二度目の入社式
2029年4月2日、月曜日。
大阪・本町にある株式会社カナメの事業所では、朝から少し慌ただしく準備が進められていた。
会議用の机を移動し、椅子を並べる。
壁際には、会社の名前が入った小さな案内が置かれていた。
昨年の春も、同じようなことをしていた。
ただし、あのときは事業所を開設したばかりで、机や椅子の配置すら決まっていなかった。
今年は違う。
三宅が式次第を用意し、社員証や入社書類も揃えている。
金目は、会場の様子を眺めていた。
「……去年も、こんなんやったな」
隣にいた西田が笑った。
「去年はもっとバタバタしとったで」
「そうやったっけ?」
「そらそうやろ。事業所開けたばっかりやったしな」
「……ああ、そうやったな」
金目は、少し笑った。
あれから1年。
昨年の入社式では、初めての新卒社員を迎えた。
今年は、新卒二期生を迎える。
そして、社員番号は10まで増えていた。
少しずつではあるが、会社らしくなってきた気がする。
*
午前10時。
入社式が始まった。
新入社員は、中野航平。
3年制の専門学校を卒業し、この春から株式会社カナメに入社する。
中野は、少し緊張した様子で席に座っていた。
三宅が進行を務める。
「それでは、代表からご挨拶をお願いします」
金目は、立ち上がった。
昨年の入社式では、何を話せばいいのかわからず、少しぎこちない挨拶になってしまった。
今回は、事前に原稿を用意していた。
金目は、その紙を開いた。
「えー、本日は、株式会社カナメの新卒二期生として、中野航平さんをお迎えすることができ、大変うれしく思っております」
そこまで読んで、少し止まった。
なんだか、自分が話している気がしない。
金目は、もう一度原稿を見た。
「今後、当社のさらなる発展に向けて……」
言いかけて、口を閉じた。
「……なんか、俺らしくないな」
小さくつぶやく。
西田が、少し笑った。
金目は、原稿を閉じた。
「……すみません。ちょっと、普通に話します」
中野が、少し顔を上げた。
「中野君、入社おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「うちは、まだ小さい会社です。整ってないことも、たくさんあります」
金目は、少し考えながら続けた。
「でも、その分、自分たちで考えて変えていける会社でもあります」
中野は、真剣に聞いていた。
「最初から全部できる必要はありません。わからんことは聞いて、失敗したら次に生かしてもらえたらと思います」
金目は、少し笑った。
「僕らも、まだまだ勉強中なんで」
何人かが笑った。
「これから、一緒に仕事していきましょう。よろしくお願いします」
金目は、軽く頭を下げた。
中野も、深く頭を下げた。
「よろしくお願いします」
金目が席に戻ると、西田が小声で言った。
「……去年よりは、だいぶマシやったな」
「それ、褒めてる?」
「褒めとるで」
金目は、少し苦笑した。
原稿は、結局ほとんど使わなかった。
それでも、昨年よりは自分の言葉で話せた気がした。
*
続いて、社員証の授与が行われた。
三宅が、小さなケースを金目に渡す。
金目は、それを受け取って中野の前に立った。
「中野君、こちらが社員証です」
「ありがとうございます」
中野は、両手で受け取った。
ケースの中には、会社名と氏名が記されたカードが入っている。
『10 中野航平 開発担当』
金目は、少し笑った。
「10番やね」
「これから、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
中野は、丁寧に頭を下げた。
そのあと、上田が中野に声をかけた。
「中野君、これストラップです」
「あ、ありがとうございます」
「社員証、ここに付けるんですけど……」
上田は、ストラップの留め具を開こうとした。
しかし、少し固かった。
「……あれ?」
上田は、もう一度試した。
「これ、最初ちょっと固いんですよ」
中野が、少し笑った。
「そうなんですね」
「はい。僕も去年、ちょっと苦労しました」
上田は、ようやく留め具を開いた。
「ここに通して、閉じたら大丈夫です」
「ありがとうございます」
中野は、社員証を首から下げた。
上田は、少し安心したように笑った。
金目は、その様子を眺めていた。
昨年の春。
上田は、社員証を受け取る側だった。
何もかもが初めてで、少し緊張していた。
それが今では、後輩に社員証の付け方を教えている。
たった1年。
それでも、人は少しずつ変わるものなのだろう。
*
入社式から数日後。
上田は、中野に開発環境の準備を説明していた。
本町事業所の一角。
二人は、並んでノートパソコンの画面を見ている。
「まず、ここのリポジトリを取得して……」
「はい」
「それから、設定ファイルを用意します」
「わかりました」
上田は、手順を説明しながら操作を進めた。
自分にとっては、もう何度もやっている作業だった。
しかし、中野は途中で手を止めた。
「あの、上田さん」
「はい?」
「これって、どこに設定するんですか?」
上田は、画面を見た。
「あ、それは……」
少し考える。
「……あれ?」
自分では当たり前のようにやっていた操作だった。
しかし、説明しようとすると、うまく言葉が出てこない。
「ちょっと待ってくださいね」
上田は、自分の環境を確認した。
設定ファイルの場所。
必要な項目。
読み込まれる順番。
説明しなければならないことが、思っていたより多かった。
そこへ、西田がやってきた。
「どうしたん?」
「中野君に環境の説明してたんですけど、途中の手順を飛ばしてしまって」
「なるほど」
西田は、少し笑った。
「上田、自分が最初にやったとき、何に困った?」
上田は、少し考えた。
「……手順が飛んでて、わからなかったことです」
「せやろ」
「はい」
「ほな、それを思い出して教えたらええ」
上田はうなずいた。
「そうですね」
西田は、中野にも声をかけた。
「中野君も、わからんところは遠慮なく聞いてな」
「はい。ありがとうございます」
上田は、説明を最初からやり直した。
今度は、自分が初めて作業したときのことを思い出しながら、一つずつ確認していく。
中野も、わからないところを質問した。
少し時間はかかったが、開発環境は無事に準備できた。
「ありがとうございます。動きました」
中野が言うと、上田は少し笑った。
「よかったです」
しかし、上田は自分の説明が十分ではなかったことも感じていた。
その日の午後。
上田は、開発環境の手順書を開いた。
自分が説明を飛ばしてしまった箇所を、追記していく。
設定ファイルの場所。
必要な項目。
確認方法。
中野が迷ったところを、一つずつ整理した。
そこへ、岩田が声をかけた。
「上田君、何してるん?」
「中野君に説明してたんですけど、手順書に足りないところがあったので」
「なるほど」
岩田は、画面を確認した。
「ええやん。こういうの、残しといた方が次も楽やしな」
「そうですね」
上田は、少し笑った。
「教えるのって、思ったより難しいですね」
「そらそうやろ」
岩田も笑った。
「自分ができることと、人に教えられることは違うからな」
「……ほんまですね」
上田は、もう一度手順書を見直した。
昨年は、教えてもらうばかりだった。
今度は、自分が教える側になっている。
しかし、教えることで、自分にもまだ理解が足りないところがあると気づいた。
それも、勉強なのだろう。
*
翌週。
中野は、最初の開発課題に取り組んでいた。
既存のプログラムに、小さな機能を追加する仕事だった。
上田が、日常的な質問に答えている。
そして、コードのレビューは岩田が担当することになっていた。
中野が提出したコードを、岩田が確認する。
「中野君、ちょっとええ?」
「はい」
「この処理、なんでここに書いたん?」
中野は、画面を確認した。
「最初にデータを取得して、そのあと必要なものだけ処理した方がいいと思ったので」
「なるほど」
岩田は、少し考えた。
「ほな、取得するデータが増えたらどうなる?」
中野は、少し黙った。
「……処理に時間がかかると思います」
「せやな」
「はい」
「ほな、別の方法は考えられる?」
中野は、画面を見直した。
「……取得する段階で、必要なものだけに絞るとかですか?」
岩田がうなずいた。
「そういう方法もあるな」
「なるほど」
「ただ、何でも先に絞ったらええわけでもないから、今回の条件で考えてみて」
「わかりました」
中野は、もう一度コードを見直した。
岩田は、答えをそのまま教えなかった。
なぜその方法を選んだのか。
ほかに方法はないのか。
その条件では、何が適切なのか。
そうしたことを考えさせていた。
上田は、そのやり取りを少し離れたところで聞いていた。
自分も、まだ教わることが多い。
しかし、中野が日常的に困ったときには、自分が相談に乗れる。
技術的に難しい判断は、岩田や西田に相談すればいい。
全部を一人で教える必要はなかった。
上田は、少し安心した。
株式会社カナメでは、少しずつ人を育てる仕組みができ始めていた。
*
4月も半ばを迎えていた。
株式会社カナメの本町事業所では、金目と三宅が社員管理表を確認していた。
社員番号は10まで増えている。
西田を取締役に迎えた頃は、わずか3人だった。
そこから、少しずつ仲間が増えた。
新卒採用。
業務委託からの社員化。
一般公募による中途採用。
採用の経緯も、担当する仕事も、それぞれ違っていた。
金目は、一覧を眺めた。
「……ほんま、増えたな」
三宅がうなずいた。
「そうですね。担当する業務も増えました」
「そうですね」
三宅は、別の資料を開いた。
「そこで、一つご相談があります」
「何でしょう?」
「現在の業務分担についてです」
画面には、社員ごとの担当業務が並んでいた。
開発。
保守・運用。
案件管理。
顧客対応。
契約。
経理。
採用。
金目は、資料を見直した。
それぞれの仕事には、担当者がいる。
しかし、誰が最終的に判断するのか、曖昧な部分も残っていた。
「……確かに、ちょっとわかりにくいですね」
「はい。人数が少ないうちは、都度相談すれば済んでいましたが」
「そうですね」
「今後も社員が増えるのであれば、組織としての役割を整理しておいた方がよいと思います」
金目はうなずいた。
「具体的には、どうするんです?」
三宅は、資料を切り替えた。
『組織体制案』
その下に、二つの項目が並んでいる。
『開発部』
『業務部』
「まず、開発に関する仕事と、事業運営に関する仕事を分けて整理する案です」
「なるほど」
「開発部では、開発計画や技術的な判断、品質管理などを担当します」
「はい」
「業務部では、契約、請求、採用、経理など、会社の運営に関する業務を担当します」
金目は、少し考えた。
「案件管理とか、お客さんとの調整はどうするんです?」
「そこは、もう少し整理が必要だと思います」
「なるほど」
三宅は、現在の業務一覧を表示した。
「部署を分けても、実際の仕事がきれいに分かれるわけではありませんから」
「そうですね」
金目は、少し笑った。
「……名前だけ増やしても、意味ないですもんね」
「はい」
「誰が何を決めるんか、ちゃんとわかるようにしたいですね」
三宅がうなずいた。
「その方向で、もう少し案を整理します」
金目は、資料を閉じた。
会社が大きくなるということは、単に人が増えることではない。
今まで曖昧でも回っていたことを、一つずつ決めていく必要がある。
そんな仕事も、少しずつ増えていた。
*
同じ頃。
新しい給与テーブルと人事評価制度の運用も始まっていた。
4月から正式に施行された制度だった。
職務ごとの役割。
責任の範囲。
等級。
評価項目。
評価者。
三宅は、それぞれの内容を社員管理表と照らし合わせて確認していた。
金目も、資料を見ていた。
「……これで、ひとまず完成ですかね?」
三宅は、少し考えた。
「いえ。これから実際に運用して、問題がないか確認する必要があります」
「……やっぱりそうですよね」
金目は苦笑した。
「作るだけでも結構大変やったんですけどね」
「そうですね」
「でも、使ってみないとわからんこともありますよね」
「はい」
三宅は、評価記録の管理方法を説明した。
評価の根拠となる事実。
評価者の判断。
本人へのフィードバック。
そして、次の評価に向けた目標。
「こうした記録を残しておけば、評価の理由を説明しやすくなります」
「なるほど」
「ただ、評価者の負担も増えますので、記録方法はなるべく簡単にしたいと思っています」
「それは大事ですね」
金目はうなずいた。
「評価するための仕事が増えすぎたら、本末転倒ですもんね」
三宅は、少し笑った。
「そうですね」
金目は、資料を見直した。
管理職と専門職。
それぞれの道を用意した。
職種ごとに評価項目も整理した。
しかし、実際に公平な評価ができるかどうかは、これからの運用にかかっている。
「……作って終わりやないんやな」
「はい。むしろ、これからですね」
金目は、少し笑った。
「……ほな、ぼちぼち改善していきましょうか」
「そうですね」
*
4月の下旬。
中野は、上田が修正した開発環境の手順書を使いながら、少しずつ仕事を覚えていた。
最初は、何をするにも確認が必要だった。
しかし、数週間が経ち、基本的な作業なら一人で進められるようになってきた。
ある日。
中野は、手順書を見ながら作業していて、一つ気になるところを見つけた。
「あの、上田さん」
「はい?」
「この確認って、手順書には書いてないんですけど、毎回やった方がいいんでしょうか?」
上田は、画面を確認した。
「ああ、それは毎回やってますね」
「そうなんですね」
「はい。環境がちゃんと動いてるか確認するために」
中野は、少し考えた。
「じゃあ、手順書にも書いておいた方がいいですかね?」
上田は、少し驚いた。
「……ああ、確かに」
自分では、もう当たり前になっていた。
しかし、初めて作業する人には、わからないことだった。
「そうですね。追記しましょうか」
「はい」
二人は、手順書を開いた。
確認する項目。
正常な場合の表示。
問題があったときの対応。
中野が気づいたことを、上田が整理していく。
途中、技術的な確認が必要な部分は岩田にも相談した。
岩田は、修正内容を確認してうなずいた。
「ええと思うで。これなら次の人も迷わんやろ」
「ありがとうございます」
上田は、少し笑った。
「……教えてるつもりやったのに、こっちも教えてもらってるな」
中野は、少し恐縮した。
「いえ、そんなことは……」
「いや、こういうの助かるから」
上田は、手順書を保存した。
昨年の自分が、困っていたこと。
今年の中野が、困っていたこと。
それを一つずつ直していけば、次に入ってくる人は、もう少し楽になる。
上田は、そんなことを考えていた。
*
4月の終わり。
金目は、本町事業所で社員管理表を眺めていた。
社員番号1から10まで。
そこには、今まで一緒に仕事をしてきた人たちの名前が並んでいる。
西田を取締役に迎えた頃は、3人だった。
それが、少しずつ増えてきた。
昨年は、初めての新卒社員を迎えた。
今年は、二期生を迎えた。
来年も、同じように迎えられるだろうか。
金目は、少し考えた。
人を採用するには、仕事が必要だった。
仕事を続けるには、お客さんに価値を提供し続ける必要がある。
そして、社員が安心して働けるようにするには、給与や評価、仕事の進め方も整えなければならない。
やることは、まだまだ多い。
金目は、少し笑った。
「……来年も、入社式できたらええな」
隣で資料を整理していた三宅が顔を上げた。
「そのためにも、今年の仕事を頑張らないといけませんね」
「……せやな」
金目も笑った。
昨年より、人は増えた。
できることも増えた。
しかし、会社が完成したわけではない。
むしろ、これから考えなければならないことの方が多いのかもしれない。
それでも。
今年も、この場所で新しい仲間を迎えることができた。
金目は、社員管理表を閉じた。
本町で迎える二度目の春が、静かに始まっていた。
お読みいただきありがとうございます。旭月です。
今回は、株式会社カナメの二度目の入社式を描きました。
新卒二期生として入社した中野航平。
そして、昨年は新入社員だった上田拓海が、今度は後輩を迎える立場になりました。
教わる側から、教える側へ。
しかし、教えることで自分にも足りないところがあると気づくことがあります。
上田と中野が一緒に手順書を改善する場面は、そんな小さな成長を描いたものです。
一方、会社では社員番号が10まで増え、新しい給与テーブルと評価制度も正式に動き始めました。
組織の役割分担についても、見直しが進んでいます。
人が増えることと、会社として成長することは、必ずしも同じではありません。
一人ひとりが働きやすく、力を発揮できる仕組みを作ることも、会社を続けていくためには必要なのだと思います。
次回は、少し視点を変えたお話になります。
引き続き、お付き合いいただければ幸いです。




