二度目の賞与
2033年4月。
大阪・本町。
株式会社カナメが新しい事務所へ移転してから、二週間ほどが経っていた。
新しい執務スペースにも、社員たちは少しずつ慣れてきている。
三つに増えた会議室。
二つの個室ブース。
そして、以前より広くなったオープンスペース。
もっとも、普段はリモート勤務をしている社員も多いため、毎日すべての席が埋まるわけではない。
必要なときに集まり、必要なときに相談する。
カナメの働き方は、事務所が変わっても大きく変わっていなかった。
そんな四月中旬。
業務部では、今年もある仕事が進められていた。
*
「……今年は、去年より落ち着いていますね」
福原奈央が、資料を確認しながら言った。
隣では、高瀬が賞与支給の確認を進めている。
「そうですね」
高瀬がうなずいた。
「昨年は初めての支給でしたから」
「はい」
「制度の確認や手順の整理も、同時に進めていましたね」
「そうですね」
福原は、少し笑った。
「今年は、そのあたりが整っていますから」
「はい」
高瀬は、資料を切り替えた。
「ただし、確認することは変わりません」
「そうですね」
「支給対象者、支給額、控除項目、振込データ」
「はい」
「それぞれ、間違いがないように確認する必要があります」
福原は、うなずいた。
「慣れたからといって、間違えてよいわけではありませんからね」
「そういうことです」
高瀬は、少し笑った。
昨年四月。
カナメでは、初めての賞与が支給された。
社員たちは大いに喜び、業務部では支給に向けて慎重な確認が行われた。
あれから一年。
賞与の支給は、特別な準備を必要とする新しい制度から、会社の年間業務の一つへと変わり始めていた。
*
「そういえば、今年は対象者も増えていますね」
福原が言った。
「そうですね」
高瀬が答えた。
「昨年から社員数が増えていますので」
「はい」
福原は、社員一覧を確認した。
昨年四月の時点では、まだ二十名台だった社員数。
その後も採用が続き、昨年末には三十五名となった。
そして、今年四月には新卒社員二名が入社している。
現在の社員数は三十七名だった。
「ただ、今年入社した二名については、今回の支給対象には含まれていませんね」
福原が確認した。
「はい。今回の算定対象期間には在籍していませんので」
「承知しました」
高瀬は、資料を確認した。
「そのほかの社員についても、在籍期間や支給条件に沿って確認しています」
「はい」
福原は、うなずいた。
「……人数が増えると、確認することも増えますね」
「そうですね」
高瀬は、少し笑った。
「ただ、人数が増えたからといって、確認方法を複雑にする必要はありません」
「なるほど」
「必要な情報を整理して、決められた手順で確認できるようにしておけばよいと思います」
「そうですね」
福原は、少し考えた。
「……昨年、手順を整えておいてよかったですね」
「はい」
二人は、少し笑った。
*
同じ頃。
金目は、高瀬から届いた経営資料を確認していた。
四月一日には、新事務所の開設と新卒社員二名の入社式が行われた。
その後の全社集会では、今年度の事業方針について社員たちへ説明している。
今年も、採用活動は続ける。
年末には四十名体制を目指す。
ただし、人数を増やすこと自体が目的ではない。
社員たちが仕事を覚え、それぞれの判断で仕事を進められるようにする。
そして、会社として対応できる仕事を、少しずつ増やしていく。
そうした方針を共有していた。
業績についても、現在の事業状況と今後の見通しを説明している。
会社は、今のところ順調に成長していた。
*
「金目さん、賞与の件ですが」
高瀬から連絡が入った。
「はい。どうなりました?」
「今年の支給額について、最終確認ができました」
「ありがとうございます」
金目は、資料を開いた。
支給対象者数。
賞与の支給総額。
そして、支給後の資金繰り見込み。
「……おお」
金目は、少し笑った。
「去年より、だいぶ増えとるな」
「そうですね」
高瀬が答えた。
「社員数が増えていますので、支給総額も増加しています」
「せやな」
金目は、資料を確認した。
「資金繰りの方は、大丈夫?」
「はい。今回の支給については、予定どおり対応できます」
「そらよかった」
「今後の人件費や、事務所移転に伴う固定費についても、事業計画に織り込んでいます」
「了解」
金目は、うなずいた。
「ほな、予定どおりお願いします」
「承知しました」
*
「……しかし、ようけ増えたな」
金目が言った。
「社員数ですか?」
高瀬が尋ねた。
「それもやけど、賞与の総額もな」
「そうですね」
「去年は、初めてやったからなあ」
金目は、少し笑った。
「みんな、結構喜んでくれとったやろ?」
「はい」
高瀬もうなずいた。
「特に、大本さんは喜ばれていましたね」
「……ああ、そうやったな(笑)」
金目は笑った。
「今年も喜んでくれるかな」
「どうでしょうね」
高瀬も、少し笑った。
「きっと、喜ばれると思いますよ」
「せやな」
金目は、うなずいた。
「ほな、今年もちゃんと出せるようにせなあかんな」
「はい」
*
四月二十日。
賞与支給日。
大本恭平は、朝から機嫌がよかった。
「……来た!」
自宅で仕事を始める前。
大本は、振込通知を確認していた。
「……よっしゃ!」
思わず声が出た。
昨年は、初めての賞与だった。
今年は二度目。
しかし、うれしさが減るわけではない。
「……やっぱり賞与はええなあ(笑)」
大本は、少し笑った。
そして、仕事用のチャットを開いた。
*
「……おはようございます!」
朝のオンライン会議。
大本は、いつもより少し元気な声で挨拶した。
「おはようございます」
松井慎吾が答えた。
「……今日は元気ですね」
「そらそうですよ!」
大本が笑った。
「賞与の日ですから!」
松井は、少し笑った。
「なるほど(笑)」
小坂千尋も、会議に参加していた。
「……大本さん、去年も同じこと言ってなかった?」
「言いましたよ!」
大本は、迷わず答えた。
「去年も嬉しかったし、今年も嬉しいんです!」
小坂が笑った。
「……まあ、それはそうね(笑)」
松井も笑った。
「毎年、楽しみにできるのはよいことですね」
「ほんま、それです!」
大本は、うなずいた。
*
「ちなみに、大本さん」
小坂が言った。
「はい?」
「賞与が入ったからって、仕事の予定は変わらないわよ?」
「……わかってますよ(笑)」
大本が答えた。
「今日も、ちゃんと仕事します!」
「それならよかった(笑)」
松井が笑った。
「では、今日の予定を確認しましょうか」
「了解です!」
大本は、少し笑った。
賞与が支給されたからといって、仕事の内容が変わるわけではない。
今日も、顧客との打ち合わせがある。
営業資料の確認もある。
そして、新しい相談への対応もある。
それでも、朝から少し気分がよかった。
昨年も、今年も。
賞与の日は、やっぱりうれしいものだった。
*
同じ頃。
柴崎真帆も、賞与の明細を確認していた。
「……今年も、ちゃんと出たんだ」
柴崎は、少し笑った。
昨年は、初めての賞与だった。
今年は二度目。
去年ほど驚くことはなかったが、やはりうれしい。
少しして、大本からチャットが届いた。
『賞与やで!』
柴崎は、思わず笑った。
「……知ってるよ(笑)」
返信する。
『今年も元気だね(笑)』
すぐに返事が届いた。
『そらそうやろ!』
柴崎は、また笑った。
去年と同じようなやり取り。
しかし、こうして今年も同じ日を迎えられたことが、少しうれしかった。
*
四月二十日、カナメでは二度目の春季賞与が予定どおり支給された。社員たちは、それぞれの場所で仕事を続けていた。
*
四月下旬。
株式会社カナメの業務部では、春季賞与の支給を終えたあとの確認が進められていた。
四月二十日。
今年も、予定どおり賞与が支給された。
振込結果を支給記録へ合わせ、一件ずつ照合する。支給前に確認した資料が、今度は結果を確かめるために使われていた。
高瀬は、最終確認を終えた資料を保存した。
「……これで、今年も完了ですね」
隣にいた福原奈央が、少し笑った。
「はい。お疲れさまでした」
「お疲れさまでした」
二人は、少し笑った。
*
福原は、支給対象者の一覧と、今年四月に入社した二名の欄を見直した。社員一覧に名前があることと、今回の対象であることは同じではない。
算定対象期間と合わせた記録を残し、資料を閉じた。
*
「そういえば、高瀬さん」
福原が尋ねた。
「はい?」
「来年も、同じ時期に賞与を支給する予定なんですよね?」
「はい。現在の制度では、その予定です」
「なるほど」
「もちろん、会社の業績や支給条件を確認する必要はありますが」
「そうですね」
高瀬は、少し考えた。
「ただ、制度として定めた以上、毎年きちんと運用できるように準備しておく必要があります」
「はい」
「社員の皆さんも、それを前提に生活を考えることがあるでしょうから」
福原は、うなずいた。
「確かに、そうですね」
「ですから、支給日が近づいてから慌てるのではなく、年間の資金計画に織り込んでおくことが大切だと思っています」
「なるほど」
福原は、少し笑った。
「……やっぱり、業務部の仕事は先のことを考えるものが多いですね」
「そうかもしれませんね」
高瀬も笑った。
*
その日の午後。
「金目さん、少しよろしいでしょうか?」
高瀬が連絡した。
「ええですよ。どうしました?」
「今年の春季賞与について、支給後の確認が完了しました」
「ありがとうございます」
金目は、資料を開いた。
「問題はなかった?」
「はい。振込結果と支給記録の照合も完了しています」
「そらよかった」
「支給総額についても、予定の範囲内でした」
「了解」
金目は、うなずいた。
「ほんま、お疲れさまでした」
「ありがとうございます」
*
高瀬は、確認済みの支給総額を、先の資金計画へ戻した。
金目も、その先の採用予定へ目を移す。今年の支給が終わっても、社員が増えれば、次の給与や賞与の負担も変わる。
「でも、金目さん」
高瀬が言った。
「はい?」
「賞与を継続するためには、会社として利益を確保し続ける必要があります」
「せやな」
「社員数が増えれば、給与や賞与の総額も増えていきます」
「うん」
「ですから、今後の採用計画や事業の見通しも含めて、確認していきたいと思っています」
「もちろんや」
金目は、うなずいた。
「無理して出して、会社が続かんようになったら意味ないしな」
「そうですね」
「でも、出せるようにするために、何が必要なんかは考えたいわ」
「はい」
金目は、少し笑った。
「せっかく、みんな喜んでくれとるんやしな」
「そうですね」
高瀬も、少し笑った。
*
「……まあ、俺も賞与もろたら嬉しいしな(笑)」
金目が言うと、高瀬も笑った。
「もろて嬉しいもんは、何回もろても嬉しいんよ(笑)」
*
同じ頃。
営業部では、大本恭平が、いつもどおり仕事を進めていた。
顧客との打ち合わせを終え、次の資料を確認している。
「……よし」
大本は、作業を終えて少し伸びをした。
そこへ、松井慎吾から連絡が入った。
「大本さん、先ほどの資料、確認できました」
「ありがとうございます!」
「内容は問題ありません」
「そらよかったです」
「ただ、一点だけ修正をお願いします」
「了解です」
大本は、資料を開いた。
「……ああ、ここですね」
「はい。よろしくお願いします」
「承知しました!」
*
修正を終えたあと、大本は柴崎へチャットを送った。
『今年も賞与もろえたし、仕事も順調やしな』
『まだ賞与の話してる(笑)』
『ほな、来年も楽しみにしとこか』
『気が早いよ(笑)』
『楽しみは早めに用意しとくもんや(笑)』
柴崎は、思わず笑った。
『……そういう考え方もあるんだね(笑)』
*
四月下旬。
株式会社カナメでは、春季賞与の支給を終え、いつもどおりの仕事が続いていた。
社員数は三十七名。
新しい事務所にも、少しずつ慣れてきている。
新卒社員二名は研修を進め、各部署ではそれぞれの案件が動いている。
賞与が支給されたからといって、仕事が変わるわけではない。
しかし、社員たちにとっては、今年も楽しみにできる日が一つあった。
昨年は、初めての賞与だった。
今年は、二度目。
そして来年も、同じように迎えられるように。
そのために、業務部では年間の計画を確認し、金目たちは会社の仕事を続けていく。
そして、来年の賞与を楽しみにするには、まだ少し早い四月の終わり。
カナメでは、今日もいつもどおりの仕事が進んでいた。
お読みいただきありがとうございます。旭月です。
今回は、カナメで二度目となる春季賞与のお話でした。
昨年は初めての賞与ということで、社員たちも大喜びでした。
そして今年。
……大本は、相変わらず大喜びでしたね(笑)。
もっとも、賞与というのは何度もらってもうれしいものです。
筆者も賞与が入るときは、毎回うれしくなります(笑)。
さて、社員にとっては楽しみな賞与ですが、会社にとっては毎年続けていく責任もあります。
社員が増えれば、支給総額も増えていきます。
制度を作るだけでなく、無理なく継続できるように、利益や資金繰りを考えておく必要があるわけです。
そして、その裏では高瀬や福原が、支給額や振込内容を一つずつ確認していました。
社員にとってのうれしい日を、毎年当たり前に迎えられるようにする。
それもまた、会社を支える大切な仕事なのでしょう。
さて、カナメは三十七名となり、新しい事務所での仕事も始まっています。
今年も、少しずつ会社の姿が変わっていきそうですね。
次回も、引き続きお付き合いいただければ幸いです。




