『案内人』
「……へえ、アンタが噂の案内人さんか」
出来る限り平静を装って、絢瀬は言葉を紡ぐ。
(コイツ何時の間に、音一つ聞こえなかったぞ……!)
しかし、脳内では目の前の男に対する危険信号が甲高く鳴り響いている。ほんの一瞬でも目の前の男からは目を離してはならない、そんな危険な香りがする。
「なんだ、もう俺のことを知っているのか。情報の回りが早いな」
「今朝、東秀道って侍男が教えてくれたんだよ。まさか、こんな早くにお目にかかれるとは思ってなかったけど」
「ああ、あの暑苦しい紺色袴か。そんなことまで知っていたとは」
東の話ではもの凄く強い一宮玲佳の護衛、とかなんとか言っていたが、おそらく想像以上だ。絢瀬が空き地に着いた時点では案内人は居なかった。つまり、気配の欠片も気取らせずに絢瀬の至近距離まで接近してみせたということになる。
「「………」」
お互いがお互いを観察し、品定めするような沈黙が生まれる。
「それで一体何の用なんだ?」
大事なのは、この男が何をしに絢瀬の前に現れたのかだ。
「アンタ……、案内人ってのは一宮さんの護衛みたいなものなんだろ? だったら僕を彼女にとっての悪い虫と判断して潰しにきたとか、そんなところか?」
質問に男は顔をしかめ、
「護衛? 違う違う。俺はそもそもそんなことをやってはいない」
男はフッ、と笑い、
「俺は、彼女とは昔馴染みってだけ。なにも四六時中彼女にベッタリくっついてボディーガードなんてしちゃいないよ。ただでさえ、レイカさんは厄介な立ち位置にいるからな。そんな自由を狭めるなんてことしないさ」
(サラッと名前で呼んでやがるなこの野郎)
軽快に男は言うが、ただの昔馴染みというだけではないのだろう。ただ旧知の仲というだけなら、案内人なんて異名も噂も生まれるはずがないのだから。
「じゃあ、その昔馴染みさんがわざわざ何しにこんな所まで出張って来たんだ? 友人代表として僕にご挨拶でもしてくれるのか」
「俺なんかをレイカさんの友人と言っていいのかは甚だ疑問だが……」
男は頭を搔きながら、軽い調子で言葉を続ける、
「……まあ、わりとそんな感じだよ。さっきのも、というより今日一日ずっとお前を監視してたんだ。はっ、随分と追い回されてたな」
「───なんだ見てたのか。……まったく何時間も飽きない連中だよ。死ぬほど追いかけてきやがってさ、つくづく一宮さんの影響力を思い知らされる」
「ははっ」
乾いた笑い、表面上だけがまるで親しげなのが気味悪さを演出している。
「そうだよなあ、彼女は特別だもんな」
そうして、男は改めて絢瀬へと向き直り、
「だからさ……、教えてやりにきたんだ。レイカさんに関わるのはもう辞めておけって。今日一日でも分かっただろ? 彼女はお前には荷が重い。今はガキの喧嘩程度で済んでるようだけど、下手に事が大きくなればそうはいかない。取り返しが付く内に降参しとけ」
両手を広げながら放たれる言葉と共に、徐々にその声色は冷たくなっていく。同時に、絢瀬は目の前の男がただの平凡な人間とは異なる存在であることをひしひしと再認識する。
「ただの昔馴染み、なんだろ。だったら一宮さんと関わるかどうかは僕か一宮さんが決めることだ。アンタに指図されることじゃない」
過干渉はしない、なんてポーズを取りながらも、絢瀬に対して暗に関わるなと言ってくる姿勢に腹が立つ。結局彼女と関わる人間が気に食わないんじゃないかと。
「襲い掛かってくるような連中がなんだって言うんだ。そんなの、端から端まで全員ぶっ飛ばしてやればいいだけじゃないか」
現に、これまでに食って掛かってきた何人をも絢瀬は退けてきている。面倒ではあるが、東のようなごく一部の例外を除けば大した脅威になるとは思えない。
「ハァ……、わざわざ忠告してやって出てくる言葉がそれか。井の中の蛙もいいとこだな」
男は呆れて、
「なあ、なんで、レイカさんの周囲にいる人間はお前が倒せてしまうくらいに、あんなにも弱いと思う?」
その質問は、絢瀬が一宮玲佳の周りの有象無象程度を軽く蹴散らせるくらいには実力を持っていると理解した上でのものだ。
「はあ? そんなのそいつらがたまたま弱いってだけのことじゃ───」
「───だから、神羅万象全ての存在を惚れさせるとまで謳われる少女の周りに集まってくるのが、なんで弱いやつだけなんだよ」
「───!」
「考えてもみろよ、レイカさんを良く思う連中なんてのは巨万といる。ただ街でちょっと有名な女の子くらいに思っているなら今すぐその考えは捨てろ。潜在的な人数だけで見れば数十万はくだらないんだ。それらの大半は彼女の生活圏の学生や社会人なんてのがほとんどだが、それだけの母数があれば中にはいるはずなんだよ」
男は、これまで絢瀬が見えていなかったものを種明かしするように、
「学生なんて軽く捻りつぶせる程の腕を持つ実力者、金や人脈で好き勝手出来る権力者、非合法な組織に属し非合法な手段を容赦なく振るえる者。こんなのもほんの一端。表じゃ事態を大きくしないために大人しくしてるってだけで、お前が見えない裏の世界じゃ、常にそんな奴らのレイカさんを巡る勢力争いが行われているんだよ」
語るその漆黒の瞳は、誰よりもその勢力争いに身を置いてきたということを示していた。
「レイカさんは確かに愛されているが、それらの原因は単に容姿や性格ってだけじゃない。彼女が特に行動を起こさなくてもあれだけの規模で物事が進むんだ。彼女の影響で動く人間はいくらでもいる。もし、誰かが彼女を自由に使えたら? もし彼女が有象無象に対してなんらかの命令を出すことがあったら? ……そう、彼女を自由に扱えることは大量の人間に指向性を与えることに繋がる。彼女はただの可憐な美少女ってだけじゃない、多くの人間を操るための操作機器としても利用価値があるってことさ」
「……あの子を、道具として使おうと企む奴がいるってことか?」
「彼女をそういう目的で欲する組織がいくつもある。そんな組織が何度も争いを生んできた。人があっさり死んじまうような戦場を何度もつくってな。今は組織同士が互いに牽制しあって膠着するように俺が仕向けているってだけで、問題はそんな簡単なことじゃない」
つまり、案内人というのは、裏で秘密裏に行われている争いを表にまで出てこないように働く調整役、言わばストッパーであったということだ。
「良くも悪くも、お前ら学生の喧嘩如きはどこの組織も気に留めちゃいない。勝手に潰しあって騒いでるだけのお気楽な子供の遊び程度の認識だろう。どこも敵対組織に手一杯で、誰かが彼女と親密になれるなんて微塵も考えちゃいない」
「───だから、実際に僕が彼女と仲良くなろうとするのを止めに来たって言うのか」
今はそういった連中が事態が軽く見ているだけで、絢瀬が一宮玲佳とより多くの関わりを持てば全体のバランスが崩れてしまうと、そうして起こる争いを未然に防ぐために。
「……お前が、お前如きが、レイカさんと仲良くだ? 勘違いしてんじゃねえよ色ボケ野郎」
空気が変わった。これまでの冷静な態度とは変わって、言葉にも、表情にも、隠し切れない怒気があふれ出ている。
「自惚れるなよ、お前なんかじゃレイカさんには届かない。親密な関係? 夢見てんなよ思春期。お前が無駄に有象無象の中から少し抜きん出てやがるせいで、余計な問題が起こるのが面倒ってだけだ。舞台にも上がれてない端役に特別性なんてねえんだよ」
「……、」
「重要なのは彼女の近くに誰かが居続けるってことだ。彼女の周りは常に流動的だ。誰かが彼女に挑んでは他の誰かにあっさりと潰され、それを人の数だけ繰り返す。だから、特別なんて生まれてこなかった。だからこそ、迷惑なんだよお前が。それをレイカさんがどうも思っていなくたって、それをどっかの組織が変に危険視してしまえば争いの火花は拡散する。お前如きのために、組織単位の闘争が起こるんだ」
男は吐き捨てるように言った。
「絢瀬世奈、お前が組織やなんやらの恨みを買おうがどうだっていい。だが、それが彼女の平穏を揺るがしかねないっていうなら俺は容赦なくお前を殺す」
息を吸って、男は一度だけ冷静さを取り戻して、
「だからここで誓え、彼女のことは諦めると。一宮玲佳から手を引くと」
ごくり、と絢瀬の喉が音を鳴らした。目の前に男に恐怖したから、ではない。これから起こることを想像して、それでも曲げずに意思を固めるために。
「───断る。彼女を道具扱いするような連中なんかのために、諦めてやるかよ」
迷うことなんてなかった。話の規模こそ大きいが、結局絢瀬がしていることはただの恋愛にすぎない。恋愛相手が明確に拒絶しているのならともかく、無関係な赤の他人が嫌な顔をするから関わってはいけませんなんて規則はない。仲良くなりたい一心で、好きな人に話しかけるくらいの機会は許されてもいいはずだ。
「そうか、残念だよ」
言葉と同時、案内人に動きがあった。
目の前の人間を明確な敵として捉えて、案内人はとてつもない速度で絢瀬へと迫る。
住宅街の空き地、カラスが鳴く夕暮れの中で、絢瀬と案内人の衝突が始まった。




