我儘の決着
病院は学校からそれなりに離れていたが、日々恋敵たちに追い回されていたのが幸いした。どこもかしこも絢瀬が走ったことのある道だ。なんならショートカットが出来る裏道まで知っている。大怪我明けとは思えないほど軽快に、絢瀬は学校までの道のりを進めていく。
走る絢瀬の服装は、入院着だと動きにくいこともあり学生服へと着替えられている。ズボン以外は手榴弾によって黒焦げのボロボロになっていたのだが、シャツとか肌着は華火が家から取ってきてくれていて、学ランは代わりがないためか急造で縫い合わせてくれていたようだ。
ポケットには、燃やしそこねた恋愛指南書なんかも入ったままになっている。
あと、十数分も走れば学校へとたどり着ける。更に足を早めた絢瀬だったが、とある道に差し掛かったところで、その足は止まった。そこは、絢瀬の記憶に新しい場所だ。
ほんの数日前、絢瀬はここで一人の男と戦った。
絢瀬の視線の先には、空き地が広がっていて、先日粉々に砕いた土管はそのまま放置されていた。でもそれだけなら、足を止めることはなかった。
目の前に、あの案内人さえ立っていなければ。
「……っ」
「やっぱり、目を覚ましちまったか……。アヤセ」
漆黒の装いに忍び覆面、時代劇にでも出てきそうな恰好の、正真正銘の忍者。
「なんで、……アンタがこんなところにいる?」
絢瀬は、まず疑問を投げかけた。玲佳がいる学校が大混乱となっているのなら、当然案内人も玲佳の傍にいるはずだと、絢瀬は考えていた。彼女の身の安全を考えれば、むしろそうでなければおかしい。
「なんとなくな、……お前がまた面倒ごと引っ提げて現れそうな気がしてたんだよ。もう、あれで終わりにして、二度と関わりたくねえって思ってたんだけどさ」
呆れたように案内人は息を吐いた。
「てことは、僕を止めに来たのか?」
「ご名答、その通りだ。言っただろ? 共闘するのはアサクラって子を助けるまでの間だけだって。それが終われば、お前はもうあの人の傍に近寄らせない」
「……やっぱり、恨んでいるのか? 僕が、こんな決断を、彼女にさせてしまったことを」
「まあ、それは半々ってところかな。お前があんなんになったのは俺にも過失がある。それ以外にも特に、あの惨状を直接本人に見せちまったっていう点においては俺の大失態だ。言い訳のしようもねえ。だから、全部が全部お前のせいだとは思ってねえよ」
絢瀬は案内人が立つ空き地へと足を踏み入れた。
「そうか……。それでも、どうも優先順位が間違ってるように思えてしまうんだけど……」
「───確かに、あの人を今の学校に一人で放置しておくのは危ねえよ。俺も本当だったら、そっちにずっと張り付いてたかったさ。でもな、あそこで暴れている有象無象の連中よりも、死にかけのお前がレイカさんの元にたどり着いてしまうことの方が、よっぽど危険だと俺は判断した。ただ、それだけだよ」
二人の間で微かに緊張感が高まり、風の音すら耳に入ってこなくなる。
「俺も一つ聞かせてほしいんだが、お前はどうしてまだあの人の元に行こうとしてるんだ? 普通、これだけ酷い目に遭って死にかけたら、……いや、あの人の心を開くことが出来ず、むしろ閉ざしてしまうような失敗をしたんだったら、もう手の打ちようがないってことにだって気付くと思うんだが。アヤセ、───お前は一体、何をやろうとしてる?」
「……。一宮さんの周りで起こる争いは、彼女を狙う勢力の多さが、複雑さといくつもの悲劇を生み出してる。だから、明確な標的を用意することにした。僕が、彼女と同じくらい絶対的な悪役を演じる。明確な悪意の標的となって、争いの矛先を、僕一人に集約させる」
案内人は表情一つ変えず、声だけで笑った。
「はは、本気で言ってやがんのかよ、意味わかんねえ」
「はなから、理解してもらえるとは思っちゃいない。でも、もし僕が、そんな嫌われ者になれたのなら、彼女は誰とだって仲良く出来るようになる。人の輪の中でだって笑っていられる。……そんな未来を、掴めるかもしれない」
「……あーあ。やっぱ、学校じゃなくて、こっちに来て正解だった。ちくしょう。……アヤセ、お前は、潰さなきゃならない俺の明確な敵だよ」
案内人からの絢瀬への敵意が、これ以上なく分かりやすく、世界に表出した。
「そういうアンタはどうなんだ、案内人。このまま、一宮さんが世界の端っこで孤独に生き続けることが、彼女にとって正しいことなんだって、そんな風に───考えているのか?」
「……。少なくとも、誰かが傷つくのを見てあの人が苦しみ続けるよりはマシだろうよ……」
二人の意見は、真向から食い違っている。
絢瀬世奈の選択は、一宮玲佳そのものも傷つけてしまう危険がある。けれど、その先には、彼女にとっての幸せの可能性が確かに存在している。
案内人の選択は、一宮玲佳をこれ以上傷つけてしまう危険がない。良くも悪くも平穏で、悲劇のない安寧が待っている。
「分かり合うことなんて、出来ないんだな」
「……初めから、分かっていたことだろ」
これは、絢瀬世奈も案内人も、一宮玲佳のことを本気で考え抜いた上で導き出した結論だ。ならば、互いの理解なんて存在しない、協力なんてもってのほか。それぞれが持つ選択を、互いにぶつけ合わせる他に道はない。出会った時点で、この二人の衝突は確定していた。
それに、あのときの戦いだって、一宮玲佳が仲裁したことで決着が付いていなかったはずだ。
まだ、『絢瀬世奈』と『案内人』の戦いは終わっていない。
二人は同時に地面を蹴り、目の前の敵へと駆け出した。
「行くぞ、案内人」
「来い! アヤセッ!」
ガキ──ッ! と、互いの拳がそれぞれの顔を打ち抜いた。
「───っ⁉」
(案内人のやつ! クナイも武器も、一切の飛び道具を使ってこない⁉)
一瞬、予想外の案内人の行動に絢瀬が意識を取られていると、案内人から再び放たれた拳が、より完璧な形で絢瀬へと直撃した。
「───お前のことは、小手先の技術なんか使わず、この手で倒す! お前の考えごと、お前という存在を真向から否定して、終わらせてやる‼」
間髪入れずに追撃が来た。凄まじい速度のストレートが、絢瀬の腹を打ち、宙へと身を押し出す。
「ぐぁ───ッ!」
絢瀬も当然だが、案内人だって扇谷邸で相当の負傷をしているはずなのだ。身体を十分に動かせなくても不思議ではない。それなのに、案内人の攻撃には一切の弱さを感じない。たとえ案内人の身体のどこかが悲鳴を上げていたとしても、その程度ではこの男は止まらないのだ。
「はぁあああッ‼」
案内人が力を込めて拳を振り上げる。けれど、絢瀬にだって抱えているものがある。少女への想いも、交わした約束も。それが絢瀬の身体を動かす、ほとんどエンジンが入っていないような、そんな身体を突き動かす。
案内人の攻撃が届く直前、絢瀬は振るわれた一撃を片手で、ガッシリと受け止めた。
「チ──ッ!」
案内人がその手を振りほどくよりも早く、もう一方の手で、案内人の顔面を真芯で捉える。
「……一宮さんは、どこまでも優しい人間だ。あんな人こそが、多くの人間に囲まれて、笑っているべきだ。アンタだって、そうは……思わないのか?」
戦いながら、いくつもの拳をぶつけ合いながら、絢瀬は言葉を投げかける。
「───そんなの……、思ってるに決まってんだろ‼」
案内人は、絢瀬の額に自分の額を叩きつけながら、言葉を投げ返す。
「それでも、そんな未来を実現するには、その過程でいくつもの血が流れるかもしれない!」
絢瀬は、ほとんどタックルするように案内人へと肉薄し、
「……じゃあ、全部諦めて閉じこもっているのが、彼女のためになるっていうのか‼」
案内人は、倒れずにそれを正面から受け止め、蹴り飛ばすように足を振るい、距離を取る。
「たとえためになんなくても、あの人の、あんな顔を見ないで済むってんなら、そっちの方が百倍いい‼」
速いステップで絢瀬を翻弄し、無防備な絢瀬を殴り飛ばす。
「もう、俺は……あの人を悲しませたくない‼ アヤセが血塗れになったときも‼ 仲の良かった大切な友人との関係が断たれてしまったときも‼ そして、あの人の父親が命を落としたときも‼ これ以上、あんな悲劇を! 繰り返すわけにはいかないんだよッ‼」
いつになく強い案内人の一撃は、絢瀬の腹を射抜いた。数メートルに渡って地面を転がり、絢瀬はうめき声を上げる。
「父、親……?」
「お前は知らないだろうがな、……レイカさんの父親は、何年も前に亡くなっている。レイカさんを狙う連中から、レイカさんのことを守ろうとしてな‼」
案内人は知っている。絢瀬の知らない玲佳の過去を。彼女が歩んできた血濡れた道のりを。
「あの父親は、レイカさんのことを命を懸けてまで守り抜いたんだ‼ だから、今度は俺が! あの人の代わりにレイカさんのことを守らなきゃならない‼ これ以上、一滴の涙だって流させられねえんだ‼」
案内人の叫びを聞いて、それでも絢瀬は立ち上がった。
「…………確かに、その人は命を張って一宮さんのことを守ったんだろう。でも、その父親が守ろうとしたのは、それだけじゃない! ……彼女が笑顔で毎日を過ごせる、そんな当たり前を、そんな平穏を、守ろうとしていたはずだ‼」
絢瀬は駆け出して、案内人の前で右腕を振りかぶる。そして、案内人から放たれたクロスカウンターを、右腕を宙に放って身を低くして躱す。そして、その勢いのままに身体を回転させ、回し蹴りを打ち込む。
「ぐごあ───ッ‼」
「その父親が本当に望んでいたのは、娘が笑っていられる世界だったんじゃないのか⁉ 彼女が一人、寂しさを押し殺して生きるような未来を、その父親が望んでいたっていうのか⁉」
絢瀬は、ふらつく案内人の頬に強く拳を叩きつける。
「だから僕は、『彼女が笑顔になれるかもしれない未来』を選択する‼ たとえそれが茨の道でも、いや、そんな危険だって、僕がぶち壊して確実な未来に変えてみせる‼」
「……本当に、そんなことが実現出来ると思ってんのか?」
口元の血を拭いながら、案内人は問う。
「出来ると思ってるし、───実現させるんだよ。あの人が笑っていられるなら、そんな世界のためなら、僕はどんな嫌われ者にだってなれる」
「……、」
案内人は、絢瀬の言葉を咀嚼していた。そして、しっかりと、相手の選択を踏まえて、
「……それでもやっぱり───俺は、『笑顔がなかろうと悲劇が起こらない未来』を選ぶよ」
ここまで衝突し合っても、それでもまだ結論は出なかった。どちらかが倒れるまで、きっとその結論は出ないのだろう。
だから、二人は叫びを上げて駆け出した。決着を付けるために。力強く、拳を握りしめて。
二人が、一宮玲佳を想う気持ちに差はない。
違いは、一宮玲佳を救おうとする、その形だけ。
『誰かと笑っていられるかもしれない、そんな幸せな未来のための挑戦』か、
『誰一人傷つけることはないが、孤独で笑顔のない無機質な未来』か。
絢瀬世奈と案内人、二人の決着を付けたのは、そこだった。
「が、は──ッ」
絢瀬世奈の拳が、案内人の鼻先を捉えていた。
どさりと、案内人が膝から崩れ落ちる。
「はあっ、…はあっ、……はあ───」
ふらつく身体をなんとか抑えて、絢瀬は息を整える。
二人が交差した瞬間、案内人の脳裏には、一つの未来が浮かび上がっていた。
それは、一宮玲佳が笑って日々を過ごしているような、そんな幸せな未来。
二つの選択が脳内で反芻する中、彼女が笑っている姿が、脳裏に浮かび上がってしまった。確かに、案内人の選択を選べば、彼女が傷つくことはないのだろう。でも、その選択では、彼女が笑っている未来を想像することが出来なかった。彼女が人の輪の中で笑っている未来を想像して、それを『いいな』と思ってしまった。だから絢瀬に、案内人の拳は届かなかった。
そして、肩で息をしながら、絢瀬は地面に倒れる案内人に背を向けた。
絢瀬は勝った、結論は出た。ならば、一刻も早く絢瀬は学校へたどり着かなければならない。
たった一人の、孤独な少女を救い出すために。
「───アンタを、ぶっ倒してでも、……僕は、自分の我儘を押し通したんだ。もう、絶対に失敗はしない。悲劇だって、欠片も許さない。───僕がこの手で、あの子を救いだす‼」
絢瀬は歩き出す。嫌われ者となって、傾国の少女と並び立つために。




