忍者
絢瀬は、その動きをきちんと目で追うことすら出来なかった。案内人が地面を蹴り、眼前へと迫るという単純な行為を、ただ突っ立って待つことしか出来なかった。
「うぐッ!」
咄嗟に持っていた学生鞄を放り捨て、案内人が振るった手を右手で受け止める。その手にはクナイが握られていた。絢瀬の右目のほんの二、三センチ先でぷるぷると震えている。案内人の手を抑える力を少しでも抜けば、クナイは絢瀬の眼球を容赦なく抉るだろう。
(風貌からなんとなく思っていたけど……)
「アンタ、忍者の末裔か何かかよ!」
「ハッ、忍者なんて呼称するには値しないさ。これは現代風にいくつものアレンジが盛り込まれているからな」
左手で反撃しようとするも遅く、宙で身体を捻るようにして繰り出された回し蹴りが、絢瀬の脇腹を強く打つ。
「ごあッ!」
十メートル近く後方へと跳んだ。地面に衝突し鈍い音を出しながら、絢瀬の肺中の空気が吐き出される。
「……くそっ」
立ち上がり態勢を整えようとするが、攻撃の手は止まず無慈悲に絢瀬を追い詰める。
前方からは無数の手裏剣が、回転しながら迫ってきている。
「ッ⁉」
回避するために真横へと転がるが、僅かに間に合わず一つの手裏剣が絢瀬の腕の肉を弾き飛ばした。痛みに顔をしかめるも、身体を止める時間はない。既に、先を読んだように案内人が目の前に立っている。
「───ッ、この! 舐めるなよ、案内人!」
そう言って、案内人の右の頬を正確に捉えて放たれた絢瀬の蹴りは、顔に届くことなく案内人の前腕で止められてしまう。
「この程度であの子に挑もうなんて、笑わせてくれるなよ」
呆れた顔で案内人が苦笑するが、
「───この程度って、どの程度だ!」
絢瀬は止められた足にそのまま力を込めて、前腕を無理やりに押して横なぎに吹っ飛ばす。
「───ッ! ほう……」
少し警戒心を強めた案内人が後方へと飛び退き距離を取る。
「力はあるようだが、所詮はそれだけだ‼」
続いて、案内人は手裏剣ではなく六本のクナイを放ってきた。一本一本が風を切り裂き尋常ではない速度で飛来するが、一度に放たれるのはせいぜい両の手からの二本。見極めれば躱せないことはない。躱しきり、距離を詰めるため地面を蹴る。しかし、
「な……ッ⁉」
案内人は接近する絢瀬の頭上へと跳び上がった。宙から手裏剣でも投げるつもりかもしれないが、それは同時に着地の際に隙を生む。愚策と考える絢瀬だが、絢瀬の視界に細い繊維状の何かが映った。
(これは、……紐⁉)
気付くのが遅かった。それは、投げられた六本のクナイの後ろの輪っかに結ばれた細い紐だった。当然、その先は頭上の案内人へと繋がっており、案内人の腕の振るい方によって自由に宙を切り裂く凶器と化す。
「死ね」
案内人が両腕を振るうと、六本のクナイが絢瀬を囲うようにして殺到した。まるで一本一本をサイコキネシスで操っているかのように、腕を振るうたびに何度も絢瀬の身体を切り付ける。急所を避けようと防御の姿勢を取る絢瀬だが、クナイは容赦なく絢瀬の肉を削いでいく。
もはや案内人の着地の瞬間に隙があったのは絢瀬の方だった。案内人は軽く絢瀬の頭を蹴り飛ばして悠々と着地する。絢瀬はその場で地面に伏し、
「散々切り付けやがって、……痛い…、だろうがッ!」
獰猛な表情で案内人の腹部に拳を叩きつける。体重も載せて思い切り振りぬくが感触が軽い。
「そんなに怒って物に当たるなよ。そいつは何の罪もない丸太だぞ」
身代わりの術、とでも呼べばいいのだろうか。絢瀬の拳は、案内人ではなく案内人とすり替わった丸太に直撃していた。嘲るように笑いながら、案内人は裏拳で絢瀬を吹っ飛ばす。
「ッつう……」
軽い裏拳でも威力が違う、これまでに攻撃をしてきた恋敵たちとはまるで異なる破壊力。一宮玲佳を巡る裏の世界での争い、それを経験する者としない者での大きな違い。
分かりやすい違いは殺意の有無だろう。これまでに戦った絢瀬の相手にも殺意のこもった攻撃はあった。ただしそれは、争いの中で思考や意識が一定値を越えたことで乗る偶然の感情だった。だが案内人は違う。繰り出される、一撃一撃が絢瀬の死へと繋げるためのコンボパーツにすぎない。感情が昂ってやりすぎた、なんて程度のものではなく、殺害という既定路線が予め組み込まれているのだ。
「……もう辞めておけ、これ以上は傷を増やすだけだ。───十分理解出来ただろ? 自分がどれだけ弱い人間なのか。表の人間が裏の世界に通用するわけがない。あの子は特殊すぎるんだ、あの子の周りはお前みたいな甘えが許される環境じゃないんだよ」
ゆっくりと、地面に倒れている絢瀬へと歩みを進める。一つの争いを終わらせるために、
「甘えが許されない……ねえ? アンタはそう言うけど、一番甘いのはアンタ自身なんじゃないのか?」
なおも絢瀬は立ち上がり、血が滲む身体を案内人へと向けて続ける。
「本当に僕という面倒ごとを潰しておきたかったのなら、僕がアンタに気付かず土管の裏で隠れてるところを不意打ちすればよかっただろ。でもそれをしなかったのは、アンタの甘えに他ならないんじゃないのか?」
「馬鹿が。初手で殺さなかったのは、お前が大人しく身を引ける人間という可能性を考慮したに過ぎない。お前が自己中心的な色ボケ野郎だと分かってたらとっくのとうに殺してたよ」
絢瀬と案内人の距離は、もう数メートルのところだ。
「……最後に確認事項として聞いてやるが、今ここで降参する気はないんだな?」
「ないね。いちいち聞くなよ。分かりきってるだろ」
変わらない返答に苛立った表情で、案内人は両手で二対のクナイを絢瀬へと放った。絢瀬世奈へのトドメの一撃を、
「───があッ!」
それは案内人の想像通り、絢瀬へと突き刺さった。
しかし身体ではなく、その両の掌へと。
(コイツ、両手でクナイを受け止めたッ⁉)
一瞬思考する案内人だが、途中で絢瀬の声が耳に入った。
「忍者なんて別に詳しくないけどさ、手裏剣やクナイを普通に投げたところでそれだけじゃ致命傷にはなりにくい。まあアンタの場合は力が強すぎて十分致命傷にもなり得るかもだけど。だから、ただ殺傷を目的とする忍者なんかは手裏剣やクナイに毒や神経薬でも塗るんだ。その手順を踏むだけで、たった一回血を流させれば勝ちが確定するんだから。でもアンタはそれすらしなかった、これが甘えじゃなくて何になる?」
「ほざけ!」
追撃を与えようとする案内人だが、先にその身体が宙に引っ張られた。
「な──ッ⁉」
絢瀬の掌に刺さる二本のクナイには、案内人が操る紐が付けられている。ならば、負傷覚悟でクナイさえ掴んでしまえば、紐の先の案内人をハンマー投げのように投げ飛ばすことが出来る。
「うおおおおおおおおおらあ!」
ドガーン! と空き地の積み上げられた土管へと案内人が叩き付けられ、積み上げられた土管を倒し崩れていく。
「ぐっ……、この、野郎……」
土管の残骸から案内人が立ち上がり、絢瀬を睨みつける。無論、絢瀬もこの程度で倒せるなんて思ってはいない。両手からクナイを引っこ抜いて、改めて案内人へと対峙する。
「その手、結構痛むだろ。流血覚悟の痛み分けとはな……。その根性だけなら買ってやってもいい……!」
「ばかばかクナイ投げてきたくせによく言うよ」
これ以上の手裏剣やクナイの投擲は効果が薄いと判断したのか、次の案内人の行動は単純で、クナイを手中に収めて真っすぐに駆けてきた。
「いい加減こっちも、そのスピードに目が慣れてきたところだ!」
絢瀬も反応して迷わずに距離を縮める。
二人が交錯し、クナイや蹴りが互いに振るわれる。案内人の素早い攻撃を躱し、絢瀬が蹴りを放つ。だが止まらない。もはや、案内人は回避は考えず最短手順で絢瀬を撃破しにきている。
「───はぁッ!」
いくつもの交差の末、案内人のクナイが先に絢瀬の腕を切り付けた。たまらず、攻撃を続けていた絢瀬が距離を取る。
(終わりだ!)
ダッ──、と跳ぶようにして距離を詰め、案内人はクナイを真横に構える。これに対して、絢瀬は放り投げていた学生鞄を拾いなおして身を守るように構えた。
「そんなもの盾にもならないぞ!」
鞄ごと切り裂いてしまおう、と案内人はそのまま横向きに切りつけた。
だが、絢瀬は鞄を切り裂こうとするその動きを見て、ニヤリと微笑んだ。
(───ッ⁉)
絢瀬の笑みを見て後悔するが、振るうクナイは止められずそのまま鞄を切り裂いた。
すると、案内人の目になんらかの液体がかかった。まるで、目潰しをするように。
「……おい、アンタ今日一日この僕を監視してたって言ったな。だったら見ていたはずだろ、変人がばら撒いたローションを僕が一人で片付けていたところを! 変人が置いていきやがったローションのボトルを僕が鞄に片付けるところを!」
鞄に入っていたローションのボトル、それを案内人は鞄ごと切り裂き、自分の視界を塞ぐ目潰しにしてしまったのだ。視界を失った案内人は、急いで目元を拭うが、
「うおおおおおおッ‼」
ドゴオッ‼ 右拳が顔面に突き刺さる鈍い音が空き地に響き、空き地前の道路まで案内人をぶっ飛ばした。




