第62話「足りない理由は、空腹ではない」
配膳が終わったあとも、子どもたちは席に残っていた。
皿の上には、まだ食べ物がある。だが、誰も箸を動かさない。
「もう、いいのか?」
エメリクが声をかけると、前の席の少年が首を振った。
「お腹はいっぱいです」
その言い方は正確だった。
腹は満たされている。だが、身体は満ちていない。
汁気の少ない煮物。
色の薄い芋。
粉を固めたような主食。
量はある。
だが、噛んでも力が入らない。
「午後、眠くなる子が多いと聞いた」
給食室の奥で、帳簿を抱えた女が答えた。
栄養を担当する者だった。
「はい。食後一刻ほどで、ほとんどが静かになります」
「静か、というのは?」
「起きてはいます。でも、反応が遅くなります」
エメリクは、帳簿を覗いた。
そこには数字が並んでいる。
炭水。
炭水。
炭水。
「蛋白は?」
「基準は満たしています」
「基準とは、誰の?」
女は一瞬、言葉に詰まった。
「……都の定めです」
基準。
それは「最低限」の線だった。
「この基準は、“動かない子ども”を想定しているな」
女は否定しなかった。
「畑仕事をする大人と同じ食事では、余る」
「だが、学ぶ子どもは、身体を使っていないようで――頭を使っている」
女は小さく息を吸った。
「頭は、最も燃費の悪い臓器です」
エメリクは、その言葉を繰り返した。
「燃費が悪いのに、燃料が軽すぎる」
食堂に戻ると、数人の子が机に突っ伏していた。
眠ってはいない。
だが、目は遠い。
「字が、頭に入らないんです」
別の子が言った。
「先生が言ってることが、途中で消えます」
エメリクは、しゃがみ込んで目線を合わせた。
「難しいからか?」
「分かりません」
「昨日は?」
「昨日も、同じです」
能力の問題ではない。
意欲の問題でもない。
材料の問題だ。
満腹でも、栄養失調。
それは矛盾ではなかった。
「食べた気になるように作られている」
「だが、身体は納得していない」
給食室の外で、別の声が聞こえた。
「でも、安く抑えないと続きません」
言い訳ではない。
現実だった。
エメリクは、壁に掛けられた献立表を見た。
「続けるために、伸びない食事を出す」
「伸びない身体が増える」
「伸びない子が、伸びない大人になる」
その循環が、静かに回っていた。
「これは怠慢ではない」
「だが、無自覚な選択だ」
エメリクは帳簿を閉じた。
「食べ物は、腹を満たすためだけにあるんじゃない」
「判断力を作るためにある」
「踏ん張る力を作るためにある」
誰も反論しなかった。
だが、誰も答えを持っていなかった。
「次は、食材の来た道を見よう」
エメリクはそう言って、給食室を出た。
足りないのは、量ではない。
足りないのは、考える力を支える栄養だった。
そしてそれは、
この部屋だけの問題ではなかった。




