一人でやった方が早い
金目のスマートフォンが震えたのは、昼休みが終わる五分前だった。
『先日はありがとうございました。少し相談したいことがありまして』
送り主は、予約管理の仕事を終えた料理店の店主だった。
金目はメッセージを読み、時計を見た。
あと五分。
『どうされました?』
すぐに返事が来た。
『知り合いの店なんですが、毎月の売上をまとめるのに困ってるらしいんです』
「……また集計か」
金目は小さくつぶやいた。
今度は何を何回書き写しているのだろう。
少し気になったが、昼休みはもう終わる。
『ありがとうございます。詳しい話は夜に聞いてみます』
返信して、スマートフォンを伏せた。
金目には、本業があった。
平日は会社員として働き、帰宅してからカナメ事務所の仕事をする。
週末に顧客を訪ねることもある。
今のところ、何とか両立できていた。
少なくとも、金目自身はそう思っていた。
*
「で、これを毎月やってるんですか?」
「そうなんですわ」
三件目の依頼人は、小さな飲食店を二店舗経営していた。
店主が差し出したのは、売上を記録した紙の束だった。
日付ごとの売上。
現金とキャッシュレス決済の内訳。
仕入れの記録。
月末になると、それらを一つの表にまとめているという。
「二店舗分あるから、結構かかるんです」
「なるほど」
金目は紙をめくった。
同じ数字が、いくつもの場所に書かれている。
集計のために転記し、確認のためにまた転記する。
見覚えのある光景だった。
「これ、元の数字はどこから出てくるんです?」
「レジですね。毎日締めたときに印刷してます」
「ほな、その数字を直接使えたら早そうですね」
「できるんですか?」
「機種によりますけど。ちょっと確認させてもらってええです?」
店主はうなずき、レジの説明書を持ってきた。
金目は型番を控えた。
売上データを取り出せる機能があるかもしれない。
ただ、できることと、店で使えることは違う。
それは前の仕事で、十分に学んだ。
「まず、今の集計で何が一番困ってるか教えてもらえます?」
「時間がかかるんです。月末は二店舗分で半日くらい潰れます」
「それは大変ですね」
「あと、数字が合わへんときがあって」
「どの数字です?」
「現金の売上と、実際に残ってる金額ですね」
金目はペンを止めた。
「それ、集計だけの問題と違うかもしれませんね」
「そうなんですか?」
「売上と現金残高は、必ずしも同じになりませんから。釣り銭とか、途中で支払ったものとか」
「ああ、なるほど」
金目はノートに項目を書き足した。
どうやら、単純に表を作れば終わる仕事ではなさそうだった。
「一回、資料を見せてもらって、できることを整理しますね」
「お願いします」
店主は安心したように笑った。
金目も笑った。
このときは、まだ余裕があった。
*
その余裕がなくなったのは、三日後だった。
帰宅してパソコンを開くと、メールが二件届いていた。
一件は、最初の居酒屋から。
『先月分の数字が一か所おかしいみたい。時間あるとき見てもらえる?』
もう一件は、料理店からだった。
『予約メモの用紙、もう少し増やせますか? 変更用の欄も欲しいです』
どちらも、大きな仕事ではない。
少し確認すれば済む。
そう思って、金目は居酒屋の資料を開いた。
「……あれ?」
数字が合わない。
原因を探しているうちに、三十分が過ぎた。
さらに三十分。
ようやく、店主が入力した日付が一日ずれていることに気づいた。
修正して、確認方法を伝える。
時計を見る。
午後十時を回っていた。
「……あかん、まだ二件ある」
予約メモの修正。
二店舗分の売上資料の確認。
翌日は本業の会議が朝から入っている。
金目は椅子にもたれた。
「一個ずつは大したことないんやけどなあ」
どれも、頼まれればできる仕事だった。
ただ、できることと、時間があることは別だった。
金目は予定表を開いた。
平日の夜。
週末。
空いている時間を探して、仕事を並べていく。
土曜の午前に資料を確認する。
午後に試作品を作る。
日曜に見直す。
翌週の夜に店主へ説明する。
「……休み、どこ行った?」
金目は画面を見つめた。
面倒な仕事を楽にするために始めた商売だった。
どういうわけか、自分の仕事がどんどん面倒になっている。
*
翌週。
金目は昔の同僚に連絡した。
以前、一緒に仕事をしていた男だった。
技術もわかるし、仕事も丁寧だ。
何より、頼んだことをきちんと形にしてくれる。
『ちょっと仕事手伝ってもらえへん?』
返事はすぐに来た。
『内容によるけど、何するん?』
『飲食店の売上集計。ちょっとした表を作りたい』
『どんな表?』
金目は指を止めた。
どんな表。
そんなもの、作ればわかる。
……いや、そういうわけにもいかないか。
『二店舗分の売上をまとめるやつ』
『元データは?』
『レジのデータ使えそう』
『使えそうって、確認済み?』
『まだ』
少し間が空いた。
そして、返事が来た。
『それ、まだ作る段階ちゃうんと違う?』
「……せやな」
金目は思わず声に出した。
自分一人なら、資料を見ながら考えて、試しに作って、合わなければ直せばいい。
けれど、人に頼むなら話が違う。
何を作るのか。
何が必要なのか。
いつまでに作るのか。
『一回、話せる?』
金目はそう送った。
*
「で、何を作りたいん?」
週末、二人は喫茶店で向かい合っていた。
昔の同僚は、金目が持ってきた資料を一通り見てから尋ねた。
「二店舗分の売上を集計する仕組みやな」
「それは聞いた」
「月末の作業を減らしたいねん」
「どれくらい?」
「今は半日くらいかかるらしい」
「それを何時間にしたいん?」
「……できるだけ短く?」
「金目、それやと終わりが決まらんで」
同僚は苦笑した。
「一時間でええんか、十分まで減らしたいんかで、やること変わるやろ」
「まあ、そうやな」
「売上の何を見たいんかは、聞いた?」
金目は資料へ目を落とした。
数字は並んでいる。店主がどれを一番見たいかは、書いていなかった。
「……そこ、聞いてくるわ」
「うん。それが先やと思う」
同僚は資料を指さした。
「いつまでに、いくらで頼むん?」
「なるべく早く、とは聞いてる。金額は、これから相談しようと思ってた」
「俺に払う分も?」
「……それも」
同僚は金目を見つめた。
それから、声を上げて笑った。
「お前、ようそれで仕事受けたな!」
「いや、まだ正式には受けてへんねん」
「ほな、なおさら整理せなあかんやろ」
金目は頭をかいた。
「一人やったら、作りながら考えられるんやけどな」
「それは、お前の頭の中に全部あるからやろ」
同僚は落ち着いた声で言った。
「俺には見えへんねん」
金目は顔を上げた。
「お前が何を考えてるか、どこまで作ったら完成なんか、何を優先したいんか。それがわからんと、俺も動かれへん」
「……なるほどな」
「別に、最初から完璧な資料作れ言うてるんちゃうで」
同僚は続けた。
「わからんことは、わからんでええ。ただ、何が決まってて、何が決まってへんかは教えてほしい」
金目は資料を見直した。
自分が読めるように残したメモばかりだった。これを渡された方は、どこから考えればいいのだろう。
「……俺、人に頼むん下手やな」
「今さら気づいたん?」
「もうちょっと優しく言うてくれへん?」
「十分優しいやろ」
二人は笑った。
*
金目はノートを開いた。
新しいページに、三つの項目を書いた。
『何を作るか』
『いつまでに作るか』
『いくらで作るか』
少し考えて、もう一つ書き足した。
『何が決まっていないか』
「こんな感じか?」
同僚はノートをのぞき込んだ。
「ええんちゃう。あと、誰が何を確認するかも要るな」
「ああ、そうか」
「お客さんに聞かなあかんことと、俺らで決められることは分けとこう」
金目は、確認する相手を書く欄を足した。
「……これ、飲食店でやってることと一緒やな」
「何が?」
「相手が自分で使えるようにするってやつ」
「まあ、仕事の頼み方も似たようなもんちゃう?」
同僚はコーヒーを一口飲んだ。
「で、俺は何したらええん?」
金目はノートを見た。
まだ決まっていないことが多い。
しかし、何を確認すればいいのかは、少しずつ見えてきた。
「まず、店主に確認してくるわ。そのあと、作業範囲と報酬を相談させて」
「了解。条件が合えば手伝うで」
「助かるわ」
「ただし」
同僚が人差し指を立てた。
「次は『ちょっとした表』だけで説明終わらせんといてな」
「……努力します」
「そこは約束してくれや」
二人はまた笑った。
*
帰り道。
金目はスマートフォンで予定表を開いた。
聞き直すことも、相談することも残っている。
これだけ時間を使うなら、自分で作った方が早かったかもしれない。
けれど、次も、その次も、夜と休日を使い続けるのだろうか。
「……それは、しんどいな」
金目は小さくつぶやいた。
一人でやった方が早い。
少なくとも、今すぐ取りかかるならそうだった。
金目は予定表に、新しい予定を一つ追加した。
『店主に確認することを整理』
その下に、もう一つ。
『同僚と作業範囲を決める』
そして最後に、少し迷ってから書き足した。
『自分でやらなくていいことを考える』
「……これが一番難しそうやな」
金目は苦笑した。
まだ契約も、報酬も決まっていない。
それでも、整理して持っていけば、もう一度話を聞いてくれる相手がいる。
金目は喫茶店で書いたメモを開いた。
「さて、まずは聞き直すとこからやな」
金目はスマートフォンを取り出し、店主に連絡を入れた。
仕事を減らすための仕事が、また一つ増えた。
どうやら、楽をするというのも、なかなか簡単ではないらしい。
お読みいただきありがとうございます。旭月です。
一人でやれば早い。でも、一人でできることには限りがある。
金目はようやく、その問題に向き合い始めました。
「ちょっとした表」だけでは、人には渡せない。
まずは、何を確かめるかを一緒に考えるところからです。
次回もお付き合いいただければ幸いです。




