳴り、小さく炎が上がる。
爆発に気を取られ、扇谷を追撃しようとする絢瀬の手が一瞬止まる。
一度絢瀬は視線を後方へと向けるが、すぐに前方から声がし、視線を戻した。
「くっくっく……どうやら、さっき撃った弾が燃料タンクに穴開けてもうたみたいやな」
扇谷は、運転席のディスプレイや計器を見ながら言った。
「……もう、俺にも、世奈ちゃんにも時間は残されていないってわけや」
今は一部から火が出る程度で済んでいるが、少し時間が経過して本格的に引火すれば、即座にこの黒い箱は巨大な爆弾へと様変わりすることになるだろう。
「ほんじゃ、そろそろ終わらせようか」
扇谷は運転席のシートを使って立ち上がった。
終わらせる。次で決着を付ける。時間がない中で対峙する二人の思考は同調し、絢瀬も応えて扇谷に向かって構えた。
「───そうだな、このままアンタと心中なんて死んでも御免だし……」
絢瀬は考える。思考を回す。最後に、扇谷は一体どう動く?
拳銃も短刀も遠くに転がっている。扇谷がすぐに拾える距離じゃない。それでは閃光弾はどうか。まだ隠し持っているかもしれない。だが、見た目は既に記憶した。もう一度取り出されても冷静に対処出来る。それとも、まったく新しい武器が出てくるか。もしくは、勝つことを諦めて自爆しようとしてくるかもしれない。
いくつもの選択肢が頭に浮かんだ。だが、そんな思考を遮るように、扇谷は口を開いた。
「なあ、世奈ちゃん。お前って強いよなあ……」
「……、?」
何か策でもあって気を反らそうとしているのか、と絢瀬は警戒するが、
「別に、本当に思ったことを言ってるだけやで。この間、扇谷邸でやりあったときも思ったんよ。まともに一対一をやったら、俺でもきっとお前には勝てない。……褒めてるんや、純粋に」
それはここまでの絢瀬の戦いを讃えるような口ぶりだった。
だがそれは同時に、勝者が敗者へと送る、哀れみの言葉のようなものも感じられる。
「きっと、下手に扇谷会が世奈ちゃんに挑んでも、ただそれだけじゃあ勝てる保証はない。前回も正面からぶつかって何十人も倒されてるわけやし、何かしらの策が必要や。……だから考えてた。絢瀬世奈を確実に殺すには、一体何が必要かって……」
扇谷は絢瀬を、いや、正確にはその先に立つ人物を見据えて、
「……答えはびっくりするくらい簡単やった。だって、実際に俺はそれで、戦闘能力においては格上のはずのお前を、一度殺しかけてるんやから」
そういえば扇谷は、絢瀬と戦い始める前にこんなことを言っていた。
『一宮玲佳の身柄の確保が出来次第、世奈ちゃんをぶち殺すのにも使おう』、と。
絢瀬世奈の唯一の敗北。唯一の失敗。それは、
「絢瀬世奈は狙わない、代わりに、絢瀬世奈が命よりも大切なものを撃つ。そうすれば、お前は一宮玲佳を守るために勝手に命を消費してくれる」
華火に手榴弾を投げられたときとまったく同じだった。
扇谷は絢瀬ではなく一宮玲佳に向かって腕を伸ばした。
瞬間、スーツの袖から小型の拳銃が飛び出し、扇谷の手に収まる。
(隠し拳銃───ッ⁉)
狙いは明白だ。一宮玲佳を狙うことで、それを守ろうとする絢瀬を攻撃する。別に本気で一宮玲佳を殺そうとしているわけではないのかもしれない。あくまで絢瀬を釣り上げるための行動で、別に絢瀬は何もしなくてもいいのかもしれない。でも、それでも、
絢瀬の身体は、絢瀬が思考するまでもなく、勝手に動いていた。動いて、しまった。
その身体は、一宮玲佳を庇うように扇谷の銃口の先へと飛び出して、
「死ね───」
扇谷から、銃弾が放たれた。
「───世奈くんっ‼」
玲佳の悲痛な叫びは、発砲音にかき消された。
そして、殺傷力の塊は一直線に絢瀬世奈の心臓へと向かった。
決着は、あっけなかった。
絢瀬は口から血を吐いて、倒れた。
膝から崩れ落ち、声一つ出さずに。ごく普通の高校生が裏の世界の住人と戦い、当然のように命を落とす。そんな、当たり前の結末。それでも、玲佳はそれを信じることが出来なかった。何故だか、そんな終焉を微塵も想像出来なかった。
「まっ、こんなもんか……」
扇谷は、倒れた絢瀬を見てどこか安心したようだった。扇谷自身も、絢瀬を倒せる展望が実はきちんと見えていなかったのかもしれない。
だが、感傷に浸っている場合ではない。
この航空機は一部の燃料タンクに穴が開き、今にも大爆発を起こしそうなのだ。
扇谷は勝利の余韻に浸る暇もなく、収納スペースとなっていた壁から自動作動装置付のパラシュートを取り出した。今から、安全に着陸させるのでは間に合わない。脱出するしかない。
「おい一宮玲佳、さっさと脱出するぞ。ここはもう持たん。流石に、お前まで死なすんは勿体ない」
そう言って、扇谷は地に伏した絢瀬を通り過ぎ、玲佳の前まで歩いた。
「抵抗されても面倒やし、少しの間眠っててもらうで。心配せんでも大丈夫、死にはせんから」
そんな言葉、もう玲佳の耳には入ってこなかった。もう自分が生きるか死ぬかなんてどうだってよくて、ただ目の前の少年がもう一度動いてくれることだけを願うしか出来なかった。
絶望の表情のまま動かなくなった一宮玲佳の意識を、扇谷は狩り取ろうとした。このまま気を失わせて、パラシュートを付けて地上へ降ろす。後は、地上で別働隊に回収させてそのまま撤収すれば完了だ。厄介な絢瀬世奈はこのまま空中でこの黒い棺桶と共に爆死、傾国の少女の確保にも成功。想定外は多々あったが、それでも結果だけ見れば完璧だ。
扇谷は腕を振り上げた。一宮玲佳の意識を奪うために。
だが、
(……、?)
一宮玲佳の瞳に変化があった。それは、次第に表情までをも変えていき、絶望しきった少女の表情はすっかり別のものへと変貌した。その表情には、絶望なんてない、その瞳には悲劇なんて映っていない。
一宮玲佳は、目の前の扇谷の更に先の誰かを見据えている。
「───ッッッ⁉」
扇谷は振り向いて、即座に拳銃を構えた。
たとえ死にかけの誰かが動けようとも、これで確実にとどめを───。
「───うぎゃあッ‼」
バギ───ッッッ‼ と。
扇谷の腕ごと、へし折られた。強烈な蹴りが、扇谷の腕へと炸裂していた。
敵は、もう扇谷の目と鼻の先にいた。
隠し拳銃なんてすっ飛んでしまい、扇谷には抵抗する術はなくなった。
「…………なんでッ‼ どうして、まだ動ける⁉ 絢瀬世奈‼」
目の前で起こる異常を前に、扇谷は声を荒げて狼狽えた。確かに、銃弾は絢瀬世奈の心臓を撃ちぬいたはずだ。もう絢瀬はとっくに絶命して、指の一本だって動かせなくなっているはずだ。それなのに───。だが、そのとき絢瀬の学ランから何かが落ちた。
ゴトンッ! という音を出して地面に落ちたもの。それは、
一冊の本だった。
それは絢瀬世奈がバイブルとして携帯していた本だ。恋のソムリエが書いた、恋愛指南書だ。
「なん、……やねんッ‼ その、馬鹿みたいに分厚い本はァァァァアアアアアッッ‼」
辞書のように分厚い一冊が、ど真ん中で必殺の弾丸を受け止めていた。
「ハッ……。まさか、こんな形でこの本に救われるとはね。恋愛指南書に頼ろうとした僕の判断は、───間違ってなかったってわけだ」
もう、二人の間に距離はない。
絢瀬が拳を振るえば、それで届く、終わらせられる。
「これで、終わりだ」
身体中の全ての力を集約して、拳を強く、硬く握りしめる。
これ以上、命は失わせない。
少女が傷つく結末なんて認めない。
そんな世界は、この一撃でもって終わらせる‼
「───くっ、そがァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッ‼」
絢瀬世奈をどこまでも憎むように睨み、扇谷は叫んでいた。
「絢瀬世奈! ……俺は、お前が、大っ───嫌いじゃッッッ‼ いつか絶対に、必ずお前を、ぶち殺したるからな…………ッッッ‼」
そんな宣言を、絢瀬は笑って受け止めて、
「ああ、……『嫌い』でいい」
拳を振るい、扇谷の顔面を打ち抜いた。その一撃で、扇谷の意識は完全に沈み、
今も不規則に揺れ動く機内で、扇谷の身体が床を転がった。
決着が、付いた。
嫌われ者が、終わらせた。




