六月の知らせ
四月になっても、金目の朝は変わらなかった。
いつもの時間に家を出て、いつもの電車に乗る。
会社に着けば、開発の仕事が待っている。
新年度になり、担当する案件も少し変わった。
それでも、やることはこれまでと大きく変わらない。
仕様を確認する。
関係する部署と調整する。
進捗を見ながら、必要なところに手を入れる。
金目は、いつものように仕事を進めていた。
2027年の春。
株式会社カナメでは、西田が取締役として開発をまとめるようになっていた。
金目が本業で働いている間にも、カナメの仕事は進んでいる。
以前より、金目が直接確認しなければならないことは減った。
もちろん、顧客との打ち合わせや、契約の判断は残っている。
それでも、二つの仕事を続けることはできていた。
少し前には、上田拓海への内定も出した。
翌年四月には、初めての新卒社員が入ってくる。
三宅が採用に関する書類を整理し、西田が教育の準備を進めている。
金目は、その報告を夜に確認する。
「……来年も、いろいろあるなあ」
そうつぶやきながらも、特に心配はしていなかった。
仕事は増えている。
ただ、少しずつ任せられるようにもなっていた。
今の生活を変える理由は、まだなかった。
*
六月のある朝。
金目が会社のパソコンを開くと、全社員向けの案内が届いていた。
『全社集会開催のお知らせ』
議題は、今後の事業運営体制について。
開催日時と会場が記されている。
金目は予定表を確認した。
その時間には、別の会議が入っていた。
「……こっちは動かさなあかんな」
関係者へ連絡し、会議の時間を調整する。
それから、いつもの仕事に戻った。
昼休み。
同僚から声をかけられた。
「金目さん、全社集会の案内見ました?」
「見たで」
「何の話なんでしょうね」
「さあ。組織の話ちゃう?」
「なんか、いつもより改まった感じですよね」
「そうやなあ」
金目は、もう一度案内を開いた。
確かに、普段の連絡とは少し違う。
ただ、今の段階で考えてもわからない。
「まあ、当日聞いたらわかるやろ」
金目は画面を閉じた。
午後には、予定どおりの打ち合わせがある。
考えることは、ほかにもあった。
*
全社集会の日。
金目は、少し早めに会場へ入った。
既に何人かの社員が集まっている。
普段は別の部署で働いている人の姿もあった。
金目は空いている席に座り、配布された資料を開いた。
しばらくして、説明が始まった。
今後の事業運営について。
組織体制の見直し。
事業拠点の整理。
金目は、資料を読みながら話を聞いていた。
そして、次の説明で手が止まった。
「現在の事業所については、2028年2月をもって閉鎖する方針です」
会場が、少しざわついた。
金目は、資料の該当する部分を見た。
確かに、そう書かれている。
2028年2月。
事業所閉鎖。
「……閉鎖か」
金目は、小さくつぶやいた。
会社そのものがなくなるわけではない。
事業所を閉鎖し、業務や人員を別の拠点へ移していくという説明だった。
従業員については、配置転換などを含めて個別に対応するらしい。
説明が続く。
今後の予定。
対象となる業務。
必要な手続き。
そして、社員への個別説明について。
金目は、日付をメモした。
六月に全体周知。
今後、個別面談。
翌年二月に閉鎖。
会場から質問が出た。
「勤務地はどうなるんですか?」
担当者は、配置転換先については個別に調整すると説明した。
別の社員が尋ねる。
「今進めている案件は、どうなるんでしょうか」
「業務ごとに移管計画を整理します。詳細は各部門と調整します」
金目は、そのやり取りを聞いていた。
まだ、決まっていないことが多い。
今の仕事がどうなるのか。
自分はどこへ行くことになるのか。
そもそも、今の会社で働き続けるのか。
考えなければならないことが、急に増えた。
金目は、資料を閉じた。
驚きはあった。
ただ、その場で何かを決められるほど、情報は揃っていなかった。
*
集会が終わると、社員たちはそれぞれの部署へ戻った。
廊下では、あちこちで話し声が聞こえる。
「どうなるんやろな」
「異動って言われてもなあ」
「まだ何も決まってへんのやろ?」
金目も、何人かの同僚と話した。
ただ、憶測だけで話を広げることはしなかった。
「まずは個別の説明待ちやな」
そう答えて、席に戻った。
午後には、予定していた仕事が残っている。
事業所が閉鎖されるからといって、今日の仕事がなくなるわけではない。
金目は、開発中の案件の資料を開いた。
確認することは、まだいくつもあった。
その日の仕事を終えた頃には、いつもより少し疲れていた。
金目はパソコンを閉じ、帰り支度を始めた。
明日も、出勤する。
少なくとも、今はまだ。
*
数日後。
金目は、上司との個別面談に呼ばれた。
会議室に入ると、上司が資料を用意して待っていた。
「お疲れ。まあ、座って」
「お疲れさまです」
金目は椅子に座った。
「この前の全体説明、聞いたと思うけど」
「はい」
「事業所の閉鎖に向けて、今後の働き方を確認していくことになってな」
「そうですね」
上司は資料を開いた。
「金目については、東京への配置転換という選択肢がある」
「東京ですか」
「そうや。事業所は閉鎖するけど、会社としては引き続き働いてもらいたいと思ってる」
金目は、少し考えた。
「今の仕事は、どうなるんですか?」
「業務自体は移管する方向やけど、担当する仕事がそのまま残るかは、まだ調整中や」
「なるほど。東京勤務が前提になるんですね」
「そういうことやな」
金目はうなずいた。
東京へ移るとなれば、今の生活も変わる。
家族のことも考えなければならない。
単に仕事を続けるかどうかだけの話ではなかった。
「すぐに決めなあかんのですか?」
「いや、検討する時間はある」
「わかりました。一回持ち帰って考えます」
「条件がまとまったら、改めて説明するから」
「お願いします」
上司は、少し間を置いて尋ねた。
「金目は、どうしたいと思ってる?」
金目は少し考えた。
「……まだ、わからないですね」
「そうか」
「条件もまだ全部出てないですし。一回、整理してから考えます」
「それでええと思う」
上司はうなずいた。
「何か気になることがあったら、聞いてな」
「ありがとうございます」
面談を終えた金目は、会議室を出た。
廊下を歩きながら、少し考えた。
今まで、会社を辞めようとは思っていなかった。
仕事に大きな不満があったわけでもない。
ただ、これから先は、今までどおりというわけにはいかないらしい。
*
その日の夜。
金目は、自宅の机で株式会社カナメの共有案件表を開いた。
いつもの画面だった。
次の案件の予定や、納品資料が更新されていた。
三宅からは、月次の収支報告が届いている。
金目が本業で何を聞いてきたのか、カナメの仕事には関係がない。
少なくとも、今のところは。
金目は、いつものように報告を確認した。
大口顧客との継続案件は順調に進んでいる。
新しい拠点の調査も始まっている。
翌年四月には、上田拓海が入社する予定だった。
金目は、予定表を開いた。
『2028年4月 上田拓海 入社予定』
少し前、自分で書き込んだ予定だった。
「……来年か」
金目は、小さくつぶやいた。
上田を迎える準備は、もう進んでいる。
一方、自分の本業については、まだわからないことが多い。
金目は、三宅から届いた収支資料を開いた。
売上。
外注費。
給与。
入金予定。
数字は、いつもどおり並んでいる。
金目は、しばらく眺めた。
もし、本業を辞めたら。
そんなことを考えたのは、初めてだった。
ただ、まだ判断するには早い。
金目は資料を閉じた。
まずは、自分の置かれている状況を整理する必要があった。
*
夜も遅くなった頃。
金目は、二つの予定表を開いていた。
本業の予定には、事業所閉鎖に向けた説明が加わっていた。
カナメの方には、翌年四月の上田の入社がある。
少し前まで、どちらにも当たり前のように来年の予定が入っていた。
今は、その片方がどうなるのかわからない。
金目は、ノートを開いた。
新しいページに、二つの選択肢を書いた。
『東京へ異動して本業を続ける』
『株式会社カナメに専念する』
金目は、しばらくその文字を眺めた。
会社に残れば、これまでと同じように給与を受け取れる。
ただし、東京での生活や仕事は、今までとは違うものになる。
カナメに専念すれば、今まで以上に事業へ時間を使える。
しかし、生活も会社の経営も、自分の判断にかかってくる。
どちらにも、良いところがある。
どちらにも、考えなければならないことがある。
金目は、ペンを置いた。
今夜、結論を出す必要はない。
まずは条件を確認する。
そのうえで、自分がどうしたいのかを考えればいい。
金目は、二つの予定表を閉じた。
「……さて、どうしたもんかな」
お読みいただきありがとうございます。旭月です。
今回は、金目の本業に大きな変化が訪れました。
事業所の閉鎖と、東京への異動。
実はこれ、昔の筆者にも降りかかった出来事だったりします。
もちろん、物語の内容がそのまま実体験というわけではありませんが、突然これまでの生活を見直すことになる感覚は、今でも覚えています。
さて、金目はどんな答えを出すのでしょうか。
次回もお付き合いいただければ幸いです。




