その改善、いくらになりますか?
2029年10月。
株式会社カナメに、一件の見積もり依頼が届いた。
8月に岡元遥が提案した、業務システムの画面改善案件だった。
試作画面を確認した顧客からは、好意的な反応を得ていた。
しかし、実際に改修するとなれば、費用が発生する。
どこまで変更するのか。
いくらかかるのか。
そして、その金額を支払うだけの価値があるのか。
ここから先は、技術だけでは決められない仕事だった。
*
「正式に見積もりをお願いしたいそうです」
田村が、オンラインの会議で報告した。
参加しているのは、金目、西田、岡元、田村、高瀬の5人。
田村が顧客からの依頼内容を共有する。
「前回の試作画面が好評やったみたいでな。社内でも検討してくれたらしい」
「それはよかったですね」
岡元が、少し笑った。
「ただ、正式な改修となると、見積もりを確認してから判断したいそうや」
西田がうなずいた。
「ほな、まず工数を整理せなあかんな」
「そうですね」
金目は、資料を確認した。
画面の変更。
入力手順の簡略化。
権限ごとの表示制御。
既存機能への影響確認。
そして、テスト。
画面を少し変えるだけに見えても、実際には確認することが多い。
「西田さん、開発工数の見積もりをお願いできますか?」
「了解。岡元さんと確認するわ」
「お願いします」
金目は、高瀬にも尋ねた。
「高瀬さん、契約条件と採算の確認をお願いしてもええですか?」
「承知しました」
「田村さんは、引き続きお客さんの要望を整理してもらえます?」
「もちろん」
金目は、少し考えた。
「ほな、今回は俺が商談を担当します」
田村がうなずいた。
「そうやな。金目君が話した方がええと思う」
「営業担当、まだおらんしな」
金目は、少し笑った。
「まあ、今のところは俺の仕事やね」
こうして、見積もりの準備が始まった。
*
数日後。
岡元は、8月に記録した顧客の操作状況を見直していた。
一日に、およそ50回。
同じような入力作業が繰り返されている。
現行システムでは、顧客情報を確認し、編集画面へ移動して入力し、保存して一覧へ戻る。
その後、必要に応じて別の画面を開き、関連する情報を確認する。
試作画面では、こうした操作を一つの画面にまとめていた。
岡元は、同じ作業を現行画面と試作画面で比較した。
現行画面では、およそ1分20秒。
試作画面では、およそ40秒。
差は、40秒だった。
「……なるほど」
岡元は、結果を記録した。
もちろん、これは試作環境での測定結果だった。
実際の業務では、入力する内容や担当者の操作速度によって変わる。
それでも、改善効果を考えるための材料にはなる。
岡元は、簡単な計算をした。
40秒。
一日50回。
合計2,000秒。
約33分。
仮に月20日稼働するとすれば、月に約11時間。
年間では、約133時間になる。
岡元は、資料に注記を加えた。
『試作環境での測定値をもとにした試算。実運用での削減時間を保証するものではない』
数字だけが独り歩きしないようにするためだった。
*
岡元は、整理した資料を金目と田村に共有した。
「今回の改善効果を、数字でまとめてみました」
画面には、操作時間の比較が表示されている。
現行画面。
試作画面。
一回あたりの所要時間。
一日の処理回数。
そして、削減時間の試算。
金目は、資料を確認した。
「……なるほど。結構変わるんですね」
「はい。試作環境では、40秒ほど短縮できました」
「一日50回やったら、33分くらいか」
「そうですね」
田村もうなずいた。
「毎日やったら、結構な時間になるな」
「はい。ただ、実際の業務では変わる可能性があります」
岡元が説明した。
「そこは、ちゃんと書いています」
「ええと思います」
金目は、少し考えた。
「ところで岡元さん」
「はい」
「それで、お客さんは何がうれしいんやろ?」
岡元は、少し考えた。
「……毎日の入力作業が楽になること、でしょうか」
「そうですね」
「操作が減れば、負担も小さくなると思います」
「うん」
金目は、資料を指した。
「この33分って、単に仕事が早く終わるだけやないと思うんですよ」
「そうなんですか?」
「例えば、その時間で別の仕事ができるかもしれへんし、忙しい時間帯に余裕ができるかもしれへん」
「なるほど」
「もちろん、実際にそうなるかは、お客さん次第ですけどね」
田村がうなずいた。
「せやな。現場で何に困っとるかが大事や」
金目は、少し笑った。
「だから、33分短縮できますって言うだけやなくて、その時間で何が変わるんかを伝えたいですね」
岡元は、もう一度資料を見直した。
自分が作ったのは、画面の改善案だった。
しかし、顧客が欲しいのは、画面そのものではない。
毎日の仕事を、少しでも楽にすること。
そのための仕組みだった。
「……なるほど。そういうことですね」
金目がうなずいた。
「せやね。そこをちゃんと伝えましょう」
*
10月の中旬。
西田と岡元による工数見積もりがまとまった。
画面設計の修正。
フロントエンドの実装。
既存の権限制御との連携。
影響範囲の確認。
テスト。
そして、顧客による受入確認への対応。
西田は、必要な作業を一つずつ整理していた。
「これくらいは見といた方がええと思うで」
金目が確認する。
「なるほど」
「画面だけやったら、もうちょっと少なくできるんやけどな」
「そうですね」
「ただ、既存機能への影響確認は削れへん」
「そこは削らんときましょう」
金目は、資料を見直した。
安く作ることはできるかもしれない。
しかし、必要な確認を省いてまで価格を下げるつもりはなかった。
高瀬からも、採算確認の結果が届いた。
『今回の改修範囲であれば、提示予定額で必要な採算を確保できる見込みです』
金目は、内容を確認した。
そして、見積書の金額を決めた。
80万円。
税別。
今回の改修に必要な作業と、提供する価値を踏まえた金額だった。
「……ほな、これで提案しましょうか」
西田がうなずいた。
「ええと思うで」
田村も答えた。
「了解。お客さんと日程調整するわ」
*
数日後。
オンラインでの商談が始まった。
カナメ側は、金目、田村、岡元の3人。
顧客側は、これまで打ち合わせを重ねてきた担当者と、その上司だった。
「本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
金目が挨拶した。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「前回ご確認いただいた画面改善案について、正式なお見積もりを用意しました」
金目は、資料を共有した。
まず、今回の改修範囲を説明する。
画面遷移の削減。
入力手順の簡略化。
権限に応じた操作制御。
既存機能への影響確認。
そして、テスト。
岡元が、試作画面を操作しながら補足した。
「現在は、詳細画面と編集画面を行き来する必要がありますが、改善後は一つの画面で操作できるようにする予定です」
顧客担当者がうなずいた。
「そうですね。前回も見せてもらいましたけど、これは使いやすそうでした」
「ありがとうございます」
岡元は、少し笑った。
金目は、次の資料を表示した。
『お見積もり』
画面に、金額が表示された。
80万円。
税別。
顧客の上司が、少し眉を上げた。
「……80万円ですか」
「はい」
「なるほど……」
上司は、資料を見直した。
「これ、画面をちょっと変えるだけですよね?」
岡元は、少し姿勢を正した。
画面の変更だけではない。
権限制御の確認もある。
既存機能への影響調査も必要になる。
テストも欠かせない。
そう説明しようとしたところで、金目が口を開いた。
「そう見えますよね」
顧客の上司は、少し意外そうな顔をした。
「ええ。正直、もう少し安いと思っていました」
「そうですよね。見た目だけなら、画面の配置を変える程度に見えると思います」
金目は、少し笑った。
「ただ、今回ご提案しているのは、画面をきれいにすることではないんです」
「……といいますと?」
金目は、次の資料を開いた。
『現行画面と改善案の操作比較』
「まず、こちらをご覧いただけますか」
画面には、二つの操作手順が並んでいた。
現行画面。
試作画面。
それぞれの操作回数と、所要時間。
「今回、普段の業務を確認させていただいたところ、同じような操作を一日に50回ほど繰り返されていると伺いました」
顧客担当者がうなずいた。
「そうですね。忙しい日はもっと多いです」
「ありがとうございます」
金目は、資料を指した。
「試作環境で比較したところ、一回あたり約40秒の短縮が確認できました」
「40秒ですか」
「はい。一回だけなら、大した時間ではないかもしれません」
金目は、少し間を置いた。
「でも、一日に50回やったら、どうでしょう?」
顧客の上司は、少し考えた。
「……結構な時間になりますね」
「そうなんです」
金目は、次の数字を示した。
『一日あたり約33分』
『月20日稼働の場合、約11時間』
『年間約133時間』
「もちろん、これは試作環境での測定結果をもとにした試算です。実際の業務で、必ずこの時間が削減できるというものではありません」
「なるほど」
「ただ、毎日繰り返している作業だからこそ、小さな改善でも積み重なっていくんです」
顧客担当者が、少し笑った。
「確かに、毎日やってますからね」
田村が口を開いた。
「前回、実際の操作を見せていただいたときも、画面を何度も行き来されていましたよね」
「そうなんですよ」
「慣れているとはおっしゃっていましたけど、手間がかかっていることには変わりないと思います」
「そうですね」
金目はうなずいた。
「今回、うちが提供したいのは、画面を少し変えることではないんです」
顧客の上司が、顔を上げた。
「毎日の仕事が、少し楽になることです」
金目は続けた。
「そのために必要な改修を、きちんと行いたいと考えています」
顧客の上司は、もう一度資料を見直した。
「……なるほど」
しばらくして、うなずいた。
「そういうことなら、金額の理由はわかります」
「ありがとうございます」
「確かに、毎日の作業がそれだけ変わるなら、検討する価値はありますね」
岡元は、少し安心した。
自分が考えた改善案が、ようやく顧客に価値として伝わったように感じた。
金目も、少し笑った。
「ありがとうございます。ぜひ、ご検討いただければと思います」
顧客の上司は、資料を閉じた。
「……ただ、一つ相談がありまして」
「はい。何でしょう?」
「効果は、よくわかりました」
「ありがとうございます」
「ただ、もう少し安くなりませんか?」
金目は、少し笑った。
「……なるほど。ご予算のご相談ですね」
お読みいただきありがとうございます。旭月です。
今回は、少し商売のお話を描いてみました。
何を作るのかだけでなく、それによって何が変わるのか。金目は、毎日の仕事がどれだけ楽になるかを伝えようとしました。
試算どおりの効果を約束することはできなくても、価値を一緒に考える材料にはなります。岡元の改善案が、商談の言葉になった回でした。
さて、ようやく80万円という金額の理由を理解していただけたところで、お客様からは値引きのご相談が。
……商売というものは、なかなか一筋縄ではいきませんね(笑)。
果たして金目は、どのように交渉するのでしょうか。
次回「値引きではなく」。
引き続き、お付き合いいただければ幸いです。




