売れる資料
2030年11月。
株式会社カナメの営業担当、小坂千尋は、一枚の資料を眺めていた。
会社紹介と、これまでの開発実績をまとめた営業資料だった。
対応できる技術。
開発してきたシステム。
保守・運用の実績。
そして、過去の改善事例。
内容は充実している。
しかし、小坂には少し気になることがあった。
「……これ、初めて見る人に伝わるんかな」
技術的な説明は詳しい。
けれど、カナメに何を相談できるのかが、すぐにはわからない。
小坂は、社内チャットを開いた。
『本多さん、先日の営業資料の件、少しお時間いただけますか?』
しばらくして、返事が届いた。
『もちろんです。ちょうど私も考えていたところです』
二人は、オンライン会議を始めた。
*
「……やっぱり、最初のページが気になるんですよね」
小坂が、資料を共有した。
本多は、画面を確認した。
「技術力があることは、よく伝わると思います」
「そうなんです」
「ただ、初めてカナメを知るお客様が、自分の会社に関係ある話だと思えるかというと……」
本多は、少し考えた。
「そうですね。情報の順番を変えた方がよさそうです」
「順番、ですか?」
「はい。最初から技術の説明をするより、どんな困りごとを解決できる会社なのかを見せたいですね」
小坂はうなずいた。
「私も、そう思っていました」
本多は、資料の構成を整理し始めた。
最初に、顧客が抱えやすい課題。
次に、カナメが提供できる支援。
そして、実際の改善事例。
最後に、対応できる技術や開発体制。
「技術の説明を削る必要はないと思うんです」
本多が言った。
「なるほど」
「ただ、最初に見せる情報ではないかもしれません」
「そうですね」
「お客様が興味を持ってくださってから、詳しく説明できれば十分だと思います」
小坂は、少し笑った。
「……同じ内容でも、見せる順番で変わるんですね」
「そうですね」
本多も笑った。
「デザインって、見た目をきれいにするだけではないので」
「なるほど」
「何を、どの順番で伝えるか。それも大事な仕事なんです」
小坂はうなずいた。
「じゃあ、まずは構成から見直しましょうか」
「はい」
*
数日後。
二人は、松井と岡元を交えて、営業資料に掲載する事例を検討していた。
「今回は、改善事例を中心にしたいと思っています」
小坂が説明した。
「なるほど」
松井は、資料を確認した。
「既存のお客様の事例なら、いくつかありますね」
「はい。ただ、具体的な内容をどこまで掲載できるか確認したくて」
「そうですね。お客様の許可なく、社名や内部情報を載せるわけにはいきませんから」
本多がうなずいた。
「匿名化した事例として紹介できればと思っています」
岡元が口を開いた。
「それなら、以前の画面改善案件も使えるかもしれませんね」
「画面改善案件ですか?」
「はい。特定の操作について、試作段階で約40秒の短縮を確認した案件です」
小坂が、少し驚いた。
「40秒ですか。それは、わかりやすいですね」
本多は、資料を確認した。
「ちなみに、この40秒って、どういう条件で測った数字ですか?」
「試作段階で、特定の操作を比較した結果です」
「なるほど」
「実際の運用では、利用者によって効果に差がありました」
小坂がうなずいた。
「では、すべてのお客様で40秒短くなるわけではないんですね」
「はい。そこは誤解されないようにしたいです」
本多は、少し考えた。
「それなら、数字だけを大きく見せるのは避けた方がよさそうですね」
「そうですね」
「改善前と改善後の操作を説明したうえで、試作時の測定結果として掲載するのはどうでしょう?」
岡元はうなずいた。
「それなら、正確に伝えられると思います」
松井も口を開いた。
「ただ、社外向けに掲載するのであれば、匿名化していても、念のためお客様に確認した方がよいですね」
「そうですね」
小坂は、メモを取った。
「では、掲載内容を整理して、許可をいただけるか確認しましょう」
*
もう一つの候補は、夏に受注したデータ出力改善案件だった。
部署ごとに異なっていたデータ出力形式を統一し、月末の加工作業を減らすというもの。
「こちらは、どうでしょう?」
小坂が尋ねた。
松井は、少し考えた。
「提案の経緯は、わかりやすいと思います」
「はい」
「ただ、改善効果については、まだ十分な実績がありません」
岡元もうなずいた。
「そうですね。実際の作業時間がどの程度減ったかは、確認が必要です」
本多は、資料を見直した。
「では、こちらは成果事例というより、改善提案の例として紹介する方がよさそうですね」
「なるほど」
「どのような課題を聞いて、どういう方法を提案したのか。それなら、事実に基づいて説明できます」
小坂は、少し笑った。
「いいですね」
松井もうなずいた。
「その方が、誤解も少ないと思います」
こうして、二つの事例の扱いが決まった。
画面改善案件は、条件を明記した改善実績として。
データ出力改善案件は、課題整理と提案方法の事例として。
ただし、どちらも社外への掲載は顧客の確認を得てからとする。
*
11月の中旬。
小坂と本多は、改訂した営業資料を金目へ共有した。
「社長、営業資料の見直し案ができました」
小坂が言った。
「おお、ありがとう。見せてもらおうか」
金目は、資料を開いた。
最初のページには、顧客が抱えやすい困りごとが並んでいる。
毎月の集計作業に時間がかかる。
古いシステムの使い勝手が悪い。
社内の情報が整理できていない。
そして、何から改善すればよいかわからない。
「……ええやん」
金目は、少し笑った。
「前より、だいぶわかりやすなったな」
「ありがとうございます」
本多が答えた。
「技術の説明は後半に移して、まずはお客様の課題から入る構成にしました」
「なるほどな」
金目は、ページを進めた。
改善事例。
対応できる仕事。
開発の進め方。
そして、会社の紹介。
「……うん。ええと思うで」
小坂は、少し安心した。
「ありがとうございます」
しかし、金目は最後のページで手を止めた。
「……なあ、これ」
「はい?」
「見た人は、次に何したらええん?」
小坂は、少し考えた。
「お問い合わせいただく想定です」
「せやな」
金目は、資料を指した。
「でも、それがどこにも書いてへんで?」
本多が、画面を確認した。
「……あ」
問い合わせ先は、最後のページの隅に小さく記載されていた。
メールアドレスと会社の連絡先。
しかし、相談してほしいという案内はなかった。
金目は、少し笑った。
「ええ資料やと思う。でも、読んでもろて終わりやったら、商売にならへんやろ?」
小坂は、少し考えた。
「……確かに、そうですね」
「お客さんが、これなら相談してみようかなって思えるようにしたいな」
本多もうなずいた。
「最後の導線が足りていませんでしたね」
「せやな」
金目は、少し笑った。
「まあ、そこまでできたら、もっとええ資料になると思うで」
小坂が答えた。
「わかりました。もう一度見直します」
「頼むわ」
金目は、資料を閉じた。
「……しかし、こういうのは俺より二人の方が詳しいんやろな」
本多が、少し笑った。
「いえ、今回の指摘は勉強になりました」
「そう?」
「はい。見やすくすることばかり考えていました」
小坂も続けた。
「私も、何を伝えるかは考えていたんですが、その先の行動までは整理できていませんでした」
金目はうなずいた。
「ほな、ちょうどええな」
「何がですか?」
「二人で考えて、俺が商売の観点で口出す。役割分担できとるやん」
三人は笑った。
改訂した営業資料は、あと少しで完成しようとしていた。
*
翌日。
小坂と本多は、金目から指摘された部分を見直していた。
「……確かに、これだと読んで終わりですね」
小坂が、資料の最終ページを眺めながら言った。
「そうですね」
本多もうなずいた。
「問い合わせ先は載っているんですが、何を相談していいのかがわからないかもしれません」
「そうなんです」
小坂は、少し考えた。
「いきなり見積もりを依頼してくださいって言われても、まだ何を作りたいか決まっていないお客様には難しいですよね」
「それなら、まずは困りごとを相談できることを伝えましょうか」
「いいですね」
本多は、最終ページの構成を変更した。
見出しは、『まずは、お困りごとをお聞かせください』。
その下には、具体的な相談例を並べた。
毎月の手作業を減らしたい。
既存システムを使いやすくしたい。
今の業務を改善したいが、何から始めればよいかわからない。
「……これなら、相談しやすそうですね」
小坂が言った。
「そうですね。ただ、少し気になることがあります」
「何でしょう?」
「この書き方だと、何でも無料で相談できるように見えませんか?」
小坂は、少し考えた。
「……確かに」
カナメは、業務改善の相談を受け付けている。
しかし、詳しい業務調査や改善案の設計まで、すべて無償で引き受けるわけではない。
「では、最初は相談内容を伺って、必要に応じて調査やお見積もりをご案内する形にしましょうか」
「それがよさそうですね」
本多は、案内文を修正した。
相談の受付。
初回の打ち合わせ。
必要に応じた調査や提案。
そして、正式な見積もり。
その流れを簡単な図で示した。
「……これなら、どうでしょう?」
「いいと思います」
小坂は、少し笑った。
「お客様も、最初に何が起きるかわかりますね」
「そうですね」
*
仕上げの確認には、松井にも参加してもらった。
「……なるほど。だいぶ変わりましたね」
松井は、修正版の資料を確認した。
「以前より、何を相談できる会社なのかがわかりやすくなったと思います」
「ありがとうございます」
小坂が答えた。
「ただ、実際に営業で使うとなると、もう少し確認したいことがあります」
「何でしょう?」
「初回の打ち合わせで、お客様に何を準備していただくかですね」
小坂は、少し考えた。
「確かに、そこはまだ書いていません」
「例えば、今使っている帳票や、困っている業務の流れがわかる資料があれば、話を進めやすいと思います」
本多がうなずいた。
「では、必須ではないけれど、用意していただけると助かるものとして載せましょうか」
「そうですね」
松井は続けた。
「ただ、最初から資料をたくさん求めると、相談しにくくなるかもしれません」
「なるほど」
「まずは話を聞く。そのうえで必要なものをお願いする方が、よいと思います」
小坂は、少し笑った。
「……松井さん、そういうところまで考えているんですね」
「お客様に、面倒だと思われたら困りますから」
本多も笑った。
「確かにそうですね」
三人は、最後の案内文を調整した。
事例は、顧客に内容を確認してもらい、掲載の許可を得られたものだけを資料に反映した。
そして、改訂版の営業資料が完成した。
*
11月の中旬。
小坂は、新しい営業資料を使って、新規顧客へのアプローチを始めていた。
対象は、これまでの受注実績や業界の特徴をもとに選んだ中小企業。
業務システムを利用しているものの、日々の作業に手間がかかっていそうな企業を中心に、公開情報から候補を整理した。
もちろん、実際に困っているかどうかは、話を聞かなければわからない。
小坂は、一社ずつ連絡を進めた。
返事がない企業もある。
今は必要ないと断られることもある。
すでに別の会社へ依頼しているという返答もあった。
「……まあ、そう簡単にはいきませんよね」
小坂は、営業案件管理表を確認した。
連絡した企業。
回答の有無。
興味を示した内容。
そして、次に連絡する予定。
断られた理由も、わかる範囲で記録していた。
資料を作り直したからといって、すぐに仕事が増えるわけではない。
それでも、以前より説明しやすくなったという手応えはあった。
何ができる会社なのか。
どんな困りごとを相談できるのか。
そして、相談したあとに何が起きるのか。
それらを、短い時間で伝えられるようになっていた。
*
ある日の午後。
小坂のもとに、一通の返信が届いた。
『ご案内ありがとうございます。現在、社内の業務管理について見直しを検討しています。一度お話を伺うことは可能でしょうか』
「……おっ」
小坂は、思わず声を上げた。
初めて、具体的な打ち合わせにつながりそうな返事だった。
小坂は、すぐに返信した。
『もちろんです。まずは現在のお困りごとについて、お話を伺えればと思います』
候補日をいくつか提示し、打ち合わせの日程を調整する。
その後、松井へ連絡した。
『新規のお客様から、打ち合わせ希望のご連絡をいただきました!』
しばらくして、返事が届いた。
『おお、よかったですね』
『ありがとうございます。来週、初回の打ち合わせを予定しています』
『承知しました。事前に確認しておきたいことがあれば相談してください』
『ありがとうございます!』
小坂は、少し笑った。
まだ、受注したわけではない。
見積もりを依頼されたわけでもない。
それでも、新しい顧客との接点が一つ生まれた。
「……まずは、一件ですね」
*
数日後。
小坂は、松井と営業活動の状況を振り返っていた。
松井は、小坂に尋ねた。
「初回の打ち合わせでは、何を確認する予定ですか?」
「まず、現在の業務で困っていることですね」
「はい」
「それから、改善を検討し始めた理由と、いつ頃までに対応したいのか」
「なるほど」
「予算については、まだ具体的に決まっていないかもしれませんが、確認できる範囲で聞いてみます」
松井はうなずいた。
「ええと思います」
小坂は、少し考えた。
「松井さんって、いつも次の予定まできっちり確認されていますよね」
「そうですね。そこが決まっていないと、話が止まってしまうので」
「なるほど」
「もちろん、すぐに決められないお客様もいらっしゃいますが」
「はい」
「その場合でも、いつ頃またお話しできるかは確認するようにしています」
小坂はうなずいた。
「……勉強になります」
「いえ。小坂さんのように、新しいお客様を探すのは、私も得意というわけではありませんので」
「そうなんですか?」
「はい。既存のお客様との関係を深める方が、自分には合っていると思います」
小坂は、少し笑った。
「じゃあ、お互い得意なところを担当する感じですね」
「そうですね」
二人は笑った。
*
11月の下旬。
小坂と本多は、営業資料を使い始めてからの反応を確認していた。
「……思っていたより、すぐには反応が来ませんね」
本多が言った。
「そうですね」
小坂は、少し笑った。
「でも、一社からは打ち合わせのご希望をいただけました」
「それはよかったです」
「ありがとうございます」
本多は、資料を見直した。
「ちなみに、どのページに興味を持っていただけたかは、わかりますか?」
「まだ、そこまではわからないですね」
「なるほど」
「初回の打ち合わせで、何がきっかけになったのか聞いてみようと思っています」
「それがいいですね」
本多は、少し考えた。
「資料って、完成したら終わりじゃないんですね」
小坂が笑った。
「営業で使うものですからね」
「そうですね」
「実際に使ってみて、伝わりにくいところがあれば直していきたいです」
本多はうなずいた。
「私も、反応を見ながら改善していきたいです」
*
その日の夕方。
金目は、小坂から届いた営業活動の報告を確認していた。
新しい営業資料。
アプローチした企業。
返答の状況。
そして、初回打ち合わせにつながった一社。
「……おお、ええやん」
金目は、小坂へ連絡した。
『営業資料、実際に使い始めたんやね』
『はい。まだ一件ですが、打ち合わせにつながりました』
『ええ感じやな。で、次はどうするん?』
『初回の打ち合わせで課題を確認して、提案につなげたいと思っています』
『ええやん。よろしく頼むで』
『ありがとうございます!』
金目は、少し考えてから、もう一通送った。
『資料は売るための道具やからな。使ってみて、どんどん改善していこう』
『はい!』
やり取りを終えた金目は、営業資料を開いた。
以前より、ずっとわかりやすくなっている。
何を相談できる会社なのか。
どんな仕事をしてきたのか。
そして、相談したあとに何が起きるのか。
必要な情報が、順番に整理されていた。
金目は、少し笑った。
「……まあ、資料が勝手に売上持って帰ってきてくれたら楽なんやけどな」
もちろん、そんなことはない。
資料は、あくまで道具だ。
それを使って顧客と話し、困りごとを聞き、必要な提案を考えるのは、人の仕事だった。
そして、その仕事を進めるのは、もう金目一人ではない。
小坂が新しい顧客を探し、本多が伝わる資料を考え、松井が商談の進め方を支えている。
それぞれの強みが、少しずつ一つの仕事につながっていた。
株式会社カナメの11月が、静かに終わろうとしていた。
お読みいただきありがとうございます。旭月です。
今回は、カナメの営業資料を見直すお話でした。
新しく入社した小坂と本多が、それぞれの専門性を持ち寄って、営業資料の改善に取り組みました。
技術力や開発実績を詳しく説明した資料。
内容としては間違っていませんし、会社の強みも十分に書かれています。
しかし、初めてその資料を見るお客様にとって、何を相談できる会社なのかがわからなければ、なかなか次の行動にはつながりません。
そこで二人は、技術の説明よりも、お客様が抱えている困りごとを先に見せる構成へ変更しました。
そして、金目からの一言。
「これ、見た人は次に何したらええん?」
……なかなか鋭い指摘でしたね(笑)。
見やすい資料を作ること。
内容を正しく伝えること。
そして、読んだ人に行動してもらうこと。
似ているようで、それぞれ違う仕事なのだと思います。
さて、今回もう一つ大切にしたかったのが、実績の扱いです。
以前の画面改善案件では、試作段階で約40秒の操作時間短縮が確認されました。
営業資料としては、非常に魅力的な数字です。
しかし、その数字がどのような条件で得られたのかを説明しなければ、誤解を招く可能性があります。
よく見せることと、実際以上によく見せることは違います。
お客様に期待していただくことは大切ですが、その期待を裏切るような売り方はしたくないものですね。
そして、完成した資料を使って、小坂は新規営業を始めました。
断られることもあれば、返事が来ないこともある。
それでも、一社から初回打ち合わせの希望をいただくことができました。
まだ受注ではありません。
けれど、新しい顧客との接点が生まれたことは、確かな一歩です。
何より、金目が直接指示しなくても、小坂と本多が相談し、松井や岡元の協力を得ながら、一つの成果物を完成させました。
それぞれの得意分野を組み合わせることで、会社としてできることが少しずつ増えています。
さて、次回はいよいよ年末。
普段はフルリモートのカナメですが、久しぶりに社員たちが顔を合わせることになりそうです。
……そろそろ、金目も別の意味で会社の成長を実感するかもしれませんね(笑)。
引き続き、お付き合いいただければ幸いです。




