第66話「六十六番目の席」
教室の後ろから、数える癖がある。
一列、二列、三列。
机の並び。
椅子の数。
六十六番目。
エメリクは、その席に座る子を見ていた。
痩せているわけではない。
だが、力が入っていない。
背筋が伸びず、視線が定まらず、
黒板を見ているようで、どこも見ていない。
「名前は?」
教師が答える。
「特に問題はありません」
「平均的です」
平均的。
その言葉が、いつから安心の印になったのか。
昼。
給食の時間。
白い液体が注がれる。
低脂肪の牛乳。
「全部飲みなさい」
教師の声が響く。
子どもは、黙って飲み干す。
脂肪は少ない。
味も薄い。
だが「健康的」とされている。
肉は、切り分けられた豚肉。
どれも同じ形、同じ色。
「これは?」
エメリクが調理係に尋ねる。
「三元豚です」
「一番、安定しています」
「味の違いは?」
「求められていません」
野菜は刻まれ、煮られ、色を失っている。
「栄養は?」
「基準は満たしています」
また、その言葉だ。
基準。
午後の授業。
六十六番目の席。
その子は、問題を前に手が止まっていた。
分からないのではない。
考えようとして、途中で切れている。
集中が、続かない。
「やる気を出しなさい」
教師が言う。
だが、エメリクには見えていた。
これは、意志の問題ではない。
「燃料が足りない」
呟くように言うと、隣にいた書記が小さく頷いた。
「脂肪が少ない」
「たんぱく質も、質が均一です」
「野菜は量だけで、力がない」
「力?」
「身体を作る力です」
牛乳の樽が、廊下に並んでいた。
刻印は、同じ印。
同じ牧場。
同じ飼料。
同じ脂肪率。
「なぜ、これだけに?」
エメリクが問う。
「安定しているからです」
「他は?」
「個体差があります」
「扱いにくい」
その言葉で、全てが繋がった。
差があるものは、排除される。
肉も。
野菜も。
そして――子どもも。
「均一な食事は、均一な身体を作る」
「均一な身体は、均一な思考を作る」
書記が、静かに言った。
「そして、そこから外れた者は――」
「問題児になる」
エメリクは、前世を思い出していた。
鈴村陽一。
集中できない。
眠い。
頭が回らない。
「努力が足りない」と言われ続けた日々。
だが、努力以前に、
身体が“戦える状態”ではなかった。
六十六という数。
帳面では、ただの番号。
だが、エメリクは知っていた。
人が「ここから先は見ない」と決める境目。
「仕方がない」
「皆、同じだ」
「これ以上は求めすぎだ」
そう言って、切り捨てる数字。
六十六番目の席の子は、
今日も静かに座っている。
誰にも叱られず、
誰にも期待されず。
「怪物は、どこにいると思う?」
エメリクが書記に問う。
「……教会ですか?」
「違う」
首を振る。
「怪物は、思想だ」
「平均であればよい」
「均一であれば安全」
その考えが、
子どもから未来を奪っている。
牛は、同じ餌を食べ、
同じ乳を出す。
豚は、同じ系統で揃えられ、
同じ肉になる。
そして子どもも、
同じ食事で、同じ型にされる。
「だが、人は家畜じゃない」
エメリクは、はっきりと言った。
六十六番目の席の子が、ふと顔を上げた。
視線が、一瞬だけ合う。
その目には、まだ光があった。
「ここまでだ」
エメリクは、帳面を閉じた。
「この章は、終わりだ」
「次は――」
「食べ物を作る側、ですね」
書記が続ける。
「そうだ」
低栄養は、偶然ではない。
均一化は、善意でもない。
それは、選ばれた結果だ。
そして、
その選択を変えない限り、
六十六番目の席は、永遠に空白のままだ。




