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第36話 残った銅貨、消えた名

祈念の催しが始まると、教会領は別の顔を見せた。


鐘が鳴り、香が焚かれ、人の流れが一定の方向へと導かれる。

足音は揃い、声は低く、笑いは抑えられている。


「ここへ」


「次の列だ」


「証を見せて」


名簿と札が行き交う。


エメリクは端に立ち、全体を見ていた。


屋台は少ない。

数も、種類も、厳選されている。


「売れますね」


焼き菓子を並べた女が、小さく言った。


「信徒は迷わない」


「値も見ない」


「信の代だ」


銅貨が置かれる。

一枚、二枚。

確かに減らない。


一方、布の外。


祈りの列から外れた場所に、人が集まっている。

手伝いを終えた者たちだ。


「……今日は、これだけか」


年配の男が掌の上を見つめる。


「施しは?」


「炊き出しは夕刻だ」


「それまで、何を」


答えはない。


水路のそばで、若い女が座り込んでいた。


「一日立って、これ」


銅貨は一枚。


「名は残るか」


「残らない」


「次も呼ばれる?」


「分からない」


その言葉が、全てだった。


教会の内側では、帳が締められていた。


「予想以上だ」


「寄進が増えている」


「施し分は?」


「王都からの分で補填する」


数字は静かに揃えられていく。


エメリクは、そこにヨハンがいるのを見つけた。


「満足か」


「秩序は保たれた」


「誰の秩序だ」


「信を持つ者の」


「働いた者は?」


ヨハンは少し間を置いた。


「名を求めるなら、ここではない」


「名がなければ、次がない」


「次を求めるから、迷う」


エメリクは首を振った。


「迷っているのは、構造だ」


ヨハンは答えなかった。


夕刻、炊き出しが始まった。


器に注がれるのは、薄い粥。


列は長いが、進みは遅い。


「昼の売り場は、あっちだったな」


誰かが言う。


「近づけなかった」


「証がなかった」


「証があれば、違ったか」


沈黙。


エメリクは列の端で立ち止まった。


「今日、何が残った」


老人が答える。


「銅貨は、向こうに」


「名は?」


「残らん」


「力は?」


「使われて、終わりだ」


エメリクは空を見る。


煙が流れ、星が一つ、見え始めていた。


「……風は、流れただけか」


誰も答えなかった。


その夜、教会領は静かだった。


だが、静けさの下で、

確かに何かが削られていた。

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