二つの予定表
金目が共有案件表を開くと、見慣れた顧客の名前がいくつも並んでいた。
その下には、拠点ごとの進行状況が記されている。
導入済み。
確認中。
資料待ち。
次回対応予定。
「……結構増えたなあ」
金目は画面を少し下へ動かした。
2026年の秋。
株式会社カナメを設立してから、半年以上が経っていた。
最初は一拠点だけだった大口顧客の仕事も、今では複数の拠点へ広がっている。
同じ仕組みをそのまま使えるところもあれば、少し手直しが必要なところもある。
拠点によって業務の流れが違うため、確認することも少なくない。
それでも、仕事は順調に進んでいた。
金目は、更新履歴を確認した。
担当者の欄には、自分以外の五人の名前が並んでいる。
金目の名前があるのは、顧客との打ち合わせや、最終的な判断が必要なところくらいだった。
「……これ、結構な仕事になってきたな」
金目は、増えた拠点の一覧をもう一度眺めた。
*
ある日の夜。
金目は、大口顧客の新しい拠点について、進行状況を確認していた。
田村が整理した予定に沿って、それぞれが必要な相手へ直接確認している。
金目は、共有資料に残っていたやり取りを読んだ。
『この拠点、日付の形式が前と違いますね』
岩田からの連絡だった。
『変換のところ、前に作ったやつ使える?』
西田が尋ねている。
『少し直せば使えそうです。確認しておきます』
『了解。ほな、ほかの部分を先に進めとくわ』
その下には、尾崎からのコメントもあった。
『説明書の画面も変わりそうなので、完成したら教えてください』
『わかりました』
金目は、やり取りを眺めた。
誰も、金目に指示を求めていない。
必要なことを、必要な相手に確認している。
もちろん、契約の範囲を変えたり、顧客との約束を変更したりする場合は、金目の判断が必要になる。
しかし、決まった範囲の仕事なら、金目が細かく指示しなくても進むようになっていた。
金目は、案件一覧を開いた。
予定していた作業のいくつかに、完了の印がついている。
「……あれ、俺なんかしたっけ?」
思わず笑った。
何もしていないわけではない。
顧客との話をまとめ、作業範囲を決め、必要な条件を確認した。
ただ、実際に手を動かす仕事は、ほとんどほかの人が進めてくれている。
少し前なら、不思議に感じていたかもしれない。
今は、それが当たり前になりつつあった。
*
月末。
三宅から、収支の資料が届いた。
金目は、本業を終えてから自宅で確認した。
売上は、以前より増えている。
大口顧客との継続契約が始まり、毎月の入金予定も少しずつ見えるようになってきた。
ただし、外注費も増えている。
西田や田村たちに頼む仕事が増えれば、その分の支払いも必要になる。
三宅の給与もある。
会社として必要な費用も、個人事業の頃より増えていた。
「……売上増えたら、支払いも増えるんやな」
金目は、三宅に連絡した。
「もしもし、三宅さん。資料ありがとうございます」
「いえ。何か気になるところがありました?」
「いや、結構仕事増えてきたなと思いまして」
「そうですね。継続案件が増えていますから」
「今のところ、問題なさそうです?」
三宅は少し考えた。
「無理な受注をしなければ、今の体制でも回せそうですね」
「なるほど」
「ただ、入金の予定が見えていることと、実際に入金されることは別ですから」
「……そこは、ちゃんと確認せなあかんですね」
「そうですね」
金目は、資料を見直した。
以前なら、通帳の残高を見て安心していた。
今は、入金と支払いの予定を並べて確認している。
その先には、翌月だけでなく、数か月先の予定もあった。
「……だいぶ先まで見えるようになりましたね」
「継続的なお仕事が増えましたからね」
三宅は続けた。
「金目さん、この先も今の体制で続けるおつもりですか?」
「今のところは、そのつもりです」
「本業も続けられるんですよね」
「はい。特に辞める理由もないですし」
「承知しました。でしたら、来年の支払い予定も整理しておきますね」
「お願いします」
金目は、少し考えた。
本業の給与がある。
生活は、そちらで成り立っている。
だから、今すぐカナメから大きな報酬を受け取る必要はない。
むしろ、会社に資金を残しておいた方が、今後の仕事を進めやすい。
もちろん、会社の金は自分の財布ではない。
そのあたりは、三宅から何度も言われている。
「……会社の金って、貯めとくんも仕事なんですね」
「そうですね。使う予定があるお金も含まれていますから」
「なるほど」
金目は、資料を閉じた。
会社としての仕事は増えている。
しかし、だからといって、今すぐ自分の生活を変える必要はなさそうだった。
*
大口顧客から、新しい相談が届いたのは、その翌週だった。
今度は、これまでより少し複雑な業務を扱う拠点だった。
金目は、送られてきた資料を開いた。
帳票の種類が多い。
確認する人も多い。
しかも、拠点独自の手順がいくつかある。
「……これは、ちょっと違うな」
金目は、田村に資料を共有した。
『次の拠点なんですけど、少し複雑そうです。今の体制でいけそうです?』
田村からの返事は、翌朝だった。
『まず、今の業務を整理せなわからんな。資料だけでは判断しにくいところがある』
『そうですね』
『先に調査だけ受ける形でもええんちゃう?』
金目はうなずいた。
西田と岩田にも、技術的な部分を確認してもらう。
西田からは、既存の仕組みを使える部分もありそうだという返事が届いた。
岩田からは、例外処理が増える可能性があると指摘された。
尾崎は、資料を確認したうえで、別の問題を見つけていた。
『今いただいている資料だけだと、実際の業務の流れが全部わからないですね』
金目は、その内容を見直した。
確かに、帳票は揃っている。
しかし、誰がいつ入力し、誰が確認しているのかまでは書かれていない。
金目は、顧客へ連絡した。
「今回の拠点なんですけど、まず現状の業務を確認するところから始めさせてもらえませんか?」
「先に調査するということですか?」
「はい。今までの拠点とは少し違う部分があるので、いきなり制作に入るより、先に整理した方がええと思います」
「なるほど」
「その結果を見て、導入の範囲と日程を決めたいです」
担当者は少し考えた。
「できれば早めに進めたいんですが」
「そうですよね。ただ、今の品質を維持するなら、少しお時間をいただきたいです」
金目は続けた。
「調査の結果、今までの仕組みをそのまま使えるなら早く進められます。逆に、違いが大きい場合は、無理に合わせない方がいいと思います」
「わかりました。では、まず調査からお願いします」
「ありがとうございます」
金目は、調査の範囲と費用について改めて整理することを伝えた。
電話を切ってから、田村へ連絡した。
『まず現状調査から進めることで了承もらいました』
『了解。ほな、調査の段取り組むわ』
金目は、予定表を更新した。
仕事を断ったわけではない。
ただ、できることと、まだわからないことを分けた。
その方が、結果として顧客にも迷惑をかけずに済む。
「……急がば回れ、やな」
金目は小さくつぶやいた。
*
数日後。
金目は、大口顧客の担当者から届いた日程候補を見ていた。
現状調査のため、拠点の担当者にも同席してもらうという。
提示された候補は、どれも平日の日中だった。
「……まあ、そらそうやわな」
相手も仕事をしている。
こちらの都合で、毎回夜に時間を取ってもらうわけにもいかない。
金目は、本業の予定表を開いた。
会議のない日を探す。
しかし、どの日にも何かしら予定が入っていた。
「……休み取るか」
金目は勤怠管理の画面を開いた。
年次有給休暇。
残日数、〇日。
「……あれ、もうないんか」
金目は画面を見直した。
今年は、カナメの仕事で何度か休暇を取っていた。
法人設立の手続き。
顧客との打ち合わせ。
平日でなければ進められない確認。
一日休んだつもりでも、カナメの仕事を終えれば夕方になっている。
休暇というより、仕事をする場所が変わっただけだった。
「……使い切ってもうたか」
金目は椅子にもたれた。
これまでなら、会議のない日に休暇を取ればよかった。
だが、今度はそれができない。
金目は、本業の予定と先方の日程をもう一度見比べた。
金目は、顧客へ返信した。
『恐れ入りますが、今回の日程については夕方以降で調整いただくことは可能でしょうか。難しい場合は、事前に確認事項を整理したうえで、別の進め方をご相談できればと思います』
送信してから、予定表を閉じた。
「……まあ、来年になったら増えるか」
そうつぶやいて、金目は本業の資料を開いた。
*
年末が近づいていた。
金目は本業の職場で、翌年の開発計画についての会議に参加していた。
新しい案件。
担当する業務。
必要な人員。
確認しなければならないことは、いくつもある。
金目は、いつものように資料を見ながら意見を出した。
どの仕事を先に進めるのか。
どこに人を割り当てるのか。
今の体制で、どこまで対応できるのか。
考えることは、カナメの仕事と少し似ていた。
ただ、立場は違う。
本業では、金目も組織の一員だった。
自分の担当する仕事があり、上司がいて、同僚がいる。
株式会社カナメでは、自分が最後に判断する立場にいる。
どちらにも、それぞれの責任があった。
会議を終えた金目は、翌年の予定を確認した。
開発計画には、既にいくつかの仕事が書き込まれている。
来年も、やることは多そうだった。
金目は資料を閉じ、次の仕事に取りかかった。
*
年末の夜。
金目は、自宅の机で二つの予定表を開いていた。
本業の開発会議。カナメの拠点展開や納品予定。
どちらにも、既に来年の仕事が入っている。
当面は本業を続けながら、カナメの仕事も進めるつもりだった。ただ、一方の日程を決めるには、もう一方の予定も確かめなければならない。
スマートフォンが震えた。
三宅からだった。
『来年の支払い予定を整理しました。年明けに確認をお願いします』
金目は、短く返信した。
『ありがとうございます。年明けに確認します』
それから、二つの予定表をもう一度眺めた。
「……来年も、ぼちぼちやな」
金目は翌日の出勤予定を確認してから、パソコンを閉じた。
お読みいただきありがとうございます。旭月です。
株式会社カナメを設立して、もうすぐ一年。
大口顧客との取引も少しずつ広がり、六人それぞれの役割も定着してきました。
一方、金目は相変わらず会社員を続けています。
有給休暇を使い切り、日程の調整にもひと手間。任せられる仕事が増えても、金目自身が対応する仕事は残っています。
それでも本人は、今の生活を変えるつもりはないようです。
今回は、そんな2026年の締めくくりを描きました。
次回もお付き合いいただければ幸いです。




