新しい朝
2033年4月1日。
大阪・本町。
株式会社カナメは、新しい事務所で最初の朝を迎えた。
昨日まで使っていた事務所から、歩いて数分。
最寄り駅も、通い慣れた街並みも、それほど変わっていない。
しかし、建物の中へ入れば、そこには新しい景色が広がっていた。
三十席の執務スペース。
三つの会議室。
二つの個室ブース。
そして、社員たちが集まれるオープンスペース。
三十五名となったカナメが、これから四十名体制へ向かうための、新しい仕事場だった。
今日は、その開設初日。
そして、新卒社員二名の入社日でもあった。
普段はリモート勤務をしている社員たちも、今日は全員が出社する予定になっている。
新しい事務所で、新しい仲間を迎える。
カナメにとって、少し特別な朝が始まろうとしていた。
*
「……おお」
金目は、新事務所の入口で足を止めた。
朝八時半。
移転先の物件は、もちろん事前に確認している。
レイアウトも承認した。
内装工事の進捗も、高瀬から報告を受けていた。
しかし、実際に仕事を始める状態になった事務所を見ると、また少し印象が違っていた。
「……ほんまに広なったな(笑)」
金目は、小さく笑った。
入口の先には、フリーアドレスの執務スペースが広がっている。
机が整然と並び、必要な場所にはモニターも設置されていた。
その奥には、会議室と個室ブース。
さらに、研修や交流会に使えるオープンスペースもある。
「おはようございます」
声をかけたのは、福原奈央だった。
「ああ、おはようございます」
金目が答えた。
「早いですね」
「今日は入社式ですので」
「せやったな」
金目は、少し笑った。
「準備の方はどうですか?」
「はい。ひととおり整っています」
「そらよかった」
福原は、オープンスペースを示した。
「今日は全社員が集まりますので、こちらで入社式を行います」
「なるほど」
「折りたたみ椅子も準備できています」
金目は、並べられた椅子を見た。
「……ほんまに折りたたみ椅子やな(笑)」
「はい(笑)」
「年に二回くらいしか全員集まらへんのやったら、これで十分やな」
「そうですね」
福原は、少し笑った。
「ただ、今日は三十七名になりますので、少し余裕を持って配置しています」
「そらええな」
金目は、うなずいた。
*
「……ところで、福原さん」
「はい?」
「俺の席、どこやったっけ?(笑)」
福原は、少し笑った。
「こちらです」
一般の執務エリアの一角へ案内する。
そこには、金目の専用席が用意されていた。
隣には、多目的席が一つ。
誰かと資料を見ながら相談するときにも使えるようになっている。
「……ああ、ここか」
金目は、少し笑った。
「ほんまに専用席作ってくれたんやな」
「はい。ご希望どおりです」
「ありがとうございます」
金目は、机を確認した。
必要な機材が置かれ、すぐに仕事を始められる状態になっている。
「……社長室はないけどな(笑)」
金目が言った。
福原も笑った。
「はい。そちらもご希望どおりです」
「せやな(笑)」
*
午前九時が近づくと、新事務所には社員たちが次々と集まり始めた。
普段は自宅から仕事をしている社員も、今日は出社している。
新しい事務所の入口で立ち止まり、案内を確認する人。
フリーアドレスの席を眺める人。
会議室の場所を確認する人。
そして、久しぶりに顔を合わせた同僚と話す人。
オープンスペースには、少しずつ賑わいが生まれていた。
*
「……おお、広なったな!」
大本恭平が、入口から入ってきた。
隣には、柴崎真帆がいる。
「ほんとだね」
柴崎は、少し笑った。
「前の事務所とは、だいぶ違うね」
「せやな」
大本は、執務スペースを見渡した。
「……会議室、三つもあるんやな」
「そうみたい」
「これで、予約の取り合いせんで済むな(笑)」
柴崎が笑った。
「でも、使う人も増えてるからね(笑)」
「……それもそうやな(笑)」
二人は笑った。
大本は、オープンスペースに並んだ椅子へ目を向けた。
「……これ、全部今日のために並べたん?」
「そうみたいだね」
「……結構あるな」
「三十七人になるからね」
「……そらそうか」
大本は、少し笑った。
「しかし、去年は俺らも新人みたいなもんやったのにな」
「そうだね」
柴崎がうなずいた。
「今年は、また後輩が増えるんだよね」
「せやな」
「……俺らも、ちゃんとせなあかんな(笑)」
柴崎が笑った。
「そうだね(笑)」
*
その頃。
福原は、新卒社員二名を入口で迎えていた。
「おはようございます」
「おはようございます!」
二人が、少し緊張した声で答える。
「本日から、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
福原は、少し笑った。
「まずは、こちらへどうぞ」
二人を会議室へ案内する。
「今日は入社式のあとに、会社の説明と研修を予定しています」
「はい」
「わからないことがあれば、遠慮なく聞いてくださいね」
「ありがとうございます」
二人は、うなずいた。
福原は、少し笑った。
「……実は、私たちも今日から新しい事務所なんです」
「そうなんですか?」
「はい。昨日まで、別の事務所だったんですよ」
「へえ……」
二人は、少し驚いた様子だった。
「ですので、事務所の使い方については、私たちも一緒に慣れていくことになりますね」
福原が笑った。
二人も、少し笑った。
*
午前九時半。
新事務所のオープンスペースには、社員たちが集まっていた。
並べられた折りたたみ椅子。
その前には、簡単な演台が用意されている。
新卒社員二名も、案内された席に座っていた。
今年の入社式は、新事務所のお披露目も兼ねている。
そのため、普段はリモート勤務の社員も含め、三十七名全員が参加していた。
金目は、集まった社員たちを見渡した。
「……ようけ集まったな」
隣にいた西田が、少し笑った。
「三十七人やからな」
「せやな」
金目は、うなずいた。
「……やっぱり、広いところにしてよかったな(笑)」
西田が笑った。
「年二回のために、折りたたみ椅子用意したんやろ?(笑)」
「せやで」
金目も笑った。
「年二回のために、十席も机増やしてられへんしな(笑)」
「……ほんま、それやな(笑)」
二人は笑った。
*
午前九時半。
入社式が始まった。
金目は、社員たちの前に立った。
「皆さん、おはようございます」
「おはようございます」
社員たちから声が返ってきた。
「今日は、新しい事務所で最初の一日です」
金目は、少し笑った。
「そして、新しい仲間を二名迎えることになりました」
新卒社員二名が、少し姿勢を正した。
「入社、おめでとうございます」
「ありがとうございます!」
二人が答える。
社員たちから、拍手が起きた。
「……まあ、今日は事務所も新品なんで、俺らも慣れてへんのですけどね(笑)」
会場に、小さな笑いが起きた。
二人の表情も、少し和らいだ。
「せやから、わからんことがあったら、遠慮なく聞いてください」
「はい」
「俺らも、事務所のことはわからんことあるかもしれませんけど(笑)」
また、笑いが起きた。
「でも、仕事のことは、ちゃんと教えてくれる人がおります」
金目は、少し間を置いた。
「最初から全部できる必要はありません」
「一つずつ覚えてもろたらええと思っとります」
二人は、うなずいた。
「ほんで、先輩の皆さんも」
金目は、社員たちへ目を向けた。
「新しい人が入ってきたら、わからんこともあると思います」
「今まで当たり前やったことも、最初は知らんことがあるでしょう」
「せやから、必要なことはちゃんと教えてあげてください」
社員たちが、うなずいた。
「よろしくお願いします」
金目が言った。
「よろしくお願いします!」
新卒社員二名が答えた。
再び、拍手が起きた。
*
入社式を終えたあと。
福原は、新卒社員二名を連れて、新事務所の中を案内していた。
「こちらが、一般の執務エリアです」
福原が説明した。
「普段はフリーアドレスになっています」
「そうなんですね」
「はい。リモート勤務の方も多いので、出社したときに空いている席を使う形です」
「なるほど」
福原は、次の区画を示した。
「こちらは、業務部の執務エリアです」
「ここは、別になっているんですね」
「はい。給与や人事情報、経理関係の資料を扱いますので、一般の執務エリアとは分けています」
「なるほど」
「こちらが会議室です」
福原は、廊下の先を示した。
「大きい会議室が一つ、小さい会議室が二つあります」
「結構あるんですね」
「そうですね」
福原は、少し笑った。
「前の事務所では、一つしかなかったんですよ」
「そうなんですか?」
「はい。ですので、ずいぶん使いやすくなったと思います」
*
オープンスペースへ戻ると、大本と柴崎が話していた。
「あ、福原さん」
大本が声をかけた。
「おはようございます」
「おはようございます」
福原が答えた。
「改めて、今日入社されたお二人をご紹介します」
「ああ、そうなんですね」
大本は、少し笑った。
「営業部の大本です。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします!」
柴崎も、少し笑った。
「開発部の柴崎です。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします!」
大本は、少し考えた。
「……しかし、また後輩増えたな(笑)」
柴崎が笑った。
「そうだね(笑)」
「去年は、俺らもまだ新人みたいなもんやったのにな」
「今も、そんなに変わらない気がするけど(笑)」
「……それは言わんといて(笑)」
二人は笑った。
新卒社員たちも、少し笑った。
*
午前中。
新事務所では、入社式を終えた社員たちが、それぞれの仕事へ戻り始めていた。
開発部では、案件の確認が進んでいる。
営業部では、顧客との打ち合わせが予定されている。
業務部では、新卒社員の受け入れと、いつもの手続きが並行して進められていた。
今日は、三十七名全員が出社している。
しかし、全員が同じ仕事をしているわけではない。
それぞれが、自分の担当する仕事を進めていた。
福原は、社員一覧を開いた。
三十五名。
そこへ、二名が加わった。
三十七名。
「……また、増えましたね」
福原は、少し笑った。
今年も、カナメでは新しい仲間を迎えることができた。
そして、その仲間たちが仕事を覚え、少しずつ自分の役割を持てるようにする。
福原の仕事も、また始まっていた。
*
四月一日、午前十一時。
株式会社カナメの新しい本町事業所では、入社式を終えた社員たちが、それぞれの仕事へ戻り始めていた。
今日は、三十七名全員が出社している。
普段はリモート勤務をしている社員も、今日ばかりは新しい事務所へ足を運んでいた。
そのため、執務スペースには、いつもより多くの人が集まっている。
もっとも、全員が机に向かって仕事をしているわけではない。
会議室で打ち合わせをする人。
オープンスペースで同僚と話す人。
そして、普段どおり自分の仕事を進める人。
新しい事務所は、朝から賑やかだった。
*
「……ほな、今週の状況を確認しようか」
西田が言った。
開発部の会議室には、田村洋介、尾崎達也、井上修一が集まっている。
今日は全員が出社しているため、久しぶりに対面での打ち合わせとなった。
「まず、開発一課からどうや?」
「大型案件の方は、予定どおり進んどるで」
田村が答えた。
「ほう」
「今週は設計の確認が中心やな」
「なるほど」
「来週から、次の工程へ進める予定や」
「了解」
西田は、うなずいた。
「尾崎の方は?」
「こっちも、今のところ問題ないで」
尾崎が答えた。
「小さい案件がいくつか並行しとるけど、担当は決まっとる」
「そらよかった」
「ただ、来週から一件増える予定やから、そこは調整しとくわ」
「了解」
西田は、次に井上へ目を向けた。
「運用の方はどうや?」
「こっちも、いつもどおりやな」
井上が答えた。
「新事務所のネットワークも、今のところ問題ないで」
「そらよかった」
「まあ、顧客のシステムはクラウド上で動いとるから、事務所が変わっても関係ないけどな(笑)」
西田が笑った。
「せやな(笑)」
*
「……しかし、会議室が増えたんは助かるな」
尾崎が言った。
「せやな」
田村もうなずいた。
「前は、一つしかなかったからな」
「ほんまやな」
井上が、少し笑った。
「会議室の予約が重なったら、どっちかが予定を変えなあかんかったし」
「せやな」
西田は、周囲を見渡した。
「今は三つあるからな」
「そら助かるわ」
田村がうなずいた。
「ただ、全部埋まることもあるやろな」
「せやろな」
尾崎が笑った。
「人も増えとるしな」
「ほんま、それやな」
西田も笑った。
「まあ、そこは使いながら調整していこう」
「了解」
*
会議を終えた西田は、執務スペースへ戻った。
新しい机。
新しい椅子。
そして、以前よりも広くなった空間。
今日は全員が出社しているため、フリーアドレスの席もかなり使われている。
それでも、社員たちは必要に応じて会議室やオープンスペースを利用しながら、仕事を進めていた。
「……まあ、いつもどおりやな」
西田は、少し笑った。
新しい事務所になっても、顧客との仕事が変わるわけではない。
場所が変わっただけで、会社の仕事は続いていた。
*
昼過ぎ。
金目は、自分の専用席に座っていた。
一般の執務エリアの一角。
そこには、必要な機材と資料が用意されている。
隣には、多目的席が一つ。
誰かが相談に来たとき、一緒に資料を確認できるようになっていた。
「……なるほどな」
金目は、机の上を確認した。
新しい事務所でも、仕事の進め方は変わらない。
メールを確認し、必要な資料を開く。
顧客からの連絡に対応し、社内の相談へ返事をする。
ただ、周囲の景色が少し違っていた。
「……なんか、まだ慣れへんな(笑)」
金目は、小さく笑った。
*
「金目、ちょっとええ?」
西田が声をかけた。
「ええで」
金目が答えた。
西田は、隣の多目的席へ座った。
「……おお、ちゃんと席あるやん」
「せやろ?」
金目は、少し笑った。
「相談用やで」
「なるほどな」
西田は、机を確認した。
「……しかし、社長室ほんまに作らへんかったな」
「……何に使うん?(笑)」
金目が聞き返した。
「いや、社長やし(笑)」
「社長やったら、部屋いるん?(笑)」
「……まあ、別にいらんか(笑)」
二人は笑った。
*
「でも、ここやったら、誰でも相談に来られるしな」
金目が言った。
「せやな」
西田がうなずいた。
「ただ、誰でも来られるいうても、全部金目に聞きに来たら困るやろ(笑)」
「……それは困るな(笑)」
金目も笑った。
「まあ、今は各部署に責任者おるしな」
「せやな」
「俺に聞かなあかんことだけ、聞いてもろたらええんよ」
「そういうことやな」
西田は、少し笑った。
「……それでも、営業部長の仕事は残っとるけどな」
「……そこは言わんといて(笑)」
二人は、また笑った。
*
「そういや、今日の新卒はどうやった?」
西田が尋ねた。
「ええ感じやったで」
金目が答えた。
「ほう」
「二人とも、ちょっと緊張しとったけどな」
「そらそうやろ」
「せやな」
金目は、少し笑った。
「でも、福原さんがちゃんと準備してくれとったし、問題なさそうや」
「そらよかった」
「今年も、また新しい仲間が増えたな」
「せやな」
西田は、うなずいた。
「三十七人か」
「……よう増えたなあ」
金目は、少し考えた。
「去年の今頃は、まだ三十人にもなってへんかったんやもんな」
「せやな」
「それが、もう三十七人や」
西田は、少し笑った。
「年末には四十人になる予定やで」
「……まだ増えるんか(笑)」
「採用計画、決めたん自分やろ(笑)」
「……せやったな(笑)」
二人は笑った。
*
午後。
新卒社員二名は、研修を続けていた。
会社の仕事の進め方。
情報の取り扱い。
そして、これから担当する仕事についての説明。
福原は、研修の様子を確認しながら、必要な資料を整理していた。
「……お疲れさまです」
研修を終えた二人が、声をかけた。
「お疲れさまでした」
福原が答えた。
「今日は、いろいろ覚えることがありましたね」
「はい」
「ちょっと頭がいっぱいです(笑)」
一人が、少し笑った。
福原も笑った。
「そうですよね」
「でも、最初から全部覚えなくても大丈夫ですよ」
「ありがとうございます」
「これから少しずつ覚えていきましょう」
「はい!」
二人は、うなずいた。
*
夕方。
金目は、今日の仕事を整理していた。
新事務所の開設。
新卒社員二名の入社。
そして、いつもどおりの顧客対応や社内の相談。
特別な一日だった。
しかし、会社の仕事は、いつもどおり進んでいた。
営業部では、顧客との打ち合わせが行われた。
開発部では、それぞれの案件が進められた。
業務部では、新しい社員の受け入れと、日常の手続きが進められた。
そのすべてを、金目が直接確認していたわけではない。
それでも、会社は動いていた。
「……ええ感じやな」
金目は、少し笑った。
以前なら、新しい社員を迎えるだけでも、いろいろな準備に自分が関わっていた。
しかし、今は福原が受け入れを進め、高瀬が会社の手続きを管理し、西田たちが開発部の仕事を進めている。
自分が知らないところでも、必要な仕事が進んでいた。
*
金目は、窓の外へ目を向けた。
大阪・本町。
昨日までの事務所から、それほど離れていない場所。
見慣れた街並みが、少し違う角度から見えていた。
新しい事務所。
新しい仲間。
そして、いつもどおり続いていく仕事。
金目は、机の上の資料を閉じた。
「……ほな、今年も始めよか」
そうつぶやいて、次の仕事へ向かった。
株式会社カナメの新しい一年が、始まっていた。
お読みいただきありがとうございます。旭月です。
いよいよ第四章が始まりました!
今回は、新事務所の開設と新卒社員二名の入社式のお話でした。
前回、金目が旧事務所の扉を閉め、今回は新しい事務所の扉が開く。
そんな形で、章の切り替わりを描いてみました。
さて、カナメの社員数は三十七名。
新事務所には三十席しかありませんが、全員出社は年に二回程度。
そのために折りたたみ椅子を用意するあたり、実に金目らしいですね(笑)。
そして、相変わらず社長室はありません。
……一応、専用席は作ってもらえたようですが(笑)。
新しい場所、新しい仲間。
それでも、社員たちはいつもどおり仕事を進めています。
**場所が変わっても、会社を動かすのは人。**
第三章で育ってきたカナメの組織が、これからどのように成長していくのか。
第四章も、引き続きお付き合いいただければ幸いです。




