第57話 できる子と、できない子は、こうして作られる
朝の鐘が鳴る。
子どもたちは、ほぼ同じ速度で教室に入っていく。
同じ服、同じ机、同じ黒板。
だが、同じではないものが一つある。
——期待だ。
「この子は、できる」
担任は、無意識に線を引く。
最初の小テスト。
手を挙げる早さ。
返事の声の大きさ。
それだけで、頭の中に分類表ができる。
できる子。
普通の子。
手のかかる子。
エメリクは、教室の後ろからそれを見ていた。
期待が、結果を作る
担任は「できる子」にこう接する。
「いい質問だね」
「そこまで考えたか」
「次も頼むぞ」
声の調子が違う。
視線が違う。
待つ時間が長い。
一方、「できない」と判断された子には、
「それは前にやっただろう」
「ちゃんと聞いていた?」
「後でまとめて聞きなさい」
言葉は正しい。
だが、温度がない。
自己成就の罠
エメリクは、医師の言葉を思い出した。
「この患者は、良くならないタイプです」
そう言われた瞬間、
医師も、看護師も、薬剤師も、
“回復を想定しなくなる”。
学校でも同じだ。
教師が「できる」と思えば、
子どもは伸びる。
教師が「できない」と思えば、
子どもは、その通りになる。
——それは能力ではない。
環境が作った結果だ。
若い教師の沈黙
休み時間。
若手教師が、エメリクに声をかけた。
「……あの」
周囲を気にしながら、小さく言う。
「気づいています」
「でも、何も言えません」
「言えば、“甘い”と切り捨てられます」
「評価が下がり、担任を外されます」
病院と同じだ。
使命感だけでは、生き残れない。
世襲という見えない壁
教頭の席は、代々同じ家の人間が座ってきた。
名簿を見れば分かる。
同じ姓。
同じ縁戚。
能力の有無は、関係ない。
「伝統」という言葉で、
全てが正当化される。
エメリクは、帳面を閉じた。
——これは教育ではない。
人事の自己防衛だ。
子どもが学ぶのは、知識ではない
ここで子どもたちが学ぶのは、
正解を探す癖
空気を読む技術
上の顔色を見る方法
考えることではない。
従うことだ。
そして、誰も責任を取らない
成績が落ちれば、子どもの努力不足。
進路が閉ざされれば、家庭環境。
教師は言う。
「できる子は、ちゃんと育っています」
——残った子は、
存在しないものとして扱われる。
エメリクの確信
エメリクは、教室を出ながら思った。
これは悪意ではない。
もっと厄介なものだ。
善意と正しさで固められた、構造的な暴力。
病院で、
学校で、
同じことが起きている。
「治らない」
「分からない」
そう言われ続けた者は、
やがて自分を諦める。
次に壊れるもの
校庭の端で、子どもが倒れた。
顔色が悪い。
足元がふらついている。
教師が言う。
「朝ごはん、食べてきた?」
子どもは首を振った。
エメリクは、確信した。
——次は食だ。
学べない理由は、
頭だけの問題ではない。
腹の中が、空っぽなのだ。




