迎える側の一年
2034年4月。
大阪・本町。
株式会社カナメでは、新しい年度が始まろうとしていた。
四月の朝。
新事務所のオープンスペースには、いつもより多くの社員が集まっていた。
今日は、一名の新卒社員を迎える入社式。
三十九名だったカナメは、この入社で四十名になる。
普段はリモート勤務をしている社員も多いカナメだが、今日はオンラインでも式に参加できるよう準備されている。
会議室の一つには、配信用の機材が設置されていた。
業務部の福原奈央は、受付の準備を確認していた。
*
「……高瀬さん、受付の準備は完了しました」
福原が報告した。
「ありがとうございます」
高瀬がうなずいた。
「オンライン接続の確認はどうですか?」
「はい。こちらも問題ありません」
「承知しました」
福原は、進行表を開いた。
受付。
入社式。
社長挨拶。
各部門からの説明。
そして、入社後の案内。
必要な準備は、ひととおり整っている。
「……今年も、無事に迎えられそうですね」
福原が言った。
「そうですね」
高瀬は、少し笑った。
「では、よろしくお願いします」
「はい!」
*
しばらくして、新入社員が事務所へ到着した。
「おはようございます。本日はご入社おめでとうございます」
福原が声をかけた。
「ありがとうございます」
新入社員は、少し緊張した様子で答えた。
「こちらへどうぞ。まもなく始まりますので」
「はい」
福原は、席へ案内した。
初めて入る会社の事務所。
初めて会う先輩社員たち。
そして、今日から自分が働くことになる場所。
新入社員は、周囲を見渡していた。
*
入社式が始まった。
オープンスペースには、出社している社員たちが集まり、オンラインからも社員が参加している。
金目は、会場の前に立った。
「えー、本日はご入社おめでとうございます」
新入社員が、姿勢を正した。
「株式会社カナメの金目です」
金目は、少し笑った。
「……ちなみに、今日の挨拶は五分もらっとるんですけど」
社員たちが、金目へ目を向けた。
「そんなに話すことないんで、短めにします(笑)」
会場に、小さな笑いが起きた。
「まず、これからいろいろな仕事を覚えてもらうことになります」
金目が続けた。
「ただ、最初から何でもできる必要はありません」
新入社員は、静かに聞いている。
「わからんことがあったら、ちゃんと聞いてください」
金目は、少し考えた。
「ただ、慣れてきたら、自分でも考えてみてほしいんです」
「はい」
新入社員が、小さくうなずいた。
「何でこうなっとるんやろ、とか」
「もっとええ方法ないんかな、とか」
「そういうことを考えてもらえると、仕事も面白なると思います」
金目は、少し笑った。
「それと、もう一つ」
金目が続けた。
「仕事は、一人でするもんちゃうんで」
会場は、静かだった。
「困ったときは、周りの人に相談してください」
「自分で考えることと、一人で抱え込むことは違いますから」
金目は、少しだけ周囲を見渡した。
「ここには、いろんな仕事をしている人がおります」
「開発する人もおれば、お客様と話す人もおるし、会社の仕事を支えてくれとる人もおります」
「せっかく同じ会社におるんやから、遠慮せず頼ってください」
そして、少し笑った。
「……もちろん、俺に聞いてもろてもええですよ(笑)」
社員たちから、笑いが起きた。
「ほな、長なってもあれなんで」
金目が言った。
「改めまして、ご入社おめでとうございます」
「これから、よろしくお願いします」
金目が頭を下げた。
新入社員も、頭を下げた。
拍手が起きる。
予定されていた五分より、少し短い挨拶だった。
*
入社式のあと。
各部門からの説明が始まった。
最初は、開発部。
西田が、資料を共有した。
「開発部長の西田です。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
新入社員が答えた。
「開発部には、現在三つの課があります」
西田は、組織図を示した。
「開発一課、開発二課、基盤運用課です」
「それぞれ担当する仕事は違いますが、必要に応じて協力しながら進めています」
新入社員は、資料を確認した。
*
「ちなみに、開発部では、わからんことを一人で抱え込まんようにしてな」
西田が言った。
「はい」
「もちろん、自分で調べたり考えたりすることも大切やけど」
「困ったときに相談できることも、仕事のうちやと思っとる」
西田は、少し笑った。
「……まあ、社長もさっき似たようなこと言うとったけどな(笑)」
会場に、笑いが起きた。
「でも、ほんまに大事なことやからな」
新入社員は、うなずいた。
*
続いて、業務部。
高瀬が、社内制度や各種手続きについて説明した。
「業務部長の高瀬です。よろしくお願いいたします」
「よろしくお願いします」
「業務部では、人事、経理、総務など、会社の運営に必要な仕事を担当しています」
高瀬は、資料を切り替えた。
「勤怠の記録や、各種申請についても、こちらでご案内します」
「はい」
「手続きでわからないことがあれば、業務部へご相談ください」
高瀬は、少し笑った。
「最初は、覚えることも多いと思いますので」
「一度で全部覚えようとしなくても大丈夫ですよ」
*
最後は、営業部。
小坂千尋が、資料を共有した。
「営業部長の小坂です。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
「営業部では、お客様からのご相談を受け、必要な仕事を整理しています」
小坂は、少し考えた。
「ただ、お客様から言われたことを、そのまま開発部へお願いするわけではありません」
「何を必要とされているのか」
「いつまでに必要なのか」
「そして、会社としてどのような方法で対応できるのか」
「そうしたことを、開発部とも相談しながら考えています」
新入社員は、うなずいた。
*
「営業部の仕事も、一人で完結するものではありません」
小坂が続けた。
「開発部や業務部の皆さんと協力しながら進めています」
「ですので、配属先が違っても、仕事で関わることはあると思います」
小坂は、少し笑った。
「そのときは、よろしくお願いしますね」
「よろしくお願いします」
新入社員が答えた。
*
各部門の説明が終わると、新入社員は先輩社員の案内を受けることになった。
案内する先輩社員の中には、昨年四月に入社した二人もいた。
ちょうど一年前。
二人も、同じ場所で入社式を迎えていた。
あのときは、何をするにも緊張していた。
誰に聞けばよいのかも、よくわからなかった。
しかし、今は違う。
少なくとも、事務所の使い方や、普段の仕事の進め方については説明できるようになっていた。
*
「すみません、こちらはどうすればいいでしょうか?」
新入社員が尋ねた。
「あ、こちらですね」
先輩社員が答えた。
「まず、この画面を開いてください」
「はい」
「それから、こちらの項目を確認して……」
少し操作したところで、先輩社員の手が止まった。
「……あれ?」
「どうされました?」
「すみません、ちょっと待ってくださいね」
先輩社員は、画面を見直した。
「……去年、私も同じところで迷った気がします(笑)」
新入社員が、少し笑った。
「そうなんですか?」
「はい(笑)」
*
「……ちょっと確認してきますね」
先輩社員が言った。
「はい」
近くにいた別の社員へ声をかけ、操作方法を確認する。
そして、戻ってきた。
「お待たせしました。こちらで大丈夫です」
「ありがとうございます!」
「いえいえ」
先輩社員は、少し笑った。
「私も、まだわからないことはありますから」
「そうなんですね」
「はい。でも、聞けば教えてもらえますので」
新入社員も、少し笑った。
「……ちょっと安心しました」
「それならよかったです」
*
四月上旬。
カナメでは、新入社員の受け入れが進んでいた。
入社式を終え、各部門の説明を受け、少しずつ会社の仕事を知っていく。
その一方で、昨年入社した社員たちは、初めて後輩を迎える立場になっていた。
一年前は、教わる側だった。
今は、教える側にもなっている。
もちろん、まだすべてを知っているわけではない。
それでも、自分が覚えたことを、次に入ってきた人へ伝えることはできる。
新しい仲間を迎えるたびに、迎える側も少しずつ変わっていく。
カナメの新しい四月は、そんな一日から始まった。
*
入社式を終えた日の午後。
株式会社カナメのオープンスペースでは、新入社員と先輩社員たちの交流が続いていた。
午前中の緊張も少しほぐれ、先輩社員との会話も弾み始めている。
仕事の進め方。
リモート勤務のこと。
昼食を取る場所。
新入社員は、気になっていたことを一つずつ尋ねていた。
金目も、飲み物を片手に社員たちの輪へ加わっていた。
*
「金目さん、少しよろしいでしょうか?」
新入社員が声をかけた。
「ええですよ。どうしました?」
「一つ、お聞きしたいことがありまして」
「はい」
新入社員は、少し緊張した様子だった。
「……金目さんは、どうしてこの会社を作られたんですか?」
金目は、少し目を丸くした。
「……えらい質問やな(笑)」
「あ、すみません」
「いやいや、ええよ(笑)」
金目は、少し考えた。
「……そうやなあ」
*
「最初から、会社を大きくしたかったわけではないんよ」
金目が言った。
「そうなんですか?」
「せやで」
「では、何か実現したい事業があったんでしょうか?」
「まあ、仕事で困っとったことはあったな」
「なるほど」
金目は、少し笑った。
「同じような資料を何回も作ったり、確認せなあかんことが多かったり」
「はい」
「そういう面倒な仕事を、もうちょっと楽にできへんかなと思ったんよ」
「……なるほど」
「ほんで、いろいろ考えとったら、仕事になってしもた(笑)」
新入社員が、少し笑った。
*
「……それが、今の会社になったんですか?」
「まあ、そういうことになるな(笑)」
金目が答えた。
「最初は、自分が困っとることを何とかしたかっただけやったんやけど」
「はい」
「同じように困っとる人もおったからな」
「なるほど」
「ほな、その人らの仕事も楽にできたらええんちゃうかと思って」
金目は、少し考えた。
「気づいたら、いろんな人と仕事するようになっとったわ」
「……すごいですね」
新入社員が言った。
「いや、別にすごないで(笑)」
金目は、少し笑った。
「面倒なこと減らしたかっただけやからな」
*
「……でも、今は社員の方もたくさんいらっしゃいますよね」
新入社員が尋ねた。
「せやな」
「最初の頃とは、考え方も変わりましたか?」
金目は、少し考えた。
「……どうやろな」
「はい」
「仕事を楽にしたいいうんは、今も変わってへんと思うで」
「そうなんですね」
「ただ、今は俺だけの仕事ちゃうからな」
金目は、周囲を見渡した。
「ここにおる人らにも、それぞれ仕事があるし」
「はい」
「みんなが仕事しやすいようにするんも、俺の仕事になったんやろな」
新入社員は、うなずいた。
*
「……あの」
新入社員が、もう一つ尋ねた。
「はい?」
「私も、仕事を改善できるようになるでしょうか?」
金目は、少し笑った。
「もちろんやで」
「ありがとうございます」
「ただ、最初から何か変えようとせんでもええと思う」
「そうなんですか?」
「まずは、今の仕事を覚えてもろたらええんちゃうかな」
「はい」
「ほんで、やっとるうちに、何でこうなっとるんやろって思うことが出てくるかもしれん」
「なるほど」
「そのときに、周りの人と相談してみたらええと思うで」
新入社員は、少し笑った。
「……はい。ありがとうございます」
*
少し離れたところでは、西田がその様子を眺めていた。
「……何話しとったん?」
新入社員が別の社員の輪へ戻ったあと、西田が声をかけた。
「創業の理由を聞かれたわ」
金目が答えた。
「ほう」
「……えらい質問やろ(笑)」
西田が笑った。
「まあ、社長に聞く質問としては普通ちゃうか(笑)」
「……そうなんかな(笑)」
「ほんで、何て答えたん?」
「面倒な仕事を減らしたかっただけや言うた」
「……そのままやな(笑)」
「せやろ(笑)」
二人は笑った。
*
「しかし、よう考えたら」
西田が言った。
「はい?」
「最初の頃は、こんな人数になると思ってへんかったな」
「せやな」
金目は、うなずいた。
「毎年、新しい人が入ってくるようになったしな」
「ほんまや」
「去年入った子らも、もう先輩やで」
「……一年、早いな(笑)」
西田が笑った。
「そら、毎年同じこと言うとるからな(笑)」
「……せやった(笑)」
*
数日後。
業務部では、入社後の手続きが進められていた。
社員情報の登録。
各種申請の確認。
そして、研修の予定。
福原は、受け入れ状況を整理していた。
「高瀬さん、今年の新入社員の手続きですが、予定どおり進んでいます」
「ありがとうございます」
「各部門の研修予定についても、確認できました」
「それはよかったです」
高瀬は、資料を確認した。
「では、引き続きお願いします」
「承知しました」
*
「……そういえば、今年の入社式も、金目さんの挨拶は短かったですね」
福原が言った。
「そうですね」
高瀬が、少し笑った。
「五分の予定でしたが、少し早く終わりましたね」
「はい」
「おかげで、各部門の説明に余裕ができました」
「そうですね」
福原は、少し笑った。
「……来年は、最初から三分にしておきましょうか(笑)」
高瀬が笑った。
「それは、また来年確認しましょう(笑)」
*
四月中旬。
金目は、高瀬から新入社員の受け入れ状況について報告を受けていた。
「今年の入社手続きは、予定どおり進んでいます」
高瀬が説明した。
「ありがとうございます」
「各部門での研修も始まっています」
「そらよかった」
「今後は、配属先での育成を中心に進めていただく予定です」
「了解です」
金目は、うなずいた。
「……しかし、今年も無事に迎えられてよかったな」
「そうですね」
「毎年、準備ありがとうございます」
「こちらこそ」
高瀬は、少し笑った。
*
「そういや、去年入った子らはどうですか?」
金目が尋ねた。
「順調に仕事を覚えていただいています」
高瀬が答えた。
「ほう」
「今年は、新入社員の案内にも協力していただきました」
「そらよかった」
金目は、少し笑った。
「去年は案内される側やったのにな」
「そうですね」
「……一年で、結構変わるもんやな」
「はい」
高瀬は、うなずいた。
*
四月下旬。
新入社員は、各部門での研修を続けていた。
まだ、わからないことも多い。
しかし、少しずつ会社の仕事を覚え始めている。
そして、昨年入社した社員たちは、後輩から質問される機会が増えていた。
自分が教わったことを、今度は誰かへ伝える。
それでも、わからないことがあれば、先輩へ確認する。
そんなやり取りが、日々の仕事の中で続いていた。
*
「……今年も新しい人が入ってきたな」
西田が言った。
金目は、事務所の様子を眺めながらうなずいた。
「せやな」
「毎年、迎える側も増えていくな」
「ほんまやな」
「去年の新卒も、もう先輩やで」
「……一年、早いな(笑)」
西田が笑った。
「……それ、入社式の日にも言うとったで(笑)」
「……そうやったっけ?(笑)」
「せやで(笑)」
二人は笑った。
*
2034年4月。
株式会社カナメでは、新入社員が仕事を覚え始めていた。
そして、これまで教わる側だった社員たちも、少しずつ教える側になっている。
新しい仲間を迎えるたびに、会社の人数は増えていく。
しかし、変わるのは人数だけではない。
昨日まで教わっていた人が、今日は誰かに教えている。
そうして、仕事の経験が少しずつ受け継がれていく。
カナメの新しい一年は、今年も静かに動き始めていた。
お読みいただきありがとうございます。旭月です。
今回は、一名の新卒社員を迎えたカナメの入社式のお話でした。
昨年は新入社員だった二人も、今年は初めて後輩を迎える立場になりました。
まだ自分にもわからないことはある。それでも、一年前に教わったことを、今度は誰かに教えられる。
そんな小さな変化にも、一年という時間の積み重ねを感じますね。
そして、新入社員から創業の理由を尋ねられた金目。
本人としては、ただ面倒な仕事を減らしたかっただけのようですが、気づけば毎年新しい社員を迎える会社になっていました。
……もっとも、社長挨拶の時間は年々短くなりそうですが(笑)。
新しく入る人も、迎える人も、少しずつ成長していく。
そんなカナメの春でした。
次回も、引き続きお付き合いいただければ幸いです。




