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第75話 そばに立つという選択

癒院の裏庭は、昼でも静かだった。

石壁に囲まれ、風が抜けにくい。


エメリクは木箱を運んでいた。

中身は帳面と、少量の乾いた薬草。

どれも高価ではないが、使い道は多い。


「村長が、そんなことまでやるのね」


声は後ろからだった。

振り返ると、カペラがいた。

白衣の袖をまくり、腕に包帯を巻いている。


「手が足りていない」

「それ、理由になってない」


エメリクは木箱を地面に置いた。

「ここは、動きが遅い場所だ」

「癒院?」

「そう。だから、手を出しやすい」


カペラは一瞬、考えた。

「……本当に嫌われるわよ」

「もう嫌われている」


「違う。

“面倒な人”になる」


エメリクは苦笑した。

「それなら、慣れている」


カペラは視線を逸らし、石壁を見た。

「ねえ。

あなた、どうしてそこまでやるの」


「理由がいるか」

「いる。

私は、“理由が分からない人”にはついていかない」


その言葉は、試すようでもあり、

拒むようでもあった。


エメリクは少し考えた。

そして、正直に言った。


「……昔、誰も数えなかった側だった」

「数えなかった?」

「治っていないのに、“終わった”ことにされた」


カペラの目が、わずかに動く。


「その時、そばに誰もいなかった」

「……」

「だから今度は、

“そばに立つ側”になる」


沈黙が落ちる。(沈黙)


風が、裏庭をかすめた。


「……それ、損な役よ」

カペラが言った。

「立つだけで、解決しない」


「分かっている」

「じゃあ、どうするの」


「立ったまま、道を変える」


カペラは、思わず笑った。

短く、息を漏らすように。


「……ずるい言い方」

「何が」

「逃げ道がない」


彼女は包帯を締め直し、言った。

「私、今夜も夜勤」


「知っている」

「来る?」


「呼ばれなくても来る」


「……来なくていい、とは言わない」


その言葉は、

許可でも、拒否でもなかった。

居場所を空けるという合図だった。


その時、別の声がした。


「村長様」


振り返ると、若い女が立っていた。

書類を抱え、髪をきちんと結っている。

癒院の記録係だ。


「さっきの母子ですが……

あの子、学校でも“落ち着きがない”と」


「記録は?」

「“様子見”です」


エメリクは一瞬、目を閉じた。

そして、開く。


「“様子”は、誰が見る」

「……教師です」


「教師は、癒院に来るか」

「来ません」


「なら、

“誰も見ていない”と同じだ」


記録係の女は息を呑んだ。


「……村長様は、怖い人だと聞いていました」

「今もそう思うか」


女は首を振った。

「いいえ。

“見過ぎる人”だと」


カペラが、横で言った。

「それ、褒めてないわよ」


「知っている」


記録係の女は、意を決したように言った。

「……私、帳面を写します。

学校用に」


「名前は」

「リブラです」


エメリクは頷いた。

「頼む」


リブラは深く頭を下げ、去っていった。


カペラが小さく言う。

「……もう始まってるわね」


「何が」

「人が集まるやつ」


エメリクは空を見上げた。

薄い雲が流れている。


「集める気はない」

「集まるのよ。

そういう人のところに」


彼は答えなかった。


ただ、裏庭に残った二つの影が、

少しだけ近づいていた。


——

この村の村長は、

まだ何も得ていない。


だが、

そばに立つ人間が、増え始めていた。

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