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カナメ -君はどう考える?-  作者: 旭月
第一章 気づけば、会社になっていた
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どちらを選ぶ?

 金目が東京への異動について、改めて説明を受けたのは7月のことだった。


 会議室には、上司と人事担当者がいた。


 机の上には、今後の勤務についての資料が置かれている。


「まず、会社としては引き続き勤務していただきたいと考えています」


 人事担当者がそう言った。


「ありがとうございます」


「ただ、現在の事業所は予定どおり閉鎖するため、東京への異動をお願いする形になります」


「なるほど」


 金目は資料を開いた。


 勤務地は東京。


 異動の時期については、今後調整する。


 担当業務も、現在の仕事をそのまま続けるとは限らない。


 雇用は継続し、給与や福利厚生もある。


「今の仕事は、どうなるんでしょうか」


 金目が尋ねると、上司が答えた。


「業務は移管する方向やけど、全部がそのまま残るわけではないと思う」


「そうですか」


「金目には、異動先でも開発の仕事を続けてもらいたいとは思ってる」


「ありがとうございます」


 人事担当者が、資料の次のページを開いた。


「給与についても、今回の異動に合わせて見直す予定です」


「そうなんですね」


「年収で100万円ほど上がる見込みです」


「……100万円ですか」


「はい。異動先での役割を踏まえた条件です」


 金目は、提示された数字を確認した。


 現在の年収は、およそ450万円。


 それが550万円になる。


 決して小さな差ではなかった。


「それから、単身赴任を選ばれる場合ですが」


 人事担当者は、別の資料を開いた。


「赴任に伴う手当が別途支給されます。こちらは2年間、支給条件を保証する形です」


「2年間ですか」


「はい。その後の取り扱いについては、改めてご案内することになります」


 金目はうなずいた。


 会社として、できる限りの条件を用意してくれているのだろう。


 待遇だけを見れば、今よりよくなる。


「ちなみに、転居が前提になるんですよね」


「そうですね。基本的には東京で勤務していただく形です」


「わかりました」


 金目は、今後の回答期限と、まだ決まっていない条件を確認した。


 その場で返事をする必要はない。


 検討する時間は、まだ残されていた。


 面談を終えた金目は、資料を鞄にしまった。


「……仕事だけの話ちゃうな」


 小さくつぶやいて、席へ戻った。


     *


 その日の夜。


 金目は、妻に東京異動の話をした。


「東京?」


「うん。会社に残るなら、東京勤務になるらしい」


 妻は、少し驚いた顔をした。


「引っ越すってこと?」


「基本的には、そういう話やな」


「家族みんなで?」


「そこも含めて、考えなあかん」


 金目は、会社から受け取った資料を見せた。


 妻は、しばらく眺めていた。


「……せっかくマンション買ったのになあ」


「せやな」


「まだローンも残ってるやろ?」


「そら、残ってるで」


「東京行くんやったら、ここどうするん?」


「売るか、貸すか、そのまま置いとくか……考えなあかんな」


 妻は、少し考えた。


「なんでマンション買ったあとに東京やねん」


「……俺に言われてもなあ」


 二人は、顔を見合わせて笑った。


 笑い話にするには、少し大きな話だった。


 ただ、今すぐ答えを出せる話でもなかった。


「単身赴任やったら?」


「それも選択肢やな。手当も出るらしい」


「どれぐらい?」


「金額はまだ確認中やけど、2年間は保証されるって」


「2年かあ」


 妻は、少し考えた。


「そのあとも東京におるんやったら、どうなるん?」


「そこも確認せなあかんな」


 家族で引っ越すなら、子どもの学校や生活環境が変わる。


 今の住まいをどうするかも考えなければならない。


 単身赴任なら、家族の生活は大きく変わらない。


 しかし、離れて暮らすことになる。


 生活費も、今までどおりでは済まない。


「年収は100万円上がるんやね」


「うん」


「結構大きいな」


「せやねん」


「会社も、残ってほしいと思ってくれてるんやろな」


「ありがたい話やと思う」


 金目はうなずいた。


 本業の仕事が嫌になったわけではない。


 これまでの経験もある。


 一緒に仕事をしてきた人たちもいる。


 それを続けられる道があることは、素直にありがたかった。


 妻は、少し間を置いて尋ねた。


「で、あなたはどうしたいん?」


 金目は、しばらく考えた。


「……まだ、わからへん」


 金目は、正直に答えた。


 妻は少し笑った。


「ほな、ちゃんと考えてから決めよ」


「そうやな」


「まだ時間あるんやろ?」


「うん。すぐに返事せなあかんわけではない」


「じゃあ、焦らんでもええやん」


 金目はうなずいた。


 東京へ行くことが悪いわけではない。


 大阪に残ることが、必ず正しいわけでもない。


 家族にとって何がよいのか。


 それも含めて考える必要があった。


     *


 数日後。


 金目は、三宅に連絡した。


『ちょっと相談したいことがありまして。今度お時間もらえます?』


 返事は、すぐに届いた。


『大丈夫ですよ。どうされました?』


『実は、本業の事業所が閉鎖になることになりまして』


 少し間が空いた。


『そうなんですか?』


『はい。会社に残るなら東京への異動になるそうです』


『なるほど……』


『なので、カナメ一本にした場合の数字を、一回見ておきたいんです』


『承知しました。整理してみますね』


 数日後。


 三宅から、いくつかの資料が届いた。


 現在の売上。


 外注費。


 三宅の給与。


 西田の役員報酬。


 会社として必要な固定費。


 そして、今後の入金予定。


 金目は、資料を開いた。


「……結構、項目ありますね」


 オンラインで話し始めると、三宅は少し笑った。


「会社として必要なお金と、金目さん個人の生活費は分けて考えた方がいいですから」


「そうですね」


「まず、今の売上が続く場合です」


 三宅は、資料を切り替えた。


 大口顧客との継続契約があり、今後の入金予定もある。


 ほかの顧客からの仕事も続いている。


 今のところ、会社としての収支は悪くない。


「この状態が続くなら、金目さんが専業になることも検討できると思います」


「なるほど」


「ただし、今の売上がずっと続くとは限りません」


「そうですね」


 三宅は、別の資料を開いた。


「こちらは、売上が減った場合です」


 金目は、数字を見比べた。


 売上が減っても、給与や役員報酬、固定費は同じようには減らない。


 そこへ、自分自身が生活するための報酬も加わる。


「……僕が本業辞めたら、こっちから生活費出さなあかんもんな」


「そうですね。ただ、役員報酬は必要になったときに自由に増減できるものではないので、時期や税務上の扱いも確認が必要です」


「なるほど」


「それに、会社に残すお金も必要です」


 金目は、資料を見直した。


 今まで、本業の給与で生活していた。


 カナメからの収入に大きく頼る必要はなかった。


 だから、会社に資金を残すことを優先できていた。


 しかし、本業を辞めれば話が変わる。


「……生活できるかと、会社が続くかは別ですもんね」


「そうですね」


 三宅はうなずいた。


「どちらも満たせるか、考えた方がいいと思います」


 金目は、しばらく数字を眺めた。


 今すぐ会社が困るわけではない。


 ただ、余裕があると言い切れるほどでもない。


 それでも、検討するだけの材料は揃いつつあった。


     *


 金目は、西田にも相談した。


「本業の事業所、閉鎖になるんやって?」


 画面の向こうで、西田が尋ねた。


「うん。来年2月で閉鎖らしい」


「そうなんか」


「会社に残るなら東京へ異動やねん」


「なるほどな」


 金目は、今考えていることを説明した。


 東京へ異動して本業を続けること。


 大阪に残り、カナメに専念すること。


 どちらも、まだ決めていない。


「もし僕がカナメ一本になったら、どう思う?」


 西田は少し考えた。


「今より判断は早なるやろな」


「そうやな」


「昼間に顧客と話せるようになるし、今まで後回しにしてたことも進められるやろ」


「うん」


「ただ、技術の方まで金目君が全部見始めたら、あんまり変わらんと思うで」


 金目は笑った。


「……それは、そうやな」


「せっかく任せたんやから、そこは今までどおりでええやろ」


「もちろん、そのつもりやで」


「ほな、俺は今までどおり開発を見とくわ」


 西田は、少し間を置いた。


「ただ、会社員の給与がなくなるんは大きいで」


「せやねん」


「今は本業があるから、カナメの仕事もある程度余裕を持って見られとるんやろ」


「そうやな」


「一本になったら、売上のことも今まで以上に考えなあかんようになると思う」


 金目はうなずいた。


 西田は続けた。


「まあ、最後は金目君が決めることやな」


「うん」


「俺は、どっちでも今の仕事はちゃんとやるで」


「ありがとう」


 金目は、少し笑った。


 西田が取締役になってから、技術面の仕事は以前より安定している。


 自分が専業になったとしても、その体制を変える必要はなさそうだった。


     *


 8月の終わり。


 金目は、自宅の机で2つの資料を並べていた。


 一つは、本業を続けた場合。


 もう一つは、カナメに専念した場合。


 金目は、本業の条件を確かめてから、カナメの収支へ目を移した。


 片方だけを見れば、決められる気もした。並べると、どちらにも手放しにくいものがあった。


「……どっちも、悪ないんよな」


 本業は、長く続けてきた仕事だ。


 経験もある。


 これまで築いてきた人間関係もある。


 それを手放すことには、少し抵抗があった。


 一方、カナメも、もう単なる副業ではなくなっていた。


 自分が本業で働いている間にも、仕事を進めてくれる人がいる。


 来年には上田が入ってくる。


 金目は、2つの資料を閉じた。


 数字だけでは、答えが出なかった。


     *


 9月。


 金目は、久しぶりに個人事業を始めた頃の資料を開いていた。


 最初に作った集計表。


 顧客から預かった帳票。


 何度も修正した説明資料。


 どれも、今から見れば簡単なものだった。


 しかし、当時はそれを作るのに時間がかかっていた。


 金目は、少し笑った。


「……ようこんなん作っとったな」


 最初は、自分が面倒だと思った仕事を、少しでも楽にしたかっただけだった。


 金目は、現在の案件一覧を開いた。


 大口顧客の拠点展開。


 継続案件。


 新しい相談。


 今までとは、ずいぶん違う。


 金目は、椅子にもたれた。


 本業でも、同じようなことをしてきた。


 開発の仕事。


 人を育てること。


 仕事の進め方を考えること。


 どちらにも、やりがいがあった。


 ただ、一つ違うことがある。


 カナメでは、何をするかを自分で決められる。


 その代わり、結果についても自分で責任を負う。


 金目は、以前の顧客とのやり取りを思い出した。


「金目さんやったら、どうする?」


 あのときは、顧客の仕事について答えた。


 今度は、自分自身のことだった。


「……僕やったら、どうするんやろな」


 金目は、小さくつぶやいた。


 すぐには答えが出なかった。


 それでも、以前より少しだけ、自分が何を考えるべきなのかはわかってきた。


     *


 9月の終わり。


 金目のもとに、本業の会社から連絡が届いた。


 今後の進路について、回答期限を確認する内容だった。


 金目は、予定表を開いた。


 もう、あまり時間は残されていない。


 金目は、これまで整理した資料を一つずつ確認した。


 まだ、わからないことはある。


 しかし、すべての条件が揃うまで待っていたら、いつまでも決められない。


 金目は、ノートを開いた。


 そこには、2つの選択肢が書かれている。


『東京へ異動して本業を続ける』


『株式会社カナメに専念する』


 どちらも、自分で選べる道だった。


 金目は、しばらくその文字を眺めた。


 それから、ノートを閉じた。


「……そろそろ、決めなあかんな」

お読みいただきありがとうございます。旭月です。


今回は、家族や仲間に相談しながら、金目が自分の進路を考えるお話でした。


条件を確かめても、数字を並べても、どちらか一方が悪い道になるわけではありません。


仕事で向き合ってきた問いが、今度は自分自身へ向いています。


金目がどんな答えを出すのか、次回もお付き合いいただければ幸いです。

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