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傾国の少女と嫌われた少年  作者: 末乃
第三章 『扇谷会』
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もう一つの『絶対』

 案内人ナビゲーターが部屋を後にして数時間が経過した。華火は案内人ナビゲーターから受け取った手紙を握りしめ、絢瀬のベッドのすぐ傍らの椅子に腰かけていた。そんなときだった、目の前で眠り続ける絢瀬の右手が、不意に、ピクリと動いた。

「───っ! あや、せ? ねえっ、絢瀬! 起きたの? ちょっと、絢瀬ってば!」

 もしかしたら、絢瀬の意識が覚醒しかけているのかもしれない。華火は、そんな絢瀬にすがるようにして声をかける。

『大──夫── ⁉ 聞こ─ ──私のこ─── 分か──』

 絢瀬はその声を聞いていた。必死に投げかけてくる華火の声を、まだ覚醒しきらないぼんやりとした頭で、絢瀬の脳はきちんと処理しようとしていた。思考はどこかふわふわしたままで、夢か現実かの区別もつけられないような、そんな状態で。しかし、そんな絢瀬の頭に突如浮かんできたのは、声をかけてくる華火の顔でも、平良や両親でも、一宮玲佳の顔でもなかった。それは、記憶だ。

(──い、つの、記憶──だ? アンタは、誰─だ──?)

 遥か遠く、幼い頃の、昔の記憶だった。場所は近所の普通の公園で、目の前には、両親と同じくらいの歳の男が立っている。その男は背中を向けて歩きながら、一度こちらを振り返って、言葉を残してきた。

「                   」

 その言葉を最後に聞いて、

 絢瀬世奈は目を覚まし、意識を完全に取り戻した。思考が、活動を再開する。

「痛っ……、───はな、び? ここは……」

 鈍痛に顔をしかめながら、絢瀬は実に三日ぶりの声を発した。かすれて、上手く声が出ない。

「絢瀬っ! 目が覚めた? ここは病院だよ、病院! 身体大丈夫? きちんと私の顔見える? 声聞こえてる?」

 随分と心配をしてくれているのか、目の前の少女はまくし立てるように矢継やつばやに確認をしてくる。絢瀬はちょっと押されるようにして、

「な、なんとか大丈夫、だと思う、……多分。ちゃんと顔も見えてるし、声も聞こえてるよ」

 正常に受け答えをする絢瀬の様子を見て、華火はようやく安心した顔をし、身体中に張りつめた緊張の糸を解くようにして息を吐いた。

「はあ、よかったぁ。本当よかったぁ……! アンタね、ほとんど三日間もずっと眠ったままでいたのよ? ずっと目を覚まさないで……。私てっきり、実はもう死んじゃってるんじゃないかって……」

 華火の目元には薄っすらと涙が溜まっている。

 正直、絢瀬としてはあのまま目が覚めなくてもおかしくないくらいの怪我だと感じていたので、むしろ思った以上に早く意識が回復したなとも思った。だが、心配する側の華火としては、この三日間は永遠のように長く感じられたのだろう。

 絢瀬はベッドに横たわった自分の身体を起こそうとしながら、

「華火の方は、怪我はない? 扇谷会あいつらに何か酷いこととかされてない?」

「……うん、私は平気。ちょっと軽い火傷をしちゃったってくらいで、絢瀬に比べればなんともないよ。それにあの後、案内人ナビゲーターがすぐに私たち皆を病院まで運んでくれたし」

 絢瀬は身体を起こそうとするが、全身に繋がれたチューブやくだが引っ掛かり、またコテンとベッドに倒れこんでしまう。

「そっか、案内人ナビゲーターが……」

「巻き込んじゃった女の子も、わりとすぐに退院出来たみたい。案内人ナビゲーターも怪我はしてるだろうけど、普通に動いてたからそこまで重症ではないと思うよ」

(あの状態でも、まだ動けたのかあの忍者……)

 絢瀬は内心で案内人ナビゲーターの生命力に驚きつつも、一度顔つきを真剣なものに変えて、再度華火に顔を向けた。

「…………華火、今回は巻き込んじゃってごめんね」

「───え?」

 華火は謝られるなんて微塵みじんも考えてもいなかったのか、絢瀬の言葉に驚きを見せた。

「僕が好き勝手にやってたせいで、君をこんな危ない目に遭わせて……」

「いや、そんなの…………。それに、誘拐されたのは私が油断してたってのもあるし。絢瀬はその後すぐに助けに来てくれたじゃん。私はほとんど怪我とかしてないし、どちらかというと、私を守ろうとした絢瀬の方が重症を負っちゃってるし……」

「……助けに来たって言っても、実際に華火を助けたのはほとんど案内人ナビゲーターだ。僕はほとんど何もしていないよ。そもそも、華火の誘拐の原因をつくったのは僕なんだ。結局は、僕の考えが甘かったってだけだったんだよ」

 いつになくしおらしい絢瀬に、華火がどう答えようか悩んでいると、後ろの扉を開く音がガラガラと聞こえてきた。

「おっ、ようやく起きたな寝坊助ねぼすけ

「……平良!」

 現れたのは平良だった。外で絢瀬を狙う人間が来ないか見張りを続けていた平良だが、二人の会話が聞こえて部屋へとやって来たらしい。

「その様子なら、なんとか大丈夫そうだな」

 平良は、絢瀬の全身を確かめるように視線を動かしながら言った。そして呆れたように、

「まったく、大変だったんだぞ? お前が寝ている間。案内人ナビゲーターが信頼出来る医者にお前を預けてなかったら一体どうなってたか。お前が虫の息だって情報も、案内人ナビゲーターが漏れないように気を使ってくれてただけで、もし広まってたらもっと大勢がお前を襲撃しに来てたところだぞ」

 案内人ナビゲーターはそんなところまで気を回してくれてたのか、と絢瀬は、彼の意外な思慮深さに素直に感謝して、

「平良もありがとう、おかげで助かったよ」

 一度、平良の顔を見てお礼を告げた。そして、絢瀬はすぐそばにいる華火へと視線を戻した。

「───それで華火、早速で悪いんだけど……一つだけ聞かせてほしい」

 華火の肩が、ピクリと揺れた。きっと絢瀬に何を聞かれるのか分かったのだろう。

「あのとき扇谷邸には、僕や案内人ナビゲーター、華火と女の子がいた。でも、その四人だけじゃなくて、───他にも、もう一人いたはずだ」

「……、」

「意識を失う直前に、確かに一宮さんの姿が見えた。……、あの人は、一体どうなった?」

 絢瀬の問いに、華火は即答はしなかった。少し、どう答えるか悩んで、

「……私も、詳しくは知らないわよ。私だって、意識がはっきりしてたわけじゃなかったし……。一応、案内人ナビゲーターと一緒に病院までは付いてきてたみたいだけど……」

「そっか……、それだけでも助かるよ、ありがとう」

 絢瀬の記憶が確かなら、一宮玲佳はあの惨状を目撃してしまっているはずだ。となればきっと、他人が傷つくのが許せない彼女は今ごろ自責の念に駆られているだろう。

 きっと、彼女は傷ついている。だから、絢瀬はそれは彼女のせいではないと伝えなければならない。自分が失敗したのだから、その責任は絢瀬自身にあると。

「───え、ちょっと!」

 絢瀬は、自身に繋がれた医療器具を身体から引き抜いていた。針が刺されたものから、電極のパッドのようなものまで、繋がれた鎖をちぎるようにして無理やり外していく。

「ダメだってば寝てなきゃ! アンタ、命に関わる程の大けがしてんのよ⁉ そんな無理に動けば傷だって……」

 華火は立ち上がろうとする絢瀬の両肩を掴んで、なんとか抑え込もうとする。だが、

「僕のせいで、あの子はきっと傷ついてる……。だから、たとえどれだけ僕が力不足であっても、少なくとも、その責任を取らなくちゃいけない」

「……責任って言ったって、……どうしようもないじゃない! あの子がどれだけ凄い力を持っているのかは、絢瀬だってもう十分理解したでしょ⁉ 下手に何かしたところで、きっとまた傷つくだけ……。あの子を取り巻く環境が変わらない以上、私たちに出来ることは何も……」

 絢瀬を必死に抑えながら、華火は縋るような声で叫んでいた。

「……もう、やめてよ。……アンタは、自分に出来ることを全部やった。それも、命まで失いかけて。そうまでして、あの子の隣に立とうとした。それでいいじゃない! 他の連中に比べれば、これだけでも十分に頑張ったじゃない! だから、もう終わりにしてよ……」

 その声は、どこまでも弱々しくて、

「また、今までみたいに、放課後に三人で遊ぼう……? ファミレスでさ、くだらない雑談でもして。その辺をぶらぶら回ったりしてさ。……それで、いいじゃない。そうすれば、こんな風に命を狙われることなんてない。そうすれば、こんな目にも遭わずに、アンタは笑ってられるじゃない……」

 華火は。耐えられなかった。目の前の少年が、命を失いかけるほどに傷ついていくのが。怖かった。この少年が命を狙われ続けるような、そんな未来が存在してしまうことが。

「……、」

 それでも絢瀬は、華火の肩に優しく手を乗せて、自分の足でベッドから立ち上がった。

「確かに最初は、僕があの子を好きになって、そんなあの子の隣に立ちたいと願う、ただそれだけの、どこにでもある話だった。でも、……でも今は、それだけじゃないんだ」

 始まりは、ただの願望だった。一人の少女に心を奪われて、だからその少女に並び立ちたい。ただそれだけの話だった。でも、今はそれだけじゃない。それだけだったら、とっくのとうに心なんか折れていて、そんな願望は諦めてしまっていただろう。

「……あの子はそんな、ただ自分の願望しか頭にない、他人を思いやることも出来ない自分勝手な絢瀬世奈バカやろうを、傷つけないために守ろうとしてくれたんだ! こんなくそったれな僕が、血塗ちまみれになるところを見て、あの子は涙を流していたんだ! こんな結末で、ただ彼女を傷つけたまま終わることなんて出来ない! 確かに僕は失敗した、ああそうだ、どうしようもないくらいの大失敗だ! あの子の隣に立つどころか、僕はただでさえ孤独な彼女を、更に世界から切り離してしまったんだ! ……でもあの子は、他人を思いやれるあの優しい女の子は! 他人のために自分を犠牲にして、寂しさも押し殺して孤独でなきゃいけない少女じゃない‼ たとえ僕が彼女の隣に立てなくても、あの子から嫌われることになったとしても、そこだけは、それだけは、絶対に否定しなくちゃいけないんだ‼」

 絢瀬世奈が恋焦がれた少女・一宮玲佳は、彼女を取り巻く自分勝手な有象無象すらも、傷つくことが許せなかった。そして、そんなふざけた世界のために、犠牲になり続ける少女の現状が、絢瀬はどうしても許せなかった。そんな世界を構成する部品パーツの一部だった自分自身をも含めて。だから、せめて現状だけは変える。少女が孤独が強いられる世界だけは変える。たとえ自分の願望が叶わなくても、自分が破滅の道を進む結果になっても、少女と世界を繋ぎ合わせる可能性くらいは作ってみせる。今のこの世界だけは、壊してみせる。

 それがせめて、少女を傷つけてしまった者に出来る、唯一の役目だから。

「あの子は、誰からも愛される『絶対的な存在』だ。そんな彼女が欲しいと、誰もが願うから、こんな争いが起き続けてる。日々、小競り合いが起きてしまっている。その争いの全てを、止めることは、きっと僕には出来ない。あの子がいれば、彼女を想う人の数だけ争いは増え続ける。それは僕が見えないところでも、数十、数百と行われていることなんだ。そしてその数だけ、人は人を傷つけて、傷ついている」

 華火も平良も、それを黙って聞いていた。

「あちこちでバラバラに戦ってるんだ。それは、たかが人一人に止められるものじゃない。───でも、もしそんな数多あまたある争いを、たった一つにまとめることが出来たら? そこら中で争いが起きている複雑な構図を、分かりやすい一つの対立構造に簡略化することが出来たら?」

 そこら中、いつどこで起きるかも分からない争いの全てを止めることは出来ない。絢瀬が止められるのは、絢瀬の目の前で起きる争いだけだ。そもそも、争いの輪の外にいるのでは絢瀬には何もすることが出来ないのだから。だが逆に、その全ての争いの輪の中に絢瀬が立つことが出来たら? 絢瀬の知らないところで繰り広げられる争いをゼロにすることが出来たら?

「今、彼女の周りで争いを起こしている奴らは、彼女を狙う全員が自分の敵だと思ってる。だから、ちょっとしたきっかけがあればそれぞれが攻撃し合ってしまう。つまり、標的が多すぎるんだよ。皆が皆、恋敵ライバルの数だけ敵を抱えてるから、争いの数が増える。───なら、全員にとっての分かりやすい()()を作ってしまえばいい。彼女を狙うなら、まず他の誰よりもコイツを潰さなければならない。全員がそう思ってしまうほどの、『()()()()()()』を」

 頻発ひんぱつする争いを、いくつもが対立しあう複雑な図式を、明確で分かりやすい一つの共通の敵を設けることで、一つにまとめてしまおうと、絢瀬は考えているのだ。

「──────僕が、そんな『()()()()』になればいい」

 争いが多すぎるから、絢瀬にはそれを止めることが出来ない。だが、その全員がただ絢瀬を倒そうとする単純な図式になれば話は変わる。もしそうすることが出来たなら、絢瀬はただ襲ってくる人間をさばくだけで、見えないところでの争いも、それによって命が失われるような可能性も、全てをゼロにすることが出来る。

「これまで僕は、ずっと彼女のことを振り向かせようとしてきた。でも、違ったんだ。彼女のことをどうこうするんじゃない、変えなきゃいけなかったのは、変わらなきゃいけなかったのは、───()()()だ」

 一宮玲佳に並び立つには、彼女を振り向かせるのではなく、その隣に立てるだけの人間に、自分自身が変わらなければならなかった。

「彼女の周りで起きてる争い全てを、僕という存在で上書きする。全員がただ僕一人とだけ戦ってさえくれれば、僕がそれを無力化するだけで、人が死ぬなんて最悪を起こさないようにすることが出来るんだから」

「……ッ! 無茶よ……! いくらアンタが強くたって、あれだけの連中に襲われ続けて、生きていられるはずがない! たった半月程度でここまでの怪我を負ってんのよ! いつまでも、そんなのを続けられるわけがない!」

「……だったら、それよりも先に僕が()()()を極めてしまえばいい。彼女が誰からも愛されて、彼女を巡る争いを引き起こすというのなら、僕はその反対を目指す。誰からも嫌われて、もう襲うのも、顔を見るのも嫌だと感じるくらい、彼女とは対称的な、もう一つの絶対の存在に」

「そんなの……、なれるわけ……」

「なれるさ。彼女という存在が、それを証明してる。彼女が愛されることで争いを起こすのなら、その逆だって出来るはずなんだ。人は、あれだけ愛される存在になることが出来る。だったら、それだけ嫌われる存在にだってなれなきゃおかしい。そうすれば、良くも悪くも中和が出来る。どうしても一宮玲佳と関わりたいけど、その傍には欠片も関わりたくもない絢瀬世奈がいやがる、ってな風にね」

 馬鹿げている、そんな夢物語に、華火はそう思うことしか出来なかった。

「簡単な話なんだよ。あの子を巡って起こる戦いを、『ムカつくやつがいるからまずはそいつを潰そうぜ』っていう別の形の争いに変える。そうすれば、あの子が好きに誰と仲良くなろうと、その相手は連中の眼中から外れる。彼女にとって、特別な誰かが傷つくことはなくなる。そんな奴よりも先に僕を倒さなきゃってなるからね」

 そうして、説明を終えた絢瀬は、一歩を踏み出した。病室を出て、傷ついた少女の元へ行くために。

「とりあえず、まずはあの人を安心させなきゃならない。僕はこの程度じゃ死なないって、あんな風(ちまみれ)になったのは君のせいなんかじゃないって、それに責任を感じて傷つく必要なんてないってことを、あの人に教えるんだ」

 彼女の世界を変えるにしても、彼女が傷ついたままでは意味がない。まずは、そのほころびから結びなおす必要がある。

 そうして絢瀬が部屋を出ようとすると、扉を塞ぐようにして平良が立ち塞がった。

「……。」

 絢瀬はそれを押しのけてまで部屋を出ようとはしなかった。平良はある意味で、華火よりも絢瀬のことを理解している。それは、華火とはまた別の方向性で。だから、平良の行動にはきっと意味がある。珍しく目の前で行動を見せた男から、絢瀬は言葉を待った。

「ふん。まあ、言いたいことは理解したよ。分かりやすくヒールして、面倒な争いごとを全部まとめて相手してやろうってことだろ? その結果、生きるか死ぬかはこの際どうでもいい。でもその場合、今回みたいな事態ケースが起きたらどうするつもりなんだ?」

 今回みたいな場合、つまり、扇谷会に華火が誘拐されたように、身近な誰かを利用されてしまったら絢瀬はどうすのか、ということだ。もしそうなってしまえば、絢瀬に実力があろうがなかろうが関係なく、一方的に窮地に追い込まれてしまう。

「……まあね、確かに今回みたいな手段を使われたら流石に僕も厳しいよ。だから二人にも悪いけど、親しい人とは一時的に距離を置かせてもらおうと思う。僕の勝手で誰かを危険に晒すなんてのは、もう二度と御免だ。適当に、仲違なかたがいしたような演技でもしよう。一応、僕の方でもそういった動きがないかは警戒しておくからさ」

「……距離を置く、ねえ? そいつは確かに安全だな。いい案だと思う。でもな───」

 ガバッッ! と、平良は絢瀬の入院着の胸元を掴み、

「そんなことを、テメエの一存いちぞんで勝手に決めてんじゃねえよ!」

 ハンマーのように、平良は自分の頭を容赦なく絢瀬の額へ打ち付けた。ゴチン、と鈍い音が病室に響く。あまり強力ではないはずの平良の攻撃だが、何故だか、絢瀬にはこれまでのどの攻撃よりも強烈な一撃だと感じられた。

「嫌われ者になる? そんなのテメエで勝手にやりゃあいい、そこは俺の知ったことじゃねえよ。でもな、なんでお前の都合で、わざわざ俺たちがお前との関わりを制限されなきゃなんねえんだよ? 一宮玲佳を孤独じゃなくてもいいようにするとかぬかして、お前がその道に行ったら意味ねえじゃねえか。結局、お前はあの子と同じことを言ってんだ。自分と関わると危ないから自分とは関わらないでくれ、ってな」

「……それは、仕方ないだろ……。もしそんなことが起きたとして、それを百パーセント解決する保証なんて僕には出来ないんだ、───こうするしかない。それに、いずれ上手くことが運んで争いが起きなくなれば、そしたらそのときにまた関わればいいだろ……」

「『誰よりも真っ先に潰さなきゃいけないと思われるような存在』になるんだろ? だったら、そんな回りくどい方法を選ばせないくらいの存在にお前がなれよ。なに大言壮語たいげんそうごしといて半端なこと言ってんだ。散々失敗してた奴が一丁前に人のこと気遣ってんじゃねえよ」

 絢瀬は言い返せなかった。本当の意味で嫌われ者(そのみち)を極めるのだとしたら、実際にそうさせるくらいの人間にならなければいけないと感じてしまったから。

「それに、俺だって一宮玲佳のあの状況を好ましく思ってはねえんだ。人と好きに繋がりを持てるくらいの自由は、誰にだってあるべきだ。それはもちろん、あの一宮玲佳にだって。この問題は確かにどうにかしなくちゃならない。別に、お前だけがいきどおってる問題じゃないんだよ」

 だからそんなつまらないところでつまづくなと、平良は言っているのだ。理論に絡めとられて動けなくなるくらいなら、はなから自分のことなど気にするなと。

 そしてそのとき、ずっと口を閉ざしていた華火が絢瀬の元まで歩いてきた。

「…………絢瀬、ごめん。私のせいで、心配性にさせちゃってたみたいだね」

「華火……」

「悪いけど、そもそも私はアンタがこれからやろうとしてることには納得出来てない。アンタにそんな危ない橋は渡ってほしくないって、今も考えてる。……それでも、もし仮に私がそれ自体を許すことがあったとしても、勝手に私との関係を断ち切ろうとすることだけは、それだけは、絶対に許すことがないと思う」

「……、」

 そう言った華火は、少し笑って、

「だってそんな単純なものじゃないでしょ、私たちの関係って。……人間関係なんてものは、一方的に作れるものでも、断ち切れるものでもないんだよ、───きっと」

 徐々に華火の声色からは、縋るような痛々しさも、心配に押し潰されてしまいそうな弱さも消えていた。そして、絢瀬を真正面から見据えて、

「……だから、一つ約束して。私は、もうあんな失敗をしない。自分の身だって自分で守ってみせる、アンタと敵対する人間にいいようになんか利用されない。アンタの足枷になんてならない。……だから、もしそんな危ない道を行くなら、アンタも自分の身を守り切って、絶対に死なないと約束して。誰との関係も断ち切らず、あの子も含めて、皆が幸せになれる形だけを模索し続けると、約束して」

 それが、華火の中での精一杯の妥協だった。絢瀬のことを考えた、最大限の譲歩だった。

「ああ、……約束する」

 絢瀬は強く強く決意した、絶対にこの約束を破ることがないように。

 それを聞いてようやく、華火はいつもの顔に戻った。

「───それじゃっ、そんな約束をしてくれた君には、これを授けましょう」

 そう言って華火が差し出したのは、ちょっと前に華火が案内人ナビゲーターから受け取っていた手紙だ。

「これ……、一宮さんから?」

「そう、数時間前に案内人ナビゲーターが来てね、絢瀬に渡してくれって頼まれたのよ。中身は私もまだ知らないんだけどさ」

 絢瀬は驚きながらも封を切って中身を取り出す。

 その中身は、真面目そうな印象を受ける手書き文字で、いくつかの言葉が記されていた。

『絢瀬くん、貴方が今この手紙を読んでいるということは、貴方は無事に目を覚ますことが出来たのでしょうか。もし、そうなら嬉しいです。そんなことを言う資格は私にはないけれど、それでも貴方には無事であって欲しい、そう思っているんです。』

『今回の浅倉さんの件、全て緋色ひいろから聞かせてもらいました。本当にごめんなさい。全て、原因は私にあります。私が貴方と関わってしまったせいで、貴方も、浅倉さんも、関係のない少女も、緋色も、皆を巻き込んでしまいました。』

『謝罪をして、許されるようなことではないのは理解しています。ですが、直接会って頭を下げるということも、何か別の形でお詫びをすることも私には出来ません。なので、不誠実なのは承知ですが、手紙という形で言葉を添えさせてもらいました。』

『絢瀬くんに屋上で言われた通りです。確かに私は、人との繋がりを諦めきれていなかったのかもしれません。そうして、学校に通い続けてしまったことが、今回の騒動を招いてしまいました。』

『これが贖罪になるわけではありませんが、私は、もう学校に通うことも辞めようと思っています。私みたいな人間は、人と関わるべきじゃなかった。これ以上、自分の都合で人を傷つけることは出来ません。もっと、ずっと早くに決断するべきでした。』

『───本当に、ごめんなさい』

 それは、いくつもの謝罪の言葉が書き連ねられていた。

「……、」

 絢瀬の失敗が、この少女にこんな決断をさせてしまった。

 だから、すぐにでも、絢瀬はこの少女を安心させなければならない。こんな結末を確定させないために、たった一つの居場所を奪わせないために、そんな決断をしなくてもいい世界を、絢瀬は作らなければならない。

 手紙を読み終えてからの絢瀬の行動は早かった。病室に備え付けられている台へとそそくさと歩いていったのだ。そこには、絢瀬の私物らしきものがまとめられていて、意識を失ったときに持っていた鍵や財布などの貴重品が置いてある。絢瀬はその中から、安物の携帯を取り出し、登録されている番号へと電話を掛けた。数回コール音が聞こえた後、通話は繋がった。

「もしもし、お久しぶりです先生」

『……ん、お前……、おい、絢瀬か! なんだ、目が覚めたのか⁉』

 通話相手は担任の半田だ。

「はい、丁度さっき起きたばっかりなんですけど」

「そうか……、それは良かった。それで、身体の方は大丈夫なのか? 異常はないのか?」

「身体の方は問題ないです。ちょっと痛むくらいでなんともありません。それより、ちょっと聞きたいんですけど───」

 玲佳が学校を辞めるというなら、当然その話は半田の耳にも入っているはずだ。半田から詳しい話が聞けるかもしれない。なにせ、絢瀬が寝ている間に数日が経過してしまっている。この手紙がいつ書かれたものかは分からないが、まずは今、どこまで話が進んでいるのかを確認しなければならない。

『……なんだお前、もう知ってるいのか。丁度今な、校長とかがその退学用の書類の確認作業をしてるとこだよ』

「───えっと、じゃあまだ、ギリギリ学校を辞めてるってわけではないんですね?」

『ああ……、まあな』

 絢瀬は喜んだが、どこか半田の歯切れが悪い。不審に思って尋ねると、

『実はな、今学校がそれどころじゃなくなってるんだよ───』

 通話先の半田は、校舎の窓から校庭のグラウンドを眺めて呟いていた。

『どうやら一宮が学校を辞めるって情報が外部に洩れちまったらしい。おかげで、それを聞きつけた連中が学校に押し寄せてきて大パニックだ。ほんの数時間でありえない人数が集まって来てやがる……』

 一宮玲佳が学校を辞める、話題性の強い(センセーショナルな)その情報は瞬く間に拡散され、彼女の今後の行方を知ろうと大勢が学校へと押しかけて来ているのだ。

『奴らがそこら中で大暴れしやがってるせいで、こっちはすっかり授業どころじゃねえ! 一宮もどっかに消えちまったし。……まあいいや、とにかくこっちは俺がなんとか治めとく、一宮も見つけ次第外に逃がすから、お前は病院でゆっくり───』

「───いえ、僕も今から行きます」

 一宮玲佳の退学という混乱。むしろ、絢瀬にとっては好都合だ。一宮玲佳を狙う人間が丁度学校に集まっているのなら、その人間たち全員を敵に回すような大立ち回りをすればいい。その上で、全員の意識を刈り取って争いを治める。分かりやすい敵として君臨する形でだ。

(このまま、蚊帳の外で黙って見てるなんてありえない)

『お前、そんな身体で────、おい! 聞いてんのか───』

 半田は絢瀬の身体を気遣って来るのを止めようとしていたが、気にせず絢瀬は通話を切った。

 そして、華火と平良と顔を見合わせた。絢瀬の意図を理解しているのか、二人は特別、言葉を発さなかった。

「……僕はこれから学校に行く。今ならまだ間に合うんだ。暴れてる奴らを全員止めて、そんな悲しい結末なんて必要ないってことを、一宮さんに証明してやる!」

 玲佳が退学寸前ともなれば、当然、絢瀬はこの重症の身体のままでも学校に行くだろうと分かった。だから華火も、そっか、とだけ答えて笑って見送ることにした。

「それじゃあ約束、忘れないでよね」

「もちろん、絶対に守るよ」

 二人が交わした会話はこれだけだった。約束をしたのだから、これ以上なんて必要なかった。

 やることは決まった、もう迷うことなんてない。一宮玲佳も含めて、皆が幸せになれる世界をつくる。だから絢瀬は、病院を飛び出して、一宮玲佳がいる学校へと走り出した。

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