第48話 注がれた水の行き先
翌朝、礼拝堂の扉はいつも通り開いていた。
人の出入りも、祈りの姿勢も、前日と変わらない。
誰もが膝をつき、頭を垂れ、何かを願う。
エメリクはその様子を、今日は正面から見ていた。
「昨日より、多いか」
隣に立つのは同じ書記だ。
彼は昨日と同じ帳面を抱えている。
「はい。癒殿の列が伸びています」
「王立癒院の方は?」
「……減っています」
一瞬の沈黙。
それだけで十分だった。
「理由は」
書記は、帳面を開いたまま答える。
「癒殿では、祈りのあとすぐに癒術が受けられます」
「癒院では、順番を待ちます」
「順番は?」
「重症からです」
「癒殿は」
「信仰の深い者からです」
違いは、それだけだった。
だが、その「だけ」が、人を動かす。
エメリクは歩き出した。
礼拝堂を抜け、癒殿の回廊へ。
白い石の床。
磨かれた柱。
香の匂い。
癒殿は、いつ見ても整っている。
「施し証を」
癒術師の声が聞こえた。
差し出された紙を、別の者が受け取る。
その場で、別の紙に差し替えられる。
「……」
エメリクは立ち止まらなかった。
声もかけない。
ただ、その流れを見る。
一方、王立癒院。
壁は古い。
床も軋む。
だが、癒術は同じだった。
手つきも、言葉も。
違うのは――数。
癒術師の数。
書記の数。
そして、帳簿の厚み。
「こちらは、常に赤字です」
院長は淡々と言った。
「癒殿は?」
「……聞いています」
聞いている、という言葉が、すべてだった。
戻り道、エメリクは瓶を思い出していた。
祈りは流れる。
水のように。
だが、器は限られている。
どこかで溢れれば、
どこかが干上がる。
「祈りが悪いわけではない」
誰に向けた言葉でもない。
「だが、流れを変えなければ、器が割れる」
屋敷に戻ると、机の上に新しい帳面が置かれていた。
封は、すでに切られている。
中身は、癒殿の支出報告。
数字は整っていた。
綺麗すぎるほどに。
エメリクは、そっと帳面を閉じた。
「……次は、ここだな」
祈りを止める気はない。
信仰を壊す気もない。
だが――
数えられないものを盾に、数えられるものを隠すやり方は、終わらせる。
鐘が鳴る。
人は集まり、
祈りは続く。
その下で、
器の底に溜まった水が、静かに重さを増していた。




