言い過ぎだぜ
バルバトスのおっさんは俺の胸のブローチを指さしたあと自分を指さす。
「もしかして護衛で雇われたのってバルバトスさんだったんですか?」
「そういうことみたいだな。まさか兄ちゃんが雇い主だとは思わなかったぜ」
それを言うならこっちだって同じだ。傭兵を雇うと聞いて頭に浮かばなかったわけではないがそんな偶然があるとは思ってなかった。バルバトスのおっさんなら多少人となりは知っているので少しばかり安堵した。完全に気は抜けないだろうがそこまで警戒をしなくても大丈夫だろう。
「へぇ、なかなかいい馬車だな。さすがは貴族様の持ち物ってところか」
素直に答えていいものか悩んで黙り込んでしまったがバルバトスのおっさんは気にした様子もない。
「しかし兄ちゃんが貴族様の従者とはねぇ。人は見かけによらねぇもんだ」
「それは言い過ぎですって、バルバトスさん」
お道化たようなやり取りに先ほどまでの緊張が和らいでいくのを感じる。やはり顔見知りがいると心も落ち着いてくるようだ。
「そういや兄ちゃんって他国の人間だったよな。どこ出身なんだ?」
「それは……」
いきなり答えずらい質問が来た。異界人と答えるのは憚れるので東の方の遠くの島国というおなじみの返答をしようとしたが、
「いや、答えづらいなら別にいいぜ。人には秘密がつきもんだからな。その秘密が人を魅力的にしていくってもんだ」
ずいぶんと顔に似合わないことを言っている。思わず声を出して笑ってしまった。
「おいおい兄ちゃん、今のは笑うところじゃないぜ? 慧眼あふれるオレの言葉に感動しましたって顔をしなきゃいけない所だぜ?」
「ははっ、バルバトスさんの顔で言われたら口説き文句も笑い話になっちゃいますよ」
「ははは兄ちゃん、それは言い過ぎだぜ!」
バルバトスのおっさんとのやり取りで完全に気が抜けてしまった。エルはまだ来ていないが一度気をしめなおしたほうがいいだろう。
「貴族のお嬢様はまだ来ねーのか?」
「もうそろそろだとは思うんですがね……」
「しかしマギラスに行きたいなんてずいぶんと変なお嬢様だな」
「わけありですからね」
言った後で失言に気付いた。気を引き締めなおしたつもりだったがぽろっとでてしまった。バルバトスのおっさんに勘ぐられるのは都合が悪いことを失念していた。
「まあわけありじゃなきゃこんな破格の依頼なんてしねぇわな。だいたい相場の十倍だぜ。いや貴族様様よぉ」
特に何かを勘ぐった様子もないことに安堵した。バルバトスのおっさんは話しやすいので楽でいいが、口が滑りやすくなっているのも事実だ。気をつけねばならない。
走行ルートの確認や野盗や追手に襲われた時の対応などを話し合う。エルには特に敬語を使う必要はないと伝えると安堵した顔をしていた。そもそもエルはバルバトスのおっさんが何を言っているかわからないだろうけれど。
一段落ついて他愛のない話をしているとバルバトスのおっさんが何かに気づいたように街のほうに目を向けた。
「なにやら街の方が騒がしくなってるな」
遠くから悲鳴や何かが爆発する音などが聞こえてくる。ブルーノが何かをやったのだとは思うがやりすぎないかが心配ではあった。
「ってことは、お嬢様はそろそろ来るってことだな」
なかなか鋭いおっさんだ。だがこれくらいでなければ傭兵などやってられないのかもしれない。
すぐに出られるように身構えていると横から服を引っ張る何かがいた。
「陽介、アタシじゃ。うまく逃げてこれたぞよ」
「エル? いつの間に……」
目の前にいるにもかかわらずエルの姿がぼやける。いやぼやけているのではなくまるで印象に残らない。なるほどこれが認識阻害の魔道具の性能か。確かにこれなら盗みも働けそうな気はする。
「バルバトスさん、お嬢様が来たので行きましょう」
「何だと? いつの間に来てたんだ?」
バルバトスのおっさんにもエルが近づいてきたのがわからなかったようだ。これほどまでの魔道具をなぜブルーノが持っていたのか。何に使っているのかを今度問い詰めなければならない。そしてぜひアイーシャさんが風呂に入っているときに借りねばならない。
門番に身分証を見せるとちらっと全員を見回すが特に問題なく通された。警備がザルというわけではないのでこの身分証の効力に舌を巻いた。いったいこの身分証はなんなんだろう。
「やけにあっさり通れたな。いやさすが貴族様だぜ」
「追手が来る前にできるだけ遠くに行きましょう」
「おうとも」
バルバトスのおっさんが御者を務め、颯爽と馬車を進める。馬車が進みだすとエルは魔道具の使用をやめてその存在感を露わにする。というより魔道具にセットしてある魔石の魔力が切れたようだ。なるべくバルバトスのおっさんに聞こえないように小声で話す。
「エル、今のうちに変装用の服に着替えて」
「わかったのじゃ。じゃが少し狭いのう。これでは着替えにくいのじゃ」
「そこは我慢するしかないよ」
着替えるといってもローブを取り換えるだけなのでそこまで苦になるわけではない。俺は俺で槍を組み立てておこうとしたがエルがもぞもぞと転がってきたので断念した。
「手伝ってほしいのじゃ~」
シーツ包まって暴れているような、と言ったらいいのだろうか、ローブを体に絡ませている緊張感のかけらもないその姿にアホの子はいつも通りアホの子だと感じた。
ため息を一つ吐きローブを脱がす。エルはローブが脱げると、ぷはぁ、と息を吐いている。ローブを脱ぐのに苦戦したせいなのか、少し上気した顔の下に見慣れない首飾りがあった。中央に光の失った魔石がはめ込んでありシルバーのチェーンでつながれている。アクセサリーとしては無骨な感じはするが、なるほどこれが認識阻害の魔道具なのだろう。
少し苦戦しているようだがちゃんとローブを着こんでいるので俺は脱いだローブを畳んで荷物に入れた。
「しかしブルーノはすごいのう。あんな変な魔法……魔法と言っていいんじゃろうか? ともかくあんなのは初めて見たのじゃ」
着替え終わるとうれしそうにしゃべりはじめた。どうやって騎士団から逃げ出したのか気になっていたので俺は槍を組み立てながら相手をすることにした。
「ブルーノは何をやったの?」
「なんというか……虫がいっぱいでてきてじゃな、それで馬車や馬にとりついたかと思ったらいきなり爆発したのじゃ」
虫だと!? もしかして性転換魔法の研究に使ってたやつか?
「虫が周りにいるやつらにも襲い掛かっての。襲われたやつらは急に倒れて震えだしたのじゃ」
毒虫かよ……そんなの庭にいたか? それともなんかやばい方法で作り出したのか?
「ブルーノが言っておった状況になったからやつらからカギを手に入れて手枷を外して逃げてきたんじゃ」
「聞いてる分には大したことなさそうだけど……」
「あれは気持ち悪かったのじゃ……。きっと夢でうなされるのじゃ」
ものすごく顔をしかめている。
エルがそこまで言うほどなのか……現場にいなくてよかったと痛感した。
馬に身体強化の魔法を施しているため休むことなく馬車を進める。速度もなかなか出ている。これなら自動車が作られていなくてもあまり不便は感じないだろう。太陽が真上と通り過ぎてからやや経ったとき御者台から声がかかった。
「兄ちゃん、ちょっと休憩しようや。馬が腹ペコみたいだぜ。ちょうど近くに泉のある林があるからそこで俺たちも飯だな」
「わかりました。予定より順調みたいですね」
「そうだなぁ、この馬がなかなか根性あるみたいで思った以上に距離を稼げたな」
街道から林にそれて中に入っていく。地図には載っていないが休憩場所としては知られているらしく、馬車の通れるあぜ道があった。追手に見つかりやすいのではないかとも思ったが街道沿いで休むよりはましだろう。
泉が見えてきたが他に休憩している人はいないようだ。エルの認識阻害を発動しようかと思ったがやめた。バルバトスのおっさんとはこれから数日一緒にいるのだ。顔を合わせるたびにそんなことをしていたら魔石の消費量がとんでもないことになってしまう。節約できるならできるに越したことはないのでローブを目深にかぶってもらうことにした。
泉に到着すると馬のロープを緩めある程度自由にさせる。馬はすぐさま泉に顔を突っ込み水を飲みだしている。周りに餌になる草も生えているので水を飲み終わったら食べるだろう。
「さて、飯にしますか。あー、ケツがいてぇ」
「陽介ごはんじゃごはん」
「はいはい」
ご飯といってもパンと干し肉と簡単なスープだけだ。火をおこして湯を沸かし、そこに持ってきたスープの素を入れる。具がないのが不満だが味はそこそこだと思っている。
食事の準備が終わったので屈伸運動をしているバルバトスのおっさんと馬車の中のエルを呼ぶ。三人固まって食事を始めるがエルが予想通り文句を言ってきた。
「ひもじいのう……。これでは全然足りぬのじゃ……」
なるべく喋るなと言って聞かせたところで無駄なのはわかりきっていたが一応注意をした。「しまったのじゃ」とつぶやいていたがバルバトスのおっさんがこっちを見ていたのでたぶん手遅れだろう。気にしないでくれることを期待したがそれは叶わなかったようだ。
「魔族の言葉ねぇ……。なるほどなるほど」
「……バルバトスさん、これはその……」
干し肉をかじりながらにやにやとこちらを嘗め回すように見てくる。どう動けばいいかわからなかったが万一に備えて手元に置いてある槍に手を伸ばそうとしたが、
「いやはやマギラスまで行きたいって言うだけあってちゃんと喋れるんだな。さすがは貴族のお嬢様、博学なこって」
「はは……。喋れないと行く意味が半減以下になっちゃいますからね……。お嬢様は普段から練習でしゃべるようにしてるんですよ」
どうやら都合よく勘違いをしてくれたようだ。エルは心配そうに俺を見上げているので大丈夫と目で合図をしたが意味が分からなかったらしく、しょうがなく耳元で大丈夫と囁いた。エルは安心したようなので俺たちは食事を再開した。
「しかし兄ちゃん」
スープをグイッと飲み干してこちらに視線を向ける。
「お前さんもずいぶんとうまいんだな。馬車ん中で話してた時はネイティブみたいに聞こえたぜ。ま、それはお嬢様もだけどよ」
「……ネイティブですか?」
馬車の中の会話は聞こえないような声量で話していたつもりだったがばっちり聞かれていたことに自分の甘さを改めて痛感した。気を付けているつもりなのに相変わらずの体たらく。自分の危機管理能力の低さに嫌気がさしてしまう。
しかしネイティブのように聞こえているとはどういうことだろうか。そもそも俺の唯一のチートの言語翻訳能力がどういったものか碌に調べてすらいないのでほとんどわからない。アイーシャさんとブルーノも俺の能力にまったく興味を示さなかったので気にもしていなかった。
嘘の上塗りになって心苦しいが誤魔化すことにしよう。
「……いい仕事に就くにはそれなりの能力が必要ですからね。俺の場合は通訳できるように必死で勉強しましたから」
「ほう、大したもんだ。他にはどんな言葉が喋れるんだ?」
たぶん何か国語でも話せるがエスパ語と魔族の言葉以外の言語の名前を知らないので答えようがない。このおっさん俺をイジメて楽しんでいるんじゃないだろうか。
「……英語とか中国語とか……」
悩んだ挙句しょうもないことを口にしてしまったがバルバトスのおっさんが知らない言語でも問題はないだろう。挨拶くらいしかできないけどな。
「英語に中国語ねぇ……。聞いたことねぇな。ちょっとしゃべってみてくれよ」
「……ハ、ハロー、ハワユー? イズディスアペン? ノー、ディスイズアブック」
くそ、なんか恥ずかしい……。
「ほう……やっぱ聞いたことねぇな。リグ語とかトレバル語は喋れねぇのかい?」
いったいどこの言葉だ。
「いや、喋れないです……」
「魔族の言葉はあんなに流暢に喋れるのにか? ははは、変な奴だな」
バルバトスのおっさんは顎に手を当ててしばし考え込み、一息入れると突如鋭い視線を向けてくる。
「魔族の言葉しか喋れねぇお嬢様に魔族の言葉を流暢に話せる従者ね……。あんな破格の値段で依頼を受けたからには裏があるってのはわかっていたが、これはちぃーっとばかし危険すぎる臭いがするぜ? なあ兄ちゃん」
すでにエルが魔族の言葉しか話せないことがばれていた。いや鎌をかけられているだけなのかもしれない。心臓が早鐘のようにどきどきと鼓動を上げ、周りの空気が冷えていくような錯覚に陥る。
「……それならどうするっていうんですか?」
槍を手に取りエルを後ろに庇う。頬に冷汗が伝う。バルバトスのおっさんは人を馬鹿にしたようなにやにやとした顔に戻っている。
「へっへっへ、野郎ども! 出てきな!」
「――っ!」
バルバトスのおっさんが怒声を上げると木の陰から数人の汚らしい男が出てきた。手には手入れをしていないような剣を持ち、質素な防具を身につけている。周りを見渡すが囲まれてはいないらしく、バルバトスのおっさんの後ろにしかいない。バルバトスのおっさんは面白そうににやにやとこっちを嘲笑っている。
「バルバトスさん……、後ろの奴らを従えてるってことは、あんた盗賊だったのかよ!」
「あん? 後ろの奴ら? 兄ちゃん何を言って――」
後ろを向いたバルバトスのおっさんが一瞬硬直してから立ち上がって剣を抜いた。




