社長への苦情
2033年6月。
大阪・本町。
株式会社カナメでは、新しい事務所での仕事がすっかり日常になっていた。
四月に入社した二名の新卒社員も、研修を終え、少しずつ実際の仕事に関わり始めている。
社員数は三十七名。
開発部では三課体制が定着し、それぞれの課が担当する仕事を進めていた。
営業部でも、新しい案件の相談が続いている。
そして金目は、相変わらず経営と営業部長の仕事を兼任していた。
そんな六月のある日。
金目の何気ない一言が、思わぬ仕事を生んでいた。
*
「……これ、自動化できへんかな?」
金目は、画面に表示された業務資料を眺めながらつぶやいた。
毎月、同じような内容を確認している資料だった。
必要な情報は揃っている。
しかし、一部の集計はまだ手作業なのではないかと、金目は思った。
「……まあ、できそうな気もするな」
金目は、少し考えた。
そして、社内チャットを開いた。
『これ、集計のところ自動化できへんかな?』
投稿してから、別の仕事へ戻った。
今すぐ対応してほしいわけではない。
誰かに正式な調査を依頼したつもりもなかった。
ただ、気になったことを書いただけだった。
*
その頃。
開発部の社員が、金目の投稿を見ていた。
「……社長からや」
社員は、資料を開いた。
集計の、どの部分を見てほしいのだろう。
投稿だけでは、そこまでは読み取れなかった。
現在は、別の案件を担当している。
今週中に終わらせる予定の作業も残っていた。
「……先に確認した方がええんかな」
社員は、少し考えた。
金目から直接投稿されている。
しかも、内容は業務改善に関するものだった。
後回しにしてよいのか、判断しにくい。
「……ちょっと調べとこか」
社員は、予定していた作業をいったん止め、集計処理の仕組みを確認し始めた。
*
翌日。
「……あれ?」
田村洋介は、担当案件の進捗を確認していた。
予定していた調査が、まだ終わっていない。
担当者へ連絡すると、すぐに返事が届いた。
『すみません。昨日、別件の調査をしていました』
「別件?」
田村が尋ねた。
『金目さんがチャットで、自動化できないかとおっしゃっていた件です』
「……ああ」
田村は、投稿を確認した。
確かに、金目が書いている。
しかし、担当者や期限は指定されていない。
「……これ、依頼やったんかな?」
田村は、少し考えた。
金目なら、思いついたことをそのまま書くこともある。
ただし、社員からすれば、社長の発言だった。
『ちなみに、金目さんから直接頼まれたん?』
『いえ、チャットを見て、先に調べた方がよいと思いまして』
「……なるほどな」
田村は、少し笑った。
『確認ありがとう。ただ、今の案件を優先してくれたらええで』
『承知しました』
『自動化の件は、こっちで必要性を確認しとくわ』
『ありがとうございます』
田村は、チャットを閉じた。
「……金目、また何か思いついたんやな(笑)」
*
数日後。
福原奈央は、社員との定期面談を行っていた。
最近の仕事の状況。
困っていること。
そして、会社に改善してほしいこと。
そうした話を聞くための面談だった。
「最近、何か困っていることはありませんか?」
福原が尋ねた。
「そうですね……」
社員は、少し考えた。
「大きな問題ではないんですが、一つ気になっていることがあります」
「はい。何でしょうか?」
「金目さんから、時々チャットで改善の話が出るじゃないですか」
「ああ、はい」
福原は、うなずいた。
「それが、正式な依頼なのか、ちょっとした相談なのか、わからないことがありまして」
「なるほど」
「社長から直接言われると、やっぱり優先した方がいいのかなと思ってしまうんです」
「そうなんですね」
福原は、少し考えた。
「実際に、予定していた仕事を変更することもありますか?」
「はい。少しだけですが」
「なるほど」
「もちろん、改善すること自体はよいと思っています」
「はい」
「ただ、いつまでに対応すればよいのか、そもそも対応が必要なのか、わからないことがあるんです」
福原は、うなずいた。
「……確かに、それは判断しにくいですね」
*
「ちなみに、課長さんには相談されていますか?」
福原が尋ねた。
「はい。今回も相談しました」
「なるほど」
「今の案件を優先してよいと言っていただきました」
「それはよかったです」
「ただ、毎回確認するのも、ちょっと申し訳なくて」
「そうですね」
福原は、少し考えた。
「わかりました。発信の仕方について、確認してみますね」
「ありがとうございます」
「もちろん、誰から相談があったかを伝える必要はありませんので」
「はい」
社員は、少し安心したように笑った。
*
面談を終えたあと。
福原は、最近の社内チャットを確認していた。
金目からの投稿。
業務改善についての相談。
新しい仕組みについてのアイデア。
そして、ちょっとした気づき。
どれも、会社の仕事をよくするためのものだった。
しかし、投稿を読み返してみると、確かに判断しにくいものがあった。
『これ、自動化できへんかな?』
『こういうやり方もありそうやな』
『一回、見直してもええかもしれんな』
それぞれ、金目がどの程度の対応を期待しているのか、文章だけではわからない。
「……なるほど」
福原は、少し考えた。
金目は、社員へ仕事を任せることを大切にしている。
各部署の責任者が判断し、必要な仕事を進められるようにしてきた。
しかし、社長本人から直接発信される言葉には、それとは別の影響があるのかもしれない。
*
「高瀬さん、少しご相談してもよろしいでしょうか?」
福原が声をかけた。
「はい。どうされました?」
「金目さんの社内チャットについてなんですが」
「金目さんの?」
「はい」
福原は、面談で聞いた内容を、個人が特定されない形で説明した。
金目の改善案が、正式な依頼なのか判断しにくいこと。
社長からの発言であるため、優先して対応するべきだと受け取られる場合があること。
そして、その結果、予定していた仕事を変更することがあること。
「……なるほど」
高瀬は、少し考えた。
「確かに、金目さんは思いついたことをそのまま共有されることがありますね」
「そうですね」
「ただ、ご本人としては、すぐに対応してほしいわけではないことも多いと思います」
「はい」
福原がうなずいた。
「そこが、受け取る側にはわからないんだと思います」
「なるほど」
高瀬は、少し考えた。
「では、一度、金目さんに相談してみましょうか」
「はい。お願いしたいです」
*
六月中旬。
「金目さん、少しお時間よろしいでしょうか?」
福原が連絡した。
「ええですよ。どうしました?」
「少し、改善していただきたいことがありまして」
「ほう?」
金目は、少し考えた。
「……俺が?(笑)」
「はい(笑)」
福原は、少し笑った。
「社内チャットでの発信についてなんですが」
「チャット?」
「はい」
「……何か変なこと書いたっけ?」
金目は、少し首をかしげた。
福原は、資料を共有した。
「例えば、先日の自動化についての投稿です」
「ああ、あれな」
金目がうなずいた。
「何かあったん?」
「実は、あの投稿を見て、予定していた仕事を変更して調査を始めた社員がいたそうなんです」
「……え?」
金目は、少し驚いた。
「いや、あれ思いつきやで?」
「そうだと思います」
福原が答えた。
「ただ、受け取った方には、それがわからなかったようで」
「……なるほどな」
金目は、少し考えた。
「……別に、今すぐやってほしかったわけちゃうんやけどな」
「はい」
「ただ、できるんかなと思っただけで」
「そうですよね」
福原は、うなずいた。
「でも、社長から直接発信されると、正式な依頼だと受け取る方もいらっしゃるようです」
「……ああ」
金目は、少し考えた。
「……そういうことか」
*
金目は、先日の投稿を開いた。
『これ、集計のところ自動化できへんかな?』
確かに、自分はそう書いている。
ただの思いつきだった。
しかし、そこには、対応する必要があるのかどうかは書かれていない。
誰に向けたものなのかも、明確ではなかった。
「……なるほどな」
金目は、小さくつぶやいた。
自分としては、気軽に意見を書いただけだった。
しかし、社員からすれば、社長の言葉だった。
その違いを、十分に考えていなかったのかもしれない。
「……そら、わからんわな」
金目は、少し笑った。
福原も、少し笑った。
「はい」
「……すまんな。そこまで考えてへんかったわ」
「いえ。改善できればと思いまして」
「せやな」
金目は、うなずいた。
「ほな、ちょっと考えようか」
福原は、少し安心したように笑った。
「ありがとうございます」
*
高瀬も加わり、三人で発信の仕方を考えた。
「ちなみに、こういうことって、ほかにもあるんかな?」
金目が尋ねた。
福原は、少し考えた。
「今回のように、予定していた仕事を変更した例は確認できています」
「なるほど」
「ただ、すべての投稿で同じことが起きているわけではありません」
「せやな」
「一方で、正式な依頼かどうかを確認すること自体に、少し負担を感じる方もいらっしゃるようです」
「……ああ」
金目は、少し考えた。
「わざわざ課長に確認せなあかんわけやな」
「はい」
「それで、課長も確認して、ほんで必要なかったら元に戻す」
「そうですね」
金目は、少し笑った。
「……俺が仕事増やしとるやん(笑)」
福原も、少し笑った。
「結果として、そうなっている場合がありますね」
「……あかんな、それ(笑)」
*
「ただ、改善のアイデアを共有すること自体は、悪いことではないと思います」
高瀬が言った。
「せやな」
「金目さんが気づかれたことを共有することで、実際に改善につながる場合もありますから」
「うん」
「ですので、投稿をやめる必要はないと思います」
「なるほど」
金目は、少し考えた。
「ほな、どうしたらええやろな」
福原が答えた。
「例えば、投稿するときに、対応が必要かどうかを明記していただくのはいかがでしょうか?」
「ほう」
「単なるアイデアなのか、意見を聞きたいのか、正式に対応してほしいのか」
「なるほど」
「そこがわかれば、受け取る側も判断しやすくなると思います」
金目は、うなずいた。
「……それでええんちゃうかな」
*
「例えば、こんな感じでしょうか」
福原は、資料を共有した。
思いつき。
相談。
依頼。
三つの区分が並んでいる。
「思いつきの場合は、対応不要と明記します」
「うん」
「相談の場合は、意見をいただきたいことを伝えます」
「なるほど」
「正式な依頼の場合は、担当者や優先順位、期限を明確にします」
金目は、少し考えた。
「……わかりやすいな」
「ありがとうございます」
福原は、少し笑った。
「ただ、全社員に新しいルールを増やす必要はないと思っています」
「ほう?」
「まずは、金目さんの発信方法を変えていただくだけで、改善できると思いますので」
金目が笑った。
「……俺だけ直したらええわけやな(笑)」
「はい(笑)」
高瀬も、少し笑った。
「今回の問題は、金目さんの発信方法にありますからね」
「……容赦ないなあ(笑)」
三人は笑った。
*
「でも、ほんまそうやな」
金目が言った。
「はい?」
福原が尋ねた。
「社員に、これは思いつきやから無視してええで、って察してもらうんは違うわな」
「そうですね」
「俺がちゃんと書いたら済む話や」
「はい」
金目は、少し考えた。
「ほな、これからは区分をつけるようにするわ」
「ありがとうございます」
「ただ、正式な依頼は、今までどおり責任者を通した方がええな」
高瀬がうなずいた。
「そうですね」
「各課の予定もあるし、俺が直接担当者に仕事振ったら、またややこしなるやろ」
「はい」
福原も、うなずいた。
「その方が、優先順位も整理しやすいと思います」
「せやな」
金目は、少し笑った。
「……結局、俺が一番気をつけなあかんわけやな(笑)」
「そうかもしれませんね(笑)」
福原も笑った。
*
その日の午後。
金目は、社内チャットを開いた。
先ほどの話を踏まえて、発信方法を見直すことにした。
これまでなら、気になったことをそのまま投稿していた。
しかし、これからは、少しだけ書き方を変える。
何を考えているのか。
何を期待しているのか。
そして、今すぐ対応する必要があるのか。
それを明確にするだけだった。
「……ほな、試してみよか」
金目は、少し笑った。
そして、社内チャットへ投稿した。
『【思いつき・対応不要】毎月の集計、もうちょっと自動化できたら便利そうやな』
投稿を確認する。
「……これなら、わかるやろ」
金目は、うなずいた。
*
しばらくして。
西田から返信が届いた。
『それ、前から自動化しとるで(笑)』
「……え?」
金目は、画面を見直した。
『そうなん?』
すぐに返事が届いた。
『せやで。先月から切り替わっとる』
『……知らんかったわ(笑)』
『課の方で改善して、もう運用しとるで』
金目は、少し笑った。
『……先に言うてや(笑)』
西田から、また返信が届いた。
『社長が知らんでも回る会社になったんやろ?(笑)』
「……それ言うか(笑)」
金目は、思わず笑った。
*
金目は、もう一度チャットを見直した。
自分が手作業だと思っていた集計は、すでに改善されていた。
しかも、自分が指示したわけではない。
現場で必要性を判断し、担当者たちが改善を進めていた。
「……なるほどな」
金目は、少し考えた。
以前なら、自分が気づき、自分が改善を提案し、自分が進捗を確認していたかもしれない。
しかし、今は違う。
社員たちが、自分たちで仕事を進めている。
そして、必要な改善も、自分たちで考えている。
金目が知らないところで、会社は少しずつ変わっていた。
「……ええことやな」
金目は、小さくつぶやいた。
*
数日後。
福原は、金目の新しい投稿を確認していた。
『【思いつき・対応不要】こういう方法もありそうやな』
『【相談】この進め方について、意見もらえる?』
以前より、投稿の意図がわかりやすくなっている。
正式な依頼についても、担当部署の責任者へ確認する形になっていた。
「……よかった」
福原は、少し笑った。
大きな制度を新しく作ったわけではない。
社員に新しい報告を求めたわけでもない。
金目が、自分の伝え方を少し変えただけだった。
しかし、それだけでも、受け取る側の迷いは減るはずだった。
*
六月末。
金目は、西田と新事務所のオープンスペースで話していた。
「……しかし、社長への苦情が来るとは思わんかったわ(笑)」
金目が言った。
西田が笑った。
「そら、社長も間違えることあるやろ(笑)」
「せやな」
「でも、ちゃんと直したんやろ?」
「まあな」
金目は、少し笑った。
「俺が思いつきで仕事増やしとったら、何のために効率化しとるかわからんしな(笑)」
「ほんま、それやな(笑)」
二人は笑った。
*
「でも、ええことやと思うで」
西田が言った。
「何が?」
金目が尋ねた。
「社員が、社長に改善してほしいことを言えるんやろ?」
「……ああ」
金目は、少し考えた。
「確かにな」
「言うても無駄やと思われとったら、そもそも話も来えへんやろし」
「せやな」
金目は、うなずいた。
「……ほな、ちゃんと聞かなあかんな」
「せやな」
西田は、少し笑った。
「まあ、次は何言われるかわからんけどな(笑)」
「……それは勘弁してほしいわ(笑)」
二人は、また笑った。
*
株式会社カナメは、三十七名の会社になっていた。
社員が増え、仕事を任せられる人も増えた。
そして、社長自身の言葉が、以前より大きな影響を持つようになっていた。
金目は、社員たちが自分で考え、判断できる会社を作ろうとしてきた。
しかし、そのためには、自分自身の仕事の進め方も変える必要があった。
社員に任せること。
社員の意見を聞くこと。
そして、自分の間違いを認め、必要なら直すこと。
それもまた、会社を成長させるために必要な仕事だった。
六月の終わり。
金目は、今日も社内チャットを開いていた。
ただし、以前とは少しだけ、書き方が変わっていた。
お読みいただきありがとうございます。旭月です。
今回は、なんと金目に苦情が届くお話でした(笑)。
本人は、ただ思いついたことをチャットに書いただけ。
ところが、社員にとっては社長からの発言です。
「これ、自動化できへんかな?」
そんな何気ない一言でも、正式な指示だと受け取られてしまうことがあるわけですね。
発言する側の意図と、受け取る側の認識は、必ずしも一致しません。
特に、立場が違えば、同じ言葉でも重みが変わってきます。
そこで今回は、社員に察してもらうのではなく、金目自身が伝え方を変えることにしました。
**相手に正しく伝わらなければ、伝えたつもりでも意味がない。**
これは、仕事に限らず大切なことかもしれませんね。
そして、もう一つ。
今回、社員が社長への改善要望を伝えられたことも、大きな意味があったと思います。
誰でも間違えることはあります。
大切なのは、指摘されたときにどうするか。
金目も、まだまだ改善の余地があるようです。
……もっとも、効率化しようとして余計な仕事を増やしていたというのは、本人にとって相当不本意でしょうけどね(笑)。
次回も、引き続きお付き合いいただければ幸いです。




