第63話「運ばれてきたもの、運ばれなかったもの」
荷車が止まった。
給食室の裏手、土の固まった通路で、車輪が小さくきしむ。
袋が下ろされ、木箱が積まれ、帳面に印が打たれる。
エメリクは、その一連を少し離れた場所から見ていた。
「毎日、これだけが届く」
荷受けの男が言った。
「同じ道、同じ時刻、同じ量です」
「遅れたことは?」
「嵐の時だけですね。あとは――」
男は言葉を探した。
「来ないより、安い方が選ばれます」
箱の中身を開く。
乾いた豆。
保存の効く粉。
脂の抜けた肉片。
腐ってはいない。
だが、瑞々しさもない。
「この食材は、どこから?」
「遠方です。川を越え、関所を通り、市を二つ抜けて」
「近くの畑は?」
男は肩をすくめた。
「値が合いません」
その一言で、全てが説明されていた。
――安いものが、遠くから来る。
――近いものは、高くつく。
エメリクは、その構図に既視感を覚えた。
かつて、別の名で生きていた頃。
鈴村陽一と呼ばれていた時代。
昼休み、机の上に並ぶ弁当を見て、同じ違和感を覚えていた。
「腹は膨れる」
「でも、午後になると頭が止まる」
原因は分からなかった。
だが、周囲はこう言った。
――眠いのは努力不足
――集中できないのは性格
――できる子は、ちゃんとできている
鈴村は、できない側だった。
だから、食べ物のせいだとは誰も考えなかった。
「足りないのは、本人の問題」
その言葉で、すべてが片付けられていた。
「この道、長いですね」
書記が言った。
「はい」
エメリクは、荷車の轍を目で追った。
「遠くから運べば、途中で削られる」
「量も、質も、時間も」
「でも、帳簿上は問題ありません」
「そこだ」
エメリクは立ち止まった。
「帳簿には、到着した“物”しか載らない」
「途中で失われた“力”は、記録されない」
栄養。
鮮度。
土地の気配。
それらは数字にならない。
「数字にならないものから、真っ先に削られる」
それは、どの時代でも同じだった。
「では、どうすれば?」
書記が尋ねる。
エメリクは即答しなかった。
代わりに、荷車の底に溜まった泥を見た。
「まずは、運ぶ距離を疑う」
「次に、誰が得をしているかを見る」
「市、ですか?」
「市だけじゃない」
エメリクは、遠くに見える街道を指した。
「道を管理する者」
「関所を持つ者」
「値を決める者」
そして、最後に付け加える。
「“安さ”という言葉を、正義だと思わせた者」
給食室の鐘が鳴る。
次の食事の準備が始まる合図だった。
「この章は、食べ物の話だ」
エメリクは、そう言った。
「だが、次は――」
「運び方の話になる」
鈴村だった頃、
“なぜ分からなかったのか”を問い続けていた時間。
エメリクになった今、
“なぜ分からないままにされているのか”が、少しずつ見えてきていた。
足りないのは、努力ではない。
足りないのは、道の構造だ。
そしてその道は、
市場へと続いている。




