作る人、守る人
2029年1月。
株式会社カナメの本町事業所に、新しい社員がやってきた。
井上修一。
社員番号8。
昨年10月に一般公募から採用が決まった、保守・運用の経験者だった。
金目より6歳年上。
長年、既存システムの運用や障害対応に携わってきた人物である。
この日は、入社手続きと仕事の説明のため、本町事業所に来てもらっていた。
「おはようございます。井上です。本日からよろしくお願いいたします」
井上は、落ち着いた声で挨拶した。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
金目が答える。
隣では、三宅が入社書類を準備していた。
「それでは、まず社員証をお渡ししますね」
井上は、小さなケースを受け取った。
中には、株式会社カナメの名前と、自分の氏名が記されたカードが入っている。
『8 井上修一 保守・運用担当』
「ありがとうございます」
井上は、カードを確認してから、丁寧にケースへ戻した。
金目は、少し笑った。
「これで、8番まで来ましたね」
三宅もうなずいた。
「そうですね」
西田が口を開いた。
「井上さん、これからよろしくお願いします」
「こちらこそ。まずは、今の運用状況を確認させていただければと思っています」
「もちろんです」
金目は、少し考えた。
「早速、何か改善したいところってあります?」
井上は、穏やかに答えた。
「いえ。まず、何が起きているのか知りたいです」
「……なるほど」
「現状を確認してから、必要なところを整理したいと思います」
金目はうなずいた。
すぐに何かを変えるのではない。
まず、今の状態を知る。
井上らしい考え方なのかもしれなかった。
*
入社して数日。
井上は、カナメの運用業務を確認していた。
問い合わせ対応。
障害対応。
定期的な確認作業。
監視。
バックアップ。
これまでは、開発担当者がそれぞれの案件について対応してきた。
大きな問題が起きていたわけではない。
ただ、案件ごとに仕事の進め方が少しずつ違っていた。
井上は、西田に尋ねた。
「問い合わせの履歴は、どちらで確認できますか?」
「案件ごとに管理しとるで」
「なるほど。共通の管理表はありますか?」
「一応あるけど、全部が入っとるわけではないな」
「そうですか」
井上は、確認した内容を記録した。
続いて、障害対応の手順を確認する。
「この作業、担当の方がお休みの場合はどうされていますか?」
西田は、少し考えた。
「……そのとき対応できる人が見とるな」
「なるほど」
「担当者しかわからんところもあるから、必要なら連絡取っとる」
「そうですか」
井上は、責めるわけでもなく、淡々と記録を続けた。
カナメは、少人数で仕事を進めてきた会社だった。
誰が何を知っているのか、おおよそわかっている。
困ったことがあれば、詳しい人に聞けばよかった。
しかし、人が増え、案件も増えれば、それだけでは対応しきれなくなる。
井上は、いくつかの案件を確認したあと、西田に相談した。
「まず、問い合わせの窓口と対応履歴を整理したいと思います」
「なるほど」
「今ある仕組みを使って、記録の方法を揃えるところから始めたいです」
「新しいツールとかは?」
「今のところ、必要ないと思います」
西田は、少し笑った。
「そうなんや」
「まず、どんな問い合わせがあって、誰が対応しているのかを把握したいので」
「なるほどな」
井上は、資料を整理した。
新しい仕組みを作る前に、今ある仕事を見えるようにする。
それが、最初の仕事になった。
*
2月。
井上は、運用業務の整理結果を金目たちに報告した。
オンライン会議には、金目、西田、田村、三宅が参加していた。
井上が、画面を共有する。
「まず、問い合わせ対応についてです」
資料には、案件ごとの問い合わせ件数や対応状況がまとめられていた。
「今までは、各案件の担当者が直接対応することが多かったようです」
「そうですね」
田村が答える。
「ただ、問い合わせの内容によっては、開発担当者でなくても対応できるものがあります」
井上は、一覧を示した。
操作方法の確認。
設定内容の問い合わせ。
定期的な確認作業。
一方、技術的な調査が必要なものもある。
障害の原因調査。
プログラムの修正。
設計上の問題。
「こうしたものは、引き続き開発側と連携する必要があります」
西田がうなずいた。
「せやな」
「ですので、まず一次対応の窓口を整理して、必要なものを開発側へ引き継ぐ形にしてはどうでしょうか」
金目は、少し考えた。
「それなら、開発の人が毎回問い合わせを見る必要はなくなるんですね」
「はい。ただ、すべてを私一人で対応する形にはしたくありません」
「なるほど」
「担当者が不在でも対応できるように、記録と手順を整えておきたいです」
西田が口を開いた。
「それは助かるな」
田村もうなずいた。
「案件の進行中に問い合わせが入って、作業止まることもあるからな」
金目は、少し笑った。
「……ほな、まずその形でやってみましょうか」
三宅が確認する。
「対応窓口の変更は、お客様にもご案内した方がよいですね」
「そうですね」
井上はうなずいた。
「案内文も用意します」
こうして、カナメの運用業務は少しずつ整理され始めた。
*
数週間後。
金目は、田村から届いた案件進行表を確認していた。
以前より、開発作業が中断される回数が減っているらしい。
問い合わせ対応がなくなったわけではない。
ただ、誰が対応するかを整理したことで、開発担当者が毎回手を止める必要はなくなっていた。
金目は、西田に連絡した。
『井上さん入って、どうや?』
『だいぶ助かっとるで』
『そうなん?』
『問い合わせが全部こっちに来んようになったからな』
『なるほど』
『ただ、技術的な調査が必要なもんは、今までどおり開発側で見とるで』
『それはそうやな』
金目は、少し考えた。
人を一人増やした。
しかし、単純に作業する人が増えただけではない。
仕事の流れが変わった。
誰が最初に対応するのか。
どこまで確認するのか。
誰に引き継ぐのか。
それを整理したことで、同じ人数でも仕事が進めやすくなっていた。
「……人増やすだけが答えちゃうんやな」
金目は、小さくつぶやいた。
株式会社カナメには、まだ正式な運用部門はない。
しかし、その役割は少しずつ形になり始めていた。
*
3月。
株式会社カナメの本町事業所に、また一人、新しい社員がやってきた。
藤井直人。
社員番号9。
昨年11月に一般求人から応募し、12月に採用が決まった技術者だった。
金目より4歳年下。
バックエンド開発やクラウド環境の構築、デプロイの自動化などを経験してきた人物である。
「おはようございます。藤井です。今日からよろしくお願いします!」
藤井は、明るい声で挨拶した。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
金目が答える。
三宅は、入社書類と社員証を準備していた。
「藤井さん、こちらが社員証になります」
「ありがとうございます」
藤井は、カードを取り出した。
『9 藤井直人 開発担当』
「おお、9番なんですね」
「そうですね」
金目は、少し笑った。
「うちも、いつの間にか9番まで来ましたわ」
西田が横から言った。
「まだ9人やけどな」
「……それ言わんといて」
何人かが笑った。
藤井も、少し笑った。
これまで知っている人たちを中心に仕事をしてきたカナメに、また新しい人物が加わった。
*
入社して数日。
藤井は、開発環境とデプロイ手順を確認していた。
案件ごとに使っている技術は異なる。
環境の構築方法も、少しずつ違っていた。
藤井は、西田に尋ねた。
「この環境って、毎回手作業で作ってるんですか?」
「案件によるな。ある程度自動化しとるところもあるで」
「なるほど」
「ただ、全部統一できるわけでもないからな」
「そうですよね」
藤井は、資料を見直した。
「ちなみに、今のところ困ってることって何です?」
西田は、少し考えた。
「環境の違いで、たまに確認に時間かかることがあるな」
「なるほど」
「あと、デプロイの手順も案件によって違うから、慣れてへん人やと時間かかることもある」
「それ、改善できそうですね」
藤井は、少し楽しそうだった。
金目は、そのやり取りを聞いていた。
面接のときも、藤井は質問が多かった。
しかし、何のために変えるのかを理解しようとしている。
その姿勢は、今も変わらないようだった。
*
ある日。
藤井は、井上に声をかけた。
「井上さん、ちょっと相談してもいいですか?」
「はい。何でしょう」
「この案件のデプロイ手順なんですけど、自動化したら楽になると思うんです」
藤井は、画面を共有した。
今は、担当者がいくつかの手順を確認しながら反映している。
藤井は、そのうち一部を自動化する案を考えていた。
「ここをまとめれば、作業時間も減らせそうですし、手順の抜けも防げると思うんです」
井上は、資料を確認した。
「なるほど」
「どう思います?」
「変更したとき、元に戻す方法はありますか?」
藤井は、少し考えた。
「元に戻す方法、ですか?」
「はい。もし途中で問題が起きた場合、どの状態まで戻せるのか確認しておきたいです」
「なるほど」
藤井は、もう一度資料を見た。
「そこは、まだ整理できてないですね」
「でしたら、先に確認した方がよいと思います」
「そうですね」
藤井は、少し考えた。
「でも、自動化できたら、ミスは減ると思うんですけど」
「そうだと思います。ただ、新しい仕組みにも問題が起きる可能性はありますから」
「なるほど……」
藤井は、少し黙った。
自分が考えていたのは、作業を減らすことだった。
井上が考えているのは、問題が起きたときにどうするかだった。
どちらも、間違っているわけではない。
ただ、見ているところが違った。
*
その後、藤井は西田にも相談した。
「井上さんに、自動化する前に戻し方を確認した方がいいって言われまして」
「そら、そうやな」
「はい。ただ、どこまで準備したらいいのか、ちょっと迷ってます」
西田は、藤井の資料を確認した。
「まず、何を改善したいん?」
「デプロイの作業時間と、手順の抜けですね」
「なるほど。ほな、全部まとめて変える必要ある?」
藤井は、少し考えた。
「……ないですね」
「せやろ」
「まず、一部だけ自動化してみるとかですか?」
「それがええと思うで」
西田は続けた。
「影響の小さいところから試して、問題なかったら広げたらええ」
「なるほど」
「戻す方法も、その範囲なら考えやすいやろ」
「そうですね」
藤井は、少し笑った。
「なんか、最初から全部考えすぎてました」
「まあ、藤井さんらしいんちゃう?」
西田も笑った。
藤井は、資料を修正した。
まずは、一つの案件。
その中でも、影響範囲の小さい作業。
手順を整理し、元に戻す方法も確認する。
そのうえで、試してみる。
井上にも、修正した案を共有した。
「これなら、どうでしょう?」
井上は、資料を確認した。
「よいと思います。戻す手順も整理されていますね」
「ありがとうございます」
「ただ、最初の実施は、私も確認させてください」
「もちろんです」
藤井は、少し安心した。
*
数日後。
藤井が考えた改善案を、小さな範囲で試すことになった。
対象は、開発環境への反映作業だった。
本番環境には、まだ適用しない。
藤井が手順を確認する。
井上は、問題が起きた場合の対応方法を確認している。
西田も、作業の内容を把握していた。
「ほな、始めます」
藤井が操作を進める。
処理が実行され、結果が表示された。
問題は起きていない。
藤井は、確認項目を一つずつ見ていった。
「……大丈夫そうですね」
井上もうなずいた。
「はい。ただ、何度か試してから判断した方がよいと思います」
「そうですね」
藤井は、少し笑った。
「早く本番にも入れたいですけど」
井上が答えた。
「急がなくても、今の手順で運用はできていますから」
「……確かに」
二人は、確認結果を記録した。
自動化によって、作業時間は少し短くなった。
しかし、それ以上に、作業の手順と確認方法が整理されたことが大きかった。
金目は、西田から報告を受けた。
「藤井さんと井上さん、うまくやれてる?」
「まあ、ぼちぼちやな」
「そうなん?」
「考え方は結構違うけど、そこがええんちゃうかな」
「なるほど」
「藤井さんは、どうやったら楽になるか考える。井上さんは、何かあったときどうするか考える」
「そうやな」
「両方おった方が、ええやろ」
金目は、少し笑った。
「……確かに」
*
3月の終わり。
金目は、田村から届いた案件進行表を確認していた。
井上が入社してから、運用業務の整理が進んでいる。
問い合わせの窓口も、以前よりわかりやすくなった。
藤井は、開発環境の改善に着手している。
まだ大きな成果が出たわけではない。
しかし、これまで担当者ごとに進めていた仕事が、少しずつ整理され始めていた。
金目は、西田に連絡した。
『最近、開発の方どうや?』
『前よりは、仕事進めやすくなったで』
『そうなん?』
『井上さんが問い合わせ整理してくれとるし、藤井さんも環境見直してくれとるからな』
『なるほど』
『ただ、まだまだやることはあるで』
『そらそうやな』
金目は、少し考えた。
人を増やせば、仕事が楽になる。
以前は、そう思っていた。
しかし、実際には少し違った。
人が増えれば、役割を分ける必要がある。
役割を分ければ、仕事の受け渡し方も考える必要がある。
それぞれの得意なことを生かすには、仕組みも必要だった。
金目は、共有案件表を閉じた。
そのとき、三宅から連絡が届いた。
『4月入社予定の新卒社員について、受け入れ準備を進めています』
金目は、少し笑った。
『ありがとうございます。もう来月ですね』
『はい。新卒二期生になります』
『そうですね』
金目は、ふと上田のことを思い出した。
昨年4月。
本町事業所を開設した日に、初めての新卒社員として迎えた。
あれから、もうすぐ1年になる。
今度は、上田にも後輩ができる。
金目は、西田に連絡した。
『そういえば、4月からまた新人が来るんやったな』
『せやな』
『上田君も、もう先輩やな』
『まあ、まだまだ教わることも多いけどな』
『そらそうやな』
『今度は上田にも、ちょっと教えてもらわなあかんな』
金目は、少し笑った。
『それも勉強やな』
『せやな』
金目は、4月の予定表を開いた。
新卒二期生の入社。
そして、新しい給与テーブルと評価制度の施行。
また、会社の仕組みが一つ変わろうとしている。
「……また4月が忙しくなるな」
金目は、小さくつぶやいた。
株式会社カナメは、少しずつ新しい形になっていた。
お読みいただきありがとうございます。旭月です。
今回は、株式会社カナメに新しく加わった2人の技術者のお話でした。
保守・運用を得意とする井上修一と、開発環境の整備や自動化を得意とする藤井直人。
同じ技術者でも、考えることや重視することは違います。
藤井は、どうすれば作業を減らせるかを考える。
井上は、何か問題が起きたときにどう対応するかを考える。
どちらか一方が正しいわけではなく、両方の視点があることで、より安定した仕組みを作れるのだと思います。
そして、カナメでは少しずつ仕事の分担が進み始めました。
次回は、2029年4月に向けた準備のお話です。
新しい給与テーブルと評価制度の施行に向けた取り組みが進む一方、カナメでは次の新卒社員を迎える準備も始まっています。
その新卒社員が、どのような経緯でカナメに加わることになったのか。
次回は、そんなお話も描いていきます。
引き続き、お付き合いいただければ幸いです。




