奇妙な縁だな
唐突だが元の世界の中東のどっかの国だとサムズアップは”お前のケツにぶち込んでやるぜ、ヒャッハー”という意味だと昔聞いたことがある。
アイーシャさんは今俺に向かってサムズアップをしている。
……なるほどなるほど、了解しました。今すぐですね。お風呂にも入りましたし準備オッケーでございます。
俺はアイーシャさんに尻を突き出しおもむろにズボンを脱ぎ――
「何してんのよ!」
――パーンッ!
盛大に尻に回し蹴りをくらい、顔面から思いっきり壁に突っ込む。
「はっ! 俺はいったい何を!?」
「こっちが聞きたいわよ!」
風呂に入って眠くなったせいか思考が変な方向に進んでいたようだ。明日から忙しいのだから早く寝なければ。
「で、アイーシャさん。手配はうまくいきましたか?」
「あんた……自然に流そうとしてるわね……。許さないけど今はいいわ。馬車は結構いいのを借りれたわ。サスペンション付きだからスピードを出してもそんなには揺れないはずよ」
おお、それはありがたい。ジルさんが迎えに来てくれる時に乗る馬車は安物だからケツが痛くなってしょうがない。それがないなら文句なんて出るはずもない。
「護衛も雇えたには雇えたんだけど……ただ護衛の方はどんな人物が来るかはわからないわ。仲介役が言うにはよくマギラスに護衛で行く人物って話だから運が良かったと思うわよ」
「それならマギラスへのうまい逃げ道を知ってるかもしれませんね」
「そう楽観はできないけど期待してもいいんじゃないかしら。あと依頼としては、
”さる貴族の放蕩娘がマギラスに行ってみたいと我儘を言い出して魔族の言葉を喋れる従者を連れてお忍びで行く予定。それを連れ戻しに来るかもしれないさる貴族の追手がいるからさっさとマギラスまで行きたい”
っていうので出したからマギラスに着くまではクソガキには極力しゃべらせないように。護衛にいろいろ勘ぐられても面倒だわ」
なるほど、マギラスに着いてしまえばばれてもなんとかなるか。
「あなたは明日の朝に裏門でその護衛と落ち合いなさい。このブローチを胸につけていれば相手から接触してくるはずよ。馬車は朝一で裏門までもってきてくれる手筈になってるわ。あなたの名前を出せば通じるようにしてあるけどわからなかったら手あたり次第聞いて回りなさい」
「ありがとうございます」
「護衛と馬車が確認できたらそのままクソガキが来るのを待ってればいいわ」
そういえばエルは身分証を持っていない。持っていたとしても裏門から出れるわけがない。強行突破するんだろうか?
「エルはどうやって裏門を抜ければいいんでしょうか?」
「それは問題ないわ。あなたと一緒なら出れるはずよ。あなたの身分証はそういうものだから」
俺のはそんなにすごい身分証だったのか。ほかのと比べる機会がないからさっぱりわかんなかった。
「それとこれね」
アイーシャさんはおもむろに地図を手渡してきた。
「ちゃんと逃げるルートを確認しておきなさい」
街の外なんてジルさんのゴブリン場くらいにしか行ったことがないので地理がわからないことに今更気が付いた。やはりいろいろありすぎてどこか抜けていたのだろう。自分の間抜けさが恨めしい。
「あとこれが一番大事なことよ」
ぐぐっと身を寄せてきて指を突きつけられる。
「馬車を借りるのに一月五十万エスラ、護衛を雇うのに前金五十万エスラ、成功報酬として百五十万エスラかかったわ」
むぅ、高い……。ここで金の話をされるとは思わなかった。まさか俺の借金になるのか? そして借金を盾に夜な夜な体を求められる展開に!
「……なんか嬉しそうにしてるところ悪いけどたぶんあんたの考えてることにはならないわよ」
なんだよ、ちくしょー。
「で、それだけかかったんだから、あんたはマギラスからそれ以上の価値のものを分捕ってきなさい」
何言ってんの? この人?
「……盗んで来いと?」
職業飯使いからシーフへの華麗な転職!? 隠密スキル身につけなきゃ。
「そんなこと言ってないわ。クソガキが本物だったら普通にもらえると思うわよ。ただもし偽物だったら……」
に、偽物だったら……?
「認識阻害の魔道具を使って適当にかき集めてきなさい」
それ盗んで来いってことじゃん……。魔道具あるから隠密スキル身につける必要なかったな。しかし、
「認識阻害の魔道具ってそんなにすごいんですか?」
俺が疑問を口にするとアイーシャさんはものすごく苦い顔になった。
「……明日になればわかるわよ」
追求しちゃいけない空気が漂ってきたのでここはひとまず諦めよう。明日になればわかるというのはエルが使う手筈になっているからだろう。
「そうそう、魔石は余分に持って行ったほうがいいわ。いろいろ消耗が激しいでしょうから」
はて? 水くらいにしか使わないと思うんだが?
「認識阻害の魔道具が大量に魔力を使うのよ。他にも馬のブーストに使ったりいろいろあるのよ」
俺の不思議そうな顔を見て教えてくれた。
そうなのか。馬のブーストって何だろう? 百聞は一見にしかず、気にはなるけど明日になればわかるだろう。
「あ、そうだ。魔石分の値段も上乗せで分捕ってきなさいね」
アイーシャさんは頼もしい。でもそれよりも逞しすぎると思うんだ。俺は隙がある女性にくらっとくることを今度教えたほうがいいな、うん。
「あとクソガキが来てからの一週間分の食費と滞在費と迷惑料と……」
おおぅ……、あまりの守銭奴っぷりにくらっときたぜ。エルにかかる費用って確か王宮から出てたはずなのに……。
途中で口をはさむと機嫌が悪くなるのでアイーシャさんの気が済むまで金勘定をしてもらおう。
「それじゃああなたはもう寝なさい。私はブルーノたちと打ち合わせをしてくるわ。寝過すんじゃないわよ」
「はい、おやすみなさい」
明日の成功を祈って深い、しかし短い眠りについた。
目が覚めるとまだ外は暗かった。しかし鳥が鳴いているのでもうすぐ日も昇るだろう。こんなに早く目が覚めたのは緊張しているせいだろう。寝過ごしてたたき起こされないだけましだったが、これからしなければならないことへの不安が頭を支配した。
急ごしらえの穴だらけの作戦でうまくいくとはどうしても思えなかった。エルには悪いが本音を言えばついて行きたくはなかった。一歩間違えれば死ぬのだ。ついていきたいわけがない。言われるがまま、流されるままについて行かなければならない状況になってしまった。自分の心の中にはアイーシャさんを恨む気持ちもあるのがわかる。十分に力があるのについてきてくれないブルーノを恨む気持ちもある。一人になって、そして少し眠って冷静になったとたん負の感情に心が塗りつぶされる感覚に襲われた。
このままじゃいけないと思い、気分を変えるため顔を洗いに行く。ぼーっとしていても気分が晴れないので朝ごはんの準備をすることにした。これからしばらくはまともな食事はできないので気を紛らわすためにも気合を入れて作った。
料理をもって食堂に行くといつの間に来たのか、アイーシャさんが座っていた。寝起きというには少し疲れた顔をしているのでもしかしたら寝ていないのかもしれない。
「……おはようございます」
「……おはよ」
俺たちは元気なく挨拶を交わした。アイーシャさんの分の食事を取りに台所にいってから食事を始める。
「「いただきます」」
会話はなく、箸が食器にあたる音とわずかな咀嚼音だけが食堂に響くだけだった。食事も進み、残り少なくなったところで、アイーシャさんが少し憂いを帯びた声で話しかけてきた。
「陽介……」
「はい」
「死ぬんじゃないわよ」
「……はい」
心配してくれていることがありがたくもあり、死ぬのもあり得ると考えていることに悲しくもあった。
食事が終わったころ外が明るくなり始めてきた。エルがまだ起きてこないので部屋に見に行くとまだ寝ていた。ぐーすか寝ているその姿を見て、今回のことの当の本人なのにずいぶんと神経が図太いもんだと思ったが逆に頼もしくもあった。そんなことを感じてしまった自分に少しおかしくなった。
「エル、またあとで」
寝ているエルに声をかけて部屋をあとにする。自分の部屋に置いてある準備しておいた荷物をもって玄関に向かうとアイーシャさんとブルーノが待っていた。
「絶対帰ってきなさいね」
泣きそうな顔でそうつぶやくと近づいてきて力強く、しかし優しく抱きしめられた。
「はい。必ず帰ってきます」
俺も軽く抱きしめ返した。女性特有の甘いいい匂いが鼻孔をくすぐり、柔らかな感触が体に伝わってきた。しかし劣情はわかなかった。
不安な気持ちは完全にはぬぐいきれないが、それよりも暖かい気持ちが体中をめぐるのがわかった。一か月にも満たない短い時間しか過ごしてないがこの場所が愛おしく感じた。
「姉ちゃんずるい。僕も抱きしめるからどいて」
ブルーノも俺を想っていくれていると感じてうれしかった。しかし男と抱擁をするよりは美人と抱擁をしていたほうが嬉しいのでアイーシャさんとの抱擁を続けるため無視することにした。
「ほら、早くどいて。殴る以外で男に触ったのが久しぶりだからって興奮してないでさっさとどいて。姉ちゃんさっさとどーいーてー」
「うるさいわね。わかったわよ」
ブルーノを怒鳴りつけると俺からぱっと離れてしまった。少し涙ぐんでいて顔が真っ赤になっている。こういうところは本当に可愛らしい人だなと改めて思った。自然と笑みがこぼれてしまった俺をアイーシャさんがちょっと拗ねたように睨み付ける。
「さぁ、陽介! 僕の胸に飛び込んでおいで!」
俺は無視して荷物を背負う。
「え? ちょっと陽介! それはひどくない? ここ感動の場面じゃないの?」
「お前が女ならいくらでも飛び込んでいったけどな」
「えー……」
抱擁拒否をすると空気の読めない引きこもりはとたんにいじけだした。どうせすぐ立ち直るだろうが一応フォローを入れておこう。
「ブルーノ、エルが逃走できるかどうかはお前にかかってる。よろしく頼む」
手を差し伸べ握手を求める。抱擁は拒否したが握手くらいはしておきたかった。
「はは、それは問題ないよ。だって僕は天才だよ?」
手を握り返して相変わらずなことを言っている。そんなやりとりにおかしくなって声を出して笑ってしまった。
名残惜しいが早めに裏門についたほうがいいので出発することにした。
「じゃあ行ってきます」
「ちゃんと金目の物持って帰ってきなさいね。じゃないと家に入れないわよ」
「陽介、僕が女になるってものありなのかなぁ?」
「最後までちゃんと別れを惜しめよ! 雰囲気台無しだな!」
アイーシャさんは守銭奴っぷりを発揮し、ブルーノはふざけたことをぬかしたところで家を出て裏門に向かった。閉めた玄関の扉の向こうから聞こえてきた殴打音と悲鳴はきっと俺を送り出すファンファーレだったに違いない。
朝早い時間のため通りに人の姿はほとんどない。普段通ってなれているはずの道なのに今日はなぜか緊張した。
裏門につくが門番の兵士以外誰もいなかった。ついてすぐに胸にブローチをつけて護衛の人を待つ。十分ほど経ったころに馬車がやってくるのが目に入った。小振りな幌馬車を馬が一頭引いている。あれが借りた馬車なのかはわからないが近づいてくるのを見守る。
近くにくると馬車の御者をしている青年が声をかけてきた。
「陽介さんですか? マルド商会の者ですが馬車をお届けに来ました」
他に人がいなかったからか、返事を待たずに青年は御者台から降りた。マルド商会というのは聞き覚えがなかったが俺の名前を知っているのならばこの馬車で間違いないだろう。
俺は軽くうなずくと青年は馬車の説明をしてくれた。
馬車には三十キログラムほどの馬の餌が積んであり、もし道中に馬の餌になる牧草が足らない時に与えるようにとのこと。急いでいるので重くなるのは考え物だったが餌がなくて馬が動かなくなるよりはましということで納得した。馬車の運転はジルさんに習っていたので不安はなかったが、必要となるこの馬の癖を聞いておいた。またこの馬車には魔石を使って馬の身体強化する魔道具がつけられていたのでその使い方の説明を受けた。これがアイーシャさんの言ってたブーストというものだろう。
青年は「良い旅を」と笑顔で言うと街に戻っていった。荷物を馬車に積み御者台の上で護衛の人を待つがなかなか現れない。ちらほらと人の姿が増えてきた。外に行く人や中に入ってくる人が目の前を通り過ぎていく。時計塔を見上げると青年と別れてから一時間ほど経っているのがわかった。待ち合わせの時間は指定してはいないが、さすがに焦れてきた。そんな俺の気持ちなど知らんという風に馬が、ぶるるる、と鳴いた。
やることもなく気持ちが焦れてきているので馬を撫でて気持ちを落ち着かせることにした。御者台から降りて馬の首筋を撫でると馬は気持ちいいのか、目を細めて喜んでいるようだった。馬並なものとよく比喩されるあれを見ようとしたらどうやら雌だったようだ。
馬とのスキンシップを楽しんでいると見知った顔が近づいてきているのに気が付いた。
「よう兄ちゃん、奇妙な縁だな。やっぱり人と人の縁は大事にしろってことだな」
手を上げていかつい顔ににやにやと笑みを浮かべている、バルバトスのおっさんだった。




