少女は、助けない
四月十六日 木曜日
一週間、料理太郎のバイブルに従ってみた絢瀬だったが結果は散々であった。チャレンジする度に周囲の人間からは襲われ、協力者だったはずの華火と平良も機嫌が悪くなり、日に日に絢瀬の生傷は増えていった。絢瀬を襲ってくる人間も徐々に増加している。
恋愛指南書、絢瀬は常に持ち歩くくらいには気に入っていたのだが、とんだ失敗だった。今すぐにでもこの恋愛指南書を燃やしてやろうかという衝動に駆られる。
基本的に一宮玲佳に絡もうとする人間は即座に排除されるため、今頃、何度襲撃しても脱落しない絢瀬に周囲は業を煮やしていることだろう。ここまで一宮玲佳に対して長く粘り続けられるのは、絢瀬と東秀道くらいのものだ。
「つっかれたぁ……」
その日、絢瀬はたった一人で翔麗高校のグラウンド、その隅っこの草むしりを行っていた。
一宮玲佳にアピールし続けた結果、周囲から恨みを買い続けた絢瀬。今日も教室でいつものように襲われたのだが、タイミングが悪かった。襲撃を退けることには成功したものの、撃退した瞬間を担任の半田に運悪く目撃され、教室で暴れた罰として草むしりを命じられたのだ。
「こんなの一人で終わるわけないっての……」
グラウンドは日々部活動で使われているため、そのほとんどは整備されているのだが、部活にあまり関係ない隅っこの部分は長い間放置されていて雑草が生い茂っている。ところどころには、野球部が血眼になって探したであろう野球ボールが落っこちている。
「でもまあ、こんだけやれば流石に許してもらえるかな」
数リットルは入るビニール袋には、既に雑草がパンパンに詰まっている。それが二袋。一人でやったにしては十分すぎる量だろう。
確か半田は、用務員が回収するから昇降口前にまとめておけ、とか言っていたか。草むしりを終えた絢瀬は、ビニール袋をまとめて置いて、自分の鞄を取りに教室へと歩き出した。
(華火も平良も、もう帰っちゃったかなー)
教室の扉を開くと中はすっかりガランとしていて、部活動中の生徒の鞄だけが残されていた。
もう用もないしさっさと帰ろうと、絢瀬は鞄を手にして廊下に出る。
(あ、あの人……)
すると、廊下の先を歩く一人の女子生徒の背中が見えた。見間違えるはずがない、その生徒は一宮玲佳だ。
(……なんで、こんな時間まで残ってるんだろ?)
絢瀬が知る限りでは、玲佳は部活や委員会には所属していないし、放課後まで学校に残って友達とおしゃべりとかをするタイプでもない。というより、そんな相手がいたら真っ先に周囲に潰されている。
自然と絢瀬は、玲佳の背中を追う形で廊下を歩いていく。
(流石にまた話しかけてトラブル起こすのは面倒だな……。さっき半田先生に怒られたばかりだし……)
今日はもう話しかけるのは止めておこう、そう決めて、なんとなく後ろを歩いていると階段に差し掛かった。一年生の教室は三階であるため、ここを降りなければ昇降口へ行くことは出来ない。
絢瀬が階段を覗くと、上の階からまた別の女子生徒が降りてくるところだった。美術部か何かなのか、その生徒は大きなキャンバスを担いで階段を降りてきている。フラフラとしていて、今にも転げ落ちてきそうだ。
生徒は、大きなキャンバスに視界を塞がれて前をキチンと見れていない様子だったが、ふと前を見たときに玲佳が視界に映ったようだった。
「───⁉」
意識外から突然現れた玲佳に、生徒は驚きを見せた。ここのところ毎日教室で玲佳を目にしている絢瀬ですら、未だに彼女を見るとついドキッとしてしまうのだから無理もない。
しかし、生徒は驚いた拍子に階段を踏み外してしまった。そのまま、重力のままに玲佳が居る踊り場へと落下していく。
(───ッ!)
咄嗟に受け止めようと絢瀬が走り出すが、生徒までは距離があり間に合わない。
すると、目の前の玲佳が動きを見せた。咄嗟に、落ちてくる生徒を受け止めようと手を伸ばす。───受け止められる、そう思った絢瀬だが、
生徒が、受け止められることはなかった。
生徒は勢いのまま、踊り場へと落下した。ダン、という鈍い音がして、生徒はうめき声を上げる。
「──だ、大丈夫⁉」
思わず、落下した生徒に駆け寄る絢瀬。
「……いっ、てて。すみません、……大丈夫です。ちょっと、あの人を見てびっくりしちゃって」
答える生徒は、幸いにも軽傷のようだ。どうやらキャンバスがクッションの代わりになったらしい。ホッと、安心する絢瀬。
だが、生徒はあまり自分の怪我を気にしていないらしく、その目線は、自分の怪我でも、心配する絢瀬でもなく、すぐ隣に立っている一宮玲佳へと向けられている。
少女につられて、絢瀬が同じように玲佳へ目線を向けると、玲佳はこちらを一瞬確認して、そのまま階段を降りて行ってしまった。
「…………、」
玲佳は、落ちてくる少女を助けなかった。
その事実に、ちくりと、絢瀬の胸が痛む。
そして、絢瀬も階段を降り始めた。生徒が無事であることを確認した後。一宮玲佳を追いかけて。
『おい、待てよ』
しかし、階段を降りる絢瀬を制止する声があった。絢瀬を通せんぼするように複数人の男が現れる。きっと、玲佳のことをずっと監視していたのだろう。そうしていたら、絢瀬が彼女に話しかけようと動きだしたのを目撃したため、それを阻止しようと顔を出してきたのだ。
『テメエ、絢瀬とか言ったか。何度も一宮さんにちょっかいかけてんじゃねえぞ───』
さっきまで、今日はこれ以上トラブルを起こしたくないと考えていた絢瀬。だけど、今だけはあの少女に追いつかなければならない、そう思った。
「邪魔だ!」
だから躊躇なく、一瞬にして、現れた男たちをまとめてぶっ飛ばす。もうトラブルがどうこう気にしていられない。少年はこの程度では止まらず、そのまま、少女の元へと駆ける。
階段を降り切って少し走ると、少女の背中が見えた。まだ校舎からは出ていないようだ。
「待ってくれ、一宮さん!」
声をかけても止まらない少女に、絢瀬は言葉をかけ続ける。
「少し! ほんの少しでいいんだ! ちょっと話をしてくれればそれでいい!」
鬼気迫る絢瀬の言葉に、迷ったようだが少女は何歩か歩いて足を止めた。
「……」
少女は振り返り、絢瀬の顔を見つめる。そして、
「あの、───」
絢瀬が言葉を紡ごうとした、その瞬間。わざと絢瀬の言葉を遮るように、
「……絢瀬くん。ここじゃなんだから、……場所を変えてもいい?」
少女は口を開いて、一つの提案をした。
そこは屋上だった。絢瀬たちの教室がある棟の一番上。他には誰もいないようで、閑散としている。人目があると絢瀬が襲われかねないため、きちんと会話をするために玲佳はここを選んだようだ。そして、重たげに玲佳は口を開いた、
「それで、絢瀬くん。……話ってなにかな?」
走って追いかけてまで声をかけてきた少年に、玲佳は要件を尋ねる。
「……さっき、あの女子生徒が階段から落ちてきたとき。一宮さん……、あの子を、助けようとしてたよね……?」
絢瀬は、玲佳が落ちてくる少女を受け止めようと手を伸ばす姿を目撃していた。そして、伸ばした手をギリギリのところで引っ込めるところも。
「───うーんと、見間違え……じゃないかな」
「いや、確かに見たよ。間違いなんかじゃない」
「……。ごめんね、褒められたことじゃないけど、そもそも私って事なかれ主義だから。そんなに人のことも好きじゃないし。別に、落ちてくるあの子を助けようとか思いもしなかったよ」
あっけらかんといった調子で、自らすら嘲るように玲佳は否定する。
「絢瀬くんは、私のことをどこかいい人として見てくれているみたいだけど、……私って、そんないい人間じゃないよ? ───たとえ、目の前でおばあさんが転んでいたとしても、きっと私は助けない。そういう人間なの、私って」
玲佳は宣言している。自分は、もし傷つきそうな誰かが居たとしても、そんなのをわざわざ助けようとしない人間であると。けれど、
「いいや、一宮さんはそんな人間じゃないよ」
「……? どういうこと? だって私はさっき、実際に落ちてきたあの子を見捨てて──」
本人が、自分はそういう人間であると語っているのに対して否定をする絢瀬。玲佳は理解出来ず、先ほどの自身の行動を繰り返し言葉で伝えようとするが、
「──あのとき、何人かの男たちが、一宮さんのことを監視していた。そいつらは、僕が一宮さんに話しかけようとするだけで攻撃してくるような野蛮な連中だった」
「……、」
「もし、あのとき一宮さんがあの女子生徒をそのまま受け止めていたら、それだけで、あの男たちはその子を襲っていたかもしれない。君との接点を持つことを拒もうとして」
「……だから、私があの子を敢えて助けなかったって言いたいの……?」
「うん、そうだ」
絢瀬は、真っすぐと玲佳の顔を見つめて、どこか確信めいた様子で言う。
「は、はは。ごめんね。……それは考えすぎだよ、絢瀬くん」
玲佳は、自分を蔑むように笑いをこぼして、
「だって私は、私のことを監視している男の人たちなんて、そもそも気付いてなかったんだもん。そんなことまで考えられないよ」
これを聞いて、絢瀬は直観で嘘だと思った。でも、絢瀬が本当に聞きたいのはそこじゃない。
「じゃあなんで、あの子が落ちたとき。一宮さんはすぐにその場を立ち去らなかったの?」
少年は、少女の善性を諦めずに問い続ける。
「君が、他人がどうなろうと気にしないって言うなら、あの子が落ちようがさっさと気にしないで行っちゃえばよかったんだ。それでも一宮さんは、立ち去らずにあの場で足を止めた。自分に驚いて落ちてしまったあの子が、怪我をしていないか気になってしまったから。だから、あの子が『大丈夫』って言葉を言いきるまでは立ち去れなかった」
「──、そんなの、ちょっと驚いて足が止まっちゃっただけ。別に、心配なんて──」
「あの子を助けようと手を伸ばして、それでも、もし自分が助けてしまったら起こる危険があって、──そして、結局あの子を助けることが出来なかった。あの瞬間、一宮さんは、とっても悲しい目をしてた」
絢瀬の目にはきちんと映っていた。目の前に助けたい人が居るのに、それでも、手を伸ばすことが出来ずに苦しむ一宮玲佳が。
「人のことが好きじゃない? そんなはずはない! あのときの君は、人が傷つくのが耐えられない、普通の女の子の顔をしていた! あのとき以外もそうだ! きっと君は───!」
「違う!」
絢瀬の言葉が、強く、玲佳の声に遮られた。
「私は、他の人のことなんてどうとも思ってない! 一人でいるのが好きで! 他の人なんて必要ないって! 本当に、本気でそう思ってる!」
初めて、一宮玲佳が自身の奥底に眠る感情を出した。
「そう、違うの……。私は、そんな人間じゃないの……、私は!」
どこか自分に言い聞かせるように話す少女は、どこまでも痛々しく見えて、
「だからもう……、私に話しかけるのもやめて。仲良くしようとしてくれるのは嬉しいけど、私は、今の自分の生活に満足してる。……だから」
「───私のことは、もう放っておいて」
絢瀬との間に壁を作るように、少女は最後の言葉を放ち、屋上から飛び出して行った。
誰も居なくなった屋上に、絢瀬が一人取り残される。




