儲かってるんですか?
金目は、銀行口座の残高を眺めていた。
思っていたより、金がある。
「……意外と儲かってるんちゃうか?」
カナメ事務所を始めてから、少しずつ仕事が増えていた。
最初は知り合いの居酒屋。
そこから紹介された料理店。
さらに二店舗を経営する店主の売上集計。
最近では、紹介だけでなく、以前の依頼人から追加の相談が来ることもある。
本業の給料とは別に、仕事の対価として金が入ってくる。
それは、なかなか気分のいいものだった。
金目は口座の数字をもう一度見た。
「これ、もうちょっと増えたら結構ええんちゃうかな」
そのとき、スマートフォンが震えた。
昔の同僚からだった。
『この前の請求書、確認してもらえた?』
「あ」
金目は声を漏らした。
そういえば、まだ支払っていなかった。
メールを開く。
先日、二店舗の売上集計を手伝ってもらった分の請求書が届いていた。
金額を確認し、振込の手続きをする。
口座の残高が減った。
「……まあ、そらそうやな」
仕事を手伝ってもらったのだから、金を払うのは当然だ。
それ自体に不満はない。
むしろ、助かったと思っている。
ただ、先ほどまで見ていた残高が少し寂しくなった。
金目は、ふと思った。
「……俺、結局なんぼ儲かったんや?」
*
その夜、金目はパソコンの前で数字を並べていた。
売上。
外注費。
道具代。
交通費。
思いつくものを一通り書き出してみる。
しかし、どうにも数字が合わなかった。
請求書を出したものの、まだ振り込まれていない仕事がある。
反対に、以前の仕事の入金が今月になっているものもある。
自分のパソコンは、もともと本業でも私生活でも使っていた。
通信費も同じだ。
何をどこまで仕事の費用として考えればいいのか、よくわからない。
「……これ、思ったより面倒やな」
金目は椅子にもたれた。
顧客の売上集計を楽にする仕事をしているのに、自分の売上が整理できていない。
なかなか笑えない話だった。
試しに、今月の入金額から支払った金額を引いてみる。
数字が出た。
しかし、それが利益なのかと言われると、自信がなかった。
来月支払う予定の費用は入っていない。
まだ入金されていない売上もある。
そもそも、自分が作業した時間をどう考えるのか。
「……わからん」
金目は画面を閉じた。
こういうときは、詳しい人に聞いた方が早い。
少なくとも、自分で何時間も調べ続けるよりは。
*
「で、何がわからへんの?」
数日後。
金目は、以前から顔見知りだった女性と向かい合っていた。
数字に強く、事務仕事にも詳しい人だった。
少々はっきりものを言うところがある。
金目は、そういう人の方が話しやすかった。
「儲かってるかどうかです」
「……は?」
「いや、仕事は増えてるんですよ」
「うん」
「お金も入ってきてるんです」
「うん」
「でも、結局なんぼ残ってるんかわからんくて」
女性は金目をじっと見た。
「それ、今までどうしてたん?」
「口座見てました」
「……口座?」
「残高が増えてたら、儲かってるんかなと」
女性はしばらく黙っていた。
そして、大きくため息をついた。
「金目さん」
「はい」
「それ、商売の数字の見方としてはあかんで」
「やっぱり?」
「やっぱり、やないわ」
金目は苦笑した。
どうやら、思っていた以上に問題があるらしい。
「資料、持ってきた?」
「一応」
金目はパソコンを開いた。
請求書。
振込の記録。
仕事ごとのメモ。
外注先から届いた請求書。
それらをまとめたフォルダを見せる。
女性は画面をのぞき込んだ。
「……これ、何順?」
「え?」
「日付順? 取引先順?」
「作った順です」
「何を?」
「ファイルを」
女性は目を閉じた。
「ちょっと待ってな」
「はい」
「まず、何がどこにあるか教えて」
金目は説明を始めた。
最初の居酒屋の仕事。
料理店の予約管理。
二店舗の売上集計。
それぞれの請求書と入金状況。
途中で女性が何度も質問した。
「これは入金済み?」
「まだです」
「こっちは?」
「それは先月入ってます」
「この支払いは?」
「同僚に頼んだ分ですね」
「請求書は?」
「メールにあります」
「なんでここにないん?」
「……入れ忘れました」
女性は金目を見た。
「金目さん、仕事はちゃんとできてるん?」
「たぶん」
「そこも、たぶんなん?」
「お客さんには喜んでもらってます」
「それはよかったな」
女性は少し笑った。
「でもな、お客さんが喜んでくれてても、お金が残るとは限らへんで」
金目はうなずいた。
手元の残高を見直した。先日支払った分の請求書も、まだその横にある。
*
「まず、これを整理しよか」
女性は新しい表を開いた。
取引先。
仕事内容。
請求した金額。
請求日。
入金予定日。
入金済みかどうか。
それから、仕事にかかった費用。
金目は横から眺めていた。
「……結構ありますね」
「これでも最低限やで」
「そうなんですか」
「あと、外注費はちゃんと分けとかなあかん」
「はい」
「自分が受け取った金額、全部自分の儲けやと思ったらあかんで」
「さすがにそれはわかります」
「ほな、なんで最初に口座残高見て喜んでたん?」
「……すみません」
女性は笑った。
金目も笑った。
しばらくして、数字が一つずつ整理されていった。
請求したが、まだ入っていない金。
すでに入っている金。
支払いが済んだ費用。
これから支払う費用。
それぞれを分けて並べると、先ほどまで見えていなかったものが少しずつ形になった。
「ほら、ここ」
女性が画面を指さした。
「この仕事、売上はあるけど、外注費を引いたら思ったより残らへんやろ」
「……ほんまですね」
「しかも、金目さん自身も結構時間使ってるんちゃう?」
「そうですね」
「その時間まで考えたら、割に合うかは別の話やで」
金目は腕を組んだ。
顧客との話、資料の整理、同僚への説明。
自分が作っていない間にも、使った時間はあった。
「……一人でやった方が儲かったんかな」
「そうとも限らへんやろ」
女性は即座に答えた。
「え?」
「その人に頼んでる間、金目さんは別の仕事できたんちゃうの?」
「まあ、できましたね」
「ほな、その分も考えなあかん」
同僚が作っている間、金目は次の顧客へ返事をした。
その時間までなくしたら、手元に残る仕事も違っていたはずだ。
「……なるほど」
「それに、頼んだ方がええもん作ってくれたんやろ?」
「そうですね」
「ほな、なおさら金額だけでは決められへんな」
金目はうなずいた。
どうやら、商売の数字というものは、思った以上に奥が深いらしい。
*
「で、これからどうするん?」
一通りの整理が終わったところで、女性が尋ねた。
「どうする、とは?」
「この管理。自分で続けるん?」
金目は画面を見た。
確かに、表はできた。
何を記録すればいいのかも、だいたいわかった。
しかし、毎月これを更新する必要がある。
請求書を確認する。
入金を確認する。
支払いを記録する。
未入金があれば確認する。
それを仕事が増えるたびに続けていく。
「……面倒ですね」
「せやろな」
女性は笑った。
「でも、せなあかんで」
「ですよね」
「税金のこともあるし、ちゃんと残しとかんと」
金目はしばらく考えた。
自分でできないわけではない。
ただ、得意でもない。
そして、あまりやりたくもない。
「……これ、お願いできません?」
女性は金目を見た。
「何を?」
「今みたいな整理です」
「毎月?」
「できれば」
「金目さん、自分の仕事を楽にしたいだけちゃう?」
「まあ、そうですね」
「正直やなあ」
二人は笑った。
女性は少し考えてから言った。
「まず、今日の分は仕事としてちゃんと払ってもらうで」
「もちろんです」
「それで、毎月のことは別に相談しよか」
「はい」
「仕事がどれくらいあるんかも、まだわからへんしな」
金目はうなずいた。
毎月のことは、作業量が見えてから。金目は、今回の分を頼むことにした。
「ほな、まず今回の整理分をお願いします」
「了解」
女性はパソコンを閉じた。
「あと、ひとつ言うとくけど」
「はい」
「請求書、出しただけで安心したらあかんで」
「……はい」
「入金されるまでが仕事やからな」
金目は苦笑した。
どうやら、これから何度も言われることになりそうだった。
*
帰宅した金目は、整理してもらった表を開いた。
以前より、ずっと見やすかった。
どの仕事でいくら請求したのか。
いくら入金されたのか。
これから何を支払うのか。
そして、現時点でどれくらいの金が残りそうなのか。
少なくとも、口座の残高だけを眺めていたときよりは、ずっとよくわかる。
「……これ、最初からやっといたらよかったな」
金目は小さくつぶやいた。
頼まれたものを作り、喜んでもらうのは面白かった。
その横に、請求した金と、手伝ってくれた人へ払う金が並んでいる。
次からは、この表も一緒に開こうと思った。
金目はノートを開いた。
『面倒な仕事を、楽にする』
『自分がいなくても、回るようにする』
その下に、新しい一行を書き加えた。
『ちゃんと、お金が残るようにする』
「……なんか、商売っぽくなってきたな」
金目は少し笑った。
翌日。
例の女性から、短いメッセージが届いた。
『昨日の表、入金予定日を一か所直しといたで。あと、未入金の請求書が一件あるから確認してな』
金目は画面を見た。
金目は、修正された予定日の欄を開いた。
同僚の集計表とは違うところで、この人にも助けられている。
『ありがとうございます。確認します』
返信してから、金目は予定表を開いた。
本業の仕事。
顧客との打ち合わせ。
同僚への確認。
そして、帳簿の整理。
少し前まで、全部自分一人でやっていたことだった。
今は、手伝ってくれる人が二人いる。
もっとも、二人とも社員ではない。
それぞれ自分の仕事があり、条件を決めて協力してもらっているだけだ。
金目は予定表を眺め、ふと思った。
「……俺、何する人になってきたんやろ」
自分で作る仕事は、まだある。
顧客の話を聞く仕事もある。
けれど、それ以外に、人に頼む仕事や、金のことを考える仕事が増えてきた。
カナメ事務所。
事務所といっても、相変わらず自宅の机が一つあるだけだ。
社員もいない。
それでも、少しずつ、自分一人ではない仕事になり始めていた。
金目はパソコンを閉じた。
「……まあ、楽になるんやったらええか」
その言葉が、どこまで本当なのか。
今の金目には、まだわからなかった。
お読みいただきありがとうございます。旭月です。
仕事が増えて、お金も入ってくる。
それなのに、本当に儲かっているのかはわからない。
そんな金目の前に、今度は数字に厳しい協力者が現れました。
技術だけでは商売は続かない。
カナメ事務所も、少しずつ「組織」らしくなっていきます。
次回もお付き合いいただければ幸いです。




