有象無象の中で
吐息を漏らしながら、桜並木を駆け抜けていく学生服の少年・絢瀬世奈。
「……あ、来た来た。遅いわよまったく!」
ふと、かけられた声に足を止め、彼は声の主へと目を向ける。立っていたのは、待ち合わせをしていた知り合いの少女だった。待ち合わせ時間はとうに過ぎているため、軽くご立腹の様子である。
「ごめんごめん、待たせたね。おはよう華火」
「もう、絢瀬ったら。なんで今日に限って遅刻するのよ。せっかくの卒業式に遅刻とか洒落になんないから、勘弁してよね」
既に時間ギリギリのため、早々に学校へと走り出しながらも怒りを伝えてくる少女。
浅倉華火、ほんの少し茶色がかった長い髪を靡かせる、絢瀬のクラスメイトにして幼馴染である。背丈は絢瀬とあまり変わらないくらいの女の子だ。
今日は三月七日、彼らの中学校の卒業式。二人は通い慣れた通学路を歩き、学校へと向かうところだった。
「いやぁ、早いものよねー。ちょっと前に入学したと思ったらもう卒業なんだもん。消化不良というか、もっと色々やっておけば良かったー、みたいな。そういう気持ちがあふれてくるわ」
「クラスの皆もほとんどバラバラに進学しちゃうしね。サラッと今日まできちゃったけど、案外卒業式が始まれば泣けてくるかも」
「………そっかぁ。こうして絢瀬と一緒に登校するのも、これが最後なのね。ううぅ…、泣けてくるわ」
「いや、別に僕ら高校一緒だから。一月も経たずにまた一緒に行くことになるよ」
一瞬にして過ぎ去った三年を思いながらも足早に歩みを進めていく二人。
「絢瀬はさ、なにか中学校でやり残しちゃったなーってこととか無いの? もっと勉強しとけば良かったとか、部活に打ち込んどけば良かったーみたいな」
「んー、なんだろうな。やり残したことか……」
少しの逡巡を経て、絢瀬が答える。
「───恋愛とかかな…?」
「うぇ……っ! 嘘、アンタ恋愛とか興味あったわけ?」
あんまりに想定外な答えだったのか、素っ頓狂な声をあげて華火が絢瀬の顔を見る。
「中学校じゃ好きな人とかも出来なかったからねー。まあ、告白されることとかは何度かあったけど、別に付き合ったりはなかったから」
「確かに、何回好きな人がいるか聞いても、ずっといないの一点張りだったからね」
絢瀬世奈、彼は十五歳にしてまだ初恋すら経験していない。
「でもまあ! その調子じゃ高校に行っても好きな人の一人くらいも出来そうにないわねー」
背中をバシバシと叩いて励ますようにしながら、ニヤニヤと華火が言う。
「……別に、恋愛なんて急いでするものじゃないからね。もしいい人がいたら頑張ってアタックしてみる、そのくらいでやるさ」
「まっ! 高校卒業してもいい人がいないようなら、仕方ないから! 幼馴染のよしみで! この私がアンタを貰ってあげてもいいけどー!」
華火の冗談を軽く受け流し、絢瀬が駆け足で進んでいると、ふと人だかりが見えた。
「ん……、あれなんだろう?」
前を先行していた絢瀬が止まったのにつられて、華火も並んで足を止める。現在地点は、待ち合わせ場所から学校までの通学路のおよそ半分、ここら一帯では一番大きい駅の前だった。
よく人だかりに注目してみると、その半数くらいは皆同じ学生服を着ていることが分かる。
「あれって確か、帝花中の制服じゃない? ほら、市役所の奥の方にある学校」
「……、そういえばあったね。もう時間もそうないだろうに、こんなところで一体何してるんだろ。それもあんな大勢で」
帝花中学校、この近辺では二つしかない中学校の内、絢瀬たちが通っていない方の中学校である。市内の中学校なら卒業式は同日とかいう話だったので、あちらも今日が卒業式のはずだ。普段はあまり見かけないが、もしかしたら、担任宛のプレゼントの用意とかで駅の方まで繰り出して来たのかもしれない。離れていても、騒々しさが伝わってくる。
絢瀬がしばらく眺めていると、誰かを中心として、その誰かを囲うように人だかりが出来ていることに気が付いた。
それと同時、華火が思い出したように突然こんなことを言ってきた。
「……そういえば、帝花中って言ったら何か噂の人がいたよね」
「噂の人?」
帝花中、噂、頭の中で関連してそうな記憶を引っ張り出そうとするが、全く出てこない。絢瀬の頭に疑問符が浮かぶ。
「その噂の人、女の子なんだけどさ、めちゃくちゃ可愛くて美人さんで、とにかくモテるらしいのよ。学校のマドンナとかそういうレベルじゃなくて、国も乗っ取れるんじゃないかとか、惚れてる人を集めるだけで軽く軍隊作れるんじゃないかとか言われるくらいに!」
流石は女の子、恋愛話には詳しいのかすまし顔で華火が教えてくれる。しかし、ただでさえ恋愛事とは無縁だった絢瀬だ。そんな話は聞いたことがなかった。正確には、聞いてはいたけど聞き流していたかもしれない、だが。
「どんなモテ方したら軍隊がどうのって話になるのさ、噂にしても尾ひれが付きすぎだよ」
「ほんとなんだってば! どれだけ偉い人でも、ちょっと見ただけで惚れさせちゃうくらいには魅力的な女の子だって話。……聞いたことない? ウチの中学でもその子のことが好きだって人まあまあいたはずだけど」
「さあ? いたっけ」
「興味なしかアンタ……」
華火がジトーっとした目を、絢瀬に向ける。
(ふーん、そんなにモテる人がいるのか。てことは、この人だかりももしかして……)
興味なさげにしている絢瀬だが、少し考える素振りをして、
「じゃあ、この人だかりはその人が原因なのかもね。せっかくだし、ちょっと見てこようよ」
ほんの少し、ちょっと興味が出た。もし噂が本当ならここが絢瀬にとっては初恋のチャンスかもしれない。それに、やり残したことが云々とさっき話したばかりなのだ。折角なら見ておこうという気持ちで人だかりへ駆け出していく。
「あっ! ちょっと絢瀬! 私たちも時間ないんだってば!」
華火が絢瀬の制服の袖を掴んで止めようとするが、少年は気にせずグイグイと人だかりの方へと向かっていってしまう。
集団に近づいていくと、いくつかの声が聞こえてくる。
『ちくしょー、結局今日で卒業かよ、三年間全然関われなかったな……』
『それならまだ諦めがつくってもんだろ。俺なんて同じクラスになったのに、会話の一つも出来なかったんだぜ? 皆が皆狙ってるせいで、下手なアプローチでもしたらそいつら全員からの集中砲火だよ』
『───ああ! もう玉砕覚悟で告白しちゃおうかな!』
『やめとけよ、昨日同じこと言ってた二組の吉田、今朝全裸にひん剝かれて道路にぶっ倒れてたぜ。告白でもしたんだろうな。大人しくしときゃ、血塗れにならずに済んだのによ……』
(へぇ、どうやらただの噓っぱちってわけでもないらしい。というか、告白するだけでその有様って、噂の女の子はどれだけ血気盛んな奴らに好かれてるんだか……)
人だかりをかき分けて、その中心へと向かっていく。思ったよりも人の層が分厚くて、なかなか中心までたどり着けない。後ろをついてきてる華火も、学生服の袖を掴んでやっとついてこれているという感じだ。一体どれだけの人がここに集まっているのか。
『私あの子と同じ高校受験したんだけどさぁ、皆も同じ考えでそこ受けたから倍率が跳ね上がっちゃって、残念だけど同じ高校には通えそうにないわー。もっと勉強しとくんだった。いやまあ、同じ中学校に通えてたってだけで奇跡ではあるんだけどさ』
『ほんと羨ましいよねー。どんどん可愛くなってくじゃんあの子。高校でのあの子も見たかったなぁー』
『いっそのこと中退して、あの子の高校の近くに張り付こうかしら。近くに教室の中がよく見えるビルがあるんだって!』
(監視しやすいビルまで調べられてる……。やってることただのストーカーじゃないか)
絢瀬が呆れながらも人の隙間を縫って進んでいくと、人だかりには男性だけじゃなく女性もかなりの数が居ることが分かる。魅力を感じたり恋愛対象となる性的指向は人それぞれだが、ここには男性も女性もほぼ同数の割合で居る。見れば、制服じゃない人もかなり多い。偶然噂の少女を見かけて、それが積もり積もって人だかりになったというよりは、その少女を一目見ることが目的でここに大勢の人が集まってきたという感じだ。
「───いやあ、どうもこれは本物みたいだね」
「そ、そうね。さっきからバイオレンスな話や犯罪紛いのワードがわんさか聞こえてくるわ…」
既にまあまあ疲れてしまっていそうな華火だが、絢瀬は特に気にせず前に進む。もう少しで、噂のその人を見られそうだ。
そうして、遂に人だかりの中心点へとたどり着いた。
当然だが、中心にも多くの人がごった返していた。けれど、けれど、一目でその噂の少女が誰なのか分かった。多くの人が居るが、それでも、目を奪われる少女が居た。
雑草の中で一輪だけ美しい花が咲いていたら、自然とその花に目が惹かれるように。ドームで衣装を纏いスポットライトを浴びたアイドルが、ただの観客に注目で負けることがないように。
人であふれた喧騒の中で、その少女は、他の誰とも違う美貌を持ち、他の誰とも違う気品を放ち、他の誰とも違う絶対的な存在として、
その中心に、一人立っていた。
雷が直撃したような、それほどの衝撃を絢瀬は受けた。間違いなくこの瞬間が、絢瀬世奈にとっての人生のターニングポイントであると、瞬時に確信した。
そう、この瞬間が、
傾国の少女・一宮玲佳への挑戦の始まりだった。




