第31話 風の商いは、誰の腹を満たすのか
朝の霧がまだ村道に残っているころ、荷車の軋む音が聞こえた。
「来たな」
門番がそう呟くより早く、色とりどりの布を被せた荷車が一台、また一台と村の広場へ入ってくる。
革袋、木箱、布包み。中身はまだ分からないが、遠くからでも“旅の匂い”がした。
「今月も催しか」
「先月もやったばかりだぞ」
畑へ向かう農夫たちが足を止め、荷車を眺める。
好奇の目と、うんざりした目が半分ずつ混じっていた。
広場の端で、その様子を見ている青年がいた。
村長の次男、エメリクだった。
「数は、前より多いな」
隣で帳面を抱えた役人が頷く。
「ギルドからは“例年通り”との話でしたが……実際は増えてますね。
芸人が三組、露店が八つ。前回は五つでした」
「増えた分、村の金はどう動く?」
役人は少し言葉に詰まり、正直に答えた。
「……村に落ちる銅貨は、ほとんど増えません。
場所代と通行税は一定ですから」
エメリクは広場を見渡した。
干し肉を焼く炉、甘い香りの菓子鍋、派手な衣装の曲芸師。
「じゃあ、誰が儲かる?」
「旅の者たち、ですね」
「だろうな」
そのとき、広場の反対側から声が飛んだ。
「またこんな者たちを入れたのか」
静かだが、よく通る声だった。
教会領の管理を任されている兄、ヨハンが立っていた。
「村の水路は今月も修繕が要る。
それなのに、騒音と無秩序を呼び込む理由が分からない」
「理由は単純だよ」
エメリクは視線を外さずに答える。
「彼らは風のような職だ。
留まらないが、流れを運ぶ」
「流れ?」
ヨハンは鼻で笑った。
「流れるのは浪費と怠惰だ。
畑を耕さぬ者、工房を持たぬ者が、なぜ銅貨を手にする?」
「畑を持たないからだ」
「だから穢れている」
その言葉に、近くにいた役人が思わず肩をすくめた。
エメリクは一歩、兄の方へ近づいた。
「兄上。
あの菓子屋の粉は、どこから来ていると思う?」
「知らん」
「村の西の麦だ。
肉は東の牧場、木皿は南の工房。
彼らは“使っている”」
ヨハンは一瞬だけ黙った。
「だが、金は外へ流れる」
「全部じゃない」
エメリクは帳面を開いた。
「場所代、通行税、教会領使用料。
それに、宿と水と薪。
少ないが、確実に残る」
「その“少ない”が問題だ」
ヨハンの声が低くなる。
「人を集めれば良いという考え方は危うい。
数字だけが踊り、村は疲れる」
「疲れているのは、段取りがないからだ」
「何だと?」
「催しを開くなら、
誰が黒字で、誰が赤字かを見なきゃいけない」
エメリクは広場を指した。
「旅の芸人が稼げないなら、次は来ない。
村の職人が赤字なら、恨みが残る。
教会だけが潤うなら、歪みが溜まる」
ヨハンは眉をひそめた。
「だからと言って、彼らを肯定する理由にはならない」
「否定する理由にもならない」
二人の間に、風が吹き抜けた。
広場の旗がはためき、曲芸師の笑い声が上がる。
「兄上」
エメリクは静かに言った。
「俺は、風を止めたいんじゃない。
風がどこを通るかを、決めたいだけだ」
ヨハンは答えなかった。
ただ、教会領の方角を一度だけ見やり、背を向けた。
広場では、太鼓が鳴り始めていた。
村に、また一つ、風が入った朝だった。




