もう、来なくてええんですか?
電話の横に、小さな箱が置かれていた。
中には、何枚かの紙が入っている。
日付、時間、名前、人数、電話番号。
必要な項目だけが印刷された、簡単な予約メモだった。
「……なんか、えらい立派になってません?」
金目が尋ねると、料理店の奥さんは得意げに笑った。
「これな、うちの人が作ったんよ」
「えっ、店主さんが?」
「そうやで。前のやつ、ちょっと書きにくかったからな」
奥から店主が顔を出した。
「おう、金目さん。見てくれたか?」
「見ました。ええですね、これ」
「名前を書くところ、ちょっと広げたんや」
「ほんまですね」
「あと、変更の予約は赤丸つけることにしてん」
金目は紙を手に取った。
確かに、前回より使いやすそうだった。
文字を書く欄が広い。
変更があった予約も、一目でわかる。
何より、店主夫妻が自分たちで考えて作り直していた。
「……僕、もう要らんのちゃいます?」
「何言うとんねん」
店主が笑った。
「まだ終わってへんやろ」
「そうでした」
金目も笑った。
*
前回の訪問から一週間。
料理店では、新しい予約管理のやり方を試していた。
電話を受けたら、まず予約メモに書く。
手が空いたときに台帳へ転記する。
転記したメモには印をつけ、決まった場所に保管する。
変更やキャンセルも同じように扱う。
そして、一日の営業が終わったら、翌日分の予約を確認する。
金目は、箱の中のメモについた印を確かめた。
先週渡した紙が、店で続けられる形になっていた。
「で、どうでした?」
金目が尋ねると、店主は腕を組んだ。
「今のところ、予約の重なりはないな」
「書き忘れは?」
「一回あったで」
「あったんですか」
「けど、台帳とメモを確認したら気づいたんや」
金目は、台帳とメモの印をもう一度見た。
「それはよかったです」
「あと、嫁が機嫌ええわ」
「それは何よりですね」
「おい、聞こえとるで!」
厨房から声が飛んできた。
金目は思わず笑った。
奥さんが顔を出す。
「機嫌がええんと違う。余計なことせんで済むようになっただけや」
「それを機嫌ええ言うんちゃうんか」
「違うわ!」
いつものやり取りらしい。
金目は、二人の会話を聞きながらノートを開いた。
「ちなみに、前より時間はかかってません?」
奥さんは少し考えた。
「電話のときは楽になったな」
「はい」
「でも、あとで台帳に書くんは、ちょっと手間やね」
「そうですよね」
「けど、前みたいに何回も確認せんでええから、全体では楽かな」
金目はその言葉をメモした。
転記は残った。それでも、奥さんは前より楽だと言った。
金目は、もう一つ聞いてみた。
「これ、僕が来んようになっても続けられそうです?」
店主は不思議そうな顔をした。
「そら、続けるやろ」
「誰か新しい人が入っても?」
「……ああ、そういうことか」
店主は予約メモを見た。
「アルバイトの子にも教えなあかんな」
「ですね」
「でも、難しいことないやろ?」
「今はそう思います。でも、初めて見る人にはわからんこともありますから」
金目はノートを開き直した。
「ほな、最後に一つだけ作りましょうか」
*
金目が作ったのは、一枚の説明書だった。
題名は『予約を受けたときにすること』。
電話を受けてから翌日の予約を確かめるまで、今使っている五つの手順をまとめた。
難しい言葉は使わなかった。
パソコンも必要ない。
誰が読んでも、何をすればいいかわかるようにした。
「これ、電話の横に貼っときましょう」
金目が説明すると、店主は感心したようにうなずいた。
「なるほどなあ」
「何がです?」
「こういうん、うちは考えたことなかったわ」
「まあ、普段やってることですからね」
「そうなんよ。知っとるつもりやから、わざわざ書かへん」
奥さんも説明書をのぞき込んだ。
「これやったら、アルバイトの子にも渡せるな」
「そうですね」
「うちらが休みの日でも、同じようにできるかもしれん」
金目は、その言葉に少しだけ引っかかった。
自分が毎回呼ばれなくて済むように、と考えていた。
電話の横の一枚は、店主夫妻が休むためにも使えるのかもしれない。
「……それ、ええですね」
金目は思わず言った。
「何がや?」
「店主さんらが休めるようになるの」
「いや、休む言うてもなあ」
店主は苦笑した。
「店開けてる間は、なかなか休まれへんで」
「そら、そうでしょうけど」
金目は説明書を指さした。
「でも、こういうのが一つずつ増えたら、少しは休みやすくなるんちゃいます?」
店主はしばらく黙っていた。
やがて、小さく笑った。
「……そうかもしれんな」
*
その日の夕方。
金目は、店主夫妻と最後の確認をしていた。
予約メモは使いやすい。
台帳への転記も続けられている。
変更やキャンセルの扱いも決まった。
説明書も貼った。
あとは、実際の営業で使い続けてもらうだけだった。
「ほな、今回の仕事はこれで一区切りですね」
金目が言うと、店主は少し驚いた顔をした。
「もう終わりなんか?」
「はい。今のところ、僕がやることはないです」
「パソコンのやつは?」
「今回は使わん方がええと思います」
「もったいないなあ」
「まあ、そうですね」
金目は苦笑した。
時間をかけて作ったものだった。
しかし、使いにくいものを残しても意味がない。
「必要になったら、また考えましょう」
「ええんか、それで」
「ええですよ。今の方が楽なんでしょう?」
「そら、そうやけど」
「ほな、それが一番です」
店主はしばらく金目を見ていた。
そして、ふっと笑った。
「変わった商売やなあ」
「そうですか?」
「普通、もっといろいろ売ろうとするもんちゃうんか」
「売れるもんがあれば売りますけど」
「ほな、あのパソコンのやつ売ったらええやん」
「使いにくいでしょう?」
「そうやな」
「ほな、売れませんやん」
店主は声を上げて笑った。
「そら、そうや!」
金目も笑った。
それから、請求書を差し出した。
店主は金額を見て、少し首をかしげた。
「……これでええんか?」
「はい」
「最初のやつ、作り直したやろ?」
「そうですね」
「何回も来てもろたし」
「まあ、僕の考えが足りんかったんで」
金目はあっさり答えた。
「最初に約束した範囲の仕事ですから、追加料金は要りません」
「そういうもんか?」
「僕はそうしようと思ってます」
店主は請求書をもう一度見た。
それから、うなずいた。
「ほな、ちゃんと払わせてもらうわ」
「ありがとうございます」
「その代わり、また困ったら頼むで」
「もちろんです」
金目は少し考えてから付け加えた。
「できれば、困らん方がええですけどね」
「商売にならんやないか!」
「ほんまですね」
二人はまた笑った。
*
数日後。
金目のもとに、料理店の店主からメッセージが届いた。
『この前のやつ、アルバイトの子も使えとるで』
続けて、もう一通。
『嫁が、今度の休みは二人で出かけよう言うとる』
金目は画面を見つめた。
予約管理の仕事と、夫婦の休み。
一見、何の関係もない話だった。
しかし、店主夫妻にとっては、きっとつながっているのだろう。
『それはよかったですね。楽しんできてください』
そう返信した。
しばらくして、また通知が鳴った。
『それとな、知り合いが金目さん紹介してほしい言うとる』
「……また?」
金目は思わず声を出した。
今度は、どんな仕事なのだろう。
また面倒なことを頼まれるのだろうか。
できれば、あまり手のかからない仕事がいい。
そう思いながら、返信を打つ。
『どんなことで困ってるんです?』
返事はすぐに来た。
『ようわからん。本人に聞いてくれ』
「……そこは聞いといてほしかったなあ」
金目はため息をついた。
とはいえ、断る理由はなかった。
カナメ事務所の二件目の仕事は終わった。
そして、三件目の仕事が始まろうとしていた。
金目はノートを開いた。
最初のページには、あの言葉が残っている。
『面倒な仕事を、楽にする』
その下に、新しく一行を書き足した。
『自分がいなくても、回るようにする』
店主から届いた、二人で出かけようというメッセージをもう一度読んだ。
「悪ない商売かもしれんな」
金目は小さく笑い、次の依頼人に会うため、予定表を開いた。
お読みいただきありがとうございます。旭月です。
カナメ事務所の二件目の仕事が、ようやく一区切りつきました。
立派なシステムを作るより、現場で無理なく使い続けられること。
金目も少しずつ、自分の商売が何なのか理解し始めたようです。
さて、次のお客さんは何に困っているのでしょうか。
引き続き、お楽しみいただければ幸いです。




