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第69話「良いものほど、届かない」

市場は、朝から賑やかだった。


声。

木箱の音。

値を呼ぶ声。


だが、エメリクの目には、妙な静けさが見えていた。


「似ているな」


並ぶ野菜を見て、ぽつりと言う。


形。

色。

大きさ。


どれも揃っている。


「揃っていないと、困るんです」


市場の管理をしている男が言った。


「買う側が嫌がりますから」

「選ぶ手間が増える」


「味は?」


「味は……後です」


後。

いつから、味は後回しになったのか。


ヴァルゴの野菜は、端の方に置かれていた。


箱は小さく、数も少ない。

札には、手書きの文字。


値は――少し高い。


「売れていないな」


エメリクが言うと、ヴァルゴは肩をすくめた。


「予想通り」


「なぜ、値を下げない?」


「下げられない」


「理由は?」


「下げると、続かない」


それだけだった。


「試食は?」


「させていない」


「なぜ?」


ヴァルゴは、少しだけ視線を逸らした。


「一度、分かると」

「戻れなくなるから」


エメリクは、その意味を察した。


通りの反対側。


大きな店があった。


山のような野菜。

値札は低い。

人が群がっている。


「回転が命です」


店主が胸を張る。


「毎日、入れ替わります」

「余ったら、処分です」


「もったいないとは?」


「思いません」

「数字が合えば」


その言葉を聞いた瞬間、

エメリクの中で何かがはっきりした。


「この市場は、“売る場所”じゃない」

「“流す場所”だ」


ヴァルゴが、小さく頷いた。


「良いものは、流れにくい」

「流れにくいものは、邪魔になる」


「なぜ、契約しない?」


エメリクが問う。


「契約すれば、量が必要」

「量を出せば、やり方を変えろと言われる」


「誰に?」


「全部」


ヴァルゴは、指を折った。


「市場」

「運ぶ人」

「売る人」

「検める人」


「消費者は?」


「最後」

「一番、声が届かない」


エメリクは、前世を思い出していた。


鈴村陽一。

棚に並ぶ商品を、

“選んでいるつもり”で選ばされていた日々。


「これは自由じゃない」


呟くと、ヴァルゴが言った。


「選択肢が見えない自由は、自由じゃない」


昼過ぎ。


ヴァルゴの箱から、一本だけ野菜が消えた。


「売れた?」


「いえ」


ヴァルゴは首を振った。


「引かれました」


「誰に?」


「検め役」


「理由は?」


「形が不揃い」

「規格外」


エメリクは、思わず笑った。


「味は?」


「検めない」


それが答えだった。


夕方。


市場が静かになる。


売れ残った箱が、引きずられていく。


「戻すのか?」


「いいえ」

「処分です」


「食べられるのに?」


「ええ」

「でも、数字に合わない」


ヴァルゴは、空になった箱を見つめていた。


「私の畑は、嘘をつかない」

「でも、この場所は、正直じゃない」


エメリクは、静かに言った。


「良いものが届かない理由が分かった」


「なぜ?」


「途中で、何度も削られる」

「削られるたびに、“都合のいい形”になる」


ヴァルゴは、少しだけ笑った。


「だから、私の畑は」

「まだ、ここに来る時期じゃない」


「いつなら?」


「壊れてから」


その言葉は、軽くない。


帰り道。


エメリクは、帳面に書いた。


「量>質」

「速度>味」

「均一>生命」


その順番が、

人の身体を削っている。


「この章は、ここまでだ」


書記が言う。


「次は?」


エメリクは、遠くを見た。


「運ぶ道だ」

「良いものが、なぜ途中で変わるのか」


市場の外。

その先に、別の歪みが待っている。

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