第92話 棚の高さ
昼の光が店の窓から差し込む。
埃がゆっくりと舞い、木の棚に積まれた袋や瓶を照らしている。
店の中は静かだ。
市場の広場とは違い、ここでは声が低い。客は囁くように話し、値札を見て、少しだけ迷う。
マリノスは棚の前に立っていた。
腕を組み、顎を引き、客の動きを見ている。
「目は上に行く」
彼女は言う。
エメリクが隣に立つ。
「上?」
「人は最初に、目の高さを見る」
棚の中央には、大粒の麦袋が並んでいる。揃った色。美しい。値札は少し高い。
その下の段に、小粒の袋がある。形は不揃い。値は安い。
「売れるのはどっちだ」
エメリクが聞く。
「上よ」
「なぜ」
「きれいだから」
マリノスは即答した。
「客は味じゃなく、見た目で選ぶ」
エメリクは小粒の袋を持ち上げる。
「中身は同じだ」
「同じじゃない。見え方が違う」
クレアが奥から現れる。
「見え方が違えば、意味も違う」
彼女は小粒の袋を受け取る。
「粉にすれば同じよ」
マリノスが眉をひそめる。
「粉にしたら値は下がる」
「でも売れる」
「でも儲からない」
静かな衝突。
エメリクは棚の高さを測るように視線を動かす。
「一番下は」
「安いもの」
「なぜ」
「手を伸ばすのが面倒だから」
マリノスは当然のように答える。
客が一人入ってくる。
子どもを連れた母親だ。
彼女は中央の棚を見て、値札を見て、ためらい、そして下の棚を見る。
一瞬迷う。
そして中央を選ぶ。
クレアが小さく息を吐く。
「ほらね」
エメリクは母親の後ろ姿を見る。
「選んだのか、選ばされたのか」
マリノスが言う。
「棚は嘘をつかない」
「だが語らない」
エアリスがいつの間にか入り口に立っている。
「棚は黙っているけど、動いてる」
彼女は棚の並びを見つめる。
「中央が主役。下は保険。上は飾り」
クレアが棚を一つずらす。
「試してみましょうか」
小粒の袋を中央に移す。
大粒を一段下げる。
客は気づかない。
次の客が入る。
目は自然に中央へ。
手が伸びる。
小粒が売れる。
マリノスが唇を噛む。
「それはずるい」
「同じことよ」
クレアは言う。
「ずっとやってきたこと」
エメリクは棚に手を触れる。
木は滑らかだ。何度も磨かれている。
「価格は机で決まる」
エアリスが言う。
「でも価値は棚で決まる」
マリノスが腕を解く。
「安く出せば売れる」
「売れるが、残る」
クレアが答える。
「ロス」
店の奥に、売れ残りの箱が積まれている。
日が傾くと、そこへ移される。
「回している」
クレアが言う。
「畜産へ」
エメリクが振り向く。
「どのくらい」
「三割」
「多いな」
「でも腐らせるよりまし」
マリノスが低く言う。
「ロスは悪じゃない」
「ロスは設計だ」
エメリクは棚の高さをもう一度見る。
「棚を変えれば、畑が変わる」
エアリスが微笑む。
「棚は政治ですね」
マリノスは鼻で笑う。
「大げさ」
クレアは言う。
「大げさじゃない」
店の外で鐘が鳴る。
午後の合図。
エメリクは静かに言った。
「机で未来を削り、棚で身体を削る」
マリノスは問い返す。
「じゃあ、どうする」
エメリクは答えない。
代わりに、小粒の袋をもう一つ中央へ移した。
小さな音がする。
棚は語らない。
だが高さは、世界を動かす。
エアリスは炭筆を走らせた。
「値札の次は、棚の高さ」
店の外では、風が吹いている。
見えないが、確かに。




