明日の話
二月一日、木曜日。
上田は、席へ着く前に、一課の予定表を開いた。
昨日まで西田の名前が入っていたところに、自分の名前がある。
二課の予定と並べ、今日、誰と何を確かめるかを見ていく。
「上田さん、午前中、少し時間もらえますか」
上條から声がかかった。
上田は、予定の空いているところを示した。
「はい。この時間で、どうでしょう」
「ありがとうございます。先方の確認と、こちらの実装が重なるところを、合わせたいです」
上田はうなずいた。
今日から、開発一課長も兼ねる。
二課長を続けながら、一課の配置や、仕事の優先順位も見ることになっていた。
西田は、取締役兼開発部長のまま、部全体を見ている。
一課の技術的な確認は上條がつなぎ、黒田たちが実装を進める。
その分担を、上田も一月の間に確かめてきた。
予定へ印を入れると、二課の長谷川が、資料を持ってきた。
「上田さん、こちら、昨日の続きなんですけど」
「はい」
長谷川真理は、二〇三三年に中途で入社した、二課の技術者だった。
業務システムの設計や実装の経験が長く、顧客が実際にどう仕事をしているかを確かめながら、作るものを整理していく。
入社したときの二課長は、尾崎だった。
顧客ごとの事情や、社内で誰に何を聞けばよいかは、上田に尋ねることも多かった。
上田も、設計の進め方で迷うと、長谷川の意見を聞いてきた。
「この二つ、同じように見えてたんですけど、使う人が違いますね」
長谷川が、資料を並べた。
上田は、顧客から来た返事を開く。
「はい。こちらは、月末だけ確認される方です。日々の入力は、こっちの方になります」
「ほな、説明も、分けておいた方がよさそうです」
「そうですね。先方に、参加される方を確かめます」
上田は、顧客へ返す項目を一つ足した。
それから、長谷川の資料へ戻る。
「実際の画面の方は、この流れでお願いできますか。ここは、長谷川さんにお任せしたいです」
「わかりました。確認するところまで作ったら、一度お声かけします」
「お願いします」
長谷川が席へ戻っていく。
少し離れたところでは、宮原が中野へ画面を見せていた。
宮原陸は、昨年四月に入社した、二課の新卒社員だった。
中野や岡元に教わりながら、少しずつ担当する仕事を増やしている。
使う人がどこで迷うかには素直に目を向けるが、その理由を調べる方法は、まだ教わっているところだった。
「ここ、先に戻ったら、入力したものも消えるんですか」
「まず、一回、確かめてみようか。どこまで入れたか、残しといて」
中野が、自分の椅子を少し寄せた。
宮原がうなずき、確認用の画面を開く。
上田は、二人のやり取りを見てから、一課の資料を持った。
西田が、近くを通る。
「今日からやな」
「はい」
「全部、一度に覚えようとせんでええからな。まず、誰が何を持ってるかを、合わせていこう」
「わかりました」
上田は、上條と合わせた時間をもう一度見た。
そのあとには、二課の顧客へ返す連絡がある。
順に確かめ、最初の打ち合わせへ向かった。
*
金目は、三宅と高瀬が用意した表を見ていた。
支払ったものと、これから支払うもの。
入金を確認したものと、まだ予定のもの。
「一月二十五日の給与は、支払いを終えています」
三宅が記録を示した。
「こちらも、期日を迎えた分は、支払済みです」
金目は、一つずつ見た。
高瀬が、その先の見通しを開く。
年末に確認できた既存契約の入金。
その後も続いている仕事の入出金。
人が減ったあとの給与と、会社を続けるために必要な支払い。
昨日発行した七百二十万円の請求は、まだ入金予定の方にあった。
その金額を、今日使える資金へ足した表ではなかった。
「今の体制と、受けている仕事で、当面の支払いを回す見通しは立っています」
高瀬が言った。
金目は、表から顔を上げた。
「……はい」
「先方の支払予定と、こちらの支払いは、引き続き確認します。ただ、今は、今週を越えられるかという形で見る状況ではありません」
金目は、もう一度、表へ目を落とした。
人件費の欄が、昨年の夏とは違っている。
辞めた人がいた。
その結果、会社から出ていくお金が減った。
続けられるようになった理由の一つは、そこにもあった。
自分が選んだことも、社員がそれぞれに選んだことも、この表の中に残っている。
金目は、その欄を見たあと、今ある仕事の予定へ目を移した。
「今の人数で、引き受けた分を、きちんと進めていきたいですね」
「はい。配置と確認に使う時間も、合わせて見ています」
高瀬が答えた。
三宅は、次に確認する日を入れている。
役員報酬の項目も、消えてはいなかった。
金目と西田の返上は続いている。
金目はその欄を見てから、表全体へ戻った。
「こちらのことも、見通しと一緒に、また相談させてください」
「はい」
高瀬がうなずいた。
三宅も、次に合わせる項目へ残した。
金目は、翌日の全社報告の資料を開いた。
支払済みの記録を写し、今後の見通しを書く。
書き終えた文章を、しばらく見ていた。
*
二月二日、金曜日。
いつもの全社報告が始まった。
金目は、画面に参加者が揃うのを待った。
業務の都合で参加できない人へは、あとで資料と質疑を共有する。
上田が、昨日から始まった両課長の体制を説明した。
相談を受けるところと、案件の担当者へ直接確かめるところ。
西田へ戻す判断も、合わせて伝える。
大型案件の基本設計を終え、初回の請求を出したことも報告した。
次の工程で誰が何を進めるかについて、上條から補足が入る。
金目は、そのあとで、支払いと資金の資料を開いた。
「一月の給与と、これまでに期日を迎えた通常の支払いは、終えています」
画面の中で、何人かが資料へ目を移した。
「今の体制と、受けている仕事、その入金予定を合わせて、今後の支払いを確認しました」
金目は、一度、顔を上げた。
「会社を続けていける見通しが立ちました」
少し間があった。
宮原が、画面から顔を上げる。
上條の近くでは、椅子へ背中を預け直す音がした。
「人が減ったことで、支出が減った部分もあります。そのことに助けられたのも、事実です」
金目は、ゆっくり続けた。
「そのうえで、今いてくださる皆さんが、仕事を続け、引き継ぎ、先方へ確かめてくださったことで、ここまで来られました」
誰か一人の顔だけを見ることは、できなかった。
資料の向こうに、それぞれの仕事がある。
「今いる人数で回せるように、これからも、仕事と予定を合わせていきます。会社の状況についても、引き続きお伝えします」
金目は頭を下げた。
「ここまで、仕事を続けてくださって、ありがとうございました」
画面の中で、何人かがうなずいた。
短い返事が重なる。
中野が、膝の上へ置いていた手をほどいた。
質問の時間には、大型案件が進み始めたあとの、ほかの仕事との調整について声が出た。
上田が、担当を入れる時期と、残す確認の時間を説明する。
西田も、課をまたぐ相談を受けるところを補足した。
返事を聞いた社員が、資料へ印を付けた。
質問は、次に仕事を進めるための話になっていた。
最後に、金目は今夜の予定を案内した。
先に都合を聞いていた食事会だった。
参加する人には、店と時間を改めて伝える。
「今日は、少しゆっくり話せたらと思っています」
画面の向こうで、誰かが笑った。
「このあとも業務に入ってくださる方は、引き続きお願いします。今日来られない方も、また、普段のところでお話しさせてください」
報告を終え、参加者が一人ずつ画面から抜けていった。
金目は、閉じた画面を少し見てから、夜の予定を開いた。
*
店へ入ると、暖かい空気と、料理の匂いがした。
外で冷えた指をこすりながら、宮原が上着を脱ぐ。
中野が、空いている場所を指した。
「鞄、こっちに置けるで」
「あ、ありがとうございます」
椅子を引く音が、いくつも重なった。
奥へ入る人のために、先に座った人が立ち上がる。
上着を掛ける場所が見つからずにいると、岡元が隣を少し空けた。
「ここ、一緒に掛けてええよ」
「すみません」
「そんな、謝らんでええから」
宮原が、小さく笑った。
席へ座ると、目の前にはまだ何も載っていない皿と、箸が置かれている。
仕事の資料も、パソコンもなかった。
飲み物の注文を聞かれ、あちこちで声が上がる。
ビールを頼む人の隣で、烏龍茶の注文が出る。
水も欲しいと言う人がいて、卓上の場所を少し空けた。
金目は、入口の方を一度見た。
遅れて来た人が席へ着き、小坂が椅子を寄せている。
福原は、自分の上着を掛け終えると、本多の隣へ座った。
「寒かったですね」
「最後、ちょっと早歩きになりました」
「私もです」
二人が笑う。
金目も、自分の上着を椅子の背へ掛けた。
飲み物が運ばれてくると、誰の分かを確かめる声が重なった。
奥の席までグラスを回し、ようやく一人ずつの手元に届く。
西田が金目を見た。
金目は、自分のグラスを持った。
「皆さん、ほんまにお疲れさまでした」
話し声が、少し静まる。
「今日は、ゆっくり食べて、話していただけたらと思います」
金目は、周りの顔を見た。
「乾杯」
「乾杯」
グラスが触れる音がした。
届かない席へも、少し持ち上げて見せる。
口を付けてから、あちこちで息を吐く音が聞こえた。
「ああ、冷たい」
石橋が言うと、隣の杉浦が笑った。
「寒いところから来たのに、冷たいの飲むんですね」
「これは、また別やねん」
「ほな、僕も、ちょっとだけ」
坂口がグラスを持つ。
料理が運ばれ、空いていた卓上が、少しずつ埋まっていった。
*
「上田さん、こっち、取ります?」
長谷川が、大皿を少し持ち上げた。
上田は、取り皿を差し出した。
「ありがとうございます」
「今日、どうでした。一課も見てみて」
「まだ、全部が分かったわけではないですけど。誰に確かめるかは、一月に合わせてもらってたので」
上田は、料理を受け取ってから皿を置いた。
「上條さんと黒田さんに聞くと、それぞれ違うところが見えますね」
「そうでしょうね」
長谷川が、自分の分も取った。
「二つ見るんですから、こっちへ返せる仕事は返してくださいね」
「はい。そこは、ほんまにお願いします」
上田が答えると、中野が顔を上げた。
「上田さん、自分で見始めると、結構、そのまま続けますもんね」
「……それは、気をつけてる」
「今日も、こっちの画面、見てはりましたよね」
岡元が言った。
上田は、少し笑った。
「見てた。でも、戻したやろ」
「はい。戻してもらいました」
長谷川も笑った。
「気になるところは、言ってもらった方が助かりますけど。続きまで全部持っていかれると、こちらが止まりますから」
「はい」
上田がうなずく。
隣で宮原が、料理を取る手を少し止めていた。
「長谷川さんも、上田さんに、いろいろ聞かれてたんですか」
「聞きましたよ。入ったときは、顧客の名前が出ても、どこの仕事のことか、すぐには分かりませんでしたから」
「ああ……」
宮原が、分かるという顔をした。
「技術の話に入る前に、まず、どの仕事の話をしてるんやろ、って。上田さんには、そこから教えてもらいました」
「僕も、設計で気になるところは、長谷川さんに聞いてました」
上田が言った。
「自分やと、こう進めるかなって思ってたところで、違うやり方もあるって、見せてもらえたので」
宮原は、二人を見た。
「先輩同士でも、聞くんですね」
「聞くよ」
中野が答えた。
「俺も、岡元さんに聞くし。岡元さんも、こっちへ聞くことあるやろ」
「あります。試験で、どこから見たかとか」
「ほな、僕だけ、何でも聞いてるわけじゃないんですね」
宮原が言うと、上田が笑った。
「そら、そうやで」
「でも、聞く前に、どこまで見たかは、言ってもらえると助かるかな」
長谷川が添えた。
宮原はうなずき、それから、自分でも少し笑った。
「それ、今日も言われました」
「ほな、来週も、覚えといて」
中野が言う。
「明日は、いいんですか」
「明日は休みやろ」
声を上げて笑う人がいた。
宮原も笑いながら、箸を取り直した。
上田は、長谷川の皿の向こうに、大皿が残っているのを見た。
「今度、僕が取ります。どれ、いります?」
「ほな、その端のところ、お願いします」
上田が皿を持ち上げる。
仕事中とは違う頼みごとが、隣へ回っていった。
*
「三十日の前、坂口、同じ画面ばっかり見てたんですよ」
杉浦が言った。
坂口が、口に入れかけたものを皿へ戻す。
「見てたけど」
「さっき見たやん、って言うたら、また見てた」
「何回見たか、分からん」
「変わってへんかった?」
「変わってへんかった」
二人が笑った。
柴崎も、グラスを置いて顔を向ける。
「最初の説明、緊張しますよね」
「はい。自分のところ聞かれたら、何を開くかは分かってたんですけど」
坂口は、箸を置き直した。
「別の聞かれ方したら、分からんようになるんちゃうかと思って」
「聞かれたら、また、確かめたらええんですよ」
石橋が言うと、坂口が顔を向けた。
「そうなんですけど。分かってるところまで、飛びそうで」
「ああ、それは、あるな」
石橋はうなずいた。
黒田が、運ばれてきた皿を少しずらしながら口を開く。
「でも、ちゃんと答えてたで」
坂口が、姿勢を直しかける。
黒田は、坂口の取り皿へ目を向けた。
「食べながらでええから」
「あ、はい」
「資料と違う順番で聞かれても、ちゃんと開けてたし。どこを確かめたか、分かってたやん」
「はい。そこは、何回も見たので」
「ほな、見といてよかったな」
黒田が言うと、杉浦が笑った。
「僕が見すぎって言うたみたいになってる」
「言うてたやろ」
「言うたけど」
坂口も笑った。
さっき皿へ戻した料理を、ようやく口へ運ぶ。
「僕も、先方に説明してるとき、自分が知ってる順番で進めてしまうこと、あります」
柴崎が言った。
「十九日のときも、上條さんに、操作してもらう方がええって、合わせてもらって」
「あの、一括承認の方ですか」
石橋が尋ねた。
「はい。こちらが押したら、先に進めてたと思います。実際に使う方が、一回、止まらはったので」
「どこで?」
黒田も聞いた。
柴崎は、選んだあとに内容が変更された申請の例を、簡単に話した。
「そのとき、杉浦君が準備してくれたデータも、使えたんです」
「ああ、全部残る方」
杉浦が答える。
「そうです」
「坂口の方でも、別の例、使ったもんな」
「うん。あれ、助かった」
坂口がうなずいた。
杉浦は、少し目を伏せて、自分の皿へ料理を取る。
「ほな、作っといてよかったです」
「よかったで終わらんと、食べてください」
石橋が、大皿を近づけた。
「さっきから、そっち、全然減ってへん」
「話してたので」
「仕事の話したら、止まるんやな」
杉浦が取り分け始めると、今度は坂口が石橋へ尋ねた。
「石橋さんは、説明するとき、緊張しないんですか」
「しますよ」
「そう見えないです」
「見えへんだけで。先に聞かれそうなところ、触ってしまうんです」
石橋は、指で小さく動かす仕草をした。
「これも動いたら、説明できるかなと思って。ほんで、予定より先までやってる」
「石橋さん、それ、ありますね」
上條が、隣から話へ入った。
石橋は、少し笑った。
「あります」
「今回も、そこは使えたんですけど。その前に聞くところが、一つ残ってましたね」
「はい。次は、聞いてから動かします」
「全部、止めてくださいっていう話ではないので」
「それ言われたら、たぶん、別のとこ触ります」
黒田が笑い、上條も笑った。
坂口は、少し驚いたように二人を見ていた。
「先輩でも、そういうの、あるんですね」
「ありますよ」
石橋は答え、揚げ物を一つ取った。
「ほな、今は、先に食べます」
また笑い声が上がった。
*
金目は、少しずつ席を移っていた。
仕事をしているときは、話しかける用事がある人へ向かう。
今日は、皿を回すついでに近くへ座り、何を話しているかを聞けた。
「社長、これ、もう食べました?」
本多が、卓上の皿を指した。
「まだです」
「取ります? さっき、こっちへ来たところなので」
「ありがとうございます」
金目が皿を差し出す。
本多は料理を取ってから、取り箸を戻した。
「食べて回ってます?」
「回ってはいるんですけど」
「ほな、座って食べてください」
隣の福原も笑って、椅子を少し引いた。
「ここ、空いてます」
「じゃあ、少し」
金目は腰を下ろした。
料理を口へ運ぶ。
まだ温かかった。
「おいしいですね」
「さっき、向こうでも同じこと言ってました」
福原が言った。
「誰が?」
「石橋さんです」
「ほな、あとで、もっと回してもらおうかな」
金目が言うと、本多が笑った。
「同じの、頼んだ方が早そうですね」
向こうから、追加で何か頼むかという声が聞こえた。
福原が手を上げ、この皿と同じものが欲しいと伝える。
金目も、その間にもう一口食べた。
高瀬は、三宅と向かい合って座っていた。
店の人が持ってきた料理を、どこへ置くか尋ねられ、二人が皿を動かす。
「三宅さん、その奥、まだ取ってないですよね」
福原が言った。
「あ、そうですね。ありがとうございます」
「こっち、いただきますから。三宅さんも、どうぞ」
三宅が箸を取り直す。
高瀬も、届いた料理へ手を伸ばした。
「皆さん、食べるものが、少しずつ違いますね」
高瀬が言った。
「私、さっきから、同じもの取ってる気がします」
福原が自分の皿を見た。
本多も、自分の皿を見る。
「ほんまや。私もです」
「隣の皿を見ると、そっちも食べたくなりますね」
三宅が言い、四人が笑った。
金目は、そのやり取りを聞きながら、皿へ残っていたものを食べ終えた。
誰かが、次の確認事項を出しているわけではなかった。
それでも、話は途切れない。
金目は、もう少しここに座っていたいと思った。
*
「大本君、今回、よう聞いてくれたな」
西田の声がして、大本はグラスを置いた。
近くにいた小坂も、顔を向ける。
「本部への確認ですか」
「うん。こっちが何を知りたいか、ちゃんと聞いてくれるようになったなと思って」
大本は、少し背筋を伸ばした。
「上條さんに、返事が来たら、どこまで進められるかを教えていただけたので」
「そこを聞いてくれるのが、助かるんや」
西田が言った。
「先方へ送ったから、あとは返事待ちです、で終わるんやなくてな。こっちが止まってるところを、分かって聞いてくれたから」
上田も、少し椅子を寄せた。
「返事をもらったあとも、次にどこを進められるかまで合わせてもらえるので、助かってます」
「ありがとうございます」
大本は、いったん頭を下げた。
それから、上條たちの方へ目を向ける。
「ただ、例を出してもらえたのが、大きかったです。文章だけやと、僕も、先方にどう聞けばいいか、分からなかったと思います」
「番号のところか」
「はい。黒田さんと石橋さんに、実際に違うところを見せてもらえたので」
大本は、少し考えてから続けた。
「以前やったら、分からない項目を、全部そのまま先方へ送ってたかもしれません。でも、こちらで分かるところもあるんですよね」
「そうやな」
「先方にしか決められないところと、僕らが確認できるところを、分けて聞いた方が、返事もしていただきやすいと思いました」
小坂が、隣でうなずいた。
「今回、そこを合わせてから送れたのは、よかったと思う」
「はい」
大本が答える。
西田は、自分のグラスを少し動かし、上田の方も見た。
「部署が違うても、次に何をするかまで分かって聞いてもらえると、話が早いな」
「はい。こちらも、どこが分かりにくかったか、聞けますし」
上田が答えた。
大本は二人を見た。
「分からないところは、また、聞かせてください」
「聞いてください。こちらも、説明の仕方、考えます」
上田が言うと、西田も笑った。
「お互いやな」
大本はうなずいた。
小坂は料理を一つ取り、少し間を置いてから口を開いた。
「大本さん、こっちの席でも、ずっと仕事の話してるね」
「あ……」
大本が、周りを見た。
松井が笑っている。
「ええと思うで。褒めてもろたんやから、そこは、喜んどいたら」
「はい。うれしいです」
言ってから、大本も少し笑った。
松井が、大本の方へ皿を寄せる。
「ほな、食べ。口、ずっと動いてたけど、箸は止まってたで」
「ありがとうございます」
大本が箸を取った。
小坂は、その様子を見て、自分のグラスへ口を付けた。
*
「松井さんは、最初から、ああいう聞き方ができたんですか」
大本が尋ねると、松井は、首を横へ振った。
「できてたら、もっと楽やったと思うけどな」
「今は、相手が何を言いたいか、早く分かるじゃないですか」
「分かるときもある、くらいやで。違うと思ったら、聞き直してる」
松井は、取り皿を少し脇へ置いた。
「聞き直すのが遅うなると、あとで困ることもあるからな」
「はい」
「小坂さんも、そこは、よう聞くやろ」
小坂が、顔を上げた。
「私は、分かったつもりになるのが怖いので。特に、こちらから提案したいことがあるときは」
「言いたい方へ、聞いてしまうんですね」
「そう。相手は違う話をしてるのに、こっちの提案に合うところだけ、聞いてしまうこともあるから」
大本がうなずいた。
そこで、松井が少し笑う。
「今、メモ取ろうとした?」
「……ちょっと、思いました」
「今日は、箸持っといたらええんちゃうか」
小坂も笑った。
大本は、鞄へ向けかけた手を戻した。
「はい。食べます」
皿へ手を伸ばしたところで、上條が隣から聞いた。
「そういえば、大本君、この前、社長と二人で飲んだんやろ」
「はい」
「どんな話してたん?」
大本は、ほんの少し、返事を遅らせた。
金目は、少し向こうで本多と話していたが、自分のことだと気づいて顔を向けた。
「何の話です?」
「社長と大本君が飲んだとき、どんな話してはったんかなって」
上條が答えた。
金目は、大本を見た。
「僕が、ちょっとしゃべりすぎまして(ニッコリ)」
大本と、目が合った。
金目の頬は、もう少し赤くなっていた。
口元の笑いには、自分で言ったことを思い出したような、照れも混じっている。
「……また誘っていい、という話はしていただきました」
大本が言った。
金目はうなずいた。
「ええ。そこは、もちろん」
「ほな、だいぶ長かったんですね」
松井が言う。
「はい。一晩では終わらなかったので」
大本が答えると、小坂が笑った。
「大本さん、聞きたいこと、まだありそうやね」
「あります」
「今日は、皆さんにも聞けますよ」
金目が言った。
大本は、少し考える顔をした。
「それは、ほんまに、終わらなくなりそうです」
「ほな、まず食べてからやな」
西田が言った。
大本が、ようやく箸を動かす。
金目も笑いながら、自分の席へ少し戻った。
*
料理の皿が入れ替わり、飲み物の追加を尋ねる声がした。
仕事の話をしていた席から、少しずつ違う話が聞こえてくる。
「宮原君、明日は、何するん?」
中野が尋ねた。
宮原は、グラスを置いた。
「まだ、決めてないです。ちょっと、ゆっくりしたいなと思ってます」
「ほな、さっきの分からんかったところ、明日調べようとか、せんでええからな」
「……ちょっと、思ってました」
中野が笑った。
岡元も顔を向ける。
「月曜に、一緒に見たらええよ。どこを見たかだけ、残しといてくれたら」
「はい」
宮原がうなずく。
少し間を置いてから、中野へ尋ねた。
「先の休みのことも、相談していいですか」
「ええよ。いつ頃?」
宮原が、考えている時期を話した。
中野は、仕事の予定を思い出すように、少し視線を上げた。
「戻ってから、予定を見ようか。上田さんとも合わせるし」
「ありがとうございます」
「先に言うてもらえたら、段取りできるから」
宮原は、肩を少し下ろした。
隣で上田が、話を聞いてうなずく。
「また、日付が決まったら教えてください。こちらでも見ときます」
「はい」
そこで仕事の予定の話は終わり、中野自身の休日の話へ移った。
どこかへ出かけたいと言う人がいれば、家から出たくないと言う人もいる。
岡元は、出かけるつもりで準備しても、途中で気が変わることがあると話した。
「そこまで用意したのに、行かへんのですか」
宮原が聞く。
「用意したところで、もう、ちょっと満足することあるねん」
「それ、分かります」
少し離れた福原が、話へ入った。
「前の日は、いろいろしようと思うんですけど。朝になると、もうちょっと寝たいなって」
「そっちですか」
岡元が笑った。
本多も、椅子の向きを少し変える。
「出かける予定があると、急に家のことをしたくなったりしません?」
「あります」
「予定ない日は、せえへんのにね」
また笑い声が重なった。
金目は、少し離れたところから、その会話を聞いていた。
何をするつもりなのか。
どこへ行くか。
何もしないで過ごしたいか。
社員たちが、自分の先の時間を話していた。
金目は、グラスを置き、もう一口食べた。
*
「井上さん、そっち、もう食べました?」
上條が、別の皿を少し持ち上げた。
井上が椅子を寄せ、藤井も、空いている場所へ自分の皿を置く。
「こっちは、まだです」
「じゃあ、回します」
「ありがとうございます。そちらは、これ、どうですか」
皿が移り、人も少しずつ動いた。
さっきまで隣にいた人が向かいへ行き、別の人が空いた席へ入る。
金目が飲み物を持って立つと、西田も席を外したところだった。
二人で、少しだけ卓の端へ寄る。
「よう話してるな」
西田が言った。
「うん」
金目は、社員たちの方を見た。
大本が何か尋ね、松井が笑っている。
坂口と杉浦のところへ、柴崎が皿を持って移っていた。
「金目、食べた?」
「食べたで。さっき、座って食べてくださいって言われた」
「俺も言われた」
二人が笑った。
金目は、少しだけグラスへ口を付ける。
ここへ来るまでの間には、別の席へ移っていった人もいた。
その人たちにも、今夜があり、明日がある。
向こうで、宮原が声を上げて笑った。
金目も、その声の方へ目を戻す。
「……こういう時間、取れてよかったな」
「せやな」
西田が答えた。
「今日は、もうちょっと食べよう」
「うん」
二人が戻りかけたところで、高瀬から声がかかった。
「お二人とも、こちら、どうぞ」
空いている椅子を示され、金目と西田が近づく。
三宅が、料理の皿を少し動かした。
「あ、すみません。場所、取りますね」
金目が座ると、高瀬は笑った。
「社長も、座っていただくための席ですから」
「さっきも、同じようなこと言われました」
「何度でも、言っておいた方がよさそうですね」
三宅が言うと、西田が笑った。
「俺もやな」
福原が、新しく届いた料理を二人へ勧めた。
金目は箸を取り、少し大きめの一口を食べた。
「おいしいです」
「よかったです」
三宅も、自分の分を取った。
高瀬が、二人へ顔を向ける。
「お休みの方も、取れるときには、取ってください」
「はい」
金目はうなずいた。
「報酬の方も、まだ、そのままですし。お二人とも、ずっと同じ調子では、続きませんから」
西田が、少しだけ頭を下げた。
「ありがとうございます。そこは、また、状況を見ながら合わせます」
「僕も、ちゃんともらえるようにはしたいです」
金目が言った。
三宅がうなずく。
「はい。そちらも、予定の中に置いておきましょう」
金目は、三宅と高瀬を見た。
それから、少し笑った。
「お願いします」
店の人が、空いた皿を下げに来た。
話はそこで一度切れ、料理を移す手が動く。
金目も自分の皿を持ち上げ、下げやすいところへ寄せた。
「社長、これ、取っときます?」
福原が聞いた。
「はい。いただきます」
その返事には、もう、あまり遠慮がなかった。
*
「金目さん、明日、何か予定あるんですか」
本多に聞かれ、金目は少し考えた。
「大きな予定は、ないです。買い物くらいかな」
「ほな、今日は、ゆっくり食べられますね」
「はい。でも、食べすぎたら、明日、ちょっと歩かなあかんかもしれません」
「それは、もう、歩いた方がええんちゃいます?」
西田が言った。
金目が、自分の皿を見る。
「そんな、食べてた?」
「さっきから、あちこちで勧められてるやろ」
「それは、食べるやん」
金目が言うと、三宅も福原も笑った。
「さっき、食べてくださいって言ったところなのに」
本多が言った。
「食べてええんやろ?」
「もちろんです」
金目は、また一つ取った。
西田も、同じ皿へ箸を伸ばす。
「西田も食べてるやん」
「俺も、明日歩くわ」
二人が笑った。
その声を聞いて、隣の上田が顔を向ける。
「何の話ですか」
「明日、歩かなあかんかもしれんっていう話」
西田が答えた。
上田は、二人の皿を見て笑った。
「僕も、ちょっと、そうかもしれません」
「ほな、仲間やな」
金目が言った。
向こうでは、松井の話に大本が笑っていた。
上條が、黒田へ何か尋ねる。
仕事の話かと思ったら、皿の上の料理を指していた。
誰かが注文を尋ねると、別の席からも声が上がった。
金目は、自分のグラスが空いているのに気づいた。
次は、水をもらうことにした。
店の人に頼み、持ってきてもらったグラスを受け取る。
戻ろうとすると、宮原と中野のいる席から呼ばれた。
「社長、こっちも、どうぞ」
「何の話です?」
「社長にも聞こうと思ってたんです」
中野が椅子を少しずらした。
宮原も、自分の皿を寄せて場所を空ける。
「休みの日、何しようかなって思ってたら、午前中が終わること、ありますか」
宮原が聞いた。
金目は、席へ着く前に笑った。
「ありますよ」
「ほら。社長もやって」
中野が言った。
「何をするか考えてる間に、昼になって。それから、もう、お昼何食べようかって考えてます」
金目が続けると、岡元が笑った。
「さっき、それも話してました」
「で、食べたら、ちょっと休みたくなるんですよね」
「そうです」
宮原が、うれしそうにうなずいた。
「ほな、僕だけじゃないんですね」
「僕も、同じです」
金目は、空けてもらった椅子へ座った。
宮原が、まだ残っている料理を指す。
「これ、食べられました? こっち、まだあります」
金目は、その皿を見た。
少し向こうから、また料理が運ばれてくる。
さっき笑っていた人が、こちらの話も聞こうと、椅子を寄せた。
「じゃあ、僕もいただきます(ニッコリ)」
取り皿を持つと、隣から取り箸が回ってきた。
金目は礼を言い、自分の皿へ料理を取る。
宮原が、明日は何時に起きようかと話していた。
中野が、それを今決めても、朝には変わるかもしれないと言う。
岡元が、まず起きてから決めたらどうかと返す。
誰かの話に、また笑い声が重なった。
金目も笑いながら、運ばれてきた料理へ箸を伸ばす。
話は、まだ尽きそうになかった。
カナメの夜は、ゆっくりと更けていった。
お読みいただきありがとうございます。旭月です。
今回で、第五章「守りたいもの」は一区切りとなります。
会社を続けるために考え、働き、それぞれの選択をしてきた人たち。去った人にも、残った人にも、会社の外へ続いていく暮らしがあります。
その中で、今夜はようやく、同じ席で食べて笑える時間を描くことができました。
大本には、部署を越えて仕事を認めてもらえる喜びがあり、上田には、任せられる人たちがいる。若手も先輩も、仕事の話から少し離れて、明日の予定を話しています。
金目も、皆を見守るだけでなく、空けてもらった席へ座りました。最後の笑顔を、私もほっとしながら書いていました。
ここまで見守ってくださった皆さま、ありがとうございました。
カナメと、そこで働く人たちの物語は、これからも続きます。
引き続き、よろしくお願いいたします。




