画面の向こう側
2029年8月。
株式会社カナメの本町事業所に、新しい社員が加わった。
岡元遥。
30歳。
受託開発会社でフロントエンド開発を経験してきた技術者だった。
社員番号は11。
先月発足した開発部にとって、初めて迎える新しい仲間でもあった。
*
「今日から開発部に加わる岡元さんです」
西田が、集まったメンバーに紹介した。
「岡元遥です。よろしくお願いします」
岡元は、落ち着いた声で挨拶した。
「これまでは、主に業務システムの画面設計とフロントエンド開発を担当してきました」
西田がうなずいた。
「うちは、今までバックエンド寄りの仕事が多かったからな。岡元さんには、画面まわりを中心に見てもらおうと思っとる」
「承知しました」
岡元は、少し笑った。
「ただ、まだこちらのシステムのことは何もわかっていませんので、いろいろ教えていただけると助かります」
岩田が答えた。
「もちろんです。既存の構成は、僕の方から説明します」
「ありがとうございます」
上田と中野も、順番に挨拶した。
上田は入社2年目。
中野は、この春に入社したばかりだった。
岡元は、二人の名前を確認しながらうなずいた。
「よろしくお願いします」
金目も、簡単に挨拶した。
「岡元さん、入社ありがとうございます」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「まだまだ小さい会社ですけど、いろいろ一緒に考えてもらえたらと思います」
「はい。頑張ります」
金目は、少し笑った。
「開発のことは西田さんに任せてるので、困ったことがあったら相談してください」
「承知しました」
こうして、岡元のカナメでの仕事が始まった。
*
入社から数日後。
岡元は、既存の業務システムを確認していた。
画面には、顧客情報の一覧が表示されている。
検索。
詳細表示。
情報の編集。
履歴の確認。
必要な機能は、一通り揃っていた。
岡元は、実際に操作してみた。
一覧から顧客を選ぶ。
詳細画面を開く。
編集画面へ移動する。
必要な情報を変更する。
保存する。
そして、一覧へ戻る。
もう一度、別の顧客を選んで同じ操作を繰り返した。
「……なるほど」
岡元は、画面の構成を確認した。
機能は、問題なく動いている。
しかし、同じような情報を何度も入力する場面がある。
画面の移動も、少し多いように感じた。
岡元は、西田に尋ねた。
「この画面、実際に使っている方の操作は確認されていますか?」
西田は、少し考えた。
「一応、お客さんからもらった仕様に沿って作っとるで」
「なるほど」
「何か気になるところある?」
「はい。機能としては問題ないと思うんですが、実際の操作が少し気になりまして」
「ほう」
「この画面、一日に何回くらい使われているんでしょうか」
西田は、少し考えた。
「そこまでは、把握してへんな」
「そうなんですね」
「使いにくそう?」
岡元は、少し首を振った。
「まだ、わかりません」
「ほう」
「私が使いにくいと感じても、実際に使っている方が困っているとは限りませんので」
西田はうなずいた。
「なるほどな」
「一度、実際の操作を確認させていただけませんか?」
「ええと思うで。田村さんに相談してみよか」
「ありがとうございます」
岡元は、画面を閉じた。
使いにくいと決めつけるのは簡単だった。
しかし、必要なのは自分の感想ではない。
実際に使っている人が、何に困っているのか。
まずは、それを知る必要があった。
*
8月の半ば。
岡元は、田村を通じて調整してもらった顧客との打ち合わせに参加していた。
画面の向こうには、日常的にシステムを利用している担当者がいる。
「今日は、普段の操作を見せていただければと思っています」
岡元が説明した。
「わかりました」
担当者は、画面共有を始めた。
顧客情報の一覧。
詳細画面。
編集画面。
履歴画面。
それぞれを切り替えながら、日常の作業を進めていく。
岡元は、操作の流れを確認していた。
一件の処理を終えるまでに、何度も画面を移動している。
さらに、同じ情報を別の画面でも入力していた。
「すみません、一つ確認してもよろしいですか?」
「はい」
「この操作、一日に何回くらいされていますか?」
担当者は、少し考えた。
「多い日は、50回くらいですかね」
「50回ですか」
「はい。忙しい日は、もっと多いこともあります」
岡元は、メモを取った。
一回の操作は、それほど長くない。
しかし、それを一日に何十回も繰り返している。
「ちなみに、この画面の切り替えについて、何か不便に感じることはありますか?」
担当者は、少し笑った。
「まあ、慣れましたけどね」
「そうなんですね」
「最初は面倒やなと思いましたけど、今はもう手が覚えてます」
岡元はうなずいた。
慣れている。
それは、使いやすいという意味ではない。
ただ、今の方法に合わせて仕事をしているだけかもしれなかった。
「ありがとうございます。もう少し、普段の操作を見せていただいてもよろしいですか?」
「もちろんです」
岡元は、画面の動きと操作回数を記録していった。
*
打ち合わせを終えたあと。
岡元は、確認した内容を整理していた。
画面の切り替え回数。
入力する項目。
同じ情報を繰り返し入力する箇所。
操作にかかる時間。
そして、一日の作業回数。
岡元は、簡単な改善案を作成した。
複数の画面に分かれていた入力項目を、一つの画面にまとめる。
必要な情報を、なるべく同じ場所で確認できるようにする。
画面遷移を減らし、操作の回数を少なくする。
機能を増やすわけではない。
今ある機能を、使いやすく整理するだけだった。
岡元は、試作画面を作り始めた。
*
数日後。
岡元は、岩田に試作画面を見せていた。
「少し確認していただいてもいいですか?」
「もちろんです」
画面には、既存のシステムとは少し違う構成が表示されていた。
顧客情報。
編集項目。
履歴。
それらが、一つの画面から確認できるようになっている。
岩田は、画面を操作してみた。
「……なるほど。だいぶまとまっとるな」
「はい。画面の移動を減らせると思います」
「ええと思うで」
岩田は、しばらく画面を確認していた。
そして、一つ気になるところを見つけた。
「岡元さん、ちょっとええ?」
「はい」
「これ、既存の権限チェックはどうするん?」
岡元は、少し考えた。
「権限チェック、ですか?」
「うん。今のシステム、操作する人によって編集できる項目が違うんよ」
「そうなんですね」
「例えば、この項目は管理者しか変更できへんようになっとる」
岩田は、画面の一部を指した。
「でも、この案やと、全部同じ画面に並んどるやろ?」
岡元は、試作画面を見直した。
確かに、入力項目をまとめることばかり考えていた。
既存の権限制御については、十分に確認できていなかった。
「……そこは確認できていませんでした」
岡元は、素直に認めた。
「すみません。既存の権限設計を確認させていただけますか?」
「もちろん」
岩田は、設計資料を開いた。
管理者。
一般担当者。
閲覧のみの利用者。
それぞれに許可された操作が整理されている。
岡元は、資料を確認しながらメモを取った。
「なるほど。画面をまとめるだけでは、だめですね」
「そうやな」
「ただ、権限によって表示や操作を切り替えれば、画面の移動は減らせるかもしれません」
岩田がうなずいた。
「それなら、できそうやな」
岡元は、少し笑った。
「ありがとうございます。もう一度考えてみます」
岩田も笑った。
「いや、こっちも画面の使いやすさはあんまり考えられてへんかったからな」
「そうなんですか?」
「機能を作る方が中心やったしな」
「なるほど」
「お互い、得意なところ持ち寄ったらええんちゃう?」
岡元はうなずいた。
「そうですね」
試作画面は、もう一度作り直すことになった。
しかし、それは後戻りではなかった。
今まで見えていなかった条件が、一つ増えただけだった。
*
8月の下旬。
株式会社カナメの本町事業所では、岡元が画面改善案の見直しを進めていた。
机の上には、既存システムの設計資料が並んでいる。
管理者。
一般担当者。
閲覧のみの利用者。
それぞれに許可された操作は異なっていた。
岡元は、資料を確認しながら画面の構成を考えていた。
入力項目を一つの画面にまとめる。
画面の移動を減らす。
それだけなら、難しくない。
しかし、権限によって表示する項目や操作できる範囲を変える必要がある。
さらに、画面だけでなく、サーバー側でも権限を確認しなければならない。
岡元は、少し考えた。
「……一回、みんなにも相談しようかな」
*
翌日。
岡元、岩田、上田、中野の4人が、画面改善案について話し合っていた。
岡元が、修正した試作画面を共有する。
「前回、岩田さんから権限の件をご指摘いただいたので、そこを見直してみました」
岩田がうなずいた。
「ありがとう。どんな感じ?」
「管理者と一般担当者では、操作できる項目を分けています。閲覧のみの方は、編集操作を表示しない形です」
「なるほど」
「ただ、画面側で制御するだけでは不十分なので、サーバー側の確認も必要だと思っています」
岩田は、少し笑った。
「そこまで考えてくれたんやな」
「はい。既存の仕組みを確認したので」
上田が、画面を操作してみた。
「……これ、前よりわかりやすいですね」
「そうですか?」
「はい。今までは、詳細を見てから編集画面に移動してたんですけど、同じ画面で操作できるので」
岡元がうなずいた。
「そこを減らしたかったんです」
上田は、もう一度画面を確認した。
「ただ、これって保存したあと、どこに戻るんですか?」
「基本的には、同じ画面に残る想定です」
「なるほど」
「その方が、次の操作に移りやすいと思うので」
上田は、少し考えた。
「……それなら、保存できたことがわかる表示が欲しいですね」
岡元は、メモを取った。
「確かに。何も変わらなかったら、保存できたか不安になりますね」
「そうですね」
中野も、画面を見ていた。
「あの、一ついいですか?」
「もちろん」
「これ、編集できない項目は、どう表示するんでしょうか?」
岡元は、少し考えた。
「権限がない場合は、編集できない状態にする予定です」
「なるほど」
「何か気になるところあります?」
「はい。編集できない理由がわからないと、壊れていると思われないかなと」
岡元は、少し驚いた。
「……ああ、確かに」
中野は、少し恐縮した。
「すみません。まだよくわかってないんですけど」
「いえ、いい指摘だと思います」
岡元は、画面を見直した。
編集できないこと。
そして、なぜ編集できないのか。
それが利用者に伝わる必要がある。
「権限によって編集できない場合は、その理由がわかるようにしましょうか」
岩田もうなずいた。
「ええと思うで」
岡元は、メモを追加した。
*
打ち合わせのあと。
岡元は、修正事項を整理していた。
権限ごとの表示。
サーバー側の権限確認。
保存完了の通知。
編集できない理由の表示。
そして、操作手順の簡略化。
どれも、必要なことだった。
しかし、岡元一人では気づけなかったことも多い。
既存のシステムをよく知っている岩田。
日常的に実装を担当している上田。
初めて使う人に近い視点を持っている中野。
それぞれの意見が、画面改善案に反映されていた。
岡元は、少し笑った。
「……一人で考えるより、ずっとええな」
その日の午後。
西田が、岡元の席にやってきた。
「どうや、進んどる?」
「はい。皆さんに確認していただいて、だいぶ整理できました」
「そうか」
西田は、試作画面を確認した。
「……おお、前よりええ感じやな」
「ありがとうございます」
「権限のところも大丈夫そう?」
「はい。岩田さんと確認して、画面側とサーバー側の両方で対応する方針にしています」
「なるほど」
西田は、少し考えた。
「ただ、これ全部やろうと思ったら、結構工数かかるんちゃう?」
「そうですね」
岡元は、作業項目の一覧を表示した。
「なので、まずは効果が大きいところから対応する案にしています」
「ほう」
「今回の目的は、日常的な操作の負担を減らすことなので、画面遷移の削減を優先したいと思っています」
「なるほど」
「権限制御は既存の仕組みを利用できる部分がありますので、そこを確認しながら進める予定です」
西田はうなずいた。
「ええと思うで」
岡元は、少し安心した。
入社して、まだ一か月も経っていない。
既存システムのことも、知らないことが多い。
しかし、わからないところは聞けばいい。
そして、自分が得意なところでは、力を発揮すればいい。
そうやって仕事を進められる環境なのだと、少しずつ感じ始めていた。
*
数日後。
岡元は、田村と一緒に顧客との打ち合わせに参加していた。
今回の目的は、改善案の試作画面を確認してもらうことだった。
正式な改修は、まだ決まっていない。
まずは、実際に使う人の意見を聞く。
岡元が、画面を共有した。
「前回、普段の操作を見せていただいた内容をもとに、改善案を作成しました」
顧客の担当者がうなずいた。
「ありがとうございます」
「今回は、画面の移動を減らして、一つの画面で必要な情報を確認できるようにしています」
「なるほど」
岡元は、試作画面を操作した。
顧客情報を選ぶ。
詳細を確認する。
必要な項目を編集する。
保存する。
以前より、画面の切り替えが少なくなっていた。
担当者が、少し驚いた。
「……あ、これ一画面でできるんですね」
「はい」
「今までは、こっち開いて、また戻って、別の画面開いて……ってやってたんですけど」
「そうですね」
「これやったら、だいぶ楽そうです」
岡元は、少し笑った。
「ありがとうございます。よろしければ、実際に操作していただけますか?」
「はい」
担当者は、試作画面を操作し始めた。
最初は、少し戸惑っていた。
しかし、何度か操作すると、以前より少ない手順で作業を終えられた。
「……これ、慣れたら結構早くできそうですね」
「そうですね」
岡元は、操作の様子を確認していた。
途中、担当者が一つの項目で手を止めた。
「あれ、これは変更できないんですか?」
「はい。こちらは管理者の方だけが変更できる項目になります」
「ああ、なるほど」
岡元は、画面に表示された説明を指した。
「こちらにも、その理由を表示するようにしています」
「ほんまや。これならわかりますね」
岡元は、少し安心した。
中野が指摘してくれた部分だった。
あのとき見直していなければ、利用者はまた迷っていたかもしれない。
*
打ち合わせの終わり。
田村が、顧客に確認した。
「今回の改善案について、いかがでしょうか?」
担当者は、少し考えた。
「ええと思います。毎日使うものなんで、こういうのは助かりますね」
「ありがとうございます」
「ただ、正式に変更するとなると、社内でも確認が必要なので」
「もちろんです」
田村が答えた。
「今回の内容をもとに、改修範囲と費用、スケジュールを整理して、改めてご提案します」
「お願いします」
打ち合わせは、そこで終了した。
岡元は、少し息をついた。
試作画面は、好意的に受け止めてもらえた。
しかし、まだ正式な改修が決まったわけではない。
これから見積もりを作り、顧客の承認を得る必要がある。
それでも、改善の方向性は見えてきた。
*
8月の終わり。
西田は、金目に開発部の近況を報告していた。
「岡元さん、なかなかええ感じやで」
「そうなん?」
「うん。既存システムの画面改善を提案してくれてな」
「なるほど」
「お客さんにも試作を見てもろたんやけど、結構評判よかったみたいや」
「それはええな」
金目は、資料を確認した。
改善前の画面。
改善後の試作画面。
操作手順の比較。
機能そのものは、大きく変わっていない。
しかし、画面の構成は、ずいぶん整理されていた。
「……そんなに変わるもんなんやな」
西田がうなずいた。
「機能は、ほとんど変わってへんねんけどな」
「そうなんや」
「でも、使う人からしたら、結構違うみたいやで」
金目は、少し考えた。
これまでは、求められた機能を正しく作ることに力を入れてきた。
もちろん、それは大切なことだった。
しかし、機能が正しく動いているだけでは、十分とは限らない。
実際に使う人が、迷わず操作できること。
余計な手間をかけずに仕事を進められること。
そうした部分にも、改善の余地があった。
「……ええ人が来てくれたな」
金目が言うと、西田が笑った。
「せやな」
「これから、こういう仕事も増やせるかもしれんな」
「そうやな。今まであんまり手を出せてへんかったところやし」
金目は、もう一度資料を見た。
新しい社員が一人加わった。
それだけで、会社ができることが少し広がった。
しかし、それは岡元一人の力だけではなかった。
岩田が既存の設計を確認し、上田が実装の事情を説明し、中野が利用者の視点から疑問を出した。
それぞれの得意なことが組み合わさって、一つの改善案になっていた。
金目は、少し笑った。
「……こういうの、ええな」
「何が?」
「一人で全部できんでも、みんなでできること増えていくんやなと思って」
西田は、少し考えてからうなずいた。
「……せやな」
株式会社カナメの開発部に、新しい専門性が加わった。
その変化は、まだ小さなものだった。
しかし、画面の向こう側にいる人たちの仕事を、少しだけ楽にできるかもしれない。
そんな可能性が、また一つ増えていた。
お読みいただきありがとうございます。旭月です。
今回は、新しく入社した岡元遥のお話でした。
これまでバックエンド寄りだったカナメの開発に、フロントエンドという新しい専門性が加わりました。
機能として正しく動いていることと、実際に使いやすいことは、必ずしも同じではありません。
毎日何十回も繰り返す操作なら、ほんの少しの手間でも、積み重なれば大きな負担になります。
そして、今回の改善案は岡元一人で完成させたものではありません。
岩田、上田、中野。
それぞれが違う視点から意見を出し、一つの改善案を作り上げました。
人が増えることで、単に仕事を分担できるだけでなく、会社としてできることも広がっていく。
そんな変化を描いてみました。
さて、気づけばカナメの社員番号も11番まで来ました。
……そろそろ、誰が誰だかわからなくなってきた方もいらっしゃるかもしれません。
何を隠そう、筆者も時々、設定資料を見返しています(笑)。
登場人物が増えるのは会社が成長している証拠ですが、読者の皆さまにとっては、なかなか覚えるのも大変ですよね。
どこかのタイミングで、社員一覧や簡単な人物紹介をまとめた方がいいのかもしれません。
さて、次回は会社の運営を支える、新たな人物が登場します。
引き続き、お付き合いいただければ幸いです。




