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第52話 秩序を乱す者の名

(昼の鐘。音が短く、強い)

(癒院の空気が一段、重くなる)


診療の列が再編されてから、半日が経っていた。

混乱はあった。

怒声も、涙もあった。


だが――止まらなかった。


治療は続き、

人は運ばれ、

記録は積み上がった。


エメリクは執務室に戻り、帳面を閉じた。

閉じた、というより「一度止めた」。


「来ました」


扉の外から、低い声。


「通せ」


入ってきたのは、癒殿の使者だった。

黒い外套。

胸元には、宗派の紋。


「突然の面会をお許しください」


「許可は出していない」


「承知の上です」


使者は一歩も引かない。

慣れている立ち方だ。

ここが王立の施設であることを、忘れていない。


「本日、癒院で行われた処置について」


「列の分離のことか」


「はい」


即答だった。

回りくどさはない。


「癒殿としては、重大な問題と捉えています」


「どこが」


「秩序を乱しました」


エメリクは、視線を帳面から外さない。


「秩序とは」


「長年守られてきた手順です」


「誰が決めた」


「神意に基づき――」


「誰が書いた」


使者の言葉が、初めて詰まった。


「……通達です」


「誰の」


「……大聖堂の」


エメリクは、そこで帳面を閉じた。


音が、室内に響く。


「その通達は、王立癒院の規定より上か」


「同等です」


「では聞く」


エメリクは顔を上げた。


「王の施し金で建てられたこの院で、王の定めた規定より、どこかの通達が優先される理由は」


使者は、一瞬だけ目を伏せた。


「民の心を守るためです」


「列を歪めてか」


「信仰を尊重することは、民の安定に繋がります」


「安定とは、誰にとってだ」


沈黙。


使者は、ゆっくりと言った。


「癒殿は、混乱を望みません」


「だが、現実は混乱している」


「見せない努力をしてきました」


エメリクは頷いた。


「努力は認める」


使者の目が揺れた。


「ですが、今日のやり方は」


「見せた」


「はい」


「それが問題か」


「問題です」


「なぜ」


「信仰は、見せすぎると壊れます」


エメリクは、少しだけ笑った。


「壊れるのは、信仰じゃない」


「……」


「物語だ」


使者の背筋が、わずかに硬くなる。


「あなた方は、“選ばれている”という物語を配っている」


「神の加護は――」


「札だ」


言葉が、空気を切った。


「紙一枚で列を動かす」


「それが――」


「癒しではない」


使者は、ついに声を荒げた。


「では聞きますが!

 札をなくせば、誰が治療の順を決めるのです!」


「体だ」


即答だった。


「痛みの深さ」

「呼吸の荒さ」

「立てるかどうか」


「それは、主観です」


「だから、記録する」


「誤差が出ます」


「誤差は修正できる」


エメリクは立ち上がった。


「だが、物語は修正できない」


使者は一歩下がった。


「あなたは、危険です」


「何にとって」


「この均衡に」


「均衡とは、静止だ」


エメリクは、机の上の水瓶に目をやった。


水面は、静かだった。

動いていない。


「水は、止まれば澱む」


「……」


「動かせば、音が出る」


「音は、争いを呼ぶ」


「争いは、選択を生む」


使者は、深く息を吸った。


「正式に申し立てます」


「受ける」


「王都へ報告します」


「どうぞ」


「あなたの名を添えて」


エメリクは、迷わなかった。


「書け」


「……後悔なさらぬよう」


「後悔は、黙っていた時にする」


使者は、踵を返した。

外套が揺れ、扉が閉まる。


(重い音)


室内に、静寂が戻った。


書記が、震える声で言った。


「……大事になります」


「もう、なっている」


エメリクは水瓶に触れた。


少し揺らす。

水面が波立つ。


「動かした以上、戻らない」


「敵が増えます」


「味方も増える」


書記は、首を傾げた。


「どこに」


エメリクは、窓の外を見た。


列に並ぶ人々。

重症の列。

軽症の列。


混乱の中でも、進んでいる。


「ここだ」


誰かが、治療を受けている。

誰かが、助かっている。


それで十分だった。


鐘が鳴った。

今度は、短くない。


癒院の中で、

秩序は壊れず、形を変え始めていた。

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