第45話 家に帰る線
夕方、王立癒院の裏口は静かだった。
人の出入りが少ない時間。
仕事が一区切りつく頃合い。
「……今日は、ここまでだ」
外科医が手を拭きながら言った。
「夜番は?」
「私が残る」
「またか」
「慣れた」
それだけの会話。
エメリクは、門の外へ出る人影を見ていた。
白衣を脱いだ癒術師たちが、家路につく。
「……あの子は?」
一人の少年が、門の脇に立っている。
背は低く、服は擦り切れているが、
癒院の中をよく知っている様子だ。
「医師の子だ」
薬剤師が小声で言った。
「父親は内科。
母親も、以前はここにいた」
「以前は?」
「今は、癒殿だ」
少年は中へ入ろうとしない。
門の外で、じっと待っている。
「迎えは来ないのか」
「来ない」
「なぜ」
「向こうの方が、都合がいいからだ」
エメリクは、胸の奥がわずかに重くなるのを感じた。
少年が近づいてくる。
「……あの」
声は小さい。
「父は、まだですか」
「まだだ」
「分かりました」
それだけ言って、また門の脇に戻る。
「癒殿には、連れていかれないのか」
「向こうでは、
“施しの匂いがつく”と言われたそうだ」
「匂い?」
「王立癒院の子は、
甘やかされていると」
エメリクは唇を噛んだ。
「ここは、甘やかしではない」
「だが、そう語られている」
そのとき、内科医が出てきた。
「……待ってたのか」
少年は頷く。
「行こう」
二人は歩き出す。
背中を見送りながら、エメリクは気づく。
「……線が、家まで来ている」
「来ている」
薬剤師も頷いた。
「仕事だけじゃない。
子どもにも、引かれている」
夜、教会領では別の光景があった。
食卓を囲む家族。
白い布、整った食器。
「今日の説法、聞いた?」
「聞いた」
「秩序の話」
「正しいと思う?」
「……分からない」
子どもが言う。
「癒院の子が、泣いてた」
「見てはいけない」
母親が言う。
「混乱する」
「でも」
「線の内にいなさい」
その言葉で、会話は終わる。
エメリクは癒院の廊下を歩いていた。
灯は、少しずつ減っている。
「……線は、人を守るためにある」
彼は独り言のように言う。
「だが、
家まで切り分けるものじゃない」
帳簿を開く。
供給。
外科。
内科。
そして、まだ書かれていない頁。
「……次は、ここだな」
何を書くかは、まだ決めていない。
だが、
書かねばならないものがあることだけは、
はっきりしていた。




