第72話 通れなかったものの行き先
朝霧の中に、関所はあった。
石を積んだだけの簡素な門だが、
そこを境に、空気の匂いが変わる。
人の流れが細くなり、
物の流れが止まる。
エメリクは馬車を降りた。
荷台には、布に包まれた野菜の籠が積まれている。
形は悪い。
曲がり、割れ、色もまちまちだ。
だが、香りは生きている。
関所の男が一歩前に出た。
背は高く、痩せている。
鎧は着ていないが、剣だけはやけに立派だった。
「止まれ」
声は低く、乾いていた。
「通行証は?」
「村長代理、エメリクだ」
関守は一瞬だけ眉を動かした。
「名前ではなく、荷だ」
「野菜だ」
「見れば分かる」
男は籠を覗き込む。
一つ取り出し、指で転がした。
「これは通せない」
即答だった。
「理由は?」
「規格外だ」
エメリクは言葉を探さなかった。
もう、分かっていたからだ。
「味は?」
「関係ない」
「栄養は?」
「関係ない」
関守は籠を戻した。
「通すのは、“売れるもの”だけだ」
その言葉が、
この世界の仕組みを、あまりに正確に言い表していた。
関守の名はオズヴァルトといった。
かつては学問を志し、
今は関所に立つ男だ。
「ここを通るものはな」
オズヴァルトは言った。
「すべて“数”になる」
「数?」
「量、価格、税、帳簿」
「身体に入るかどうかは、関所の外の話だ」
エメリクは籠の野菜を見た。
「通らなかったものは?」
「戻る」
「戻った先で、どうなる?」
「……」
オズヴァルトは答えなかった。
戻された野菜は、
市場に出ない。
記録に残らない。
値段が付かない。
だから――
存在しなかったことになる。
「卵も同じか?」
「卵は通る」
「色が良ければ?」
「そうだ」
エメリクは、あの濃い色の卵を思い出した。
栄養ではなく、演出で選ばれたもの。
「魚は?」
「数が足りなければ、遠くから来る」
「地元の魚が減っても?」
「数字が合えばいい」
エメリクは、ゆっくり息を吐いた。
「つまりここは」
「“流れ”を整える場所だ」
オズヴァルトは、否定もしなかった。
関所を離れ、二人はしばらく並んで歩いた。
「なぜ、この役目を?」
エメリクが尋ねる。
「流れを見たかった」
「見て、どう思った?」
「……」
オズヴァルトは空を見上げた。
「人は、身体より帳簿を信じる」
「腹が減っても、数字が合えば安心する」
「だから――」
言葉が途切れる。
「だから、身体が壊れた時、原因が分からなくなる」
エメリクは、その言葉を胸に刻んだ。
低栄養の子ども。
力の入らない若者。
病気になりやすい身体。
それらは突然生まれたわけではない。
関所で、落とされてきた。
少しずつ。
毎日。
帰り道、ヴァルゴが言った。
「ねえ、エメリク」
「なんだ」
「あなたが今見ているものは、野菜の話じゃない」
「分かっている」
「“通れなかったもの”の話よ」
「……ああ」
通れなかった野菜。
通れなかった味。
通れなかった栄養。
通れなかった身体。
それらは、
学校へ行き、
給食を食べ、
病院へ行く。
だが原因は、
そこにはもう無い。
「ここが、源だ」
エメリクは言った。
「この関所が」
ヴァルゴは頷いた。
「ここで削られたものは、
後で“問題”として現れる」
夕暮れの光が、関所を赤く染めていた。
エメリクは振り返らなかった。
この章で語るべきことは、
すべて語った。




