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こんな話を知ってるかい?

 ――ペチャ……ピチャ


 寝苦しい……。


 ――はぁ……ん、はぁ……くちゃ、くちゃ……ペチャ……


 息苦しい……。顔が濡れてる……? いや舐められてるのか……?


 ――んふー、くちゃくちゃ、ふー、ペチャペチャ、はふ


 だんだん意識が覚醒してくる。暗いな……まだ夜なのかな? いや目の前に誰かいる? 誰だ? いったい……


「ぶるるる」

「ていうか顔クサ! なにこれクッサ!」


 ――ペチャペチャ、フンフン


「やめて! これ以上舐めるのやめて! これ以上俺を穢さないで!」


 朝から強制ペロペロプレイ!? 相手が馬じゃなければ歓迎だったよ!


「おう、起きたか兄ちゃん」


 馬の横からバルバトスのおっさんが顔を出す。にやにやとした顔でこっちを見てくる。寝ぼけた頭で馬がおっさんだったらと想像してさらに気分が悪くなった。

 相手がエルだったらに前言変更しよう。


「朝っぱらから盛りすぎじゃねぇか? 見てるこっちが恥ずかしいぜ」

「恥ずかしいのはおっさんの頭の中じゃね!?」

「しかしまさかこの馬も参戦するとは……四角関係になっちまったな!」

「まだそれ引っ張ってたのかよ! てーか馬をまぜるなよ!」

「まさに対抗馬現るってことだな!」

「うまくねーし! そのドヤ顔がすげー頭にくる!」


 さてはこのおっさん見張りしてて寝てないから徹夜明けのテンションで接してきてやがるな……。おかげで完全に目が覚めたぜ。

 ヒュー、と言いながら嬉しそうに指をさしてくるおっさん。うざいからさっさと眠らせてしまおう。


「……うるさいのじゃ、陽介……。ツッコミは一日五回までと約束したじゃろう……」

「してねーよ! そんな約束!」


 よしんばしてたとしても今日はまだ四回目だね! セーフだね!

 それだけ言うとエルはまた眠り始めた。なんか悔しいからそのかわいい寝顔をペロペロしちゃうぞ!


「ぶるるる、ぺちゃぺちゃ」

「お前はもう舐めるのやめろ!」


 この馬はいったい俺に何を求めてやがる! 擬人化して可愛い女の子にならないかぎり相手になんてしてあげないんだからね!


「水が飲みたいんじゃねぇか? そいつ」


 そういえばこの辺に水場はなかった。言われてみれば寝る前に魔道具を使って少し用意してただけなので喉が渇いたのかもしれない。


「バルバトスさんがあげてくれてもいいじゃないですか」

「おいおい、魔道具は兄ちゃんの荷物の中にしまっただろうが。さすがにそれを漁るのは護衛のプライドが許さねぇぜ」


 そういえばそうだった。何かあったらいつでも逃げられるように荷物をまとめていたんだった。


「それと兄ちゃん、塩もやっといたほうがいいぜ。たぶん兄ちゃんの顔に浮かんだ塩分を舐めとってたと思うからよ」


 そういうことだったのか? その割には執拗に舐めてきたしエルは舐められてないし……。この馬絶対俺に惚れてるぜ……。

 とりあえず顔の臭いに耐えられないのでさっさと洗いたい。俺は水の魔道具を取り出し魔石をセットする。魔道具からこんこんと水が湧き上がりくぼみに水たまりができる。

 さっそく顔を洗っていると馬がやってきて水を飲み始めた。バルバトスのおっさんの言うこともあてになるものだと感心してしまう。

 それならばと手に塩をのせて馬に差し出すとペロペロと舐めた。さすが長年傭兵をしているおっさんだけあって馬にも詳しいようだ。

 しかし馬は手を舐め終わるとまた俺の顔を舐め始めた。避けようとしたが避けられずになすが儘にされてしまう。やっぱりこいつは俺に惚れているようだ。


「兄ちゃん、こんな話を知ってるかい?」


 いきなり神妙な顔をしたバルバトスのおっさんが話しかけてきた。


「俺も人から聞いた話なんだがよ」


 もしかして昨日おっさんが言うのを濁したことだろうか。それならば真剣に聞かねばならない。


「だから本当かどうかはわからねぇんだが、馬っていうのは自分より弱い仲間をやたら構う習性があるらしいぜ」


 いーや違うね。俺に惚れてるからだもんね。認めないもんね。あれ? おかしいな……魔道具を止めたはずなのに地面に水たまりができてるぞ……。


 改めて魔道具を発動させ顔をさっぱりして周りを見ると野犬やゴブリンらしき死体が転がっている。熟睡していて気づかなかったがどうやら襲われていたようだ。まるで何事もなかったかのように振る舞うバルバトスのおっさんはやはりプロの傭兵なのだろう。

 エルはさっぱり起きないので馬車を走らせながら朝食をとることにした。昨日の夜と代わり映えのしない干し肉とパンのみだったが噛みしめながら食べる。

 バルバトスのおっさんはすでに馬車の中で眠りについている。一晩経って昨日感じていたガチガチの緊張感が嘘のようにとれているのがわかる。もしかしたらバルバトスのおっさんは俺を気遣ってわざとあんなふうに振る舞ってくれたのかもしれない。

 ちらっと馬車の中を見るといかつい顔を少し険しくしながら寝ているおっさんが見えた。しかし急にいやらしくにやにやしだしたのでたぶんどうしようもない夢を見始めたのだろう。エルは中身がお子様だからかさっぱり目覚めない。子供は睡眠が大事だがエルの場合は肝がでかすぎるだけの気もする。


 周りに気を払いながら馬車を走らせていく。何台かの商人らしき馬車を追い抜いたり、すれ違ったりしたが特にトラブルは起こらなかった。四時間ほど走らせ、なだらかな丘を越えると遠くに砦が見えた。地図によればフェルス砦という名前でトウザキ伯爵の治める領地に入る目印のようだ。

 トウザキ……東崎だろうか? 先祖が異界人だったことは間違いないだろう。以前アイーシャさんが言っていたが異界人自体が領地持ちの貴族になるのは滅多にないらしい。大体は一代限りの貴族となったり、どこかの貴族に婿入り嫁入りをするそうだ。ここ二百年は戦乱が激しいわけでもないので功績が挙げられないというのが一番の理由だろう。そう考えればトウザキ伯爵家は歴史が深いはずだ。ならばすでに初代トウザキ伯爵など死んで相当月日が経っているだろう。もし領内で捕まった時、異界人繋がりで便宜を図ってもらえればなんていう甘い考えを捨てた。

 砦から三キロほど手前で止まり二人を起こす。砦で止められた時のためにエルの認識阻害の魔道具を発動させておかなければならない。バルバトスのおっさんには万一に備えて警戒していてもらう。


「んー、よく寝たのじゃ。おはようなのじゃ」

「おはようエル」


 もう昼前になるけどな。


「何事もなく順調に進んでるみたいだな」

「ええ、これから関所を通るからエルは魔道具を使う準備を、バルバトスさんは交代をお願いします」

「わかったのじゃ」

「よっしゃまかせな」


 バルバトスのおっさんと御者を交代して馬車の中に入る。すぐに走り出し関所に近づいていく。王都を出るときにすさまじい威力を発揮した身分証が役に立つとは思うが、万一を考えバルバトスのおっさんに任せることにした。


「陽介お腹すいたのじゃ。ごはん食べたいのじゃ」

「はいはい」


 起きてすぐご飯を要求するエルに干し肉とパンを取り出して渡す。物足りなそうな顔をするが文句を言わずはむはむと食べ始める。その姿を見て和んでいるうちに関所の前までやってきた。


「エル」

「わかっておるのじゃ」


 一応声を掛けて魔道具を使ってもらう。俺はエルの手前に位置取り馬車の外からは重なるように見えるようにした。

 関所には二人の兵士が立ってこちらに槍を向けている。


「そこの馬車、こちらに止まれ」


 右側の兵士が馬車を誘導する。その兵士を確認したバルバトスのおっさんは右手を上げて


「ようブルナク、景気はどうだ?」

「おお、バルバトスじゃないか。まあぼちぼちってところだな」


 と挨拶を交わした。

 どうやら顔なじみのようだ。護衛の仕事に長く就いていれば各地の関所の兵士とも知り合うのは当然だろう。


「なんだまたマギラスに護衛で行くのか? そっちは景気よさそうだな」

「お陰様でな」

「はっ、羨ましいことで」


 バルバトスのおっさんはなれた手つきで通行税を渡す。ブルナクと呼ばれた兵士は受け取った金をもう一人の兵士に渡して馬車の中を覗いてくる。


「おや? 今回はずいぶんと若い依頼人だな。荷物も少ないし本当に商売か?」


 怪しまれたか? だがエルには気が付いていないみたいだ。


「おいおいブルナク、あんまり坊ちゃんの機嫌を損なうようなことは言わないでくれよ。お忍びなんだからよ。それに商人だったら三倍の大きさの馬車に荷物ぎゅうぎゅうに詰めてるっての」

「ははは、違いない。貴族様のご機嫌を損ねたら俺の首がとびかねんからな。よし、行っていいぞ」


 バルバトスのおっさんの坊ちゃん発言で都合よく貴族と勘違いしてくれたようだ。拍子抜けするほどザルのような気がしたが……。

 砦から離れてからバルバトスのおっさんに質問をする。


「関所って荷物を改めるもんじゃないんですか?」

「あー、あれな。マギラスにはよく護衛で行くんだがよ。実は人には言えないような品物を運ぶわけよ」


 ご禁制ってやつだろうか。俺には麻薬くらいしか思い浮かばないがどんなものがあるんだろう。


「それで関所でとっ捕まっちゃ商売あがったりってんでちぃーっとばかし色を付けて通行税を渡すわけよ。するとあら不思議、お咎めなしで通れちゃうってことだな」

「それって……汚職じゃないですか……」

「ははは、そうとも言うわな」


 そうとしか言わないだろ。この国も腐った部分があるということか。けどそのおかげで助かったのはありがたい。


「でもエルお嬢様の情報は届いてたみたいだぜ。ブルナクの野郎、普段は馬車の中身なんて気にしねえのに今日に限ってはジロジロと見てきやがったからな」


 認識阻害ができていなかったらここで捕まってた可能性もあったってことか。

 そうだ通行税を渡せるときに渡しておこう。


「いくらかかりました?」

「十万エスラだ」


 十万……高いな。元の通行税はいくらだったんだろう……。


「……色付けたってどれくらい上乗せしたんですか?」

「二十倍ほどだな。今なければ成功報酬に上乗せでいいぜ」

「じゃあそれで……」


 払えなくはないがいざという時のために残しておいたほうがいいだろう。エルの実家から分捕ってくるものを増やさなければ……。

 トウザキ領の街道は今まで通ってきた街道に比べ幾分かしっかりと整備されていた。バルバトスのおっさんによるとトウザキ伯爵家の現当主が魔物が多く出没する辺境には迅速な移動が不可欠という理念の元に大々的に整備したそうだ。おかげで魔物の被害も減少傾向になり、また迅速な移動ができるようになったため商人たちの流動が激しくなり経済がずっと右肩上がりだそうだ。

 馬車から眺めていると確かに王都付近と比べて魔物の姿を頻繁に見る。バルバトスのおっさんに声をかけられて遠くのほうを見るとトウザキ領の兵士団の四人が十数匹のオークを討伐しているところだった。人数的には少なかったが危なげなくオークを弓や魔法で遠距離から攻撃しつつ槍や剣で止めを刺していた。一緒に見ていたエルが「オークの丸焼きが食べたいのじゃ」と言っていたが、あんな巨体を丸焼きにするのには何時間かかるんだろうとちょっとずれたことを考えてしまった。

 夕方になる前に一旦休憩を挟み御者を交代してバルバトスのおっさんに野営に備えて寝てもらう。


 ぐっすり寝て元気の余っているエルが後ろからちょっかいをかけてくる。脇腹をくすぐってきたり耳に息を吹きかけてきたり普通なら何をいちゃいちゃしてやがると言われそうなことだが、今は馬車を運転していて険なのでやめてもらいたかった。何回か注意しても「暇なのじゃ~」と返事が返ってきた。それならば御者の練習でもさせてみようかと思ったが、さてアホの子が手綱を握ったらどうなるだろうかと頭の中でシミュレーションをしたら、鞭をひたすら打って馬が暴れだしたり、意味もなく手綱を思いっきり引いたり、御者台から落ちたりと一つたりともまともな結果が見えてこなかったので思いとどまった。

 エルの意識をそらすためにペロペロキャンディを荷物から取り出させて食べさせる。これで三十分くらいは大人しくしていてくれるだろう。

 追手など本当にいるのだろうかと思うほどに順調に進んでいる。エルにマギラスの話を聞きながら進んでいると次第に空が夕焼けに染まっていった。


 バルバトスのおっさんが起きてきたので野営できる場所を探しながら進んでいく。ちょうどいい小川を見つけ、街道からそれて小川の近くで野営の準備を始めた。エルは馬車から飛び出し小川で遊んでいるため放っておいたら十匹ほど川魚を手掴みで捕ってきた。これにはバルバトスのおっさんも「よくやった」と褒めてにやにやと嬉しそうな顔をしていた。

 周りに落ちている木の枝を削って川魚に刺し、塩を振って焚火の近くに刺して焼いていく。川魚からじじじ、と脂が出てくる音が聞こえてきたらあぶる面を交換する。川魚特有の香ばしい匂いが立ち込める。エルは待ちきれないようで落ち着きがない。バルバトスのおっさんもそわそわしているのが見て取れた。かくいう俺も待ちきれないのは一緒だった。

 川魚の目が完全に白くなり、また焼き目が付いてもう片面からもじじじ、と脂が出てきたのでゴーサインを出すと二人ともすぐさまかぶりついた。このままでは俺の分も食べられるんじゃないかと思うほどのスピードだったので俺も負けじと食べ始めるが、エルに俺の分の一匹を食べられてしまった。文句を言うも「食べるのが遅い陽介が悪いのじゃ~」と意地悪く返された。さらに言い合いを続ける俺たちをバルバトスのおっさんは大笑いしながら眺めていた。馬は俺たちの喧騒など我関せずといった態度で草を食べていた。

 完全に日も落ち軽く体をタオルで拭いて就寝する。相変わらずの固い馬車の板の上だが、昨日よりも寝やすい夜だった。

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