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傾国の少女と嫌われた少年  作者: 末乃
第四章 『嫌われた少年』
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少女の願望

 玲佳はもう、柵の一歩手前まで歩いて来ていた。あとほんの少しで、その身体は空中へと投げ出されるところだった。でも、絢瀬はこの場にたどり着いた。まだ、止められる。

「間に合ったぞ……!」

 玲佳もやって来た絢瀬に気付き、歩みを止めてその顔を見つめてきた。数秒の間、空気は固まり、絢瀬の荒い呼吸音だけが響き渡る。そして、玲佳は悲しそうに笑って、

「はは、は、───来ちゃったんだ、絢瀬くん。そっか、無事に目が覚めたんだね、良かった」

 言葉ではそう言っていても、その心中にあるのは純粋な喜びだけではない。

「……なんで、なんで私がやることってこんなに何も上手くいかないんだろうね……」

 自分を嘲るように、玲佳は言った。

「小っちゃい頃から、ずっとそうなんだ。───本当に、ずっとずっと」

 笑っているけれど、それでもその心は泣いていた。そうして、玲佳は語り始めた。

「あるときにね、私、お母さんと喧嘩をしたの。内容自体は本当に大したことのない、ただの親子喧嘩だった。でも、その次の日にお母さんは病気で倒れちゃって、仲直りも、謝ることも出来ずにお別れになっちゃった……」

 少女はこれまで歩んできた道のりを、失敗の歴史を語る。

「お父さんが死んじゃったときだってそう。私が『あそこに出かけたい』とか、『もっと誰かと遊びたい』なんて我儘わがままさえ言っていなければ、それを叶えようとしてお父さんが苦しむこともなかった。危ない人たちに襲われて、命を落とすことだってなかった……」

 彼女の人生に出会いなんてない、そのほとんどは別れによって作られている。

「昔はいた友達も、そんな危ないことに沢山巻き込んじゃったから、私が迷惑ばっかりかけたせいで、もう会えなくなっちゃった」

 玲佳は段々と笑みを保つことも出来なくなり、涙が頬をつたう。

緋色ひいろだって、そんなところばっかりを見せてきちゃったから、少しでも私を良くしてくれようと……ずっと戦ってくれている。命の危険だってあるのに。本当だったらあの子が自分の幸せを謳歌おうかするために使わなきゃいけない時間なのに、それを使って、ずっと」

 玲佳は堪えるようにスカートの裾をギュッと握って、

「この間だって、私が学校なんかに通ってさえいなければ、絢瀬くんはあんな目に遭わないで済んだ。浅倉あさくらさんや女の子を巻き込むことも、緋色にその問題を押し付けてしまうことも……!」

 玲佳が抱えている胸が張り裂けそうな痛みが、声を通じて絢瀬にも感じられる。

「だからもう、こんなことが起こらないようにしたかった。一人になって、全てから離れようとした。もうそんなのは嫌だから、誰かと別れるのも誰かが傷つくのも嫌だったから! それなのに、それなのに! その選択すら、こんな争いを引き起こしちゃった……」

 少女は、柵に片手を置いて、

「こうなった以上、私にはこれを止める責任がある。今までにだって、こんな大人数での争いは起こったことなかった。でもこんな規模の戦いじゃ、まず間違いなく誰かが傷つく。命だって失われるかもしれない。だから、終わらせなきゃいけないの。私の、持てる全てを使って」

 少女の全てを聞いた。それでも、いや、だからこそ絢瀬は一歩を踏み出す。

「…………そうだね、君の言う通りだ。この争いは止めなくちゃならない。誰かが死ぬ前に止めなくちゃ、僕もそう思ってる。──────でも、一宮さんは、本当に()()()()でいいの?」

 距離を一歩一歩着実に縮めながら、絢瀬は問う。

「事態を招いた原因とか責任とか、そういう面倒くさいことは一回抜きにして、一宮さん自身は、それで納得してるの? 本当の望みは、それだけでいいの? 誰かのために自分の全てを消費しきって、それで本当に満足なの?」

 鋭く、玲佳の胸を突き刺すように、絢瀬は問いを続ける。

「確かにこの状況は、一宮さんがいたことで起こったことなのかもしれない。でも君は、学校に通って、ただ平穏に日々を過ごそうとしただけじゃないか! 何かをしでかしたわけじゃない。何か悪事を働こうと企んでいたわけじゃない。君がいなければ起こらなかったかもしれないけれど、それは別に君が悪いってことじゃない‼」

 はっきりと、否定する。

「───これは、僕やあそこで暴れているあいつらみたいな人間が、好き勝手に動いたことが招いた結果なんだ。たとえ一宮さんが心を痛めることがあっても、その全てを君が背負わなきゃいけないなんてのは絶対に違う‼」

 その言葉に、思わず玲佳は揺らぎそうになる。けれど、

「……それでも、結果が全てだよ。私が、『どこにでもいる普通の女の子』みたいに生活をしようとしたら、きっとまた誰かが傷ついて、絢瀬くんや、私のお父さんみたいに……、きっとそういう人が出てくる……」

 それでも、少女は踏み出せない。過去の悲劇が、その足を鎖のように縛り付ける。

「───だからって、なんでそんな方法だけを頼ろうとするんだ! 人目の付かないところでひっそりと生きようとするとか、自分の命を失うことで争いを終わらせようとするとか! そんなの、結局一宮さんにとっては妥協した選択肢だろ! 本当は叶えたいことがあるのに、なんで一人で抱え込んで勝手に諦めてるんだ‼」

「だって、……これは私がつくった問題。それを、他の誰かに押し付けるなんて……」

 玲佳はうつむいて答える。でも、絢瀬はそれがどうしようもなくムカついて、

「……押し付ける、だって? ふざけるな‼ アンタの周りには、自分の欲求のことだけじゃなくて、ちゃんとアンタの幸せを考えてるやつだっている! そんな人間を頼ることが『問題を押し付ける』だって? そんなのは勘違いだよ、大間違いだ‼ そいつらは自分の頭で考えて、少しでもアンタを良くしてやりたいって動いてるんだ! そんな人間が差し伸べた手を取ることは、決してそいつらを自分の盾にするってことじゃない‼」

「───っ!」

「アンタの目の前に立っているこの僕だってそうだ! 他にも、東秀道や半田はんだ先生、それに、案内人ナビゲーターも……! 華火はなび平良たいらだって、君のこの状況が良くなることを願ってる! 自分の私利私欲じゃない、アンタが笑っていられる未来を想像して、そんな世界を望んでいる‼」

 玲佳の身体から徐々に力が抜け、柵に置いたはずの片手がずり落ちる。死から、一歩遠のくように。

「……そんな人間だっているんだ! 悲劇を生み出すだけが人間じゃない! これまで散々酷い目に遭って、信じられないかもしれないけど、……それでも! アンタが、心の奥底で望んでいる本当の願いさえ言ってくれれば、立ち上がる人間は確かにいる‼」

 気付けば、玲佳まで後五、六メートルというところまで絢瀬は歩いて来ていた。

「だから、言いなよ……本当の願いを。このまま死ぬって言うなら、たった一度くらい……! 自分の本心を、噓偽りもせずに、世界に……言って見せろよ‼」

 玲佳は、両手を胸の前で重ねた。それは、困っているようにも、本当に()()()()()()()()()()()()()()と縮こまっているようにも見えた。だから絢瀬は伝えた、自分の存在意義を、少女が勇気を振り絞れるための、たった一つの後押しを。

「───ここには、アンタが願望それを言うだけで、何度でも立ち上がれる人間がいるんだから!」

「──────っ!」

 少女の瞳が、揺らいだ。

 その一押しが、玲佳の心を動かした。少女の感情をせき止めていた、ダムのようなものが決壊した。ずっと前にさび付いてしまったはずの、少女の心を動かした。

 気付けば、玲佳の目からは大粒の涙があふれ出していた。

 彼女は父親を失ってしまった日から、ずっと止まってしまっていた。けれど、その少女の中には、隠されたままの幼さが確かに残っていて、枯れきったと思った涙腺は、まだ涙を流すことが出来た。

 だから、絢瀬は安心した。多分玲佳は、どこにでもいる普通の女の子と同じだ。誰かを思いやることも、涙を流すことだって出来る。そして、そんな少女なら、きっと絢瀬にだって救うことが出来る。

 絢瀬は歩きだした、少女の涙を拭うために。

 そして、

「──────ッ‼」

 その瞬間、絢瀬の足元目掛けて、空中から高速の弾頭が飛来した。

 ドゴォーーーーーン‼ という轟音が鳴り、赤い炎がたちまちに広がる。

(こ、この攻撃……っ!)

 咄嗟に後方へと飛び退いたため、絢瀬には直撃していない。けれど、その爆発が生んだ煙は、あと一歩で届くはずだった一宮玲佳を、遮るようにして立ち昇っている。

 直後、別の音がやって来て、風が吹き荒れた。風は、黒煙のカーテンを一瞬にして消し去る。

「な───ッ⁉」

 それは、宙に浮かぶ黒い箱のようなものだった。正体は、輸送用の自律航空機。いくつものプロペラで揚力ようりょくを得た質量の塊は、絢瀬たちの屋上からほんの数メートルのところを低空飛行していた。絢瀬は、それが何者なのかを悟り呟く。

「……扇谷おうぎや会」

 絢瀬の視線の先、強化ガラス越しに、こちらを見つめている影があった。かつて、絢瀬を生死の境目まで追い詰めた男、扇谷おうぎや天征てんせい

戦場どこにもいないとは思ってたけど、───やっぱり諦めてなかったか!)

 すると、自律航空機がガクンと傾いた。見ると、側面に付いたスライド式の扉が大きく開かれている。

(───まずいッ!)

 急いで絢瀬は駆け出し、炎の中を突っ切る。だが、あと一歩間に合わなかった。

「きゃあ───っ!」

 クジラが小舟を飲み込むように、黒い箱は一宮玲佳を真横から飲み込んだ。

 虫を捕るために虫かごをそのまま真横に振るような乱暴な動作で、玲佳は空中へと連れ去られた。

「ちっ、くしょう‼」

 絢瀬は追いかけるために再び走り出し、屋上の柵を踏み台にする形で屋上から飛ぶ。

「絢瀬くん!」

 スーツの男に身体を掴まれながらも、玲佳は扉から絢瀬へ手を伸ばす。

 けれど、届かない。

「あっ………………」

 玲佳が絶望の表情を浮かべたと同時、絢瀬の落下が、始まる。

「っ!」

 絢瀬は下を見た。屋上から跳び出す形で跳んだのだから、当然下には何もない。十数メートル空中を彷徨さまよって、校庭に叩きつけられる、そんな結末しか残されていない。

「…………まだだっ!」

 けれど、絢瀬は諦めない。もう、絶対に失敗はしない。そう、決めたから。

「───うううぅぅぉぉぉおおおおおおおおおおおおッ‼」

 そんな絢瀬に、応えようとする叫びがあった。そう、校庭ここにはもう一人、一宮玲佳を救うために戦っている侍男がいた。彼も根っこの部分では絢瀬と同じ性質を持っている。だから、絢瀬は信じることが出来る。絢瀬の落下地点を見極めて、東秀道は凄まじい速度で走ってくる。絢瀬もそれに合わせて空中で身体のバランスを取る。きちんと、東に合わせるために。

「むん……ッ!」

 絢瀬を受け止めようと東は跳び上がった。けれど、ただキャッチをしようというのではない。空中に、()()()()()をつくるように木刀を構える。

 絢瀬は、そんな東の木刀へと両足を乗せた。二人の間に会話はなかった。アイコンタクトだってしていない。だが、それでも少女を救うという目的のためなら、二人はどんなことでも出来る。無駄に時間を浪費するだけの作戦会議なんていらない。

「いっ───けええええええええええッッッ‼」

 東が木刀を振るったと同時、絢瀬は再び空へと飛んだ。屋上の高さすら越えて、自律航空機を一直線に目指して突き進む。

 そんな絢瀬を、自律航空機に乗っている扇谷おうぎや天征てんせいも見ていた。

 だから、すぐに地上部隊の部下へと、誘導ミサイルで迎撃するよう指示を出した。

 直後、宙を進む絢瀬に、複数の自動追尾ミサイルが迫る。

「───まったく、世話の焼ける奴だ……」

 空を切り裂くように進んでいる絢瀬のすぐ傍で、誰かの声がした。

 その男は、何本もの紐を指先で操り、その先に結ばれたクナイを一本も残らずミサイルへと直撃させた。ミサイルはそこで爆発し、爆風は絢瀬までは届かない。

「───っ、アンタ……」

 近くのビルから飛んできて、空中ですれ違いざまに絢瀬を守った男。彼は、先ほど絢瀬が空き地で倒した忍者だった。

 ───ヤツが、()()()()()()()()()()

「さあ行けよ、嫌われ者」

「ありがとう案内人ナビゲーター、最高の案内だ」

 二人は空中で一瞬交差し、絢瀬は自律航空機へとたどり着いた。

 一宮玲佳を助けたいと思う人間たちが、彼をここまで連れてきた。

 ガンッ! という鈍い衝撃を与え、絢瀬はほとんど弾丸みたいに自律航空機の内部へと侵入した。側面の扉は既に閉められていたが、蹴り破るようにして貫いた。扉の破片が、機内に散らばった。黒い箱は大穴を開け、空中で強く揺さぶられる。

 中は運転席以外に座席もなく、本当に何も置かれていない無機質な長方形の空間だった。

 そして意外にも、中には扇谷天征と一宮玲佳の身体を抑える部下の二人しかいなかった。

「き、貴様───」

 玲佳を抑えていた男が、玲佳を放して慌てて拳銃を構えた。

「───!」

 絢瀬は迷わず飛び込んで、拳銃に掌底しょうていを浴びせて軌道を逸らす。一発の弾丸は的外れな方向へと放たれ、航空機上部の装甲を貫き空中へと飛んでいった。即座に、絢瀬は回し蹴りを男に浴びせ、自身が開けた大穴からその男を空中へと放り出した。絢瀬は一息ついて、

「───大丈夫だった? 一宮さん」

 少女を安心させるように、目線を合わせて絢瀬は聞いた。

「あ、やせ、くん……」

 もはや、絢瀬がここまでやってこれてしまったことの方に面喰っているようにも見える玲佳は、絞り出すように名前を呼んだ。

「もう、大丈夫だよ。後は、僕がなんとかする」

 力強いその言葉を聞いて、玲佳の目からはまた涙が出そうになる。

「それに、言ったでしょ? 僕は、一宮さんが笑っていられる未来を望む人間なんだって。そのためなら───何度だって立ち上がれるって」

 この黒い箱に連れ去られたとき、玲佳は、自分はもう駄目だと思った。絢瀬世奈だって、このまま落下して命を落としてしまうと思った。けれど、彼はそんな玲佳の絶望を壊すようにしてこの場に現れた。

 彼は、玲佳の絶望を一つ壊して見せた。その事実が、『絢瀬世奈なら玲佳を取り巻く世界だって壊してしまえるんじゃないか』という希望を、玲佳に見出させる。

世奈せな、くん……」

 これまでの、他者を守るための、距離を取るような他人行儀とは違う。明確に、少女の意思で伝えたい言葉があって、少女は少年の名前を呼んでいる。

 それはずっと、少女が誰にも言うことが出来なかった言葉だ。誰よりも愛されるが故に、誰にも打ち明けることが出来なかった本音だ。

「私はまだ、人を諦めたくない……。誰かと笑っていられるような、そんな世界があるんなら、私はそんな世界を皆と生きていきたい……!」

 ずっと、少女は強がって生きてきた。誰かを傷つけないために、悲劇を起こさないために。ずっと一人ぼっちだった。そんな少女の仮面ペルソナが、少女の中で粉々に砕け散った。だから少女は、顔を涙でぐしゃぐしゃにしながらも、はっきりと、目の前の少年に自分の願いを叫んだ。

「お願い、世奈くん………………私を助けて‼」

 傾国の少女・一宮玲佳は、勇気を振り絞って少年に助けを求めた。だから、少年はこたえる。()()()()()()()()()()()()()()()()()


「任せろ」


 絢瀬世奈は、残った一人の男、扇谷会会長・扇谷天征と向き合った。

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